さっき、神職講習で一緒だった古代史に詳しい方から興味深い本のコピーが送られてきました。一時期、図書館通いやネット検索で調べていましたが、よくわからなかったことについて。
さて、祈年祭では全国で唯一御歳神社に白馬・白猪・白鶏が捧げられています。これが、犠牲として捧げられたものか、幣帛であるのかが専門家の間で見解が分かれるところです。
さらに、古語拾遺で、御歳神は地主神が農夫と牛肉を食べたことに怒ってイナゴを放って田を枯らしてしまいます。白馬・白猪・白鶏を献じて怒りを解くのですが、そのときの呪術的な供え物の中にも牛の肉が含まれていて引っかかるところです。
http://www.mitoshijinja.com/yuisyo.htm
「騎馬民族は来なかった」佐原真(国立歴史民族博物館副館長)著のコピーを頂いてざっと目を通しました。
高句麗や百済や唐では、王の儀礼として動物を殺してその血を捧げる祭りが為されています。王が血をすすり、盟約を誓ったとの記述もあるようです。
日本では、漢神の祭りとして、渡来系を中心に動物を犠牲にする祭りが広く行われていたようです。奈良時代に「○○国の百姓、牛を殺して漢神を祭るるに用いるを断つ」との禁令が何度も出ているようです。
元は渡来系の祭りであったのかも知れませんが、広く国中で動物犠牲儀礼が行われていたようです。それは雨乞いや長雨阻止の為が多く、滝壷に牛の頭を投げ入れて神の怒りをかって雨を降らせる儀式についても全国各地に見られます。
奈良から平安時代、それを止めさせようと朝廷が考えていたようです。
佐原氏は結論としては、民間習俗としては動物犠牲儀礼は存在したが、朝廷が司る祭りでは、一般的には血を捧げる事はなかったと結論づけています。
一方、著書の中で、歴史学者で東京大学名誉教授の井上光貞氏の研究を紹介しています。
井上氏は御歳神社の祈年祭で、「少なくともこのうち白猪・白鶏は犠牲ではないかと考えられる」「このように祈年祭の起源を考える上に重要と思われる御歳社において、犠牲の行われていたらしいことは見逃す事ができない。しかし、祈年祭のときこれらを奉る社は御歳社だけで、まして延喜式の公的祭祀全体からいってこれは例外中の例外ともいうべきものであり、一般的には中国的な犠牲は行われなかったのである」としています。
御歳神社の古代の祭りを考えるとき、この例外ということが興味深い。
なぜ例外的に為されていたのかです。
また、御歳神社には神官がいませんでした。
朝廷が神主がいないので、神主を派遣しようとしたところ、祟りがあったので、やめたとあります。(三代実録-貞観八年-平安期)
ここでも例外扱いです。
御所市史には、「(御歳神社の)社殿が山の中央を避けて建てられているのは、巫女の奉仕した斎の宮から発達したものと思われる」(志賀剛ー「式内社の研究」の著者)とあります。
朝廷の決まりに従わない、例外扱いで祭祀が行われていたのは何故か。
興味が尽きないところです。
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