言語空間+備忘録

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石油の市況商品化

2011-09-29 | 日記
水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』 ( p.39 )

萱野 繰り返しになりますが、途上国の交易条件が一九七〇年代以降よくなっていったことの背景には、資源国における資源ナショナリズムの勃興がありますよね。それまではセブン・シスターズとよばれる石油メジャーが、油田の開発権を独占し、国際カルテルをむすんで価格を仕切っていました。これによって先進国はひじょうに安いお金で原油を買うことができた。

水野 数量も自由ですね。

萱野 はい。好きなだけ採掘して都合のいい価格で販売していました。しかしその状況も、産油国に資源ナショナリズムが起こることで一変する。この資源ナショナリズムによって、多くの産油国では油田が国有化され、石油メジャーはそれらの地域での石油利権を失ってしまったからです。たとえばイラクでも一九七二年に、サダム・フセインのいたバース党政権のもとで石油が国有化されています。そんななか一九七三年にオイル・ショックが起こり、OPEC(石油輸出国機構)の発言力が一気に高まります。それ以降、石油の価格決定権はOPECの手に渡り、それが八〇年代前半まで続く。

水野 その価格決定権をアメリカが取り返そうとして一九八三年にできたのが、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)先物市場ですね。
 石油の先物市場をつくるということは、石油を金融商品化するということです。いったんOPECのもとへと政治的に移った価格決定権を、石油を金融商品化することで取り返そうとしたんですね。

萱野 まさにそうですね。
 六〇年代までは石油メジャーが油田の採掘も石油の価格も仕切っていた。これは要するに帝国主義の名残(なごり)ということです。世界資本主義の中心国が周辺部に植民地をつくり、土地を囲い込むことによって、資源や市場、労働力を手に入れる。こうした帝国主義の延長線上に石油メジャーによる支配があった。その支配のもとで先進国はずっと経済成長してきたわけです。
 しかし、こうした帝国主義の支配も、五〇年代、六〇年代における脱植民地化の運動や、それにつづく資源ナショナリズムの高揚で、しだいに崩れていきます。そして、石油についてもOPECが発言力や価格決定力をもつようになってしまう。当然、アメリカをはじめとする先進国側はそれに反撃をします。ポイントはそのやり方ですね。つまり石油を金融商品化して、国際石油市場を整備してしまう。それによって石油を戦略物資から市況商品に変えてしまうんです。

水野 その変化は何を意味しているのでしょうか?

萱野 OPECが価格決定権を獲得したのは、基本的には帝国主義時代の図式にのっとってでした。つまり、自らの領土や資源に対する主権を宗主国から奪いとるというかたちです。この意味で、OPECが価格決定権を獲得した時点では、石油はいまだ地政学的な枠組みのなかにありました。だからこそ、一九七三年の第四次中東戦争のときに、産油国は石油を政治的な武器につかおうとして、オイル・ショックが起こったわけです。これに対して、石油を金融商品化して国際石油市場を整備するということは、こうした地政学的な枠組みそのものを取っ払ってしまうということです。これ以降、石油はアメリカやロンドンの先物市場で価格が決定され、国際石油市場で自由に売買されるものとなる。領土主権のもとで戦略的に取引されるものではなくなっていくわけですね。

水野 驚くことに、アメリカのWTI先物市場にしても、ロンドンのICEフューチャーズ・ヨーロッパ(旧国際石油取引所)にしても、そこで取引されている石油の生産量は世界全体の一~二%ぐらいです。にもかかわらず、それが世界の原油価格を決めてしまうんですね。

萱野 そうなんですよね。世界全体の一日あたりの石油生産量は、二〇〇〇年代前半の時点でだいたい七五〇〇万バレルです。これに対して、ニューヨークやロンドンの先物市場で取引される一日あたりの生産量は、せいぜい一〇〇万バレルです。

水野 一・五%もありませんね。

萱野 ところが先物取引というのは相対取引で何度もやりとりしますから、取引量だけでみると一億バレル以上になる。その取引量によって国際的な価格決定をしてしまう。価格という点からみると、石油は完全に領土主権のもとから離れ、市場メカニズムのもとに置かれるようになったことがわかりますね。


 アメリカはWTI先物市場を整備することによって、石油から戦略性を奪い、市況商品化することでOPECに対抗した、と書かれています。



 著者らは、OPECから石油の「価格決定権をアメリカが取り返そうとして一九八三年にできたのが、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)先物市場です」と述べています。

 しかし、これはやや誇張がすぎるでしょう。これではアメリカが「自由に」先物の価格を決定しうるかのような印象を与えます。しかし、産油国も先物の売買に参加すれば価格は動きます。

 したがって、著者が最後に述べているように、「石油は完全に領土主権のもとから離れ、市場メカニズムのもとに置かれるようになった」といえばそれで十分だと思います。



 とはいえ、石油はつねに市場価格で取引されているわけではないようです。

 政治的な理由から、産油国が「一部の国」に対してのみ「特別価格」つまり「割安価格」で石油を供給している、という話があります。この話がどこまで本当なのか、私にはわかりませんが、これはありうる話だと思います。



 この話が本当であるとすれば、

   産油国の資源ナショナリズムに対し、
   先進国は先物市場を整備して対抗したが、

   産油国は「二重価格」で対抗している

ということになります。つまり、

   石油は依然として、戦略物資である

ということです。



 とはいえ、「すくなくとも先進国向けの石油については、市場メカニズムのもとに置かれるようになった」ということは、重要だと思います。



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