Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

「別れ」 2010.3.11

2014-02-11 03:50:40 | 小説
 効き過ぎたエアコンの熱風を切り裂くように、室内を無機質な声がこだまする。電話のベルにまたひとつ溜息が掻き消される。

 男の職業はイジメ相談窓口のオペレーターだった。数年前、投げた柱に飛び乗れないという理由で殺し屋をクビになり、それを期に転職したのである。更正した男を周囲は称賛したが、彼はそんな声を腹の中で嘲笑した。男はイジメに苦しむ者の姿に癒されていたのであって、他人を救う気など毛頭なかったのである。やりがいのある職業と巡り会えたことを神に感謝した。
 男の仕事ぶりは至ってシンプルだった。ひと通り話を聞き終わると「じゃあ頑張れ」。彼の好物はあくまで不幸なストーリーであり、その先には興味がなかった。そんな投げやりな対応に苦情が届いてもおかしくなさそうなものだが、かつての職場の同僚の力を借り跡形もなく揉み消した。
 しかし、彼にも言い分はあった。イジメを受ける人間というのは誰も軟弱すぎた。話の途中で泣き出すのは茶飯事だし、親や社会のせいにする者も多かった。「民主党も高校の授業料を無償化するくらいならイジメ対策にお金を使ってほしい」って、そんな一端の口をきけるなら、なぜその矛先をイジメっ子に向けないのだろう。男には理解しがたかった。自業自得だと思った。
 そして、天職と思った仕事にも嫌気がさしてきた頃のこと。いつものように遅刻気味の出勤をすると、虫の居所でも悪かったのだろうか。待ち構えていた所長に厳しい叱責を受けた。

「君はいつもギリギリに来て、どういう了見だ」
「反省してま~す」
「反省してるって、そんなの当たり前なんだよ。全く君って奴は……」
 キュウリのように細長い所長の顔が、今は唐辛子に見える。それだけ頭に血が上っているのだろう。彼は説教を聞くふりをしながら、床の絨毯の模様を迷路に見立てて遊んだ。
 ゴール間近のところで、唐辛子は声のボリュームを上げた。
「とにかく我々の仕事は他人を救うという尊いものなんだ。生活態度から改めたまえ!」

 嘘だ。男は思った。不幸話に癒されるのは何も自分ばかりではあるまい。その証拠に社内で電話を取る者は皆、驚くほどに顔色が良い。いじめられっ子の話を真剣に聞けば気も滅入り、鬱病のひとつも発症しそうなものだが、休職者も離職者も男の知る限りではいない。
 男は反論しようとしたが、かつての同僚にいずれ頼めばいいと思い直し、机に向かった。今日も退屈な仕事が待っている……。

 いつもにも増して気怠さを感じながら安物の椅子に座ると、待ちかねていたかのように電話のベルが鳴った。
「はい、わくわくイジメられっ子倶楽部です」
「えっと、その…実は私、イジメを受けていて」
 男は早速カチンと来た。そりゃイジメ相談窓口に電話をしているのだからイジメを受けているのは当然だろう。それとも何か。こちとらを定食屋とでも思ってるんか。
「……で?」
「あ、話します。実は、実は、そう、私麻里っていいます。で、高校生なんですけど、えっとクラスの番長みたいな女子に嫌われてしまって、えっと、それで……」
 男には、相談者の口調もその内容もありふれたものに思えた。ただ、それなり追い詰められているのは間違いなさそうだ。もし今受話器を下ろしたら彼女は自殺するかも知れない。そう思えば自然と高揚感に襲われた。
「で、恥ずかしくて言いづらいんですけど、昨日も屋上で裸にされてしまって」
 思わぬ展開に興奮が男の股間を突き上げた。テレクラにでも電話するように細かい状況を鼻息荒く聞き出した。
「まず、子分の連中に、ホックも外さないままブラを剥ぎ取られて。それからスカートも脱がされるんだけど、番長自身がパンツの中に手を入れるんです」
「手を入れるってどういうこと?」
 白々しく尋ねると、彼女は4文字の単語を用いてそれを描写した。男の興奮は頂点に達し、許されるならばこの場で果ててしまいたいと思った。
 しかし、一方で、これほどまでに健気な乙女を性の対象と見做すことを恥じる気持ちが芽生え始めた。と同時に、上手く説明できないが、どうしてもこの女の子を真の意味で救ってあげたいと思った。救わなきゃダメだと思った。
「よく分かった。適切に処理しとくよ」
「あの…適切って?」
「まぁ悪いようにはしないよ。それから次は090-****-****に電話してよ。これ、俺の携帯だから」
「はい、ありがとうございます!」
 程なくして女番長らの訃報が伝えられた。

 昼下がりの公園、男は目印の白い薔薇の花束を片手に、ベンチで麻里の到着を待っていた。
 やがて約束通りの赤いワンピースで現れた相談者は、歌手のaikoをだいぶマシにした感じ。決して美人ではなかったけれど、十分ヤれる範疇だと男は思った。
 しかし、そこは初対面の男女。警戒心を抱かれぬよう、努めて明るく話し掛けた。
「初めまして。声から想像したとおりの美人だね。ところで最近学校の方はどう?」
「だいぶよくなりました。番長が亡くなって、それで私を逆恨みする連中はいるけど、でも前に比べたら全然……」
 ひとしきりの世間話をすると、不意に会話が途切れた。男はこの“間”が苦手だった。他人につまらない人間と思われることが何より怖かったからだ。嫌いな相手には意図的に間を作り出し、逆に困らせてやることもあったが。
 必死に話題を探していた彼の足元に野球ボールが転がってきた。素早く拾うと、突っ立つ少年を目掛けて全力で投球した。ツーシームの握りで放った球は全く動かぬままに小さなグラブを鳴らした。

「俺はね、本当は他人の悩み事を聞くことなんて全然好きじゃない。むしろ不幸話に癒されるような浅ましい人間なんだ」
 麻里の怪訝そうな表情に焦った男は慌てて続けた。
「でも、麻里ちゃんからの相談を受けて、初めて純粋に助けたいって思った。自分でも驚くほどに」
「なぜでしょう?」
「人間ってどうしても自分を取り繕うとする。これは気持ちの弱い奴ほど顕著で、だからイジメられっ子の話にはバレバレの嘘が混じっていることもしばしば。でも、麻里ちゃんは違った。普通はイジメの詳細なんてプライドが邪魔して他人に曝せるものじゃないはずなのに、全て僕に預けてくれた。それがすごく新鮮だった」
 照れ臭さを紛らすように、男はそっと付け加えた。
「親兄弟や教師でもない、赤の他人だからこそ話せるってのもあるんだろうけどね……」

 ふたりは駅前のマクドナルドでひたすらに会話を紡いだ。家庭の悩み、勉強の悩み、彼女特有の真っ直ぐな語り口に耳を傾ければ、ホテルに入ったのは日付が変わってからだった。

 夜の残り香薫る街角。女はそっと手を差し出し、男はそれに応えた。
「本当に色々ありがとうございました。胸のつかえが一気に取れました」
「俺なんかに相談して気が軽くなったとしたら、それは最初から大した悩みじゃなかったってことさ」

 サラリーマンの憂鬱が跋扈する改札口、両手に嵌められた冷たい鉄輪が、男を朝焼けのその向こうへと連れ去った。


最新の画像もっと見る