鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



昨日は記念すべき日。
なんて大袈裟ですが、とても嬉しい日でした。

御歳神社の氏子役員会だったのですが、
11/23の新嘗祭の打ち合わせをしようということで、
氏子役員と、崇敬会正副会長、おとしだまの森倶楽部の代表が一堂に集っての会議でした。

これは、長年の念願だったのですよね~♪
なんて大袈裟ですけどね^^

とても和気あいあいと会議が進みました。
皆さんの気持ちが和やかに一つにまとまっていく空気が心地よかったです。


過疎高齢化が進む地域で、二千年の歴史を持つ神社を千年先まで残したいと思っています。
そのために、地域と地域外の人が一緒に盛り立てていく神社を夢見ていました。

まずは、ビジョンを持つこと。夢を描くことからです。
夢を描いて、それに賛同してくれる人を探します。
最初は、ネットでした。
最初に面白がって集まったのは、地域外の人たち。
でも、それだけでは千年先まで残せない。
地元に根差す事がとても大切です。

なかなか思い描く形にはならなくて、焦りとか、落胆とかを繰り返しながら、
それでも、あきらめなければ、物事は進むものです。

進むための原動力は感動すること。
感動を共有することです。
小さな感動は、人と共有することで、増幅されるものです。
感動は、プラスのエネルギーになって、伝播していきます。

マイナスエネルギーは棚上げにして、プラスエネルギーをさらに増幅させます。
出来ないことに落胆してもどうにもならないから、
出来ることを喜びとして進んでいく。

進めば、道が出来ます。
出来た道は人々の視界に入ります。
見えた道は、ダイレクトに伝わります。
心の中のビジョンは、皆の共通のビジョンになっていくのです。

一人の願いが、いつの間にか、大勢の人の共通の願いになっていきます。
そうして、願っていた物事が、現実のものになるのです。

これは奇跡ではなく、「理」なのかもしれませんね。
「理」を起こすために、私は神様に祈るのかもしれません。
正しく歩むために、正しく歩めるためにです。
その先に「神の理」があるのかもしれませんね。

一人の思いこみでは「理」にはなりません。
多くの思いを集めて紡ぐことで、物事は動くのだと感じます。
細い糸が撚り合わさって強い糸になるように…。
もちろん、そこに一本の筋が通っていることが肝要です。
「信念」でもあり、「正しいと信じること」でもあり、思いを集める「焦点」なのかもしれません。

御歳神社で行うときの「焦点」は千年続く礎を考えることです。
それは、「神を祭る」在り方を考えることでもあります。


今日は、ここまで来た事に「感動」しましょう。
その喜びをプラスエネルギーとして放出しましょう。
喜びの輪はまた広がります。

未来は常に明るいのです。

ああ、新嘗祭が楽しみです♪




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