ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

反捕鯨派は本当に正しいのか。

2007年05月30日 | 捕鯨問題
 アメリカのアンカレジで、28日から国際捕鯨委員会(IWC)年次総会が始まりました。昨年6月の総会では、IWCは本来の趣旨から逸脱し、機能不全に陥っており、「商業捕鯨禁止は不要である」という決議案を、1票差ではあるものの採択されました。今までの硬直しきったIWCから見れば、これは極めて異例であり、画期的なことだと思います。しかしながら、ヨーロッパ諸国を中心とした「反捕鯨派」もこれに危機感を持ったのか、キプロスやクロアチア、ギリシャなど、反捕鯨国を加盟させ、巻き返しを図ろうとしています。

 捕鯨は難しい問題だと思います。IWC(国際捕鯨委員会)では、捕鯨推進、反対問わず各国の利害が複雑に絡み合っていますし。
 しかしながら、今は捕鯨反対の態度をとっている国(イギリス、アメリカなど)も過去には鯨油や鯨のひげを目的として世界中で個体数を顧ない捕鯨を行っていました。イギリスに至っては鯨に止まらず、過去にはタスマニア諸島の先住民族のタスマニアアボリジニを、スポーツとしての人間狩り等によって19世紀に絶滅させたというとんでもないことをしています。それを正当化する理由として、今でも捕鯨反対の国が主張する「知性の有無」を挙げていました。

 そもそもとして、IWCは「鯨資源の継続的な利用」を目的として設立されたので、本来は反捕鯨機関ではなかったはずですが、アメリカ政府とグリーン・ピースによってその趣旨は変質してしまったのです。ベトナム戦争当時、アメリカのベトナムへの枯葉剤使用などによって環境が汚染され、国内からも環境保護の声が高まりました。そこで、ホワイトハウスは自然保護を打ち出し、自国に対する国際的非難を避けようとしたのです。そこで槍玉にあがったのが鯨だったのです。
 1972年のストックホルム国連人間環境会議において、アメリカ政府はグリーン・ピースの関係者などを送り込むことによって、そこでベトナム戦争におけるアメリカの環境破壊が非難されるはずであったにも関わらず、「いかに鯨を保護するか」に問題は擦り替えられ、そこからIWCの活動内容も反捕鯨へと一気にシフトすることになったのです。

 日本の捕鯨は、アメリカやイギリスが行っていた捕鯨とは全くその質を異にします。縄文・弥生時代から鯨をいただくという文化もありましたが、江戸時代、日本は鎖国政策をとっていたため、遠洋漁業はできず、捕鯨は専ら沿岸でしか行われませんでした。
 対してアメリカが1854年に江戸幕府と締結した日米和親条約の目的は、日本近海での鯨油などを目的とした大量捕鯨でありました。その証拠として、当時日本近海ではアメリカやイギリスの漁船を、鯨のひげや歯、鯨油を目的として大量に派遣してきており、そのため鯨の個体数は激減しました。しかも、鯨油を目的としたアメリカなどの捕鯨は、鯨を捕獲したら母船の上で油を搾り、搾りかすは全て海に捨てていたのです。現在、日本の捕鯨を「野蛮な行為」と非難するなら、これなど野蛮の風上にも置けないでしょう。

 要するに、アメリカやイギリスなどの捕鯨反対派の国は、自分たちでせっせと鯨を乱獲し、資源を枯渇させておきながら、その責任を、伝統文化として現在でも捕鯨を行っている国に対して転嫁させているだけです。

 自分たちの文化と相容れないからといって、一方的に他の文化を「野蛮だ」「劣っている」と罵り、そう見なすことがいかに愚かなことか。反捕鯨派の主張は、国際化社会の流れに真っ向から逆らう、極めて偏狭で利己的でエゴイスティックなものだと言わざるを得ません。
 イヌイットの生肉を食うことに対してした非難と、その性質は全く変わっていません。いつまで経っても、自分たちがいつも一番で、それと違うものは野蛮で愚かとしか見れていないのでしょう。様々な異文化を尊重できずに、環境保護を押し付けるのは、ヒトラーがユダヤ人に対してしたことと何ら変わらないものです。

 これは既に以前から行われている反捕鯨国に対しての疑問なのですが、なぜ鯨はダメで牛や豚は殺しても食べてもいいのでしょうか。極論を言えば、人間が生きていくためには(いや、生き物が生きるというのは)、植物も含めて他の生き物の生命の犠牲が伴うものです。もし、反捕鯨派の主張を広く当てはめれば、人間は生きていけません。けれども、それを広く当てはめてしまうと、こういった結果になるので、反捕鯨を正当化するために「鯨は可愛い」「鯨は頭がいい」「鯨は絶滅が危惧されている」と言うのではないのでしょうか。

 本来、生き物の命に重いも軽いもないはずです。鯨も牛も豚にも等しく命は与えられています。鯨だって鰯などの中小型魚類を捕食して生きています。では、反捕鯨派は鰯などの個体数が激減したら(現に減っていますが。)鯨に対して捕鯨推進派に対するのと同じ批判をするのでしょうか(苦笑)。

 人間は、他の生き物から命をいただいて生きています。生き物の命をいただくことに対して、有り難味を感じ、感謝をし、粗末にしないことが何よりも重要なのではないのでしょうか。これを前提としない議論など、空しいだけです。

 最後に。日本を代表し、捕鯨を訴えてきた小松正之農学博士も指摘するように、IWCはアメリカの先住民などの捕鯨は認める反面、日本の捕鯨は認めないというダブルスタンダードを堂々と行い、自分たちの価値観こそが正義であり、これに反するものは許さないという、欧米の「文化帝国主義」の現れが、他ならぬIWCなのです。

 日本は科学的根拠を提示し、粛々と捕鯨を行えばいいのです。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
捕鯨推進派は本当に正しいのか (花逗牡)
2008-08-11 20:37:05
失礼します。ちょっと挑発的なタイトルにしましたが、別に捕鯨に反対ではありません。また反捕鯨運動には問題は多々あります。しかし、国内で一方的に正論とされる捕鯨擁護論に問題はないでしょうか?例えば鯨激減を油目的の欧米だけの責任にして、近代捕鯨導入後の日本の捕鯨の乱獲には目をつぶったり、とか。米英が乱獲の戦犯だったのは疑いないですが、近代捕鯨時代の日本の乱獲もかなりのものでした。また昭和戦前の南氷洋捕鯨では日本も油だけで肉は捨てていたそうですから、かつての欧米が油だけで後は捨てていたことを、過度に強調するのはどうでしょうか?
 反捕鯨運動の問題点は、日本にいる我々にははっきりわかります。しかし、自国の都合の悪いことには気がつきにくいものです。
 長文失礼しました
花逗牡さん (管理人)
2008-08-27 22:36:22
花逗牡さん、はじめまして。私のブログにお越しくださりありがとうございます。コメントまで掲載してくださり、私としては勉強になるので、大変嬉しく思っています、ありがとうございます。それから、ご返信が大変遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。お詫びいたします。

>昭和戦前の南氷洋捕鯨では日本も油だけで肉は捨てていたそうです

これに関してははじめて聞きました。ひとえに私の勉強不足です。ご指摘してくださり、ありがとうございます。

私は花逗牡の仰るとおり、日本の捕鯨正当化論にもいささか怪しいものがあると思っています。しばしば日本の捕鯨は科学的な根拠に基づいて行われているといわれていますが、これもまた検討の余地があるということも事実でしょう。

しかし、決して開き直りではありませんが、捕鯨問題はもはや国内問題ではなく外交問題と化してますから、そこでは科学の装いをして政治の駆け引きが行われるのは暗黙の了解でもあると同時に考えています。必ずしも客観的な科学的根拠ばかりでは捕鯨活動を守ることはできないと思います。

外交の舞台で捕鯨を論じる以上、IWCに加盟している国々に対し経済的な協力を約束するなど「根回し」をしつつ、多少は恫喝的な脅しを見せつつ、自国の主張に他国を同調させることもしなければならないと思います。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。