梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

消極的な夢と希望

2020-05-23 10:09:24 | 日記
生まれた時はかなり貧乏だった、
「赤貧洗うが如き」とまではいかなかったと思うが近かったかもしれない、
しかし本人はあまり気になっていなかった、
親が“堂々とした”貧乏人だったせいかもしれないが周りにはある程度同じ程度の貧乏な子供もいたせいもあるし、
まだ敗戦から10年も経っていない時期で世間一般が貧乏だったせいもあるだろう、
農村に居て農家ではないという事の貧しさと言う事は食い物に出る、
小学校に上がった当時はまだ欠食児童と言う子も何人かいたがそれは必ず農家ではない子供だった、
給食はまだ始まっていないので弁当を持ってくるのだがふかしたサツマイモ2個とかは良い方でそれも無い事もあった、
昼休みは校庭の隅で時間をつぶすしかないのだが必ず何人か居た、
とはいっても敗戦後の混乱期で弁当を持ってきていても殆どが日の丸弁当だったからさして羨ましいと言う記憶はなかった、
貧乏だった事を切実に理解したのは15歳で東京に来て日立製作所の臨時工になった頃からだった、
殆どの同僚が「豚の餌」と言っている社食が旨かった時、(俺は貧乏だったんだな)と気が付いた、
16歳ころの夢、或いは希望は「金持ち」になった、
「強くなりたいのではありません、金持ちになりたいのでもありません、幸せになりたいんです
強くなりたいんです、金持ちになりたいんです、幸せになりたいんです」
とこの頃の日記に書いてあった、
中卒の職工が金持ちになれるのは難しくその葛藤でこんな事を書いていた時代だった、
ししかし、30・40と歳を重ねるにしたがってその夢は少しづつ形を変えて行った
「こう成りたい」より「ああは成りたくない」と形が変わった、
金があっても人間的に尊敬出来ない奴になるんなら貧乏でも良いんじゃないか(まあ僻みやっかみと言い訳ではあるが)
ただ立ち居振る舞いや服装が如何にも貧乏ったらしいのは嫌だった、(ああは成りたくない)のである
人に好かれようという気持ちは積極的にある訳ではないが「嫌われない様に」と言いう気持ちはあった、
それは自分他人を見ていやな気持を持った時(ああ、自分はああは成りたくない)と思うからだった、
今の歳になって思うのは同年代の同性の服装や姿勢、振る舞いを見ると(ああ、自分はあんな風には成りたくない)と切実に思う
いつ頃からか、夢は積極的に(ああなりたい)から(ああは成りたくない)と言う消極的希望になっているが自分の限界を知ったという事ではないと思う、
どこかに(俺にはまだ出来る)と言う気持ちは残っている、
が思うのは(ああは成りたくない)である

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