水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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JR九州 787系電車

2011-02-28 20:03:57 | 電車図鑑・JR新系列特急用車両
西鹿児島(現・鹿児島中央)発着の特急「有明」号に使用していた485系電車や
783系電車「ハイパーサルーン」の置き換え、新たに新設された特急「つばめ」用に
登場した車両である。
平成4年~平成14年までに140両が製造された。
製造を担当したメーカーは近畿車輛と日立製作所である。
構成形式は以下の通り。

クモロ787
:制御電動車で車内はグリーン車。運転台寄りにトップキャビン
(→DXグリーン席)、グリーン席、グリーン個室、トイレ、洗面所がある。
モハ786-100、もしくはモハ786-300とユニットを組む。
向きは博多駅基準で鹿児島側。

クモハ786
:制御電動車で車内は普通車。車内中央部に荷物置場がある。
 主変圧器と連結側にパンタグラフを備える。
 向きは門司港側。

モハ787
:中間電動車で車内は普通車。主制御装置とコンプレッサを搭載。

モハ786(-0、-100、-200、-300)
:中間電動車で車内は普通車。身障者用座席と便所、洗面所、自販機コーナー、
 フリースペースを備える。
 786-0と786-100が最初に製造されたグループで786-200と786-300が
 それ以降に製造されたグループである。
 当初、モハ787にモハ786-0、モハ786-200が、クモロ787とモハ786-100、
 モハ786-300がユニットを組んでいたが、一部で連結相手が差し替えられている。

クロハ786
:制御車で車内はグリーン席と普通席の合造。デッキの仕切り壁がガラス張りに
 変更されている。向きは鹿児島側。

クハ787
:制御車で車内は普通車。クロハ786と同じくデッキの仕切り壁がガラス張りに
 なった。また、クモハ786にある車内中央の荷物置場がない。
 向きは門司港側。

サハ787
:中間付随車。車内は普通車。車内中央部に荷物置場がある。
 洗面所と便所、簡易車掌台を有する。

サハ787-100
:中間付随車。車内は普通車。17両製造されたうち5両がクハ787-100に改造された。
 車内中央に荷物置場がある。

サハシ787
:中間付随車で4人用普通セミコンパートメントとビュッフェ、車内販売準備室を
 備える。エアコンプレッサーを装備。

サハ787-200
:中間付随車でサハシ787のビュッフェを撤去して普通客室としたもの。
 旧ビュッフェ部分に新設された座席は885系「白いかもめ」などで使用されている
 ものと同一形状のものであるほか、天井の構造上、荷棚を設置できなかったため、
 荷物置場の代わりとしてシート間隔を他の車両より広くとっている。
 セミコンパートメントと車販準備室などは残置。

車体は普通鋼鉄製で腐食しやすい屋根周りなどには一部、ステンレスが
用いられている。
デザインはこれまでの日本の鉄道車両とは大きくかけ離れたものとなり、
登場時は大いに話題となった。
平成5年度に鉄道友の会ブルーリボン賞とグッドデザイン賞、
平成6年にはブルネル賞を相次いで受賞している。
塗装はガンメタリックの濃淡で車体中央やドア周りなど各所にロゴが入れられた。

車内はグリーン席、普通席のほかトップキャビン、DXグリーン席、グリーン個室、
普通4人用セミコンパートメント、ビュッフェの7つに分類される。

まず、グリーン車の開放席は1:2配置の回転リクライニングシートで、背もたれが
腰の部分で折れて任意の角度に調整できるようになっている。
テーブルは肘掛内蔵でオーディオサービスとフットレストが付く。
後年登場する「有明」用のクロハ786では座席は同等品だが、オーディオサービスが
廃止され、代わりにモバイルコンセントが設置された。
また、後述のトップキャビンを設置していない。
トップキャビンは運転室側の6人分(4人用と2人用)のセミコンパートメントとした
もので座席そのものは開放室のものと一緒である。
2人用の席は通路側に向けることも可能である。
グリーン個室は「サロンコンパートメント」と呼ばれる4人用の個室である。
通路側の壁伝いに3人用の大型ソファと窓側に1人用のリクライニングシートを
備える。
DXグリーン席は「リレーつばめ」転用後にトップキャビンを改装したもので1:2配置
2列から1列になり、その広大なスペースを生かした特別座席としている。
座席は最大角144度まで倒すことが出来る電動式回転リクライニングシートで
レッグレストを用いるとほぼ水平になる。
この区画にはハンガー、読書灯、モバイルコンセント、スリッパ、靴べらが
用意される他、グリーン車の乗客に行われるドリンクサービスに
更にクッキーや飴などスナック類が付くなどサービスの行き届いた空間となっている。

普通車は2:2配置の回転リクライニングシートで、座席背面に跳ね上げ式の
簡易フットレストとテーブルを備える。テーブルは肘掛にも小型のものが
設置されている。
後述のビュッフェの跡に設置された座席は既述の通り、885系「白いかもめ」のものを
革張りからモケット張りに変更したものである。
テーブルは肘掛内蔵でフットレストは無い。
天井部分をビュッフェ時代のままとしたため、荷棚を設けることができなかった。
そのため、この区画だけ、シート間隔を1200mmとグリーン席(開放席)と
同じとすることで荷物スペースを確保している。
普通4人用のセミコンパートメントには4人向きあわせで真ん中に大型テーブルを
備える。座席のリクライニングはしない。
通路とはガラスで仕切られるが、扉は無い。

ビュッフェは立席形の軽食堂でホットメニューやオリジナル弁当、
各種ドリンク、オリジナルグッズの販売などを行っていた。
しかし、九州新幹線鹿児島ルートの新八代~鹿児島中央間の開業に伴い、
平成15年をもって全ての営業を終了し、全車普通客室へ改造された。

この他の設備として各客室出入口上部にLEDスクロール式の旅客案内装置を
装備した(一部車両では未設置)。
客用扉は全車片側1箇所ずつで全てステップ付きの片引き戸である。


主制御装置はサイリスタ位相制御でブレーキは発電ブレーキ併用電気指令式
ブレーキを採用した。
これはJR九州が近郊用に導入した811系と同じもので同社で今のところ最後の
直流モーター車である。
台車はヨーダンパー付のボルスタレス台車で軸箱支持方式はコイルバネ式であるが、
一部の台車はSUミンデン式になっている。
駆動方式は中空軸平行カルダン方式である。
運転台はマスコンを横軸式、ブレーキを縦軸式としたツーハンドル式で乗務員支援用
モニターをJR九州の電車で初めて採用した。
なお、先輩の783系「ハイパーサルーン」や後継の883系「Sonic」で採用した
乗務員室背後の展望構造は設けられておらず、壁で仕切られる。

平成4年7月のダイヤ改正で西鹿児島行き「にちりん」を本形式で置き換え、
「つばめ」として営業を開始した。このときは9連×5本と7連×1本の陣容であった。
平成5年に「にちりんシーガイア」(博多~南宮崎)、「ドリームつばめ」、
「ドリームにちりん」に投入されると、7連に中間車2両を加え、
更に9連3本を増備して総数81両と勢力を伸ばした。
平成6年には更に9連2本と7連×3本を追加し、「かもめ」(博多~長崎方面)にも
投入された。
同年には上京し、大宮工場で行われた「新旧つばめの出会う日」で展示されている。

平成8年に「かもめ」運用は臨時列車を除いて消滅し、一旦全て「つばめ」
専用となる。
平成11年に「有明」用の編成が登場し、「つばめ」用の車両から組み換えを実施し、
翌12年には「有明」用に更にサハ787-100からクハ787-100に5両が改造されている。
また同年から「にちりんシーガイア」と「ドリームにちりん」から撤退し、
新たに「きらめき」、平成13年からは「かいおう」の運用に就いている。
平成16年より九州新幹線開業に伴い「つばめ」の愛称を譲り、運転区間を門司港・博多~
新八代に短縮の上で新幹線連絡特急「リレーつばめ」として運用されるようになった。
来る平成23年3月のダイヤ改正で九州新幹線博多~新八代間開業に伴って
「リレーつばめ」が廃止されるため、「有明」、「かもめ」、「みどり」、「にちりん」、
「ひゅうが」、「きりしま」、「かいおう」、「川内エクスプレス」に転用される。
本形式の転用により、国鉄時代より走り続けていた485系特急用電車が
全車定期運用を離脱する。



○車体のあちこちにある「TSUBAME」のロゴ。上写真は車体中央の荷物置場のある
 部分のもの。


○元サハシ787のサハ787-200。手前が個室、奥が元ビュッフェ跡の客室となる。



○「有明」編成。4連(上)と6連(下)がある。一部の先頭車は中間車からの改造だが、
 新車と同じものを取り付けている。
 4連車は「リレーつばめ」・「有明」の併結列車の他、これを2本繋いだ8連運用もある。
 写真は平成18年ごろ訪問した時のもので背後では九州新幹線の建設工事が
 進められていた。

函館市交通局 2000形電車

2011-02-27 22:32:30 | 電車図鑑・路面電車
旧型車の置き換えのため、27年ぶりの新車として登場した車両である。
平成5年と6年に1両ずつ2両が製造された。
製造を担当したメーカーはアルナ工機である。

車体は普通鋼鉄製でデザインは800形を更新改造した8000形のものを
より洗練とさせたものになった。
正面デザインは同時期に登場した3000形と共通であるが、側面窓が2001号車と
2002号車で異なる。
行き先表示は字幕式で正面上部と側面窓下に設けられている。
塗装は標準色としてアイボリーにライトグリーンの帯となっているが、
2両とも広告カラーになっている。

車内はオールロングシートで軸流ファンや換気装置を天井に設置しているが、
冷房は搭載されていない。
側面窓は2001号車が2段式、2002号車が3000形と共通の一段下降式である。
ドアは2箇所で配置は前中式(前ドアが折り戸、中ドアが片引き戸)である。

主制御装置はVVVFインバータ制御、ブレーキは電気指令式空気ブレーキである。
台車は軸箱支持をシェプロンゴムとした金属バネ台車で駆動方式は
平行カルダン駆動である。
集電装置はシングルアーム式でこれらは函館市電で初めての採用となった。

同時期に登場した3000形と共に新車として運用されたが、冷房を搭載しておらず、
たった5両と2本しかない(3000形4両、8100形1両、9600形2本)冷房車のうちの
4両として重宝されている3000形と比較すると、元の数の少なさを差し引いても
影の薄さは否めない。
運用について特に制限は無く、他の車両と共に運用されている。


○駒場車庫で休む2002号車。側面がタイトル写真の2001号車と異なる。
 冷房の室外機や電源装置を搭載していないので、屋根周りがスッキリと
 している点が本形式と3000形を見分ける最大の特徴である。

西武鉄道 3000系電車

2011-02-25 20:58:13 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
老朽化した旧型車両の置き換えのため、池袋線用の新車として登場したものである。
昭和58年~62年にかけて8両編成×9本=72両が製造された。
製造を担当したメーカーは東急車輛と西武所沢工場である。
編成の組み方は第1編成の3001編成を凡例に池袋線飯能側(西武新宿線西武新宿側)から
順に以下の通り。

クハ3001(奇数)+モハ3101(奇)+モハ3102(偶数)+モハ3201(奇)+モハ3202(偶)+※
※+モハ3301(奇)+モハ3302(偶)+クハ3002(偶数)

形式上はクハ3001形とモハ3101形の2形式だけであるが、中間車のモハ3101形は
搭載機器や連結位置の違いで車番を分けている。
このうち、主制御装置・パンタ付きのモハが全て奇数車で3101、3201、3301、
コンプレッサー、電動発電機など補助機器付のモハが全て偶数車で3101と3301である。
モハ3201の偶数車は補助機器の搭載が無く、床下は最低限の機器しかないため、
あたかも「サハ」の様にしか見えないが電動機を積んでおり、しっかりモーター音は
聞こえる。

車体は鋼鉄製で新101系・301系に準拠したデザインを採用している。
違いは正面の窓周りが一体化して黒く(黒に近いこげ茶)塗りつぶされたことで、
新101系のような「パンダ」顔というより「タヌキ」顔になっている。
行き先表示・種別表示は電動の字幕式で、西武鉄道では初めて車体側面でも
種別・行き先表示幕を設置した。
塗装は西武イエローで窓周りをベージュで塗っていた(高性能車を示す)が、
後に旧型車の引退したことと、保守作業の簡易化のため、イエローのみ一色に
塗り替えられた。
ドアはステンレス製無塗装となっており、正面のステンレス飾りと併せ、
外観上のアクセントとなっている。

車内はロングシートで背もたれと座布団の間にFRP形成物を挟んだ独自のものを
採用している。
袖仕切りはパイプ式で、ドア側の座布団を保護するため、斜めに傾斜している。
窓は2連2段式のユニット窓で、上下段上昇であるが、側面方向幕下の上段だけ、
下降式となっている。
ドアは片側3箇所で全て両引き戸である。
既に新宿線で4ドアの2000系が運用中であったが、本形式は池袋線への投入が
前提であったため、敢えて3ドアとなった。
これは本形式製造当時の池袋線は池袋~所沢間でまとまった乗降があるのが、
その両端の駅だけで現在のように練馬や秋津での乗り継ぎ需要が少なかったため、
むしろ始発となる駅からの着席サービスを優先させたためである。

主制御装置は界磁チョッパ制御を採用し、ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令式
空気ブレーキである。
これらの機器は新宿線で導入されていた2000系電車と同じであるが、ブレーキの
シークエンスなどに違いがある。
運転台は他の車両と操作を同じにするため、ツーハンドルである。
台車は西武鉄道標準の軸箱支持をペデスタル式としたダイレクトマウント式
空気バネ台車、駆動方式を中空軸平行カルダン駆動である。

登場以来、池袋線専属であったが、平成4年より4編成を新宿線に転属させている。
この際、新宿線移籍車は方向幕の交換を行っている。
池袋線所属車も平成9年に実施している。
平成16年からは正面下部へのスカートを設置し、平成19年までに全車で改造を
終えている。
また、平成20年より方向幕の再交換を実施し、種別・行き先ともローマ字併記のものに
変更され、種別のものは各種別の色も変更されている。

運用については、池袋線と新宿線の8連の専用ダイヤで運行されている。
これは本形式が他の形式と連結する機能を有していないためである。
池袋線では主に池袋~豊島園・保谷・清瀬・所沢・小手指・西武球場前方面への
各駅停車と、一部の優等列車、新宿線では西武新宿から同線系統の各駅停車や
優等列車に就いている。
この他、臨時列車として西武秩父線への乗り入れることがある。
西武秩父線は連続して急勾配が続くため、本形式のような回生ブレーキ車の乗り入れは
原則、制限されていたが、平成19年に吾野と正丸にある変電所で環境配慮型蓄電装置が
導入され、回生ブレーキの常用が可能になったことから、同区間での運用も
可能になった。

その後、平成22年に3005編成と3007編成がモハ3201形のユニットを抜き取って
6両編成に組み替えて国分寺線に転じた。
抜き取られた車両は本形式で初めて廃車となり、解体されている。
6連車の編成の組み方は以下の通りである(3005編成を例とする)。

クハ3005+モハ3105+モハ3106+モハ3305+モハ3306+クハ3006

現時点で2本のみの組み換えであるが、他の編成の今後の進退については不明である。



○スカート付きになった編成。これは字幕変更前。
 現在は全てこのスタイルになっている。


○車内。背もたれと座面が独立した独自の座席が特徴。


○運転台。西武ではオーソドックスなレイアウト。


○新宿線所属の3013編成。一時期ヤクルトの広告電車になっていた。方向幕交換済み。
 この編成は通常塗装に戻されたが、3015編成と3017編成が東京富士大学の
 広告塗装になっている(平成21年~23年まで3015編成。平成23年以降は3017編成が
 担当)。



○平成21年5月より運行を始めた「銀河鉄道999」装飾車。
 上が池袋側でメーテル、下が飯能側で車掌さんがそれぞれ描かれている。
 側面にも999のキャラクター(メーテル、星野鉄郎、車掌)が描かれている。
 これは練馬区の町おこしのため、同区に住まう松本零士がデザインしたもの。
 なお、大泉学園駅の名誉駅長も「999」の車掌である。


○埼玉西武ライオンズの応援装飾塗装になった3015編成。
 反対側のヘッドサインは、小さいヘッドマーク形になっている。


○恋ヶ窪駅を発車する国分寺線に転属した3005編成。中間車のモハ3205+モハ3206を
 引き抜いて6連になった。


○6連になったクハ3005号の運転台。車号がオレンジ色になり、速度計の横に
 「6」と書かれたステッカーを貼った。

伊予鉄道 610系電車

2011-02-24 21:45:11 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化が進んだ600系電車の置き換えのために登場した車両である。
平成7年に2両編成×2本=4両が製造された。
製造を担当したメーカはアルナ工機である。
構成形式と編成の組み方は高浜側から順に以下の通り。

・モハ610形+クハ660形

車体は伊予鉄道で初めての軽量ステンレス車体(先頭部分は鋼鉄製)である。
側面のスタイルが、当時、製造元のアルナ工機で生産中だった東武鉄道の20000系と
よく似ている。
正面は非貫通で大きな一枚窓となっており、前方の視界は大変広い。
行き先表示は正面と側面にあり、いずれも字幕式である。
車体は無塗装(先頭部分のみホワイト)にオレンジの濃淡の帯が入る。

車内はオールロングシートで化粧板はホワイト系、座席モケットは淡い紫色の
寒冷色であるが、窓が大きく、肘掛にスタンションポールが無いため、
かなり開放的な雰囲気である。
クハ660形の連結部分には伊予鉄道で初めての車椅子スペースが設置された。
側面窓はドア間が2連ユニット式の1段下降窓、ドアは片側3箇所で、全て両引き戸と
なっている。
車体両端のドアの上部にはLEDスクロール式の表示機が設置されているが、
これは停車駅などの案内をするものではなく、伊予鉄道からのお知らせや
ニュースなどを流すためのものである。

主制御装置は抵抗制御、ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
これらの機器は京王帝都電鉄5000系電車の廃車発生品を流用し、既に運用中の
700系電車(元京王5000系)と揃えている。
この制御装置は1500Vで8つのモーターを制御(1C8M)できるが、伊予鉄道郊外電車線は
600V/750Vなので半数の4つのモーターを制御(1C4M)できるようになっている。
台車は軸箱支持がアルストム式(ツインリンク式)のインダイレクトマウント式
空気バネ台車で駆動方式は中空軸平行カルダン方式である。
この台車は東武鉄道2000系の廃車発生品である。
集電装置はシングルアーム式を採用した。

平日は朝方に横河原~古町間で2本を繋いだ4連で運用されることがあるほかは、
基本的に2連での運用となる。
その後の運用も、ほぼ決まっているが、車両検査などの都合で車両が入れ替わった
場合は、その限りではない。
かつては休日に郡中線で運用されていた時期もあるが、現在は横河原・高浜線専用で
郡中線へは沿線での催事開催時のみ入線している。
なお、現在は2本とも側面部に広告ラッピングが成されている。


○車内。スタンションポールなどが無く、スッキリとしている。

東京都交通局 7500形電車

2011-02-21 23:55:46 | 電車図鑑・路面電車
既に全線廃止の方向であった都電であったが、地下鉄代替の難しい区間への交通網
整備の遅れなどで存続、若しくは廃止を延期しなければならない路線が出てきたため、
バスの車体構造をとり入れ、コストダウンを図りつつ、ある程度、耐久性を高めた
車体と7000形並みの性能を持たせた電車として登場したものである。
昭和37年に20両が製造された。
製造を担当したメーカーは日本車輛と新潟鉄工所(→新潟トランシス)である。

■基本仕様と登場時~ワンマン化まで
車体は普通鋼鉄製で、既述の通り、バスの車体の製法を取り入れて軽量化と
コストダウンを図っている。
正面のヘッドライトやテールライトもバスの部品を使用したため、
当時の路面電車としては珍しい左右に2つライトを持つ電車となった。
行き先表示機は正面に字幕式のものを設置し、側面はドアの横に運行経路を書いた
札を差し込むものとしている。
運行系統板は正面中央部に照明を内側に仕込んだ直方体のものを設置し、
上が系統番号、下が広告枠となっている。
塗装は当時の都電の標準色である黄色に近いクリームに細い赤帯である。

車内はロングシートで床は木製だが他の部分は金属製である。
ドアは前中式・片側2箇所でいずれもドアエンジン・ステップ付きの片引き戸である。
側面窓は、やはり当時のバスなどで見られた上段をHゴム固定式、下段上昇式とした
いわゆる「バス窓」を採用した。
中ドアの進行方向後方にある引き違い式の窓の場所は車掌台である。

主制御装置は抵抗制御(間接式)でブレーキは発電ブレーキと空気自動ブレーキである。
台車は軸守式の金属バネ台車で7000形電車で使用していた台車と同等のものを
採用し、乗り心地の向上を図った。
モーターの駆動方式は吊り掛け駆動方式である。

当初の配置は20両全車が青山車庫(現在は国連大学と青山こどもの城の敷地と
なっている)で、渋谷駅を発着する6系統、9系統などで運用された。
昭和43年に青山車庫が廃止されると7501~7510号が荒川車庫、7511~7520号が
柳島車庫(後に江東区立亀島小学校敷地→同小学校廃校後、江東区立第2亀戸中学校
仮校舎→現在は解体され区有地)に転属して、それぞれの担当する各路線で
運用された。
昭和47年に江東区の路線の全線廃止に伴い、柳島車庫所属車も存続か廃線かで
揺れていた荒川車庫へ7517号と7519号以外の8両が転属していった。
7517号と7519号は転属回送準備中に追突事故を起こして車体を損傷してしまったため、
修復されずそのまま廃車となった。
こうして荒川車庫に18両全車が集うことになった。

■ワンマン化改造~車体新造まで
荒川車庫受け持ちの27系統王子駅前~赤羽間廃線後、27系統の残存区間と32系統を
統合して1本化して荒川線として路線の存続が決まると、合理化を進めるため、
車両のワンマン化とノンステップ化を推進することになった。
ノンステップといっても今日のような完全低床車は、未だに存在していない時代で
あったため、安全地帯やホームの高さをかさ上げして対応している。
本形式もこれに対応するための改造を実施した。
主な改造内容は、各ドアのステップ廃止、側面への方向幕設置、一部座席撤去による
車椅子スペース確保、ドアの改修、運転席左後方への運賃箱設置と自動放送装置、
ドア操作スイッチなどの運転台への設置によるワンマン化、帯色の青帯化、
ミラー設置、ビューゲル昇降の自動化などである。
この改造は昭和53年までに7509号車と7514号車以外の16両を対象に実施された。
また、同時期に同じくワンマン化とノンステップ改造を受けた7000形については
車体を新造しているが、本形式はこの段階では元の車体に改修を加えたものであった。
7509号車は廃車後、解体されたが7514号車はツーマン仕様のまま荒川車庫で保管され、
現在の車庫に改装されてからは倉庫代用として留置された。
その後、平成11年に小金井公園内に開設された江戸東京たてもの園で
展示されることになり、整備の上で同所で保存されている。

■車体新造~現在
製造から20年、ワンマン化改造から4年余りが経ち、車体の老朽化が進んできた
ことと、車両の冷房化を始めるため、昭和59年から、7502号、7504号、
7508号の3両を除いた13両を対象に車体の新造を伴う更新改造を実施した。
新車体の製造を担当したのはアルナ工機である。
新車体は普通鋼鉄製で7000形をベースに角ばったスタイルのものを採用したが、
ヘッドライトとテールライトは縦並びとなり、旧車体のイメージを踏襲している。
また、都電で初めての冷房車となったため、冷風を通す風洞を設置するため、
屋根がやや深くなった。
車番については機器を提供した車両のものをそのまま引き継いでおり、改番は
実施していない。
塗装はアイボリーにライトグリーンの帯で行き先表示は正面と側面に字幕式のものが
設置された。
車内は7000形のものを踏襲した中ドアを境に点対称となるもので運転席から見て
左後方がロングシート、右後方がクロスシート(優先座席)である。
走行関係機器については変更は無いが、冷房装置の電源確保のための、
静止型インバータが屋根上に設置されている。
集電装置は当初、自動折畳み・方向変換機能付きのビューゲルを採用していたが、
昭和63年ごろからパンタグラフに交換している。
なお、改造されなかった7504号車は他の車両が更新された後も車籍を維持し、
予備車としてラッシュ時を中心に運用された。
7502号と7508号と7512号の旧車体は公園や幼稚園に引き取られて保存された(7502号は
後年解体されている)。

改造された13両は7000形と共に荒川線の主力車両として活躍した。平成13年前後に
一部機器の更新改造を受け、抵抗器やエアコンプレッサーが旧来品から新品に
交換された。
また、クーラーのカバーがステンレス製のものに交換されたものもあった。
旧車体のままで残っていた7504号車は晩期、「学園号」として運用されたが、
車体の老朽化が著しく、平成10年に運用を離脱し、平成13年に廃車となった。
廃車後は7514号の後任として倉庫にされたが、自走可能な状態ではあったため、
イベントで公開されることがあった。
その後、車体の再整備がなされ、平成19年より都電おもいで広場にて展示されている。

車体更新車も寄る年波には勝てず、車体改造から20年以上、製造から40年以上を
経過して機器の老朽化が進んできたことから、新型車への置き換えが
開始されることになり、平成20年より廃車が開始された。
まず7506号と7507号の2両が廃車となったあとは、8800形の増備に合わせて
順次廃車が進行していき、平成22年現在で2両だけと勢力を大幅に縮めた。

残った2両のうち7511号車は阪堺電気軌道との相互PR活動提携記念として、
阪堺電気軌道の電車が戦後~昭和50年代初頭まで使用していたダークグリーンに
窓枠が木目(茶色)というカラーリングに改められた。

また、最初に廃車となった車両のうち7506号車は、かつての都電軌道跡に開設された
池之端児童公園に保存された。
これにより、原型車、ワンマン車、車体新造車の3形態全てが保存された
ことになった。
本形式は平成23年3月いっぱいで引退することが決定しており、現在、7511号車が
最後の活躍を続けている。


○原型で残る7514号。江戸東京たてもの園にて展示されている。
 6系統は渋谷駅前~霞町(現・西麻布)・六本木・溜池経由~新橋駅前間を
 結んでいた系統である。一部ルートが異なるが都バス都01系統「グリーンシャトル」の
 母体となった。


○更新改造前の運転台。


○車内。床は木製だが、窓が大きく明るい。



○荒川車庫で修復された頃のワンマン改造車7504号。敷地外から望遠レンズで撮影。
 現在は荒川車庫前の都電おもいで広場にて展示されている。


○都電おもいで広場の7504号車。側面のステップの切り取られ方がよくわかる。



○阪堺電車カラーとなった7511号。この姿で引退するようである。


○7511号の少し前の姿。側面広告車であった。


○車体新造車の運転台。明らかに機器が増えている。


○車内。7000形とほぼ同じだが、中吊り広告を吊るせるだけ天井のの高さは
 確保されている。運よく早稲田で前の列車と間隔が詰まったおかげで
 空いてる車内を撮影できた。


○7511号車の阪堺電車とのPR提携ポスターと引退告知ポスター。
 引退告知ポスターは旧車体バージョンもある。


○池之端七軒町電停跡の池之端児童公園に展示された7506号車。
 車内は原則的に非公開だが、期日を決めて公開している模様(車内に上野周辺の
 都電の写真や昇降用のステップがしまわれているのを現地にて確認)。
 保存場所へのアクセスは地下鉄根津駅から徒歩か都バス上58系統(早稲田~
 上野松坂屋間)で池之端二丁目下車すぐ。
 この上58系統に乗ると、本駒込4丁目で旧神明町車庫跡公園に展示されている
 6000形6063号と乙1形乙2号を見に行くことも出来る。

能勢電気鉄道 3100系電車

2011-02-19 21:57:28 | 電車図鑑・私鉄電車(関西)
阪急電鉄の3100系電車を譲り受け、改造したものである。
平成9年に4両編成×1本=4両が入線した。
改造を担当したメーカーはアルナ工機である。
編成の組み方は川西能勢口側から以下の通り。

・3120+3670+3620+3170

阪急時代の車番と編成の組み方は以下の通り。

・3106+3653+3604+3156

この編成の製造年は昭和40年製で、製造メーカーはアルナ工機の前身である
ナニワ工機である。
当初、宝塚線で運用されたが、6000系や8000系などの後継車両の増備で
晩期は箕面線で運用されていた。

車体は普通鋼鉄製で1500系や1700系の種車となった2000系、2100系と同等であったが、
入線にあたり、車体更新を兼ねて手を加えている。
正面は貫通型のままであるが、正面貫通扉の窓を下方向に拡大、ヘッドライトを
ケースはそのままに角型化、標識灯を窓下に降ろして角型化とその周りに
西武鉄道の車両のような平行四辺形の銀色の装飾を取り付けた。
行き先表示は阪急時代は正面のみの札差式だったが、正面向かって左側と
車体側面に字幕式のものを新たに設置した。
塗装は、クリームに正面・側面扉周りをオレンジとした「フルーツ牛乳」色であったが、
平成15年に阪急電鉄との経営統合に伴い、現在は阪急マルーン一色である。

車内はロングシートで内装については、阪急グループならではの
木目調にオリーブグリーンのシートから淡いブルーの化粧板と
濃いブルーのシートに一新された。
同時に車体更新も実施され、吊革交換、肘掛形状の変更、車椅子スペース設置、
車内貫通路扉交換などの改造を実施している。

主制御装置は抵抗制御(電動カム軸式)でブレーキは抑速ブレーキ付・発電ブレーキ併用
電磁直通ブレーキである。
台車はダイレクトマウント式空気バネ台車(軸箱支持はミンデン式)で
駆動方式はWN駆動方式である。
これらについては阪急時代から変更は無い。
運転台はツーハンドル式でワンマン運転用の機器を運転台コンソールの上に
設置した(外から見ると「ワンマン」の文字があるところ)。

これまでの車両も阪急からの中古払い下げで、多少は手を加えたものの、
ほとんどそのまま運用されることが多かった中、本形式は車体更新を
兼ねていたとはいえ、かなり本格的に手を加えられた。
特に内装は他の車両と一線を画す。
運用は他の4両編成と同じであり、川西能勢口~妙見口、日生中央間の列車の他、
山下折り返しの区間列車にも充当される。
1本しかないので、実際に乗車できる機会は少ない。


○車内。阪急系の会社では珍しいブルー系の車内。
 写真は修正済み。


天竜浜名湖鉄道 TH3000形気動車

2011-02-18 21:35:13 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
天竜浜名湖鉄道(掛川~天竜二俣~新所原間)が車両の大型化による
輸送力増強のために導入された車両である。
平成7年に2両が製造された。
製造を担当したメーカーは富士重工である。
形式は3000形であるが、車両番号は3500番台でTH3501、TH3502とされた。

車体は普通鋼鉄製で、いわゆる富士重工製の新世代気動車「LE-DC」準拠のものと
なっている。
正面は貫通型で左右の窓はパノラミックウィンドウとなった。
塗装はクリームにオレンジの濃淡の帯がストライブ状に入るものである。
行き先表示は正面のみで字幕式である。

車内はドア付近がロングシート、車内中央部がボックスシートの
セミクロスシートである。
ドアは片側2箇所・片引き戸で車体の両端にあるが、左右で位置が異なる。
側面窓はユニット窓・2段式である。

機関はカミンズ社の直噴式ディーゼルエンジン(NTA855R)1基で
出力と回転数は350PS/2000rpmである。
この点が純正富士重工製LE-DCと異なる点である(オリジナルは日産PE6TH形)。
駆動方式は液体変速式で変速1段・直結3段となっている。
ブレーキは在来車両との併結に備え、直通式空気自動ブレーキである。

本形式登場時、既に老朽化が進んでいたTH1形気動車から車体の構造を見直して
車体の大型化と強化を図った。
平成16年より、引退したTH2形に代わり、トロッコ列車の牽引車にTH3501号が
指定され、塗装の変更(上がクリーム、下がブラウンでクリーム色の飾り帯が入る)を
実施した(タイトル写真参照)。
しかし、平成19年の車両検査実施時にトロッコ用客車の台枠(車体の床部分を構成する
部分。上で車体の土台、下は機器や台車が取り付けられる鉄道車両の基礎となる。
車でいうシャーシ)に亀裂が発見され、トロッコ列車の運行が不能となり、以降は
塗装はそのままに他の車両に混じって運用されている。
TH3502号車はエンジンの不調が続き、平成20年より休車となり運用を離脱、
平成22年に廃車解体された。


○在りし日のTH3502号車。後ろに見えるのは遠州鉄道の電車。

東武鉄道 200形電車(日光軌道線)

2011-02-16 18:48:57 | 保存車・博物館
国鉄日光線国鉄日光駅前から馬返の間を結んでいた日光軌道線の車両近代化の促進と
輸送力増強のために登場した車両である。
昭和29年に2体連接車×6本が製造された。
製造を担当したメーカーは宇都宮車輛(現:富士重工)と汽車会社である。
編成の組み方は以下の通り。

・200形-200形

当時の法律で路面電車の連結運転は基本的に認められていなかったため、
前後の車両で車番を共通とし、1両と見做している。
これは、ほぼ同期に2体連接車として登場した東京急行電鉄デハ200形でも同様である。

車体は半鋼製で本形式の前年に登場したボギー車の100形をベースにしたものを
採用している。
正面は当時の鉄道車両デザインの流行である半流線型2枚窓の
いわゆる「湘南フェイス」であるが、正面向かって左側の窓が2段式となっており、
開放可能である。
また、先頭部分から最初のドア付近まではカーブでのオーバーハングを防ぐため、
若干、車体幅が絞られている(100形も共通)。
行き先表示は正面が字幕式、側面が札差式である。
塗装は黄緑色に側面の窓枠と側帯、車体の床より下が朱色である。

車内はロングシートで連接部分の通路を幅広のものとし、渡り板も円形で
段差の無いものを採用したことから、前後の車両で一体感のあるものとなった。
ドアの配置は2車体で片側3箇所あり、左右で非対称の配置となる。
なお、運転席横のドアは2枚引き戸、他2箇所は片引き戸である。
このほかに路面電車では珍しい、乗務員用の扉を設置している。
側面窓は2段式である。

主制御装置は抵抗制御で東武日光軌道線の電車で初めての間接自動制御方式
(電動カム軸式)を採用した。
ブレーキは勾配区間での性能向上のため、発電ブレーキ併用直通式空気自動ブレーキを
採用している。
台車は100形のものと同等の板バネ式ブリル台車を採用し、駆動方式は吊り掛け
駆動方式である。
本形式では出力を確保するため、連接台車以外の2つの台車の車軸全てにモーターを
搭載したため、100形では台車内蔵とされたブレーキシリンダーを台車の外側に
設置した(100形の場合、片方の車軸にモーターが無いのでそこにシリンダーを
装備している)。
集電装置はビューゲルで前後の車体で1基ずつ、2基が搭載された。
このビューゲルは上端部に間接を設けて架線への追随性を向上させたものと
している。

本形式の登場で団体輸送や行楽輸送向けに残っていた2両連結用の単車が
全て引退した。
これ以降はラッシュ時や団体・観光シーズンなどの多客時に、その輸送力を遺憾なく
発揮した。
本形式運用時は運転士1名と車掌2名の3人乗務体制となり、進行方向前側の車掌は
客扱い、後ろ側の車掌はドア扱いを行った。
昭和43年2月25日の日光軌道線廃線と共に全車が廃車となった。
廃車後は製造後14年と比較的新しい車両ではあったものの、引き取り手が現れず、
静態保存された203号車を除いて全車解体された。
203号はおもちゃのまち駅近くの公園で保存された後、昭和56年に東武動物公園開園に
合わせて同園に移設。
さらに平成元年に東武鉄道創立90周年を記念して開館した東武博物館に収蔵される
ことになり、同館にて保存された。
同館脇にて屋外展示されているが、入口は館内側に半ば埋め込まれるような感じで
設置されている。
また、館内から冷風を送るための風洞が側面の窓枠を雰囲気を壊さない範囲で
設置された。
なお、何回か塗りなおしを行った関係で、現役当時と塗りわけなどが微妙に異なる。


○車内。右の窓が館内から空調を送るダクトとつながっている。
 左側の座席とドアの間の隙間は車掌台でここでドア操作を行った。


○車内連接部分。車体の幅に比べてかなり広い貫通路。
 段差の無い円形の渡り板が特徴。右側はもう一つの車掌台。


○運転台。かなりシンプルな構成。右のハンドルは手ブレーキ。


○タイトル写真の反対側から撮影。路面電車では珍しい乗務員用扉がある。
 車体幅の絞りが入る部分で最初の窓と2番目の窓の間の柱が太い。
 ちなみに当地に保存されてから、リニューアルまで正面左側の2段窓の窓枠も
 オレンジに塗られていたが、現在は緑で塗りつぶされている。

国鉄 711系電車

2011-02-15 23:14:59 | 電車図鑑・国鉄型一般用車両
函館本線の札幌近郊の電化に伴い登場した、国鉄で初めての北海道向けの電車である。
昭和42年に試作車の900番台2両編成×2本=4両が登場し、その後、昭和43年に量産車
3両編成×8本=24両と900番台を3両で使用するための中間車のモハ711形1両の計25両、
昭和44年に3両編成10本=30両、昭和55年に車体や機器の設計を一部変更し、
100番台とされた3両編成17本=51両と試作車2本とあぶれた中間車を
3両編成にするための先頭車4両の総計114両が製造された。
製造を担当したメーカーは川崎重工、東急車輛、日立製作所である。
構成形式と編成の組み方は以下の通りである。
■構成形式と番台区分
・クハ711形
 :制御車。試作車では札幌駅基準で小樽向き。量産車は両側の先頭車となる。
  連結側に便所と洗面所がある。補助機器の類は搭載せず、トイレ用の水タンクを
  装備している。
・モハ711形
 :中間電動車。量産車のみ製造。制御器・電動発電機・空気圧縮機を装備する。
・クモハ711形
 :制御電動車。試作車(900番台)のみの存在。運転台の向きは旭川側。
  制御器・電動発電機・空気圧縮機を装備する。
  量産車のモハ711形は本形式から運転台構造を無くしたもの。
・900番台
 :クモハ711形+クハ711形で構成される試作車。それぞれ901と902の2本が
  製造された。
  901編成は2段窓と4枚折り戸が、902編成は温風送風機と大型の通風器、
  床下機器覆いが特徴であった。901編成のドアは後年引き戸に改修され、
  902編成の機器覆いは除去されている。平成11年までに廃車。
・100番台
 :クハ711-100+モハ711-100+クハ711-200で構成される。
  昭和55年に増備されたグループで各部に仕様変更が行われた。
  主な内容はクハ711-100の便所廃止による定員増加、便所の汚物処理装置設置、
  車体の難燃化、行き先表示幕の設置、ドア・雨樋のステンレス化、電気系統の
  構成・使用素材変更、種別幕上へのヘッドライト増設などである。
  なお、クハ711-100は試作車編成の3連化用に2両多く作られている。
■編成の組み方(←小樽側)
・量産車:クハ711+モハ711+クハ711
・100番台:クハ711-100+モハ711-100+クハ711-200
・900番台:クハ711-100+クモハ711-900+クハ711-900

車体は普通鋼鉄製で、本州で急行用に使用されていた455系や165系などの
急行形電車のものをベースに耐寒・耐雪構造を強化した設計としている。
正面デザインもこれらの車両のものを引き継いでいるが、ヘッドライトを当初より
小型で照度の高いシールドビーム式としたほか、運転台も従来の形式よりも
高い位置にされた。
また、正面下部のスカートは雪塊や大型の動物(エゾシカ、ヒグマなど)との衝突に
備えて、大型で強固なものとした。
正面は種別表示幕が、側面は行き先表示札を掲出するが、100番台は側面に
行き先表示幕を当初より装備する。
塗装はエンジ色に正面下部をクリーム色としたものであったが、昭和60年より
現在の赤にクリームの帯というものに塗り替えられた。

車内はデッキ側をロングシート、他の部分を4人向き合わせのボックスシートとした
セミクロスシートである。
本形式は分類上、113系や115系電車と同じ近郊形電車になるが、冬季の客室
保温のため、車体両端にデッキを設けたものとしている。
座席の間隔などは急行運用も考慮していたため、急行形電車と同じだが、
通路幅を確保するため、肘掛を省略した。
冷房装置については搭載されず、客室にあるスイッチで稼動する首振り扇風機を
設置している。
トイレは和式でクハ711形0番台、200番台、900番台の連結側に設置され、
対面に洗面所を設置した。

主制御装置はサイリスタ位相制御方式で日本の鉄道車両で初めて採用した。
この制御方式は従来の交流電流区間用電車(新幹線含む)で使用されていた
タップ式と異なり、接点を無くすことが可能である。
これにより、着雪時の故障を抑えることに成功した。
また、機器の小型化と軌道への粘着性能も向上したため、3両編成中電動車1両という
このため、起動加速度は1.1km/h/sと、かなり低いが、高速域になっても加速度が
一定で下がらないため、高速運転は得意であり、最高速度120km/hで札幌~旭川間を
ノンストップで走る急行「さちかぜ」では最短1時間36分で走破した。
この区間は平坦で直線が多く、蒸気機関車もまだ走っていた時代ということで
これでも十分な性能であった。
国鉄の新性能電車で初めて電動車ユニット方式を採用しなかった。
ブレーキは電磁直通ブレーキで、発電ブレーキや回生ブレーキの類は装備していない。
台車はインダイレクトマウント式空気バネ台車で軸箱支持は油圧円筒案内方式で
軸バネには凍結防止の為、ゴムの皮膜が設けられた。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン方式である。
モーターは密閉式で冷却は強制送風式であるが、車体の雪切り室と呼ばれる装置と
繋がれ、その循環気流を利用している。
降雪時には雪を風で分離して車外に排出し、冷気のみをモーターや床下機器に
送ることが可能である。
この構造のため、国鉄標準のモーターを搭載しながら、走行中の冷却ファンの騒音が
格段に少なくなった。

本形式は試作車2連×2本=4両での各種試験運転の後、量産車が投入され、
昭和43年8月28日の函館本線小樽~滝川間の電化完成と共に営業を開始した。
翌昭和44年の函館本線滝川~旭川間電化完成と昭和55年の千歳線・室蘭本線
沼ノ端~室蘭間電化完成に合わせて増備されている。
本形式は普通列車のほか、車内設備を生かして急行列車にも使用され、
札幌~旭川間の「さちかぜ」、「かむい」でも活躍した。
国鉄の民営化後はJR北海道に全車引き継がれ、引き続き、札幌近郊の電化区間で
普通列車を中心に運用された。

試作車については2回に分けて量産車に仕様を合わせる改造を実施した。
最初の改造は床下機器を中心に量産車との併結対応、902編成の床下カバー撤去など、
2度目の改造で901編成のドアの片引き戸化、主回路装置の変更などが行われた。
また、試作車は原則2両で運用されたが、3両でも運用できるように量産車の
中間電動車モハ711形を1両余分に製造(モハ711-9号)し、必要に応じて編成を
組ませた。
主に901編成と組むことが多く、クハ711-901+モハ711-9+クモハ711-901という
編成を組んでいた。
その後、100番台を製造する時にクハ2両を余分に製造することで再度の編成組み換えを
実施し、以下のような3組み合わせとなった。

・901編成=クハ711-119+クモハ711-901+クハ711-901
・902編成=クハ711-120+クモハ711-902+クハ711-902
・118編成=クハ711-118+モハ711-9+クハ711-218

この他、量産車でも様々な改造がなされている。
主な内容は、種別表示器上にヘッドライト増設、PCB製造禁止に伴い絶縁材を
シリコン油に変更、客室扉増設改造(クハ711形1・2・106・111・115~117・206・211・
215~217)、731系電車開発に伴う室内設備検討改造、冷房装置設置(100番台のうち、
110編成と114編成以外が対象)、パンタグラフのシングルアーム化などである。
このうち、客室扉の増設は車体強度の関係で対象編成のモハ711形には
施工されてない。

既述の通り、民営化後も札幌近郊で運用されたが、都市化が進むにつれ、2ドア・
デッキ付の車体構造から乗降に難を呈し、ラッシュ時の列車遅延の原因となった。
そのため、本形式も3ドア化されたが、後継の721系、731系が導入されると置き換えが
進み、平成11年に900番台が、平成16年までに基本番台車が全車廃車された。
現在は100番台ばかり3両編成16本が残り、主に函館本線の岩見沢~旭川間、
室蘭本線苫小牧~室蘭間で運用される。
札幌近郊へも乗り入れるが、既に列車密度が濃い都市型のダイヤ構成と
なっているため、ラッシュ時か、その前後の入出庫を兼ねた運用が中心である。

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○苗穂工場に保管されている2段窓が特徴のクモハ711-901+クハ711-901。
 引退を前に登場時の塗装に復元された。


○3ドア改造車。ドアにクリームの細いラインが追加されている。
 ちなみに撮影地は平成22年、ホームが高架になった旭川駅。


○冷房改造車。3扉化は未施工。


○残り僅かとなった原形を保つ非冷房車。交代中の乗務員と対比すると本形式の
 運転台の高さがよくわかる。また、床下には断熱材を通し、さらにその下に
 モーター冷却のための風洞が通るモハ711形と同じ床の厚さがあるため、
 走行音は電車とは思えないほど静かである。

国鉄 キハ32形気動車

2011-02-14 21:34:47 | 電車図鑑・国鉄型一般用車両
国鉄が民営化を前に経営基盤が脆弱と予測され、特に新車の導入が難しい
四国向けに投入した気動車である。
昭和62年に21両が製造された。
製造を担当したメーカーは新潟鉄工所(現・新潟トランシス)と富士重工である。
単行運用に使用するため、編成は組まない。

車体は同時期に同じ目的で導入したキハ54系とは異なり、製造コストの安い
普通鋼鉄製となった。
当初より閑散区間での運用を考慮して車体の長さを在来線フルサイズの
20mから16mにし、当時の国鉄の気動車としては最小となった。
また、当時の第三セクター向けの新型レールバスを参考に、冷房装置や客用ドアに
バス用部品や廃車となった車両の機器を流用して車体の軽量化と大幅なコストダウンを
実現している。
正面は分割併合を考慮して貫通型でヘッドライトは新潟鉄工所製の1~11号が
丸型、富士重工製の12~21号が角型である。
塗装は当初、クリームをベースにストライブの帯を入れていた。
なお帯の色は導入された地域別で色を変えており、徳島が藍、高知がエンジ、
愛媛(松山)がオレンジだった。
現在はJR四国のコーポレートカラーである白に近いクリームに水色の帯を巻いている。
行き先表示は正面が字幕式、側面が札を差し込む方式のものである。

車内はオールロングシートでトイレの設備は設置されていない。
側面窓は2段式で新潟鉄工所製のものと富士重工製のもので若干大きさが異なる。
ドアは前後2箇所で、進行方向前のドアは運転席のすぐ後ろにあり、
後ろのドアは後部運転席のすぐ横にある非対称配置となっている。
また、進行方向後部のドア(運転席と対面するドア)の客室側にはツーマン運転用の
車掌台が設けられ、監視用の小窓とドアスイッチ、ブザーが設置されている。
なおドアは両方ともバスのものと同じ2枚内折り戸である。
ワンマン運転にも対応するため、運転席後方に運賃箱と料金表、各ドアには
整理券発券機を設置している。

機関はDMF-13-HS形直噴式ディーゼルエンジンで、これを1基搭載している。
冷房装置はエンジン直結式で、暖房はエンジン排熱を利用したものである。
本形式の燃料タンクは地域輸送向けであまり長距離を走ることは考慮せず、
容量の小さなものを搭載していたが、高知運転所のキハ54系が運用範囲を
拡大した際に、その穴埋めを本形式で行った関係で高知運転所所属の車両に関しては
多度津~土佐山田間での運用を考慮し、タンクの積み増しが行われた。
変速機は液体変速式、ブレーキは空気自動ブレーキでいずれも廃車された車両の
ものを流用したものである。
台車も廃車されたキハ20系列などが使用していたウイングバネ式コイルバネ台車を
整備の上で流用した。

運行開始当初は松山、高知、徳島の各運転所に配属されたが、後続形式の
1000形の増備で徳島からは離れ、松山に10両、高知に11両がそれぞれ在籍している。
運行範囲は予讃線松山~宇和島間(旧線区間含む)、土讃線、内子線、予土線である。
予土線などでは所要時間で2時間を越えるような運用にも就くが、JR四国では
途中に10~20分前後の比較的長い時間の停車時間を設けることで、駅のトイレを
利用してもらうように案内している。


○新潟鉄工所製の丸ライト車。松山地区に多く在籍する。撮影地は予讃線松山駅。


○富士重工製の四角ライト車。こちらは高知地区に多い。撮影地は土讃線阿波池田駅。
 他にも側面の窓の大きさが異なるなど、細部に違いが見られる(窓上の帯を基準に
 してもらうと判りやすい)。


○車内。手前右の四角い箱はエンジンの排煙ダクト。この時は冷房の効きを
 良くする為、カーテンをかけていた。なおJR四国では夏季の出庫前や長時間停車時に
 乗務員が率先してカーテンを閉めて冷房の効きを良くするようにする光景を
 見かける。


○運転席周り。左のボックスが運転室。ドアが非対称な位置にあるのがわかる。


○運転席。コントローラーやブレーキなどは旧型車の流用品。


○車掌台。ドアスイッチが客室にあるので混雑時は苦労すると思う。


○台車。キハ20系などから流用した金属バネ台車。