水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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京成電鉄 3050形電車

2011-07-31 20:25:09 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
京成スカイアクセス線開業に伴い、羽田空港~成田空港間で運行される「アクセス特急」
向けに登場した車両である。
平成21年~平成22年にかけて8両編成×6本=48両が製造された。
製造を担当したメーカーは日本車輛である。
編成の組み方は成田空港側から以下の通り。

3050-1+3050-2+3050-3+3050-4+3050-5+3050-6+3050-7+3050-8

電動車はハイフン(-)以下1、2、4、5、7、8の6両で残りの2両(-3、-6)は
付随車である。
主要機器は両端の3両ずつに分散して配置しており、中央の2両(-4、-5)を抜いた
6連を組むことも可能である。
分類上は3000形の7次車なので「3000形50番台」となるが別形式として紹介される
ことが多い。
当ブログもこれに準拠し、別形式として紹介する。
なお、京成で3050形を名乗る車両は2代目である(初代は昭和34年に登場。
京成創立50周年の記念形式にして京成初の標準軌間車でクリームにオレンジの
いわゆる「赤電」カラーを採用した初の車両。後年は冷房化されたり、今は亡き、
千葉急行電鉄(→京成千原線)に貸し出されるなどしたが、平成8年に全車が
廃車された)。

車体は3000形に準じたオールステンレス製のものを採用した。
「アクセス特急」車であることを分かりやすくするため、外観デザインについては
一新された。
特に大きく変化したのはカラーリングで正面窓下と側面窓周りを青空をイメージした
ブルーのグラデーションとし、正面には赤、側面には色身を変えて航空機を
イメージしたイラストが入れられている。
偶然ではあるが、京成スカイアクセス線と線路を共用している北総鉄道が以前
所有していた「ゲンコツ電車」こと7000形電車と似たイメージとなった。
行き先表示は正面と側面にあり、いずれもフルカラー式LEDとなっている。
行き先表示については乗り間違い防止の為、行き先と経由路線を交互に表示している。

車内はオールロングシートで、-1、-8号車運転室側ドア後方に車椅子スペースを
備える。
座席のモケットについても本形式専用のブルーのものに航空機のイラストを
縫いこんだものとなった(優先席は赤系)。
ドアは両引き戸で片側3箇所配置である。
各ドア上部には京成の通勤型車両で初めての液晶画面式の旅客案内装置が設置された。

主制御装置はIGBT素子を使用したVVVFインバータ制御で従来の3000形から大きな
変更は無い。
ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキで抑圧(耐雪)ブレーキと
保安ブレーキのほか、スカイアクセス線及び京急線での120km/h走行に対応するため、
増圧ブレーキを有している。
台車は軸箱支持をモノリンク式としたダイレクトマウント式空気バネ台車である。
モーターの駆動方式は3000形では3001編成と偶数編成がWN駆動方式、3003編成以降の
奇数編成がTDカルダン駆動方式となっていたが、本形式では全編成がWN駆動方式
である。
エアコンプレッサーは同時期に製造されたAE形と同じ新型のものとなったほか、
走行性能に余裕を持たせるため、設計最高速度を120km/hから130km/hに
向上させている。
運転台はT字型ワンハンドルマスコンでスカイアクセス線、アクセス特急用の
英語放送機能付き自動放送装置が追加された以外は基本的に3000形と同じある。

京成スカイアクセス線開業と共に営業運転を開始し、全6本のうち4本が
アクセス特急運用に就いている。
ほぼ同列車専従であるが、3700形の一部を改造してアクセス特急対応としたことから、
京成本線系統の列車に使用されることも少なくない。
京急側では羽田空港方面への運用が主であるが、臨時ダイヤで神奈川新町まで
乗り入れたほか、東日本大震災翌日には同線側に取り残された編成が1往復だけだが、
品川~三崎口間で特急に使用された事もある(京急本線品川~泉岳寺間が運休した
ため)。


○車内。旅客案内装置は1画面だけ。



○航空機のイラストが入れられた車体側面と座席モケット。
 「この車両が来ればスカイアクセス線経由」というのを示すものだが、
 京成本線経由の運用も無いわけではない。

小田急電鉄 20000形電車 「RSE」

2011-07-30 21:01:15 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
JR御殿場線との連絡急行「あさぎり」で使用していた初代3000形SSE車の老朽化に伴い、
その置き換えと同列車の特急格上げのため登場した車両である。
車両の愛称は「RSE(Rezort Super Express)」で、
平成2年~3年にかけて7両編成2本=14両が製造された。
製造を担当したメーカーは日本車輛と川崎重工である。
編成の組み方は沼津側から順に以下の通りである。なお形式表記は公式の
形式ではなく、車体に書かれたものを表記する。

デハ20300形+デハ20200形+サハ20250形+サハ20150形+デハ20100形+※
※+サハ20050形+デハ20000形

基本的な設計コンセプトは相互乗り入れとなるJR東海との協定に沿って
進められたため、ロマンスカーの伝統である展望席、連接車体、走る喫茶室は
本形式で一旦打ち切られた(50000形VSEで復活)。

車体は鋼鉄製で、スーパーシートの3・4号車以外は、10000形電車「Hi-SE」に準じた
ハイデッカー(高床)構造となっている。
3・4号車(サハ20150形&サハ20250形)は上をスーパーシート、下を普通客室及び
個室としたダブルデッカーとしている。
車体の長さは20mで編成での長さは140mとなる。これは本形式が箱根方面の特急に
入ることを予定してのことで、箱根登山鉄道小田原~箱根湯本間のホームの長さに
合わせてある。
先頭部分はHi-SE車を踏襲した流線型ながら、超大型三次曲面ガラスの採用で
曲線的な優雅さとシャープさを兼ね揃えたデザインとなっている。
展望席はないが、運転席越しの前面展望は可能である。
塗装はホワイトに窓周りと車体下部が淡いオーシャンブルー、これにアクセントとして
ピンクのラインが入る。
列車名表示は先頭部中央にあり、小田急で初めてLED式のものを採用している。
また、側面のドア上に設置された列車名・行き先表示も同様にLED式のものとしている。

車内は普通車とスーパーシート、セミコンパートメントで、座席の配置の違いを
含めると2階級4種類ある。
まず、普通車は2:2配置の回転リクライニングシートで、座席の前後間隔を従来より
拡大したほか、中肘掛やフットレストも設置している。テーブルは前座席の背面と
窓側壁面に折りたたみ式のものが設置されている。
床にはカーペットが敷かれ、箱根・沼津側2両が海を意識した青い波模様のもの、
新宿側が都会を意識した幾何学模様のものとなっている。

2階建て・3号車の階下の普通席は2階のスーパーシートと同じシート間隔に
普通車用の座席を1:2で配置したものとなっており、車窓からの景色では
一歩劣るものの乗り得な席として沿線のヘビーユーザーや鉄道ファンに
よく知られており、指名買いも多い人気席である。

2階建て・3・4号車の階上はJRのグリーン車に相当するスーパーシートとなっており、
普通車よりも座席間隔が100㎜ほど広い。
座席は回転リクライニングシートで普通車同様背面にテーブルがあるほか、
肘掛にもテーブルがあり、座席を向かい合わせにしたときでも物を置けるスペースを
確保している。
1列席側に1階席からの非常脱出通路が一部張り出しており、この部分はマガジンラックと
なっている。
以前はオーディオサービスや肘掛に内蔵された液晶テレビで衛星放送が見られたが、
現在はテレビは撤去され、オーディオ機構も機能していない。
この他、3・4号車にある売店へのコールボタンが設置されているが、
現在はスーパーシート専属の係員がおらず、ワゴン販売のため、売店が無人のことが
多いため、あまり機能していない。

2階建て・4号車階下はセミコンパートメントとなっており、4人用が3室ある。
個室内は4人向かい合わせの大型ボックスシートで大型のテーブルが設置されており、
グループ客を意識した作りとなっている。

トイレと洗面所は2号車と6号車で2号車が洋式と男子小用、6号車が和式と
男子小用である。
3・4号車デッキには車内販売コーナーがあり、うち3号車にはカード式公衆電話と
AED(体外徐細動機)を設置している。
ただし、ハイデッカー構造であるため、車椅子対応設備は設けていない。
ドアはステップ付きの内折れ式で各車両1箇所ずつ設置されている。なお、現在の
指定席管理システムができるまで、乗車時の指定席特急券の確認のため、新宿駅等で
乗車口を限定していた関係で各ドアに業務用の半自動用操作スイッチを設置している。

主制御装置は抵抗制御で、従来の車両のシステムを基本的に踏襲している。
なお、御殿場線内での連続勾配に対応するため、抵抗器の冷却方式を自然通風から
強制送風にしている。
ブレーキは発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキで、やはり勾配対応のための
抑速ブレーキ、勾配起動ブレーキ、緊急用増圧ブレーキを有している。
台車は小田急で標準的に使用されている車軸支持がアルストムリンク式の
ダイレクトマウント式空気バネ台車で、モーターの駆動方式はTDカルダン方式である。
運転台は左手操作式ワンハンドルマスコンである。

基本的に新宿から御殿場線経由で沼津に向かう特急「あさぎり」に用いられ、
定期列車では、1号、4号、5号、8号を担当している。
なお、乗り入れ相手のJR東海側の「あさぎり」専用車371系は予備車がないため、
この場合は本形式が「あさぎり」全列車で代走することになる。
本形式充当の列車は市販の時刻表でも判別可能である。これは371系の列車には
「ワイドビュー車両で運転」と書かれるからで、何もかかれてなければ本形式が
充当される。
また、休日には予備の1本を箱根特急に投入しているが、本形式がJR371系の代走を
行ったり、検査中の場合はこの列車には投入されない。。
この他、夕方の自社線内の特急「ホームウェイ」や他のロマンスカーの代走に
用いられることもある。

国鉄 80系電車

2011-07-28 23:34:28 | 保存車・博物館
東海道本線の電化区間における輸送力増強と輸送の効率化のために登場した、
日本で最初の本格的な長距離列車向けの電車である。
昭和24年~昭和33年にかけて652両が製造された。
製造を担当したメーカーは帝国車両、日本車輛、東急車輛、宇都宮車輛、新潟鉄工所、
近畿車輛、日立製作所、川崎車輛、汽車会社で日本国内にあった鉄道車両メーカーの
大半が関わった。
編成の組み方は投入路線によって異なるため省略する。
形式別の概要は以下の通り。

■基礎形式
クハ86形:制御車。3等車。
モハ80形:中間電動車。3等車。主制御装置、集電装置、電動発電機、CP搭載。
サハ87形:中間付随車。3等車。
サロ85形:中間付随車。2等車。
モユニ81形:郵便荷物室付きの制御電動車。単行運転可能。後にクモユニ81に改称。

■形態別の分類及び改造による形式
クハ86001~クハ86020:正面3枚窓。半鋼製車体。
クハ86021・クハ86022:正面2枚窓。丸妻。半鋼製車体。
クハ86023~:正面2枚窓。折妻。半鋼製車体。
・100番台:座席間隔拡大車。サロ85形に100番台は無し。
・300番台:座席間隔拡大・全金属車体。
クハ85形:中間付随車に運転台を取り付けて制御車としたもの。
・0番台:サロ85からの改造。
・100番台:サハ87形から改造。
・300番台:サロ85形300番台・サハ85形300番台からの改造。
サハ85形:サロ85形からの格下げ改造車。
・0番台:そのまま格下げたもの。特に改造されてない。
・100番台:0番台を3ドアに改造したもの。
・300番台:サロ85形300番台からの格下げ。ごく短期間で全車がクハ85形300番台に改造。
モハ80形800番台:身延線用にパンタ部分の低屋根化を実施したもの。
 モハ80形300番台から改造。
モハ80形850番台:上記と同じ内容でサハ87形300番台を電動車化。
クモニ81形100番台:クモユニ81形から郵便室を無くして荷物室にしたもの。

車体は半鋼製で昭和32年製造の300番台からは全金属車体である。
正面は非貫通で初期車が丸妻の3枚窓、昭和25年製造のクハ86021号から
2枚窓となった。
クハ86021号とクハ86022号は3枚窓車と同じ台枠を使った関係で丸みのある
独自のスタイルであったが、クハ86023号以降は真ん中で折り目の入った
スタイルとなり、「湘南電車」の代名詞となった。
この前面デザインは昭和30年代前半まで一大ブームとなり大手私鉄から路面電車、
果ては軽便の気動車までが採用するにまで至った。
塗装はオレンジとグリーンのいわゆる「湘南色」を始めて採用し、鉄道車両の
カラー化の先鞭をきった。
正面部分を中央で半円形で塗り分けた「金太郎」塗りとなったが、これが決まるまで
幾度か塗り替えを重ねた。
また湘南色とあわせて横須賀線用の「スカ色」も開発されたが、この時は在来車両の
片面ずつに湘南色とスカ色で塗り分け試験塗装車として運用したことがある。
この他には「茶坊主」と呼ばれたクリームと茶色の関西急行色(今の新快速に相当)が
ある。
行き先表示は側面にサボが設けられているのみで正面には名前付きの優等列車でのみ
ヘッドマークが付けられる。

車内は2等車、3等車とも4人向き合わせの固定クロスシート(ボックスシート)で
ドア付近のみロングシート(3等車)である。
2等車はソファタイプの座席で間隔も広めにとられている。
3等車は初期車はシート間隔が定員を稼ぐため従来の客車よりも狭く、背もたれの
モケットも腰半分より下にしかなかったが、これらは後に改善されている。
トイレはクハとサハ、サロに設けられており、いずれもデッキに出入口を設置して
車内とは分離している。
サロ85形の初期車では横須賀に駐留していた進駐軍を意識して洋式便器を
当初より採用していたが、日本人には見慣れないものであったため、途中から
和式に変更された。
なお、サロ85形は長距離運用や優等列車での運用も考慮して車内販売控え室も
設けられていた。
ドアは片側2箇所・デッキ付きで全て片引き戸である。
この当時の東海道線は客車用に低めのホームであったが、ドアステップは設けられて
いない。

主制御装置は抵抗制御で初期車については戦前からの標準品である電空カム軸式の
CS-5を採用したが、昭和26年以降に登場したものは改良型の電動カム軸式のCS-10を
採用した。
この制御装置の採用で制御段数の多段化が可能となり、ブレーカーなどの機器の
配置を見直したため、乗り心地や故障時の安全性の向上が図られている。
ブレーキは空気自動ブレーキであるが、中継弁として電磁弁を各台車に設けており、
長大な編成でも安定したブレーキ力を得る事に成功している。
台車は初期車が枕ばねを重ね板バネとした箱型台車、中期がこれの枕ばねを
コイルバネとしたもの、最終的にはペデスタル式のコイルバネ台車となった。
いずれの台車も車軸をコロ軸として長距離・高速走行での発熱も抑えている。
モーターの駆動方式は吊り掛け式で従来車と変わらない。
これらの走行機器は従来のものをベースに改良を加えたもので、既に関西私鉄では
本形式以上の性能を持つ車両が戦前から運用されていたが、本形式では広範囲で
運用することや大量に製造することからコストを抑制するため、贅沢で特殊な
機構より堅実な今ある技術の延長上にあるものを改良して使うことを選択している。
この考え方は後の151系「こだま」型や0系新幹線の開発にも活かされている。

昭和25年の3月より東海道線東京~沼津間と伊東線で運行を開始したが、営業開始前に
メーカーからの自力回送途上で車両が全焼したり、初期故障を繰り返したため、
「遭難電車」という有り難くない仇名も頂戴したこともあるほか、当時の鉄道雑誌でも、
かなり手厳しい非難が書かれた事がある。
初期故障が収まってくると、客車列車よりも速度が速く、乗り心地も良かったことや
速度が客車列車よりも顕著に速かったため、次第に利用客の支持を得られるように
なっていった。
当初モノクラスであったが、昭和26年よりサロが増備され、基本10連+付属5両+
郵便荷物車1両の16という日本の電車初の長大編成を実現した。
また、東海道線のみならず、スノープロウなどを装備して寒冷地仕様としたものが
登場し、高崎線、東北本線などへも投入が進められた。
優等列車へは週末の温泉準急「あまぎ」(東京~伊東・修善寺間。今の「踊り子」の
前身)に投入され、準急列車ながら東京~熱海間を客車特急列車「つばめ」と
同等の所要時間で走破した。

特異なものとしては非電化区間への乗り入れで、蒸気機関車やディーゼル機関車に
牽かれ、客車や電車に発電機を搭載して補助電源を確保するというものであった。
この他、駿豆鉄道線(現・伊豆箱根鉄道駿豆本線)直通にも用いられたが、同線は当時
直流600Vだった為、国鉄の直流1500Vと電圧差があった為、電動発電機などの
一部の機器を複電圧仕様に改造し、主制御装置はそのままで乗り入れるという
離れ業をやっていた。
これでは満足に走行できないように見えるが、補助機器は正常に動いており、
当時の駿豆鉄道は戦前からの木造電車が1両でのんびり走るローカル線だったので
速度が出なくても問題がなかった。
三島駅の東海道線と駿豆鉄道側にはデッドセクションがあり、その前後の通電区間と
本形式がユニット構造を組まない電動車であることを巧みに利用した切替作業を
行いこれを実現した。
その後、これらの特殊な運用は電化の進展、気動車の開発による無煙化、
私鉄側の昇圧などで消滅している。

関西ではクリームに茶色の独自の塗装になったものが急行(今の快速・新快速に相当)に
用いられ、モハ52系「流電」を置き換えた。
その後、電化区間の延伸が続き、昭和32年には東京~名古屋間の準急「東海」、
名古屋~大阪間を結ぶ準急「比叡」にも投入され、電車でも長距離優等列車として
運用できることを証明した。
これにより、長距離優等列車用の電車の開発が進められ、日本で長距離列車の
大半が電車となる端緒となった。
なお、特急用電車の開発が具体化したため、本形式のサロ85020号に一時的に
冷房装置を取り付けて試験運用を行った。

余談だが、このサロ85020号は冷房を外した後、しばらくして横須賀線に転じて
運用されていた時、鶴見事故(昭和38年11月9日21時頃発生。鶴見駅付近で貨物線で
脱線した貨車が東海道線の上り線を支障したところに上下の横須賀線列車が進行。
上り線列車の先頭車が貨車と衝突した衝撃で下り列車側面に激突。4・5両目の車体を
抉り取ってようやく停車した。死者161名・負傷者120名の大惨事となった)
に巻き込まれている。
この車両のすぐ隣りのモハ70079号は脱線した対向列車の先頭車が直撃して
車体が跡形も無く粉砕されたが、サロ85020号は連結側の車体が損傷した程度で
済んだため、修理の後、復帰している。

昭和30年代後半になると新性能電車の台頭により、首都圏での運用が減り、
全国の地方路線へと運用範囲を広げていった。
その過程で中央線や身延線の低断面トンネル対応のパンタグラフへの交換、
短編成化に伴う中間付随車の先頭車化や付随車の電動車化、1等車(2等→1等→
グリーン車)の格下げなどの各種改造を受けている。

昭和50年頃まで事故廃車もなく、静岡運転所所属車が東海道線で東京まで顔を
出すなど、全車健在であったが老朽化の進行により廃車が始まった。
最後まで残ったのは飯田線の豊橋口の運用で昭和58年まで運行された。
その後、クハ86001号車とモハ80001号車が交通科学館に展示されたほかは
全車が廃車解体された。
一大センセーションを巻き起こした2枚窓の先頭車は残念ながら残されなかった。
廃車となった車両の部品は一部が払い下げられ、台車が西武鉄道のE31形電気機関車に
流用されたほか、座席が祐天寺にあるカレーショップ「ナイアガラ」で使用されている。


○モハ80001号車。本形式の中間電動車。最後まで本形式から客用の制御電動車が
 登場することはなかった。ドアの窓が3段なのはガラスを節約するため。


○車内。写真は初期車のもの。


○2枚窓車・・・のレプリカ。窓枠などは本物と同じものである。
 車番はクハ86形のラストナンバーの続番でクハ86374号の車号を付けていた。
 これは西武池袋線石神井公園駅近くの小山病院にあり長らく「電車の病院」として
 親しまれたが平成21年の夏頃、再開発による病院の移転で解体された。
 同病院の理事長は西武鉄道の嘱託医を務めた著名な鉄道愛好家である。


○西武E31形電気機関車の台車。80系300番台の数少ない遺品の一つ。
 現在は保存された1両を除いた3両が大井川鉄道に譲渡されている。


○民鉄各社でも「湘南顔」の採用が相次いだ。これはその例で西武の3000系電車。
 西武鉄道は「湘南顔」がお気に入りだったようでこの車両まで改良を加えながら
 長く採用された。

南海電気鉄道 31000系電車

2011-07-27 21:06:40 | 電車図鑑・私鉄電車(関西)
30000系電車特急「こうや」(なんば~極楽橋)の車両整備のための冬期運休と
通勤時間帯に運行される特急「りんかん」(なんば~橋本)の8両編成化のため
登場した車両である。
平成11年に4両編成×1本=4両が製造された。
製造を担当したメーカーは東急車輛である。
編成の組み方はなんば側から順に以下の通り。

モハ31001+モハ31100+モハ31101+モハ31002

号車番号は逆に極楽橋側から順に付けられる。
モハ31001:なんば側に運転台のある制御電動車。
モハ31100:中間電動車。なんば側デッキに公衆電話、極楽橋側に洗面所とトイレがある。
モハ31101:中間電動車。極楽橋側に車椅子スペースと飲み物の自販機がある。
モハ31002:極楽橋側制御電動車。

車体は普通鋼鉄製で30000系と11000系の双方のデザインをあわせた様な
スタイルとなっている。
正面は貫通型でモハ31001号車には半埋め込み型の貫通幌が設置されている。
このため、2両の先頭車でスタイルが若干異なっている。
塗装は30000系に準じたアイボリーに赤のツートンカラーで本形式登場以降、
高野線特急の標準色となった。
種別・行き先表示は字幕式で正面と側面にあり、正面のものは列車名のみの表示、
側面のものは列車名と行き先が別々の表示窓で表示される。

車内は回転式リクライニングシートでグレーのモケットにピンクの枕カバーという
独自のものを採用している。
テーブルは座席背面部に折りたたみ式のものを設置している。
車椅子スペースは2号車(モハ31101)極楽橋側デッキ寄りにあり、座席は設置されず、
手すりと固定ベルトが設置されている。
トイレと洗面所はモハ31100(3号車)極楽橋側にあり、トイレは男子小用、女子用、
男女共用(洋式)が設置されている。
この他に飲み物の自動販売機が2号車極楽橋側デッキに設置されている。
旅客案内装置は各客室仕切り戸の上にあり、LEDスクロール式で停車駅などのほか、
読売新聞ニュースを流している。
ドアは内折れ式で各車両1箇所ずつであるが、1・2号車と3・4号車の2両の車両のドアが
隣り合うように配置されている。
これは途中停車駅での特急券回収のためである。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは抑速ブレーキ付き発電ブレーキ併用電気指令式
ブレーキである。
主制御装置とモーターについては廃車された22000系電車「角ズーム」のものを
流用している。
台車はインダイレクトマウント式空気バネ台車でモーターの駆動方式は
WN駆動方式である。
基本的に2両ユニット構造であるが、先頭車にパンタグラフから出る架線の屑などの
汚れが付かないようにパンタグラフはモハ31101に2基搭載している。
運転台は横軸式ツーハンドルマスコンである。

運用は高野線の全車指定席特急「こうや」及び「りんかん」で30000系と共通で
運用に就いている。
一部列車では橋本まで8両で運行し、同駅で分割後、片方が高野山方面、
もう片方が「りんかん」でなんばに戻るという運用もある。
本形式の投入により高野線の特急専用車は4連×4本となり、車両点検が無ければ
最大で8連×2本の運用が可能となった(なんば~橋本間に限る)。


○車内。南海伝統の網棚照明も取り付けられている。


○3号車デッキに設置されたカード式公衆電話。橋本から先はほぼ使用不可。


○30000系「こうや」と分割する31000系「りんかん」。


○幌が無くスッキリとしたスタイルの31002号車。

JR東日本 E231系電車800番台

2011-07-26 23:04:06 | 電車図鑑・JR新系列一般用車両
営団地下鉄(→東京メトロ)東西線直通列車で運用していた301系電車と
103系電車1200番台の老朽化に伴う置き換えのために登場した。
平成15年に10両編成×7本=70両が製造された。
製造を担当したメーカーは東急車輛と川崎重工でJR東日本新津車両製作所製の
車両は無い。
このうち川崎重工製の本形式通勤型仕様は本区分が唯一である。
編成の組み方は西船橋側から順に以下の通り。

クハE231-800+モハE231-800+モハE230-800+サハE231-800+モハE231-800+※
※+モハE230-800+サハE231-800+モハE231-800+モハE230-800+クハE230-800

クハE231-800:西船橋側に運転台を持つ制御車。
モハE231-800:中間電動車。モハE230-800とユニットを組む。集電装置・主制御装置付。
モハE230-800:中間電動車。モハE231-800とユニットを組む。3・9号車のものは
 補助電源装置(SIV)とエアコンプレッサ付。6号車のはSIVのみ。
サハE231-800:中間付随車。
クハE230-800:中野側に運転台を持つ制御車。

車体はオールステンレス製で他の区分とは異なり、裾絞りのある幅広タイプではなく、
209系準拠の通常の箱型である。
正面は向かって左側に貫通扉を設置したスタイルで常磐線各駅停車に投入された
千代田線直通用の209系1000番台とほぼ同じスタイルとなっている。
正面下部にはスカートが設置され、平成20年ごろより強化型のV字型のものに
変更されている。
塗装は正面窓周りがブラック、正面と側面に東西線直通電車を表すブルーの濃淡の
帯が入る。
行き先表示は正面と側面にあり、どちらもLED式である。
表示は種別&行き先と走行路線であるが、東西線のみ若しくは東西線を抜けて
中央・総武線各駅停車を走行する場合でも「東西線直通」が表示される。

車内はオールロングシートで化粧板の色は白、モケットの色はブルーとして通常区分の
E231系と同等のものとなっている。
車椅子スペースは東京メトロ側の車両とサービスを合わせるため、2号車と9号車の
連結側に設置された。
また、連結部の貫通扉は下部にレールを持たない吊り下げ・傾斜式となり、
本区分以降に製造された他の区分にも波及している。
ドアは片側4箇所・両引き戸で側窓は一部固定・変則一段下降窓となっている。
旅客案内装置はLEDスクロール式で各ドア上部に設置されている。
この他、車外スピーカー、乗降促進ブザーなどが新造時より搭載されている。

主制御装置はIGBT式のVVVFインバータ制御で改良型のものを採用した。
ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令ブレーキで制御装置の改良により、
停車直前まで回生ブレーキが使用可能な純電気ブレーキを採用している。
電動車の比率は地下鉄東西線内での加速性能維持のため、10両編成中6両と高めに
設定されている。
運転台は左手操作式ワンハンドルマスコンでJRと東京メトロ双方の保安装置を
搭載している。
自動放送装置はJR、東京メトロ双方に対応しており、各路線の仕様で放送することが
可能である。
このほか、マスコンハンドルに地下鉄線専用のデッドマン装置、東京メトロ用の
誘導無線通話機、東京メトロ・JR切替スイッチなどが設置されている。
集電装置はシングルアーム式である。

配置は全車三鷹車両センターで運用区間は中央・総武線各駅停車の三鷹~中野間及び
西船橋~津田沼間と東京メトロ東西線中野~西船橋間となる。
東葉高速鉄道線(西船橋~東葉勝田台間)への直通運用には就かない。
また、走行距離を調整する関係で東西線内折り返し列車の運用にも就く。


○車内。他のE231系とあまり差はない。


○導入初期の頃の姿。現在とスカートの形状が異なるのがわかる。


○通常型・通勤仕様のE231系(中央・総武線各駅停車仕様)との並び。
 これでも同じ形式の電車である。

今日の1枚:雪のえちぜん鉄道勝山永平寺線勝山駅

2011-07-25 21:19:54 | 今日の1枚
明日も朝早いので写真だけの更新。
ここ最近、涼しかったのですが暑さが少しずつ戻ってきたので涼しげな(?)
ショットを。
今年の1月末にえちぜん鉄道の勝山を訪問した時のものです。
このときは手袋にニット帽、マフラー巻いてもなお寒かったですね。
夜中のローカル線ってのも味があっていいですよ。
もちろん帰りの列車を確保してさえおけば。

今日の1枚:東武鉄道8000系と東京スカイツリー

2011-07-24 20:21:50 | 今日の1枚
明日は早朝から仕事なので写真だけの簡単な更新で失礼します。
曳舟駅(東武)での亀戸線の8000系ワンマン仕様車と来年完成予定の
東京スカイツリーです。
今や東武で一番の古顔となった8000系と東武一のニューフェイスの顔合わせです。
業平橋駅構内は危険防止のため、撮影禁止ですが、ここからなら思いのほか、
撮影しやすいです。
尤も、伊勢崎線の列車との組み合わせは難しいですが。

JR東海 373系電車

2011-07-22 21:04:32 | 電車図鑑・JR新系列特急用車両
165系急行形電車の老朽化に伴い、その置き換えのため、特急列車から普通列車まで
幅広く使える汎用車として開発されたものである。。
平成7年~平成8年にかけて3両編成×14本=42両が製造された。
製造を担当したメーカーは日本車輛と日立製作所である。
編成の組み方と固有形式は東京側から順に以下の通り。

クモハ373形+サハ373形+クハ372形

クモハ373形:東京側に運転台を持つ制御電動車。主制御装置と集電装置、
 補助電源装置を搭載。
サハ373形:中間付随車。発電ブレーキ用の抵抗器を搭載。
クハ372形:米原方面側に運転台を持つ制御車。エアコンプレッサー搭載。
 車端部に洗面所と便所を有する。

車体はオールステンレス製で先頭部分だけ普通鋼鉄製となっている。
正面は製造当時、臨時列車用に在籍していたキハ82系特急用気動車の設計を参考にした
パノラミックウィンドウを採用し、運転席からの視野拡大と夜間やトンネルなどでの
運転席の窓への客室電灯の映り込みを防止を図った他、半埋め込み形の幌を採用して
外観の見栄えも向上させている。
種別・列車愛称表示は正面貫通扉窓下、行き先表示は側面にいずれも字幕式で
設置している。
塗装は窓周りがブラウン、正面部分がホワイトでコーポレートカラーの
オレンジ色の帯が入る。

車内はドア間が左右2列ずつ配置の回転リクライニングシートを採用した。
この座席には肘掛内蔵のテーブルと跳ね上げ式の簡易フットレストが装備されている。
枕部分のシートカバーは特急列車と前後のライナー列車に限り設置される。
クモハ373形の連結側とサハ373形の両端部の座席は4人向き合わせのボックスシートを
配したセミコンパートメントとなっている。
この部分には大型の固定テーブルが配置されている。
クハ372形の連結側にはカード式公衆電話(平成19年以降撤去)、男子小便所、
車椅子対応便所、洗面所が配置される。
ドアは片側2箇所で特急にも使われる車両であるが、両引き戸を採用し、デッキに
ついても仕切り戸は無く、パーテーションで仕切られているだけである。
各ドアには長時間停車時の車内保温のため、半自動ドア開閉スイッチが
設置された他、後年の改造でドアチャイムが設置されている。
旅客案内装置は客室仕切り上部にあり、LEDスクロール式となっている。

主制御装置はVVVFインバータ制御でGTO素子を使ったものとしてはJR東海の車両として
最後の採用となった。
ブレーキは抑速ブレーキ・発電ブレーキ付き回生ブレーキ併用電気指令ブレーキで
回生ブレーキが有効に作用しない列車の少ない区間などでは自動で発電ブレーキに
切り替わる機能を有する。
台車は211系以来の軸箱支持を円層ゴム式とした空気バネ式ボルスタレス台車である。
各台車には蛇行動防止のためのヨーダンパー、電動車の台車には空転防止のための
砂箱を装備する。
集電装置はシングルアーム式で低断面トンネル対応のものを採用した。
運転台は片手操作式ワンハンドルマスコンであるが、メーターや運行表差しなどの
配置にキハ82系の運転台の面影を垣間見ることができる。

配置は全車静岡電車区で平成7年に急行「富士川」を格上げした特急「ふじかわ」で
運行を開始した。
翌年の春の改正から特急「東海」、「伊那路」と東京~大垣間を結んでいた普通夜行列車
375M/372Mこと「大垣夜行」を一部区間全車指定とした「ムーンライトながら」と
それ以外の普通列車(東京~静岡間など)でも運行を開始している。
これにより、各列車で運行されていたJR東海の165系電車は全車引退となった。
このほか、列車の送り込みを兼ねて「ホームライナー」でも運行されている。
臨時列車としてはJR東海管内で開催される「さわやかウォーキング」に対応する列車や
予想外の好評で車両不足になった中央本線の全車指定席の快速「セントラルライナー」の
応援などにも用いられた。
平成19年に「東海」、平成21年に「ムーンライトながら」が廃止、もしくは臨時列車化で
撤退したが、東京へは早朝深夜に運行される東京~静岡間の普通列車で乗り入れる。
この普通列車は時刻表で東京発着の列車ながらグリーン車マークが無いことで
判別可能である。


○車内。枕カバーが付くのは原則的に特急運用時のみ。


○特急「ふじかわ」。静岡から身延線経由で甲府まで運行。


○飯田線119系電車と並ぶ特急「伊那路」。豊橋~飯田間で運行。


○特急「東海」。東京から東海道本線経由で静岡までを結んだ同線の名門列車。
 平成19年3月17日のダイヤ改正で廃止になった。


○本形式の開発ベースとなったキハ82系気動車先頭部分。
 何となく窓周りなどに面影が残る。

秩父鉄道 6000系電車

2011-07-20 21:20:20 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
有料急行「秩父路」で使用していた3000系電車(元・JR165系電車)の老朽化に伴う
置き換えのため、西武鉄道より新101系電車を譲り受けて改造したものである。
平成17年~18年にかけて3両編成×3本=9両が入線した。
改造を担当したメーカーは西武車両で第1編成は広瀬川原工場で改造されたが、
残り2本は西武鉄道武蔵丘工場にて改造されている。
この2本は改造前に秩父鉄道に搬入済みであったが、要員確保の都合から西武側に
一旦返送の上で改めて入線している。
編成の組み方と形式、新旧車号の対比は羽生側から以下の通り。

デハ6000形+デハ6100形+クハ6200形

デハ6000形:羽生側に運転室を有する制御電動車。デハ6100形とユニットを組む。
 西武時代、中間電動車だった車両に制御車の運転台を接合した。
デハ6100形:中間電動車。デハ6000形とユニットを組む。
クハ6200形:三峰口側に運転室を有する制御車。

デハ6001+デハ6101+クハ6201←モハ230×クハ1230の運転台+モハ229+クハ1229
デハ6002+デハ6102+クハ6202←モハ232×クハ1232の運転台+モハ231+クハ1231
デハ6003+デハ6103+クハ6203←モハ234×クハ1234の運転台+モハ233+クハ1233

車体は普通鋼鉄製でデハ6000形は中間電動車だった車両の片方の連結側の車体を
除去し、クハ6200形の種車となった車両とは反対側のクハの運転台を接ぎ合わせて
いる。
正面は高運転台2枚窓のままで西武時代の面影を残しているが、スカート取り付け、
ヘッドライトの角型ユニット化、LED式愛称表示設置、ワイパー電動化に伴う
運転席側の額縁縮小など大きく手を加えられている。
塗装はホワイトにブルーの帯でドアはステンレス無塗装となっている。
正面窓周りについては鼻筋の部分も黒く塗りつぶされた。
行き先表示は正面と側面にあり、秩父鉄道で初めてのLED式を採用している。

車内は西武10000系「ニューレッドアロー」の座席交換時に発生したリクライニング
シートを固定配置している。
これは車幅が狭いため、座席を回転させる為のスペースを確保できなかったため
である。
リクライニング機能については残されており、わずかな角度ながらリクライニング
可能である。
また、テーブルも一部の座席に残されている(基本的に撤去)。
バリアフリー対策としてデハ6000形運転室後方に車椅子スペースを設置し、
乗務員室に可搬式のスロープを搭載している。
旅客案内装置はLEDスクロール式のものを車内貫通路上部に設けた。
ドアは両引き戸で片側3ドアから2ドアになり、中ドアは埋められ窓が設置されている。
また、各ドアにはドアチャイムと空調保持の為の半自動ドア開閉スイッチが
設けられている。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは抑速ブレーキ付き発電ブレーキ併用
電磁直通ブレーキである。
台車は軸箱支持がペデスタル式のダイレクトマウント式空気バネ台車で
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式である。
これらの基本的な走行機器の変更は無い。
運転台はツーハンドルでデッドマン装置、ドア開閉装置、自動放送装置設置などの
ワンマン対応改造を実施している。

運用は有料急行「秩父路」やその他の臨時急行列車など急行列車専用である。
シーズンによって「秩父夜祭号」、「芝桜号」など列車名を変えることがあり、
その場合は正面のLED表示器で該当列車名を表示していたが、如何せん
視認しづらいため、平成19年以降はヘッドマークを表示器の上に被せるようにして
掲示するようになった。

京成電鉄 3600形電車

2011-07-19 22:05:37 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
老朽化の進んでいた「青電」と呼ばれる都営地下鉄浅草線に乗り入れられない
自社線の旧型車の置き換えと冷房車の導入推進のために導入された車両である。
昭和57年~平成元年にかけて6連9本の計54両が製造された。
製造を担当したメーカーは日本車輛と東急車輛である。
登場時の編成の組み方は成田空港側から以下の通り。
クハ3601+モハ3602+モハ3603+モハ3606+モハ3607+クハ3608

将来、中間車を追加して8連(電動車比率6M2T)化することを見越して、
末尾(一の位)4と5が欠番となっている。
編成番号は十の位で表記され、第1編成は3608編成、第2編成は3618編成と続き、
最終の第9編成は3688編成となる。
両側の先頭車は制御車で末尾番号1が成田空港側、8が京成上野側となる。
中間車は全車電動車で2両ユニット構造となっており、
末尾2・6に集電装置2基(パンタグラフ)と主制御装置、末尾3・7に補助電源装置として
静止型インバータ(SIV)、エアコンプレッサーを搭載する。

車体はオールステンレス製で、3500形電車よりも軽量化されたものを採用している。
製造メーカーが2社に亘っている為、台車部分の梁の処理の仕方や、コルゲートの
処理の方法が異なる。
正面のデザインは3500形のものに準拠しながら、3つ折れとなり、ヘッドライトが
尾灯と一体の横並びになるケースに入った。
行き先表示は字幕式で従来のものよりコマ数の多いものを正面と側面に配置した。
種別表示は正面貫通扉窓下と側面に設置され、こちらも字幕式となった。
この正面部分のレイアウトは、同時期に更新改造を開始した3150形、3200形、
3300形にも反映されている(3150形更新車の貫通扉の種別表示は板のままで
形態のみ継承)。
塗装は正面と側面上部と窓下部分にファイヤーオレンジの帯が入る。

車内はオールロングシートで、連結面の通路は、これまで一部を除いて広幅のものを
採用していたが、本形式より狭幅のものとなり、各車の成田空港側(成田空港側
先頭車は除く)連結部分の貫通路には扉が設置された。
側面窓は一段下降式で各車両連結部分側の窓が細窓となっているのが特徴である。
冷房車だが、主流となり始めていた平天井にラインデリアという組み合わせでなく、
通常の天井に首振り扇風機が残る。

主制御装置は界磁チョッパ制御でブレーキは回生ブレーキ併用電気指令式
ブレーキを採用している。
台車はダイレクトマウント式空気バネ台車で軸箱支持はSUミンデン式となっている。
モーターの駆動方式はWN駆動方式である。
運転台はT字型ワンハンドルマスコンで、界磁チョッパ、6両固定編成と共に
京成の通勤形電車では初めての採用となった(いずれも京成最初の採用は初代AE形
電車)。

登場時から暫くは都営浅草線に乗り入れない専用の6連運用に限定的に使用されたが、
後に車種限定と種別限定の解除を受けて自社線限定ながら6連運用に幅広く就くように
なった。
昭和61年より都営側の乗務員訓練を開始し、昭和62年より本格的に都営浅草線への
乗り入れを開始した。
但し、京浜急行電鉄への乗り入れは先頭車がモーターの無い制御車であるため、
実施していない。
同年7月より都営浅草線での冷房運転が可能となり、6連車ながら界磁チョッパ制御で
発熱量の少ない本形式は好評だったという(当時の直通車は都営、京急、京成共に
大半が全車電動車方式で発電ブレーキ常用の抵抗制御車ばかり)。
平成5年~7年にかけて塗装の変更を行い、3700形に準じた赤帯(ヒューマン・レッド)に
細い青帯(フューチャー・ブルー)が入る現行のものになった。
変更開始当初は側面屋根周りの赤帯を青帯に変更しただけの「暫定変更車」も
存在した。

平成9年~11年にかけては特急列車の8連化を促進するため、360836283668編成から
中間車を引き抜いて他の編成へ組み込む方式で8連化を実施した。
元々、中間電動車2両を追加して8連化を予定していた本形式であるが、
すでに3700形が登場し、他社でもVVVFインバータ制御が主流となっていたため、
このような方式をとることになった。
連結位置は3638・3648編成は6・7号車、4・5号車で、この組み換えに伴う車両番号の
改番は行っていないが、4両目に組み込まれた車両の2基あるパンタグラフのうち、
成田空港側の1基が使用停止となり、後に撤去された。
組み換え後の編成表は以下の通り。

3611+3612+3613+3606+3607+3615+3617+3618
3631+3632+3633+3636+3637+3626+3627+3638
3641+3642+3643+3646+3647+3622+3623+3648
3651+3652+3653+3602+3603+3656+3657+3658
3671+3672+3673+3666+3667+3676+3677+3678
3681+3682+3683+3662+3663+3686+3687+3688

残った先頭車の3601・36083621・36283661・3668の6両は一時的に保留車と
なった後、有効活用のため、3621・36283661・3668の4両を電動車化し、3601・3608
2両を付随車化して組み込んだ6両編成とした。
編成の組み方は以下の通りとなる。

3661+3628-3601+3608-3621+3668

この組み換えに際し、中間に入る4両については一部運転台機器の撤去を実施したが、
乗務員室はそのまま残されている(3621・3628の運転台は構内入換や新車搬入の際の
連結作業で使用するため、運転台も残されている)。
主制御装置は3628号車と3668号車に当時増備が進んでいた3700形に準じた
VVVFインバータ制御のものを搭載したほか、やはり3700形と同じ台車(構造は同じ
SUミンデン軸箱支持式ダイレクトマウント式空気バネ台車)を新調し、
モーターの駆動方式はTDカルダン駆動方式となっている。
集電装置は末尾番号8の車両の冷房装置1機を撤去して、編成組み換えで
外された車両のパンタグラフを流用して設置した。
冷房装置は一部撤去に伴い、該当車両の冷房装置の出力増強が図られている。
補助電源装置とエアコンプレッサーは末尾1の車両に搭載されており、これらは
廃車された3150形や3200形のものを流用している。
この編成だけ、先頭車が電動車である為、京浜急行電鉄への乗り入れが可能であり、
旅客営業での乗り入れは無いが、東急車輛で新造され、神武寺から直接搬入された
新車の出迎えなどに利用されている(この場合、中間の3601+3608
切り離される)。
これにより、本形式は8連が6本、6連が1本の陣容となった。

平成14年には芝山鉄道東成田~芝山千代田間開業に伴い、同社に3618編成を
リースしている。
本編成は、他の編成が青帯を引いている部分をエメラルドグリーンに変更し、
側面や正面に同社名の貼り付けを行っている。

その他、細かい改造としては先頭車両の列車番号表示のLED化、1/3ドアカット機能、
冷房吹き出し口改良、方向幕及び種別幕の入換などが行われている。

先述したとおり、8連車は先頭車にモーターが無く京急線に乗り入れが
出来ないほか、性能上、成田スカイアクセス線への乗り入れは行わない。
このため京成本線経由の京成上野~成田空港間の特急などの自社線内の運用に
使用されることが多い。
ただし、都営浅草線へは乗り入れ可能なので、同線の西馬込まで直通することはある。
これは芝山鉄道リース車も共通である。
6連VVVF車は、他の形式の6連車と同じく普通列車で自社線内を走っている。


○車内。同世代の電車と比べても少し古臭いきらいがあるが、
 丁寧に整備されている。


○芝山鉄道色になった3611編成。基本的にラッシュ時以外で芝山鉄道に
 入ることは無く京成本線の優等列車に使われることが多い。


○6連VVVF制御車の3668編成。モーターの出力が他の編成よりも大きいため、
 ファンからは「ターボ君」の愛称で親しまれている。


○6連車の中間に組み込まれた3601+3608。運転室は残っているが、機能は失っている。