茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

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熊野古道の旅 NO.1

2008年05月03日 | Weblog
わざわざ人様の休みにあてて出かけなくてもと思うのですが何故か連休に足を熊野へ向けました。
そう、宿も列車も予約せずに行き当たりばったりの二泊三日です。
どうにかなると思ってリュックを担いで一路新宮へ向かいました。
神倉神社へまずはおまいりに行きました。
熊野三山の元宮だそうです。
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社である。市街地北西部にある千穂ヶ峯の支ピーク、神倉山(かんのくらやま)の山腹・標高80メートルほどの場所にあり、境内外縁はただちに断崖絶壁になっている。
山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。
創建
神倉神社の歴史的な創建年代は128年頃と考えられているが、神話時代にさかのぼる古くからの伝承がある。『古事記』『日本書紀』によれば、神倉神社は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山であるという。このとき、天照大神の子孫の高倉下命は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。
熊野信仰が盛んになると、熊野坐神が諸国を遍歴した末に、阿須賀神社に鎮座する前に降臨したところであるとされるようになった(「熊野権現垂迹縁起」)。この記述に従えば、熊野三所大神がどこよりも最初に降臨したのはこの地であり、そのことから熊野根本神蔵権現あるいは熊野速玉大社奥院とも称された。また、熊野速玉大社の運営にあたった修験者の集団・神倉聖(かんのくらひじり)が本拠地としたのもこの神社である。
ご神体が岩山なので大変に急な階段を登ります。
でもぜひまた行ってみたい神社のひとつとなりました。
しばしあの階段は登りたくないほどきつかったですがね。