ひとり井戸端会議

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気の毒だが、仕方ない

2009年03月10日 | 外国人の人権
比少女と母「お父さん返して」 強制収容で訴え(共同通信) - goo ニュース

 日本生まれのフィリピン人、カルデロン・のり子さん=埼玉県蕨市立中1年=と父母の強制退去問題で、のり子さんと母サラさんは9日午後会見し、父アランさんの強制収容について「ショックだ。すぐにお父さんを返してほしい」と訴えた。東京入管は、のり子さんだけが日本に残るかどうか13日までに決めるよう求め、意思表示がなければ仮放免期限の16日にのり子さんとサラさんも収容、3人を強制送還するとしている。



 カルデロン・のり子さんは日本語しかできない上、国籍がフィリピンといっても「祖国」に足を踏み入れたことは未だかつてないという。本人曰く、「日本が好き」なのだという。日本のことをよく思ってくれている子やその家族にこういうことを言うのは気が引けるが、法的に決着がついた以上、速やかに帰国をされたし。言い方は悪いが、今の一家の言動は、ただゴネているだけだ。

 私としても、同情論では一家の滞在を許可してもいいと思うが、やはり「そもそものところ」を忘れるべきではないだろう。カルデロン・のり子さんの両親は、不法入国をして日本にやってきたのである。カルデロン一家がフィリピンからやってきて現在に至るまでを時系列で整理すると以下のようになる。


両親が1992、1993年にそれぞれ他人名義のパスポートで不法入国→1995年にのり子さんが生まれる→1996年に不法入国が発覚し、強制退去処分→以降は裁判で争い続け、昨年9月、最高裁において上告が棄却され、強制退去処分が確定(本来ならここで強制退去処分されていなければならない)


 ところで、在留特別許可とは、不法入国などといった正規の在留資格が無いないしは在留資格の期限が切れている状態である外国人が、日本に在留するための特別な事情を訴え、正規に(合法的に)日本在留が出来るように嘆願をし、それによって日本に在留するに足る特別な事情があると認められた場合に、法務大臣が特別に在留を許可を与えるという制度であって、出入国及び難民認定法50条1項4号において、「法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めたとき。」と規定されていることが、その根拠になっている。

 カルデロン一家は他人名義のパスポートによって入国したのだから、当然強制退去の対象となる。これはどんなに同情論を展開したところで覆せない厳然とした事実である。よって日本政府が一家に強制退去を迫ったこと自体を批判することができないのは言うまでもない。当たり前である。

 カルデロン一家の行った入国方法は旅券法23条2項「他人名義の旅券又は渡航書を行使した者」に該当し、出入国管理難民認定法24条「退去強制」の規定第4号ニ「旅券法第23条第1項 (第6号を除く。)から第3項までの罪により刑に処せられた者」が旅券法23条を強制退去の理由として挙げていることから、一家が強制退去処分を受ける正当性は十分に担保されている。

 違法行為を犯した者がどんなに弱い立場で苦しい境遇だからといっても、違法行為をしたことに変わりはないのであって、まさか国家が違法行為者を発見してもこれを取り締まらず、放置しておいたら、そちらのほうが遥かに問題であって、一家が強制退去処分を受けることは、法の支配の原則からしても然るべきことだ。よって政府の取った方針に異論はない。



 それでは、出入国及び難民認定法50条1項4号において、法務大臣に在留許可の許否の裁量があることを規定しているのだから、法務大臣は一家に在留特別許可を与えてもいいのではないかという指摘があるが、在留特別許可がこれまで下りた事例は、夫婦双方が外国人の場合ではなく、たとえば日本人父と不法在留中の東南アジア出身の母との間に本邦で出生したが、在留資格取得許可を得ることなく不法残留していた場合のように、夫婦どちらか一方が日本人の場合がほとんどであって、本件のような場合に在留特別許可が下りた試しはほとんどないというのが、どうやら実情のようである。

 そもそもだが、強制退去処分を下したのは国家である。普通に考えて「出て行きなさい」と言っている国家が、「そういう事情なら居ていいよ」などと主張を翻意させるのだろうか。そんなことなら最高裁まで争わないのではないか。とは言っても50条1項4号は、法務大臣「個人による」裁量の行使によってその許否を出そうというものだから、一応は矛盾していないとも言えなくはないが。

 だが、今の流れを見るに、政府が在留特別許可を出す見込みは皆無だろう。しかし、これは最高裁できちんと決着がついていることなので、「冷酷な法務大臣」と批判するのは勝手だが、法の支配を貫徹しようとしている国家を批判することは筋違いではないだろうか。

 出入国及び難民認定法は、どこからともなくやってきた独裁者が勝手に作った法律ではなく、国民が選んだ代表によって作られたものである。よって、単なる同情論でこれを批判することは民主主義をも批判していることに等しい。言ってしまえば、良くも悪くもこれが法律なのである。



 政府は本件事例は最高裁によっても決着がついている以上、粛々と法を執行し、期限内に行動を起こさなければ、一家を本国に送り返せばいい。残酷と思われるかもしれないが、これは仕方のないことだ。

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