ついに、熊野三山を巡る最終地点、熊野本宮大社へやってきました。
三山は、熊野速玉大社・熊野那智大社の三社からなり、それぞれの神社が祀る神の神霊の総称(または統合された神霊)が熊野神(熊野権現)である。熊野三所権現とも言い、熊野三山に祀られるほかの神々も含めて熊野十二所権現ともいう。 権現とは仏や菩薩がもともとの本体であり、仏が人々を救うために「権」(仮:かり)に「現」れた神のこととされる。
各神社の主祭神は以下の通りであるが、相互に祭神を勧請しあい、現在では各神社で三神を一緒に祀っている。
熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)は阿弥陀如来 、
新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)は薬師如来、
熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)は千手観音とされる。三山はそれぞれ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落浄土の地であると考えられ、平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになった。
熊野では、八咫烏(やたがらす、やたのからす)は日本神話で、神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をしたとされる三本足の鴉がめにします。
そこで、烏はミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)として信仰されており、日本神話に登場する八咫烏は単なる烏ではなく太陽神を意味する神聖の象徴と考えられ、信仰に関連するものと考えられている。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印には烏が描かれている。
『新撰姓氏録』では、八咫烏はカミムスビの曾孫である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身であり、その後鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったとする。奈良県宇陀市榛原区の八咫烏神社は賀茂建角身命を祭神としている。
咫(あた)は長さの単位で、親指と人差指を広げた長さ(約18センチメートル)のことであるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。
戦国時代には、紀伊国の雑賀を治めた鈴木家の旗ともなっている。
可愛らしさのない八咫烏ですが、サッカーのマークをはじめ、色々なところで親しまれているものだと思いました。
八咫烏の意味を勉強できてよかったです。
3本の爪が、鈴木、榎本、宇井氏の祖であることがわかり考え深いものであった。
三山は、熊野速玉大社・熊野那智大社の三社からなり、それぞれの神社が祀る神の神霊の総称(または統合された神霊)が熊野神(熊野権現)である。熊野三所権現とも言い、熊野三山に祀られるほかの神々も含めて熊野十二所権現ともいう。 権現とは仏や菩薩がもともとの本体であり、仏が人々を救うために「権」(仮:かり)に「現」れた神のこととされる。
各神社の主祭神は以下の通りであるが、相互に祭神を勧請しあい、現在では各神社で三神を一緒に祀っている。
熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)は阿弥陀如来 、
新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)は薬師如来、
熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)は千手観音とされる。三山はそれぞれ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落浄土の地であると考えられ、平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになった。
熊野では、八咫烏(やたがらす、やたのからす)は日本神話で、神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をしたとされる三本足の鴉がめにします。
そこで、烏はミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)として信仰されており、日本神話に登場する八咫烏は単なる烏ではなく太陽神を意味する神聖の象徴と考えられ、信仰に関連するものと考えられている。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印には烏が描かれている。
『新撰姓氏録』では、八咫烏はカミムスビの曾孫である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身であり、その後鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったとする。奈良県宇陀市榛原区の八咫烏神社は賀茂建角身命を祭神としている。
咫(あた)は長さの単位で、親指と人差指を広げた長さ(約18センチメートル)のことであるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。
戦国時代には、紀伊国の雑賀を治めた鈴木家の旗ともなっている。
可愛らしさのない八咫烏ですが、サッカーのマークをはじめ、色々なところで親しまれているものだと思いました。
八咫烏の意味を勉強できてよかったです。
3本の爪が、鈴木、榎本、宇井氏の祖であることがわかり考え深いものであった。