村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

442.若い頃絶望し、断念したことの復活

2017-10-17 13:52:12 | 趣味
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テーマ:若い頃絶望し、断念したことの復活

若い頃、何かと劣等感にさいなまれ、
どんどん成長するどころか、小さくなって行く自分があった
学校・近所で周囲の人と比較し、自分が駄目人間なことを悔やむ
長所を探すが何もない、かと言って左程の努力もせず悩むだけ
若い時は未熟だから、そんなに急に能力アップ出来ることもない

その他、顔や容姿や成績や付合いや人に好かれるかかも悩みの種
あーだこーだと、多岐にわたって悩みが尽きなかった
そうこうしているうちに、自信がないからと、遠ざかってしまいがちになる
勉強・稽古ごと・友達作り・体力・芸術能力・会話力・リーダシップなど・・・
だんだんに苦手ばかり増え、成績は無論、自分の位置は低下するだけ

ついには登校拒否一歩手前まで行ってしまう

会社に入ってからも、ますますそういうことが増えてきて
人によってはノイローゼ、うつ病になる若者も増加している
有名人にも、麻薬に走ったり、非行に走る若者も多い
若い時に絶望し断念することの影響は大きい
私自身もそういうことに悩まされ苦しみ、どうにか乗りきってきた

そこで、私の体験に基づき、そのようなことを少し考えてみた
55歳で会社を辞め、妻を病気でなくし、山に暮らすようになったが
以来私は大きく変わって来て、74歳までいろいろやってきた
昔断念したことが、この歳になって出来るようになったことも多い

その中で今年のことだが
私の体験した一つの例を紹介して話を始めよう
今年4月に絵画教室に通い出した、なんと63年ぶりだ
小学校時代、絵が下手で、絶望し、ついに大の絵嫌いになった
小学生でも、周囲に絵達者がいた、それらと比べるようになり
自分の絵に嫌悪感や羞恥心が日増しに高まって行った
絵の成績はどんどん落ちて行く、絵嫌いになっていく
誰もそういう経験があるだろうが、それ以来絵を描かなくなった

劣等感が激しく、74歳まで絵を描いたことはない
約1年半、近所の人から「絵を描きませんか?」とお勧めを戴いた
でも、「絵だけは勘弁下さい」と、ずーと断り続けて来たのだ
ところが
不思議なもので1年半後、絵画をする決断をしてしまった
その変化については、今は、自分を褒めたい気がしている
1年半かかったが、絵嫌から絵を描こうに意識が変わったのだ

すでに数回絵画教室に通っているが、1回目はすごくドギマギして
当然のこと、碌な絵が描けなかった、お粗末なサンマが描けた
でも、何となく気分が良く、楽しかったのを覚えている
そして2回目以降何となく絵が描けるような気分になって行った
徐々にというか急速にというか、絵描きが楽しくなって行った
まさしく「まあ、何と言うことでしょう」であった

絶望・断念は人間を委縮させてしまうだけなのだ

絵画教室に通い始めて描いた絵は
・さんま(最低)
・靴、ポール、帽子の絵(おー案外描けたぞ)
・自画像(自分で挑戦してみたが難しかった)
・新旭駅前のコーヒー店の風景画(外で絵を描いた、戸惑った)
予想外にデッサンは無論、色をつけることも出来るようになった

絵描きについて、かすかな自信が63年ぶりに復活した、スゲー遅咲き
教室の高齢の男先生のずばりの指導がすごくためになるし、楽しい
絵描きの世界観が全く変わった、光が差し始めた
何故こういう適切な指導を小~高校でしてくれなかったのか?
絵嫌いになったのだが、実は根本的に下手糞ではなっかったのだ

英会話なんかも、典型的な教育失敗例で、未だに改善されていない
「いい加減な教育しやがって」と文部省を訴えても良いくらいのものだ
日本の教育は「一応教育してやる」的レベルで
「教育の効果が確実に出る」ようにはやられていない
私の経験でも
効果が出る教育を日本の義務教育や大学教育で受けたことはない
5段階評価で2~4が多かった、5は僅かだった
「お前さんは能力なし」とお墨付きをもらい、烙印を押された
テストによる、テストの、テストのための教育、効果はどうでもよい
先生の責任はテストで良い成績をとれば一切問われないのだ

英会話が出来なくても、テストの点数が高ければよかった
先生ではない、単なる説明者、尊敬する先生は一人もいなかった
企業に入ると俄然状況は変わり、厳しい教育訓練の日々となる
外国に行くと俄然英会話ができるようになる
学校教育は落ちこぼれ作りにだけ役立ってきた

学校の教育が役立ったことはほとんどなかった
一体何だったんだろう?何ともお粗末な教育を受けて来たのだ
一流国立大学の教授なんてお粗末極まりなかった、トホホッ・・・
文字が読める、足し算引き算掛け算が出来る最低限度の教育

ところで若い頃絶望し断念したことがどうだったのだろうか?
1)当時は断念して正解だった、まだ機が熟してなかっただけ
2)何らかの出会いや経験によって、自分の幅や深さが高まっていた
3)年齢を重ねて全体的な能力・脳力が向上した、絵なんかも描ける
 (しかし、若い時のあまりに根強いコンプレックスが妨げていただけ)

それならば、断念した頃以降どうすればよかったのだろうか?
1)絶望、断念しても絵描きを続けるべきだった
2)その後も絵を描くために先生を捜すなど努力を続けるべきだった
3)絶望し断念して、10~20年程度、時の経つのを待てば良かった
 何らかの原因で出来ないこともやがて出来る時が来るものだ

若い時に絶望し断念してしまうと、一生やらないことになりがち
危険だ、怖いことだ、残念だが多くの人がこのタイプになる

私の最近の思いは、
若い頃出来たこと、やって来たことは、単なる勢いだったが
年取ってからゆったり手掛けたことは、深みや味わいがある
勉強は若い時にやるもの、始めるものと思うのは大きな勘違い
始める年齢や環境によってそれぞれに違った味わいになる
スポーツも(恋も)必しも若い者だけのものではないのだ

むしろ若い時からやるより
若い時にはあえてやらないで、年取ってからやるのも妙策だ
一度絶望し断念してある期間をおいて、
何かの出会いで再開するのが良い結果を生むのかもしれない

一見正統派みたいなやり方が良いとは断定できないのだ
天才キッズとか早咲きが必しも良いとは限らない
遅咲きには遅咲きの妙味があるし、本人も至極楽しかもしれない

絵画もそうだが、美味い下手は実はどうでもよいのだ
そこを勘違いすると人生の楽しみ方を知らずにあの世行きになる
スポーツも早い、強いは実はどうでもよいのだ
オリンピックは勝つためでなく参加することに意義がある
上手い絵を描くのではなく、描きたいように絵を描けばよい
芸術もスポーツもこうあるべきとか、型に押し込めるのは邪道だ

私の場合も絶望・断念したから、普通は永遠に落ちこぼれるところを
偶然に引っ越先の安曇川の田中の町の人に救われたのだ
そういう救いの神みたいな人が、たまたま、いたのだ、巡り合わせだ
その神様のお誘いを素直に受け入れるかどうかが鍵だ

そうすればギヤが入り再び絵描き車が走り出すのである
私は絵描きギヤーが入ったことを今思えば、すごく感謝している
というのは絵嫌いが多い反面、それだけ
絵描きが素晴らしいことを私が実感出来たからだ
今迄63年止まっていた脳の働きが、絵を始めて再始動したことだ
脳は言っているだろう「あー63年ぶりに起こされ、俺にも朝が来た」

家の壁は一つづつ私の絵に変わっていく、有名画家の複製絵より
断然私の絵のほうが嬉しい、楽しい、本物の自家製でコストは安い
誰が描いたかも知れない古臭い絵でなく、自分で好きな絵が飾れる
絵から私の声も聞こえてくるのだ、1億円の絵より私の絵が好きだ
金持ちの家に有名画家の高そうな難しい絵が自慢気に飾ってあるが
私には、他人のものがあれこれ並ぶ家が、必しも豊とは思えない

現代の都会人は自分で物を作らない、昔は何でも自分で作った
作れないようになったのだ、狭い家、テレビにネットで暇もない
ちなみに私は自分でやってきたし、今もやっている
絵・大工・水道・野菜作り・椎茸・散髪・物書き・剪定・庭・木材切出し等

自然に身体も動かし・頭も使う、現代人は頭も身体もあまり使わない
全部自分でやれるし、やっているが、自分の思うままになるのが良い
自分の絵も飾らなくなった、昔は祖先や子供や叔父さんの絵があった

若い時は駄目、歳とって飛躍的に能力発揮する人も僅か存在する
多分、何らかの出会いによってギヤーが入った人なのだろう
そんな人も案外身の回りにいるものなのだが・・・
自分に、まだギヤーの入ってないものがないか宝探しが必要だ

私の友人で絵を描く人はいないが、本当に珍しいのだが
一人だけ75歳から始めた80歳の男の人がいる
その人は驚くことに、今後プロになろうと意慾を燃やしている
やっと私も絵という高尚な趣味を持つ友人を持てたわけだ
全く新たなジャンルの友人ができるのも嬉しい
そういえば、年老いてから
古来の高僧や偉人は、上手い書画を描いた人が多い

物忘れの激しい私の脳の働きが最近やや良くなって行くように思う
絵が上手い下手は関係ない、とにかく絵を描くことが良いのだ
運動も同様で、とにかく、結果を問わず身体を動かすべきだ

ところで、最近、
「村上さんは絵心がある」などと私に言う人が出現するようになった
昨年まで、絵など全く縁のなかった私に向かって「何が絵心だ」
そういう安易な言い方は正しくない、絵心は皆の脳に在庫されている
ただ長年眠っているだけで、今後も眠り続ける恐れがあるだけだ

例えば、腰痛なども、直らないと諦めてしまう人がいるが、
諦めたら負け、二度と直らず、むしろ着実に悪化して行く
老人に多いのが「もう歳です」と歳寄り臭くなってしまうことだ
”老人・老化とは心の諦めである”
諦めが老化を進め、本物の老人を生んで行く
歯もそうだが、歯を磨かない・間食する・口が汚れたまま寝てしまう
「歳だから歯が抜けて当前」と思い込むと、歯はアッという間になくなる

絶望が断念につながり、その後どうなるかというと
1)永遠に断念しっぱなし
2)時々断念を中断し、いろいろやってみるが効果なし長続きもしない
3)その後何らかのきっかけで、やってみて、ついに克復する

野球に例えると
逆転満塁ホームランだ、諦めないと老後そんな素晴らしいこともある
まあそういう状況は、人生の変曲点とも言うべきもの
マイナス状況が俄かにプラス局面に変曲するのだ
人生の変曲点を掴む人と不幸にも掴めない人、まるで違う人生だ

ところで
絵の場合は、一般的に女性は絵画教室に通うが
私の場合も当初そうでしたが、男は絵画教室には行きたがらない
現実に絵画教室の生徒は女が95%、男は一人もいればよいほう
なぜかというと、男は面子を重んじる「日本の男は恥ずかしがり屋」
私のように「面子を軽んじる男しか絵画教室に行こうとは思わない
「男よ、もっと面子のレベルを下げろ」「面子など邪魔なだけだ」
そう言えば、男は年取ってからの付き合いが楽しくない人が多い
世間と交わらない、人と会話しない、難しいことを言う、頭が固い

女の方が絶望・断念の復活が上手いということだ

絶望し断念するのも、次のような原因が考えられる
・面子を重んじる、上手くできないと恥だと思っている
・完全に駄目とあまりに強く思い込んでいる
・やろうとする気力がなくなってくる
・やる価値や意義を感じなくなっている
・面倒くさい
・もう歳だし、今更やっても大したことない、しょうもないと考える
・やったところで長続きしそうにないと勝手に思う
・この歳で一から始めることが億劫
・適当な先生がいない、教室はあるが敷居が高い
・その他いろいろな原因を作ってはやろうとしない

さてもう一つの例として最近こんなことがあったので紹介する
それは椎茸作りに関してだ、山で椎茸作りをする人が多い

私が田中である人と付き合いし始め、「山に椎茸の原木がないか?」と
相談を受けたので、山にあるので、さっそく木を切ってあげた
そうしたら、その人がその木を町のコンクリートの土間に1年ほど放置
一年後私が確認したらその原木が乾燥し切って木が割れていた

私はその人に言った「こんなに乾燥したら駄目ではないの?」と
そうしたら、その人が「お前何を言うんだ、これで良いのだ」と
私も実は、山で10年くらい見様見真似で椎茸を作っていたのだ
山は湿気が多く、原木も生乾きが良いと勝手に思い込んでいたのだ
ところがその人は「カチカチに乾燥するほど良い」と言うのだ

そしていろいろ聴くうちに
1)原木は1年乾燥し完全に乾かすこと
2)更に穴をあけ更に3か月ほど乾かす
3)種菌を植える間隔は木の太さにもよるが密でよい
4)種菌を植えるのに金づちを使って強くうちつけてはならない
 木の棒で優しく打つこと
5)2~3週間木が白くなる迄、横に並べ水をやりビニールで巻いて保存
 (白くなるのは菌が回った証拠なのだそうだ)
6)その後、ビニールから出して立てて置き、毎日米のとぎ汁をかける
 (水分を絶対欠かしてはならない、場合によっては一日2回散水)

そうすると収量が多く
原木の寿命が伸びる
ということを聴いて二度びっくり
私は10年くらいで椎茸栽培をやめてしまった、絶望し断念したのだ
その人の話を聴き、実際に見せてもらうことでまたやる気になった

しかも、今住む町の家の中でも出来ることを知った
早速山で原木を確保し来春に習ったように再度挑戦してみることにした
大したことないことでも、諦めてしまうのはもったいない

これなども絶望、断念後、ある人との出会いで復活した例であろう
多くの人が人生前半での思いによって将来を決めてしまう傾向がある
私も、そういう人生を歩んでいたら、実につまらん人生になっていたはずだ

コンサルタントや大工や野菜作りや山暮しや人付合いや一人暮らし等
以前は出来るあてもなかったことが、今は人並以上に出来ている
特に大工が自分で出来ることは、暮らし方に大きな変化をもたらした
自分が長年暮らす家を自由に変えることが出来ないとは、情けない
以前から言っているように、若い時のように何でも頼む・依存でなく、
年取ったら自分で何でもやるようにすることも、真の自由を得る道だ

野菜作りも木の剪定や伐採、山暮し、人付合いも同様の大きな変化
絵はそんなに簡単ではない、たかが絵描きだが自分を大きく変える

私の若い頃の劣等感やコンプレックスの状況は次のようなものだ
1)人付き合いが下手、友人はほとんど数えるほどしかいない
2)初対面の人、目上の人が大の苦手
3)口下手、会話下手、苦手な人とは口がきけない
4)引っ込みじあん、内弁慶、人前で話せない
5)せっかち、慌て者
6)小心者、臆病、心配症
7)絵が下手、幼児なみ
8)習字や文字を書くのが最悪
9)本を読まない、語学関係も苦手、英会話が出来ない
10)囲碁将棋はからきし駄目
11)運動もどちらかというと平均より下、体力がない、喧嘩も苦手
12)自立・自律ができずに長いこと中途半端だった

私の場合幸運にも現在74歳遅まき乍ら、全て克服できている
若い時の絶望、断念が、ほぼ80%は再挑戦が成功している
そんな私などは、極めて珍しい例かもしれない
何らかの出会いがそういうことを劇的に可能にすると思う
宮本武蔵などもそういう例であろう

しかし世間には若い時の思い込みやコンプレックスを引きづり
一生、出来ずに終わる人も多いのだろう
人付き合いや会話が高齢になっても、苦手な人を多く知っている
無論絵なども一生描かない人(特に男)も多く知っている
というより、あまりにも多いのは悲しいというか今更ながら驚きだ
こんなことは実に悲しいこと、本来あってはならないことなのだ
英会話も本来はペラペラ出来なくてはいけないはずなのだが

私の若き日は劣等感やコンプレックスとの闘いであった
何とも空しい日々であったことか・・・・
でも、おかげ様で65歳から私は一挙に挽回した
9回の裏、ホームランみたいなものだった
でも9回の裏三振のままで終る人のなんと多いか・・・

せめて絵でも始めたらいかがですか?
良い先生のいる絵画教室に通って下さい
または若い時から大の苦手に敢えて挑戦してみたらいかがですか

・パソコンを諦めている
・インターネットを諦めている
・田舎暮らしを諦めている
・部屋の片づけを諦めている
・友人造りを諦めている
・スマホを諦めている
・ギターやピアノを諦めている
・物書きを諦めている
・人に好かれないを諦めている
・チャレンジ・冒険を諦めている
・腰痛を諦めている
・性格の悪さを諦めている
・人生を諦めている
・貧乏を諦めている
・老いを諦めている

安易に諦めるとは悲しいことです・・・・・
当り前のように、諦めるとは恥ずかしいことです・・・・・
義務教育で被爆した数々の劣等意識を綺麗さっぱり洗い流せ
そして早く再挑戦せよ

多分驚くほど、意外にスラスラ何でも出来るようになっているはず
脳には眠り続け一生目を覚まさない部分が多すぎる・・・
そしてボケや痴呆の悪化がかなり食い止められる結果に驚け
私のように都会から山や田舎に移り住むことも効果的と信じます
そういうことによって、
「駄目だという長年の強い思い込みを本気で消し去る」こと

11月2~4日の展覧会に出す絵
絵描き半年とても出展など恐れ多いです


今年もサボテンの花がさきましたが

絵に描けというので、泣く泣く描いてみました

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