ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

「乗っ取られる論」は使えない

2010年03月25日 | 外国人の人権
外国人参政権「反対」28県、「賛成」を逆転 都道府県議会(産経新聞) - goo ニュース

■地方の声、募る危機感
 鳩山内閣が進める永住外国人に対する地方参政権(選挙権)をめぐる法案に対し、全国の地方議会で反対の意思を表明する動きが急速に広がっている。都道府県議会で採択された反対決議(請願含む)は28県にのぼり、賛成決議を上回ったことが20日、分かった。かつて一度は賛成決議を採択しながら、法案の現実味が増すにつれて反対に転じた県も多く、危機感が増大していることを示している。
 産経新聞の調べでは、1月1日以降、反対決議を採択した都道府県議会は14県にのぼり、それまでに決議された14県とあわせて反対の意思表示は28県となった。賛成決議は26都道府県から16都道府県に減った。
 反対の意見書の多くは憲法第15条の「公務員を選定し、これを罷免することは国民固有の権利である」とする条文や、平成7年2月28日に「憲法15条の規定はその権利の性質上、日本国民のみを対象とし、この規定による権利の保障は、わが国に在留する外国人には及ばないと解するのが相当である」とした最高裁判決などを引用している。



 一部の外国人参政権に反対する論者は、その反対の根拠として「外国人に参政権を付与すると日本が特定アジア(中国、韓国)に乗っ取られる」(以下、「乗っ取られる論」と言う。)と、まことしやかに(?)主張する。

 しかしながら、これと同時に、「外国人参政権付与は憲法違反」とも言う。今回はこの主張が果たして論理的に整合的なのか、検証していくことにしたい。


 まず、こうした「乗っ取られる論」を主張する論者たちの傾向を見ていると、彼らは「外国人」と聞くと、まるで「害国人」と脳内変換されたかのように、外国人に対し非常に排他的である。

 しかしながら、彼らも知っているように、誰とは言わないが、日本人でありながら日本に「害悪」をもたらしている連中もいるし、外国人でありながら非常に親日的な人もたくさんいる。そもそも、呉善花氏も金美齢氏もペマ・ギャルポ氏も「以前は」外国人であった。だが、彼らは非常に親日的であり、よって外国人だからといって一概に日本に対して敵意を抱いているというのは被害妄想であろう。私の知っている外国人も非常に親日的である。

 上記の仮定から帰納して考えると、彼らの論理では、要するに親日的であれば参政権は付与され、反日的であれば参政権は許されないという結論になろう。しかしそれでは、「参政権は日本国民固有のもの」という考え方と矛盾することになる。なぜならば、反日的な日本人もいるからだ。そうである以上、反日的な日本人から参政権を剥奪しなければならなくなるが、それはできない。



 ところで、先にも述べたように、わが国における参政権は日本国民固有の権利である。これは最高裁の見解とも合致する。したがって、反日的な日本人であろうと親日的な日本人であろうと、日本国籍を有する者には等しくその権利は存在する。これは、外国人参政権反対派ならば、誰でも肯定する命題であろう。

 しかしながら、「乗っ取られる論」に依拠して外国人参政権反対を主張するとなると、この命題を用いることは不可能になる。それはなぜか。

 すでに述べたが、一口に外国人と言っても親日的な外国人もいる。少なくとも私には、呉善花氏や金美齢氏が、参政権を行使して日本を乗っ取ろうという野望を抱いているようには思えない(すでに帰化しているので彼らは日本人であるが)。

 日本が乗っ取られるか否か、を外国人参政権付与の判断基準に据えるということは、要するに日本が乗っ取られる危険性がなければ、外国人であっても参政権を付与できるという逆説を導くことになる。つまり、「乗っ取られる論」にしたがえば、日本国籍の有無など参政権付与の判断基準にならないのだ。そこでの判断基準は、親日的か否か、なのだから。

 となれば、参政権を付与された外国人がこぞって自民党に投票すれば、自民党が親日的か否かという議論は措いといて、「一応は」親日的ということになってしまう(苦笑)。対して、社民党や共産党に投票している日本人は、反日的となり、参政権をやはり剥奪しなければならない。



 よって、現実問題として日本が外国人によって乗っ取られるか否かの議論は別として、外国人参政権に反対する上で、「参政権は国民固有の権利」であるという主張と、「参政権を付与すると日本が乗っ取られる」という主張は同時に主張することができないということは分かっていただけたかと思う。

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