今、公立小学校の学力支援ボランティアをやっています。公教育も、あまりの学力低下、学力格差に重い腰を上げたようです。授業に入って、ついていけない子のお手伝いをします。最初はしょんぼりしていた子が、声かけしながら、一緒に問題を解いていくと、だんだん笑顔になります。「すごいね!」「できたね!」なんて言うと満面の笑顔になります。子どもの笑顔ってどうしてこんなに人を幸せにするのでしょうね。
もともとプロとして、子どもの勉強を見てきて、我が子の子育てもして、子どもに接する時一番大切なのは、「あなたを大好きだ」とのメッセージを送る事と、「すごいね!」と自尊感情を満たしてあげる事(心からそう思える観察眼も持つこと)だと思っています。
私にとっては性悪説などとんでもなく、子どもに接していると、こちらがきちんと関われば答えてくれる「輝く原石」を秘めていると思っています。神道も絶対的な性善説です。だって、みんな神様の子孫なのですから。。。いいなあと思います。神道ってすごく楽観的なのです。世界の終わりなどと言う終末思想もなければ、最後の審判も閻魔様もないのです。
中今(なかいま)といわれる現世を明るく元気に清く正しく過ごす事が何より神の道に沿う事だというのです。修行して感情を押し殺して無の境地に至るなど、本居宣長の言葉を借りれば、「岩木のごとくなり」です。それだけ、人間の情を信頼しているのでしょう。
人の輪という横のつながりを大切にして、祖先を祀るという縦のつながりも大切にする宗教(慣習?)です。だから、山岳信仰というより里山に神社があって、村でお祭りするのだと思います。
もともとプロとして、子どもの勉強を見てきて、我が子の子育てもして、子どもに接する時一番大切なのは、「あなたを大好きだ」とのメッセージを送る事と、「すごいね!」と自尊感情を満たしてあげる事(心からそう思える観察眼も持つこと)だと思っています。
私にとっては性悪説などとんでもなく、子どもに接していると、こちらがきちんと関われば答えてくれる「輝く原石」を秘めていると思っています。神道も絶対的な性善説です。だって、みんな神様の子孫なのですから。。。いいなあと思います。神道ってすごく楽観的なのです。世界の終わりなどと言う終末思想もなければ、最後の審判も閻魔様もないのです。
中今(なかいま)といわれる現世を明るく元気に清く正しく過ごす事が何より神の道に沿う事だというのです。修行して感情を押し殺して無の境地に至るなど、本居宣長の言葉を借りれば、「岩木のごとくなり」です。それだけ、人間の情を信頼しているのでしょう。
人の輪という横のつながりを大切にして、祖先を祀るという縦のつながりも大切にする宗教(慣習?)です。だから、山岳信仰というより里山に神社があって、村でお祭りするのだと思います。