村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

562.安曇川の朝はすでにかなり涼しいが

2023-08-27 06:40:24 | 環境
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気で・多くに挑戦し・謙虚に・質素に
(国家指導者や企業社長がこういう事が出来ていれば世界は健全かつ平和でしょう)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営  東京浅草三筋町⇒大阪門真⇒京都伏見⇒滋賀安曇川
専門:IE・VE・無駄取り改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮し・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化体験・資産管理・
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
滋賀事務所:滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里区)地図
*************村上原基人生勉強会*************

**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
夏の暑さで都会には住めない時代が来るかもしれない。夏の猛暑は進み都会の夜間~朝の気温が下がらない、今年の夏の猛暑で特筆すべきことは、北海道も例外でないことだ。北海道への影響はかなり大きいが彼らは多分迅速に対応せざるを得ないだろう。そのうちに、昼は40℃以上、夜も30℃以上なんてのが当り前になりかねない。そういう時代には、都会の電力不足や超異常気象や世界規模の食料不足などいろいろな異常現象が次々に起きかねない。ちなみに、今年の夏はクーラーつけっぱなしで昨年の2倍はかかっていると思っていたが、なんと逆に半額だったのでびっくりした。なんと国の補助金のせいらしいが、こんな一律の補助金は何の効果もないので絶対にやるべきではない。日本の更なる円安や没落・崩壊を早めるだけだ。岸田さんをはじめ日本の無能な政治家には困ったもので、全く頼りにならないし、頼ってはいけない。
昨日久しぶりに大阪から安曇川に来た人が言っていた
安曇川の朝はすごく涼しい、それに比べて大阪の朝はムーンとすると。秋を感じるのは当地などでは全国的に残暑の時期でも朝晩がひんやりしてくることだ。それはなぜかというと日の長さが短くなり少しは気温も下がり、曇りがちになるので元々夜間冷える当地などではそれが顕著になってくるのだ。そして9月に入ると昼間の秋の到来も当地は早い。これこそが自然の力なのだ
8月26日以降、早朝ムーンとするならばそこは都会だということだ

都会はエアコンや色々な排出する大量の熱の逃げ場や受け入れ先がない。都会の膨大な建物やアスファルトなどに昼間貯めこまれた熱は逃げ場がない。今年は都会で雨が降らないということは更に都会の猛暑の影響を拡大する。都会で朝ムーンとするのはそのせいだが、田舎ではまず夕方8時くらいに涼しさが始まり、更にムーン状態は夜間に完全解消する。日本は南国になったが田舎はそれでも自然がそれなりに昼間の熱を吸収するが、私の住む安曇川には琵琶湖や安曇川や田んぼや草木が昼間の熱を冷ます
安曇川では自然が我々の家や人工物より圧倒的にマスが大きい、都会は逆だ。自然のないコンクリートジャングルの都会は夏の猛暑による蓄熱の夜の逃げ場がない。都会は自然崩壊地帯、田舎は限界集落と言われようと自然健全地帯なのだ。いわゆる限界集落の片田舎はむしろ安全な地域でノアの箱舟なのかもしれない。まだ何か出来るうちに手を打っておきましょう。都会では朝から夜まで熱が排出され「自然の暑さ+人工的暑さ」となる。
夏の猛暑は都会では解決不可能な超限界問題になりつつある。あらゆる意味で過密化する都会は限界だらけになりつつある。
大都会は、過密化・密集化・巨大化によってすなわちより拡大することで発展している。そういう地域に多くの人が集まるのは当然だが、その結果、爆発寸前まで拡大し、そこに自然の驚異が襲うと崩壊する。巨大化する都市はスリム化も同時に進めないといけないのだが、そうはならないのが常だ。都会は超限界地域となっていく。限界が限界に来ているのだ超限界とでも言おうか
限界というのもかなり異常な状態だが、超限界はもう解決不可能でどうにもならない状況なのだろう。都会の高層ビルが林立する地域では暴風が吹くと場所によっては瞬時の風速が倍にもなり自動車や頑丈な建物が倒壊するそうだが、これなど超限界と言うべきかもしれない。大型看板や大規模工事足場など都会のいろいろな建造物は風速から受ける風圧が倍にもなるが、そんな建造物のある地域も超限界地域だ。ダム・道路・鉄道・ガス電気水道・橋や公共施設など都会の巨大インフラの劣化も進み手が付けられなくなってくる、巨大地震など都会における崩壊や被害のリスクは巨大化しつつあり、こういう点からも都会は急速に超限界地域になりつつある。都会に住み実際に巨大災害が起きると、こういう考え方が現実に理解できるでしょうが、そうなる前に都会に住む必要のない人は田舎に引っ越しましょう。例えば百年前に起きた関東大震災がそろそろ起きる時期なんです。都会で5000万円の家を買い、その家や財産が巨大災害で燃えたり壊れたら泣くに泣けない。一生かけて貯めた財産を一気に失うのです。わざわざ超限界地域の大都会に住む必要はない。それより田舎で安い広い家に住むほうがよい。無論、田舎が100%安全ではないので、事前に現地確認・現地調査をしましょうね。田舎でも古い手入れの悪い塀や瓦屋根の家に暴風が襲えば通常飛ばない塀や屋根瓦もビュンビュン飛ぶのである。恐ろしい
いま世界中の災害を観ていると、限界などと甘い状況ではなく、この地域はもう超限界かもしれないというような地域が急増している。例えば日本で言えば九州の西側や南側、沖縄県、高知県、和歌山県、東海地方毎年何度も台風や巨大豪雨がやってくる。そのような地域は最近、世界中に沢山出現している。猛暑や災害に対して自分の土地は超限界地域かどうか冷静に分析し評価する時が来ている。そしてそこから早く逃げ出す決断が必要になっているのかもしれない。猛暑や台風がかつてないほどひどいものになる時代が来たら、いつまでも同じ場所で同じ暮らし方をしているのは、明治維新や第二次戦争後当時の武士や軍人みたいに時代の大きな動きに取り残され、置いてきぼりにされるだけであろう。
日中の最高温度が38℃とかばかりでなく夜~朝の都会の猛暑が怖い。都会では大量の夜のエアコンが欠かせなくなってくる、えらいことだ。これは都会が人や建物や自動車が過密であることによる仕返しである
今後は最高気温だけでなく夜間温度と早朝温度を公表することが大事だ
多分都会特に大都会だけが異常に高いはずなのだ
◆安曇川は昨日の早朝もすでに涼しかった25℃だった
 27日の今朝は24℃だ、朝に限ってはもう夏は終わりかけている
◆ところが日中は安曇川でもまだ真夏だ、南国状態だ
 外には出られない。クーラーかけっぱなしだ
 南国の人はジャングルで生活するそうだ
 安曇川も一帯をもっとジャングルにしましょう
 無理であれば屋根の上に屋根を取り付けましょう
 (簡易な太陽熱温水プレートみたいなもので安曇川の屋根を覆う)
 日中は仕事しない動かない、夕方とか早朝に仕事しましょう
 卓球とか野球とかジョギングなんかも早朝や夕方にしましょう
それでも安曇川の夜~早朝は涼しい
夏38℃はまだましなのかもしれない、まだ最悪のシナリオの始まりに過ぎないのかもしれない。今後40度42℃になれば、自然が機能しない都会には住めそうもない
逆転の発想:夏の猛暑を利用せよ、簡易な太陽熱温水プレートみたいに自然の機能を代替するかなり安い価格で簡便に設置できる製品を開発し世界中に輸出を
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

428.自然とは何か?不自然人間が、不自然界に埋没する都会

2017-04-08 10:14:16 | 環境
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

出来た・出来ます

安曇川長尾のログハウス売り出し中
9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
  ご希望のより、田中の空き家もご案内します
メイル

テーマ
自然とは何か?不自然人間が、不自然界に埋没する都会

概要
1.世間の状況     自然という言葉やあり方が分からなくなっている
世間の多くの人は都会か田舎の大きな町に住もうとする、自然から遠ざかろうとする
人が自然から遠ざかるのは単にそれだけのことではなく、人として根源的なものを失うことに通じる
都会は何事も最先端だ、物や食物なども、どんどん新しいものが出てきて、貪欲に追い求める
田舎の山や村地域は都会に対して真逆だ、あるのは自然だけ、自然は文字通り自然だ

2.問題点     不自然界の都会を脱出し、山とか田舎に住むことから自然がやっと始まる
当然都会に人は集中し、多くの家や工場や事務所や店が建つと、更に人が都会に集まる
当然の結果として自然環境は削られる、家や道路になる、坪幾らの高い土地に変貌する
それに対して人口減少の田舎の山間や村地域は家も店も工場も建たない、タワービルもない
東京から大阪更に京都で暮した私は、自然、余裕・ゆとりに飢えていた
自然の成り行きで私は3つの都会暮らし後、それらをきっぱり捨てて田舎へと自然と足が向かった

3.私はどうしたのか、何をしたのか     幸いにも、私は55歳で、不自然の都会を離れた
55歳で滋賀県高島市安曇川長尾の山に中古ログハウスを購入し20年ひっそり暮らしてきた
何事も続かない人が多いが、私は20年山で暮し、山暮らしにのめり込んで行った
その原因は、不自然な都会暮らしに辟易していたタイミングで、自然に出遭ったことだろう
私の最終求めるものが実にうまいタイミングで得られた、この絶妙な出来事は神がかりだ

4.私はどうなったのか       二度と不自然には戻れない。戻りたくない
例えば、私の場合の一つの例は、誰とも気軽に楽しく会話することだ、会話する相手を選別はしない
「村上さん誰にも話しかけるなんて」と怪しい人のように言われるが、話しかける相手を選り分けることこそおかしい
不自然な事をあたかも正しいかのように習慣づけられ、それによって自分を苦しめている人が多い
都会に暮らし組織に属すると、無言・有言の縛り、圧力、規則、しきたりなどの影響を受けてしまう


都会の不自然な誘惑を我慢するというのではなく、平然と避けることが出来る
例えば、たばこや酒が毎日ヘビーに飲む人も多いが、私はたばこは嫌い、酒も抑制できる
年齢のおかげもあるが、今は無意識に抑制が働く、無理なく、むしろ喜んで出来るようになった
だから欲望も減り・我慢も減り・無理もしない・普通で・確信に満ちている
他方、以前は面倒だとか億劫だとかでやれなかったことが、毎日きちんとルール化し実施出来ている
さして考えずにやるべきことをやり、やるべきでないことはやらないようになった
100%完璧ではないが、そこは、むしろ、私の狙うところではない、完璧は害になることもある


私は何か格別の事情でもない限り、私はもう二度と不自然な都会暮らしをしようとはしないだろう
人生では、前半どこで、どういう暮らしをして来たかは後半生を決める大事な前提条件なのだ
人生の前半が良いと受け止めれば後半生は変わらないし、駄目だったならば大きく変わるのだ
どちらが良いかは、一概に決められないが、前半は我慢して、後半は自由に生きるのは素晴らしい
即ち、全般は都会でいろいろ嫌なことも経験しておき、後半生のためにじっと我慢する
都会は修羅場だが修行の場、山や田舎は天国一度全てを捨てて自然に身を負かす

5.一体なにが原因で出来ないのか     不自然とか自然の意味や価値を理解できてない
都会は、不自然に無暗矢鱈に出来て膨張する、遊ぶというより飲み込まれ、もて遊ばれてしまう
都会の人は、忙しい、あれこれ要らんことをやりたがる、とんでもないことをやっている人も多い
しかし、主体性はなく目の前に出てくるもの、あるものに手当たり次第飛びつく
そういうものに下手にハマると抜け出せない、麻薬患者のような人達か又は心身耗弱者になる

6.提言   人のやっていることは、どんどん嘘誤魔化し、無意味で無駄なことが増えていく  
若い時に都会暮らしをするのは認めないではないが、後半生は自然な暮らしに戻って欲しい
不自然な所に長年住むと不自然な生き方を一生続けないといけない、そんな人生は哀れだ
自然とは=都会の人が癒しを求めて行く、静かで、緑の多い、ゆったりした癒し場ではない
そんな人は田舎に来ても一日二日で飽きてしまう、都会からの一時的避難場所に過ぎない
山や田舎のことを、そのまま自然と思っているが、そうではない、田舎・山=自然ではない
自然というのは、自然に任すこと、それを田舎や山で身に着けることが出来るかもしれない

大きく分けると都会は不自然だらけ、田舎や山は自然の割合が飛躍的に多いということなのだ
自然とは自然に考え、自然に任せ、自然に従って行動することなのだと私は思うようになった
極端に言えば田舎や山で自然を身に着けてしまえば、何所に暮しても自然に生きられる
20年も山で暮した私でも都会に少し長く滞在すると、危うく引き込まれそうになる
都会では何だかんだと言って、あまりに多くの不自然が大手を振ってまかり通っているのだ
だから都会暮しの僧侶なんか9割9分信じてはならない

不自然一杯の都会で自然に生きろと言っても、そう簡単すっきりにはいかないのだ
私は”田舎や山に暮らす=自然”ではなく”自然に考え、振る舞う”ことだと認識している
そういうことは、私なりに一段階前進の姿だと思っている
自然とは作為の入らぬもの、作為しないこと、狼狽えない・足掻かない・悩まない・欲張らないこと
少しでも作為を入れたら、必ず不自然になる、頭の良いどんな偉い立派そうな人でも不自然になる


都会というのは、不自然さと不自然さの闘い、殺し合いなのだ、より強い不自然さが淘汰する
山暮しでは自然と争わない、争っても意味がない、自分が自然にならないと相手にしてくれない
誰が見ても、私自身が自然な人だと認識されることが大事なことだと思っている
都会の人はこてこて不自然の大海原を日々不自然という武器をかついで泳いでいる
だから、かなり立派な人でさえも、なんとなく麻薬常習者のような怪しさが漂い、残っている
麻薬を吸う麻薬患者であれば、どう足掻いても正常な状況にはなれないのと同じで

不自然な都会を日々生き抜いている人は不自然さから完全に抜け出せないのである
まず山暮らしで不自然な暮らしから脱出する、その上で思考も行動も自然に振る舞えるようになる
「自分の言動は自然か」と常に問えるのである、そして不自然になろうとした場合、是正が働く

追伸
そのうち徐々に、何も考えずに、常にどこでも、どんな状況でも自然に振る舞える自分になって来る
私は、最近、どんな人にも優しく、楽しく接するし、怒りや、不満を持たないように変わった
親や先輩の権威を振りかざして、子供にも厳しくあたったり、小言も言わない、穏やかに接している
一年に一回くらい怒ることもあるが、「怒ってやるべきだ」と心を鬼にするような事態の時しかない
一年中怒ってる、小言を言う、不平不満を言う都会人が案外多いが、よくよく考えれば不自然だ
世の中便利で進歩しているが、そこに不自然という大きな落とし穴が多く存在するようになる
周囲を見回してごらんなさい。昔はあり得なかった不自然なものがゴロゴロしている

例えば日本の医者や医療、投薬、手術などは機械的で、進歩に名を借りて、恐ろしいほど怪しげだ
過剰な検査・年齢に関係なく低すぎる一律な検査基準・安易な投薬・無暗な手術・・・怪しげだ
自分の大事な身体のことを、やぶ医者に丸投げでおまかせしてはいけません。
不自然なものを進歩と称して無制限に生み出すことは、この世を自然界でなくしている退歩なのだ
都会暮らしを長く続ける人は、不自然界に染まり、結果的に何も得られないことに気づいて欲しい

自然に生きない=不自然・不自由・不主体・不快・不幸・無駄・無理であり

昨年来、絵が大の苦手なので、断り続けて来た絵画教室についに参加することにしました
ベテランの大勢の女性に交じって50年ぶりに真剣に絵を描きました、やや恥ずかしかったですが
沈黙し集中しデッサンすることの素晴らしさを体感しました、絵の上手い下手はどうでもよろしい


これが題材魚、トビウオです
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

121.地球崩壊や人類破滅の確率は?(残念ですがそう遠くなく確実に崩壊します)

2007-11-13 09:58:58 | 環境
異常気象各種の異常現象などの地球環境問題や世界人口の急増、贅沢文化圏の拡大、温暖化の防止の行き詰まり、マネーゲーム、人間の堕落・・・・もうかつてない危機的な状況が出現しています。恐ろしいことに、ここに来て資本主義・自由主義の行き詰まりによる地球崩壊への道筋がかなりはっきり見えてきたのです。逆に、地球や人類再生の道筋は見えなくなる一方なんです。
ここ100年200年の世界は、世界のあちこちで大きな紛争はあったものの、まあ比較的平和な時代が続いてきたのです。ところがこの平和で豊かな時代への急速な移行が、皮肉にも、かつてないほど深刻な地球の崩壊・人類の破滅へと導きつつあるのです。
「小人閑居して不善をなす」平和が続くのもある意味考えものなんです。歴史上、平和が続いた後には、必ず末世のような時代がやってくるようです。
昔は朝から晩まで、とにかく忙しかったのです。つまらんことを考える暇なんか全くなかったのです。しかし平和が続くと男も女も暇になってあれこれやり出したのです。そして機械や自動機を作ると益々暇になりもっととんでもないことを考えたりやり出したのです。そして贅沢・怠惰・便利さという禁断の実をたらふく食べてしまったのです。平和⇒暇⇒不善⇒崩壊の道を突き進んできたのです。
こういうことは、今は専門家でなくても、一般市民は誰でも簡単に想像したり、理解できることだと思います。まあ確率的に言って100%地球崩壊・人類破滅は起きるだろうという感じになってきました。その期限も、せいぜい長くて50年、もっとかなり甘く見ても100年でしょう。

ところで宝くじを買う馬鹿者が世の中に沢山います。貴方には、宝くじは100%当たりません。
宝くじは1人の当たる人のために心の暖かい多くの人が寄付するというシステムなんですが、ひょっとして自分がもらえるかもしれないというあさましき・おぞましき妄想によって、浅はかな人間は、寄付する側に回ってしまうのです。
普通「かわいそうな人がいますから1億円出して下さい」と言ってもせいぜい集まるのは100万円200万円くらいのものです。ところが”宝くじ”という名前をつけるだけで、我も我もと喜んでお金を寄付する(捨てる)のですが、宝くじは、その人間の愚かさ弱点を利用(悪用)しているのです。宝くじは、超ハイリスク・超ローリターンの典型なんです。まあねずみ講よりひどい公営の詐欺行為・だまし行為なんです。
宝くじの1等当選確率は100万分の1~200万分の1なのです。じゃんけんで勝つ、さいころの出る目を一発で当てるのさえも案外困難なものです。宝くじは、1000人の学校を1000校集めた中から1人が選ばれる確率なんです。又は、サイコロを8回連続して同じ目を出す確率なんです。そんなものまあ100%無理なんです。起こりえないことなんです。嘘だと思うのであれば暇な人は、是非1日かけてやって見て下さい。

ある日新聞で、例えば名古屋で市民が暴力団に殺されましたというような記事が出ます。そういうことが自分の地域で起きる確率は千万分の1~百万分の1くらい、すなわち100%起きないと言ってもよいのですが、自分の地域にも起きるかもしれないと不安になるのが人間なのです。

本題に戻って、地球崩壊や人類破滅や大都市の巨大地震、食料危機、水不足、資源危機・・・は100%起きるのです。ところがそういう恐ろしいことが起きると考える人は、かなり少ないのです。

「起きて欲しくないこと=起きないこと」という子供じみた感情なんですね。非常に大矛盾な人間の感情なんです。
こういう矛盾する感情は人間には多いのです。例えば人殺ししたら自分が惨めになるのに前後の見境なく人殺しをしてしまうのです。戦争なんかも冷静に考えれば悪いことを知っていながら簡単に戦争をおっぱじめてしまうのです。大いなる矛盾ですよね。でも人間とはそんなもんなんです。若い人は、歳とる・やがて死ぬのは真実であるのに、歳とらない・死なないと信じているのです。結婚して愛に満ちたアマーイ日が永遠に続くと妄想するのです。大企業でも倒産するかもしれないということを疑わないのです。

・起きることを起きないと考える(妄想)
・起きないことを起きると考える(妄想)

人間っておかしな生き物、矛盾の多い生き物ですね。

人間はなぜ本物の幸せになれないのか?その原因はこういう矛盾するような行為を正しいように平気で勘違いすることなんです。

人は、
・良いことをやらない
・良くないことをやる

食べすぎを止めなさい・タバコを止めなさい・使い捨てを止めなさい・無駄を止めなさい・・・・・・多くの人間は止めないのです。それどころか、もっと食べ・もっと吸い・もっと使い捨てる・無駄をするのです。
地球環境問題は解決しません。理由はこのような人間の矛盾が多い行動パターンにあるのです。理屈ではなく、あさましきエゴの塊の人間どもの感情ですからすごく難しいのです。

・良いかどうかということは、理屈としては理解できているのです。
・しかし、真剣に・真面目にやろうとはしないのです。

この大いなる矛盾が地球や人類に更なるとどめをさす迄、滅ぼそう働いているのです。
「私は真面目だ」という貴方でさえも、地球や人類を滅ぼすのに日々相当程度、加担しているはずですよ。
地球や人類を滅ぼすのは、戦争ではなく、人間の妄想・妄念と誤解と甘さなんです。
人間はここで、かなり超真面目にならんといけません「糞真面目・糞謙虚にならんと」もういけません。
村上和隆の環境雑感
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

109.地球温暖化が深刻化しないうちに、山や寒冷地などへ疎開しなくてもよいのか?

2007-09-19 05:20:33 | 環境
「地球が温暖化している」
1.海や湖・川にはクラゲ・ハリセンボン・ヒトデ・アオサ・エイ・外来魚など・・・・・
2.山には鹿・猿・熊・ツボカビ・芯喰い虫・山ひる・立ち枯・鳥インフルエンザ・・・・・・・
http://www.meico.org/kankyou_dangi.html#芯喰い虫
3.都会にはドブねずみ・むく鳥・鳩・からす・すずめ蜂・インフルエンザ・ハシカ・・・・・・・・(例:ペスト・ノロウイルス・マラリア・黒死病・エイズ・はしか・黄熱病・日本脳炎・デング熱・ウエストナイル熱・その他数え切れないほど沢山)
4.洪水・台風・竜巻・山火事・旱魃・・・・・・・
それらの現象は、次々に表面化しているが、まだまだほんの序章=始まりに過ぎない、こんなものではない、まだまだ少なくとも10倍はひどくなるだろう。都会は地球温暖化に対して又は自然災害に対して万全で、かつ適切な場所なのだろうか?改めてそういうことを深く考え検証し直さなくて良いのでしょうか?

▲理論的に考えると、人間が「もう駄目だ、もう最後だ、神様仏様」と悲嘆にくれ絶望し、心の底から猛反省するまでは、地球温暖化の状況は悪化するでしょう。

多くの人々は悪化しているのは認識しているが、「これ以上悪化することはないだろう」「大したことはないだろう」とたかをくくっている。これこそが全ての崩壊の加速器なのです。「2倍・5倍・10倍とひどくなっていく」という厳しい認識を持つことは絶対にない。「原水爆禁止」と叫ぶが、アメリカや日本や世界各地で毎年「100発くらいの原水爆投下に匹敵する台風や洪水や旱魃や山火事」のような深刻な事態にはさほど声高に叫ぶことはない。地球温暖化によるもろもろの現象は、ある意味、”原水爆”のようなものですよ。

貴方はどうしますか?今住んでいる場所、例えば東京や大阪や名古屋みたいな場所に、そのまま住んでいて良いのですか?それとも、どうかしようとしていますか?それとも何か格別な予防策を考えていますか?
「座して死を待つ」地球温暖化を甘く見ていないですか?

地球温暖化の被害についての対処状況の質問に対して

①もしそうだとしても、何もしたくない
②そんなこと、どうでもいい、考えたくもない
③大変だが、寒冷地へ移住する

私は、正解は③だと思います。都会の悲劇的な状況の悪化は、もう阻止できないどころかどんどん加速していくでしょう。そうなれば個人は、自分の力で何とかせざるをえません。しかも手遅れでは意味がありません。場所の選定など早急に開始すべきだと思います。
多分、大方のお答えは①か②が圧倒的に大多数でしょう。まあ今何を言っても始まりませんがね。

地球温暖化についても、研究機関や科学者の決定的な見解が出る以前に、人間であれば、自分自身で調査・検討・想像しないといけない。

①害虫が大繁殖する
②熱帯の病原菌が大増殖する
③ある日突然、想像を超える猛暑や猛寒波に襲われる
④空調用の電力費用だけで収入が全部なくなる(温度が高いと空調が冷えなくなるそうです)
⑤熱帯生物が大繁殖する
⑥家に蟻・ダニ・黴が大繁殖する
⑦洪水や台風が増加する
⑧木喰い虫・芯喰い虫の大繁殖による木や野菜の枯れ死
⑨スズメ蜂など攻撃性昆虫の大繁殖
⑩ねずみなど、都会の食料廃棄物に動物が大繁殖
⑪年中暖かい都会に有害動物の大繁殖
⑫公共の場や鳥などで人間へ感染する有害ウイルスの大蔓延
⑬花粉・黄砂などが大量に飛来する

まあ熱帯で生活している人であればどうにかなるのですが、元々温帯の日本が急激に亜熱帯になっていくとなると、これはとんでもない事態が、無防備・無抵抗な都会を次々に襲ってきます。そしてその影響は加速度的に深刻化するはずです。

ダニ・蚊・蚤・アブラ虫・黴・ねずみ・鳩・蟻・むく鳥・カラス・・・・など、従来は種類も量も少なく、大きさもたいしたことはなかったし、人間にとっては害にもならなかったものが都会の極度の温暖化や夏の猛暑によってどんどん大増殖したり、巨大化していくのだ。
そういう危険な所に、今貴方は住んでいる、そして地球温暖化・猛暑等によって、年を追うごとに、かつてない厳しい環境に住むことを余儀なくされることになる。隙間を目張りし、窓を密閉しないと、部屋には蚊・蠅・蚤・蛾・バッタ・カメ虫・ダニ・アブラ虫・蟻がうようよ入ってくるかもしれないのだ。そういう感覚が都会の人にはない。
ウイルスなどの病気がはやり、その被害は、短期間に急拡大する危険を孕んでいるのです。
私などは気が小さいので、そういう近い将来を考えただけでも「ゾー」とします。

・ある日突然、南の空から黒い雲のように大量の昆虫が飛来する。
・突如ネズミが大増殖し都会に出現する
・アブラ虫が大増殖し家の中に入ってくる
・病原菌を持った蚊や蚤が突如繁殖する
・鳥が増殖し、ある日突如大量に死に、あちこちに散乱する
・・・・・・・・

人々は殺虫剤をやたらと振り撒く、都会は殺虫剤と殺動物剤で充満し、あれやこれやで、窓をあけられず、全ての家でクーラーを一日中ガンガンかけまくるのだ。洗濯物は家の中で乾かすことになる。自動車も走れなくなる。野菜や肉は害虫や細菌によって大きな被害にあい、食べ物も高騰し買えなくなる危険性があります。
都会の人にとって小さな虫や生き物は、もっとも苦手であり、弱点でもあるのです。とにかく生まれて何十年ほとんど付き合ったことはない。そんなものが急遽、家の周囲や家の中に増殖したら都会の人々は、防御もできず、気が動転しパニックになってしまうに違いないのです。
「格差社会がどうのこうの、田舎の人は気の毒だ」なんて言っていて良いのですか?そのうち寒冷地の田舎のほうが、ずーっと良いなんてことも十分あり得ることですよ。
とにかく、都会の人は、虫や黴や小動物とは縁がないものと思いこみ、またそういうものが大の苦手です。
都会で最悪の状況になった時に、都会の人々や役所はどうするのだろうか?地震・洪水・台風への備えや対応は、経験もあるから対応できるとしても想定外の小動物や昆虫には全く対応できない。アレヨアレヨという間に都会は大パニックになる。何億~何千億匹のねずみや蚊や蚤や鳥がある日突然想像をはるかに超えて増えたり飛来したとしたら、貴方はどうしますか?
ヒッチコックの不気味な映画が現実になる日が近づいているのです。都会住まいの貴方は、心の準備や備えはしていますか?

「そんなもの起きるわかがない」
「そんなもの起きても、どうってことない」
「そんなことは起きてから考えればいい」
「そんなの関係ねー/そんなの関係ねー」ですって?

「そうですか」「それならそれでいいんじゃないですか?」
はいお休みなさい。
http://www.meico.org/kankyou_dangi.html

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

104.京都伏見の事務所は死ぬほど暑い、よく我慢しているなー

2007-08-30 07:07:23 | 環境
28日、京都伏見の事務所から名古屋に出てきました。安曇川山中の涼しさの中で夏を過ごす私には、”地獄”である。クーラーの部屋や電車や建物に入ると明らかに天国に入るような感覚や錯覚に襲われる。「とにかく暑い!!」
娘に言わすと、「お父さん、今日は随分涼しいのよ」「お父さん、私今年はまだ、クーラー入れないで頑張っているのよ」だそうです。ガクーッ!。娘は、偉いというか?もう熱帯の土人になってしまったかのようだ?笑い事でなく、椰子の木の下で、壁の少ない原始的な茅葺の家に住み、腰蓑で裸足・裸で暮らさないといけないのかもしれない。
長年典型的な温帯に暮らしてきた日本民族が熱帯の環境に住むようになっているがライフスタイルは温帯のまま、数年後には、猛暑対策を政治家に要求する時代になりそうだ。昨今では熱帯では、逆にクーラー入れて温帯式に暮らしバリバリ仕事をするようになっているのだそうだが、日本は逆だ。
一日中クーラーを入れないで扇風機をかけっぱなしにしても、集中して仕事ができない状況では日本の夏の暮らしや効率は落ちるばかりである。
まあ石油の価格が上がり、電力の供給が日本人の生命線になりかねない。日本人を崩壊させるには、石油やウランの供給をストップすれば、国民全員熱中症になって絶命寸前になりかねない。
せっせと稼いだ金のかなりが夏のクーラー費用に消えてしまいかねない。夏の電力状況や電力代負担は、年々急激にひどくなっていくだろう
猛暑避難民の日本人が北海道北部や山の上に移動したり、クーラー避難集会所なんかに地域毎に全員避難し、様変わりな暮らしをしているなんてことになりかねない。
そろそろ日本人も熱帯のように、自然の作物を採取して食し、ダラダラと仕事をするという熱帯地域の暮らし方を身につけないと夏は熱中症で身体が弱ったり、死に至りかねない。
早く山の中に帰りたい、ここ数日は京都で猛暑との戦いを体験する。
ここ数日やや涼しいと言うが「都会の人はすでに猛暑・酷暑に耐える力をつけたかのようだ?」私には無理だ、そんな無理は身体に良くない。秋になってその悪影響が出てこなければ良いが?夏に体力を消耗して、秋になって涼しくなった途端、大量の葬式が出るなんてことになるかもしれない?むしろ熱中症の悪い影響は、秋口に出るということを認識しておかないといけない。
日本は自然災害の総合商社かも?
・地震国
・台風国
・猛暑国
・洪水国
・森林の木の立ち枯国
・がけ崩れ国
・短時間豪雨国
・火山国
・中国・韓国からの公害飛来国
・ドカ雪国
・害虫被害国
・外来生物被害国
・・・・・・・・
日本という国は、否応なしに、いろいろな面で深刻な変革の時期にさしかかっている。従来の感覚で、上辺を通り一遍になぞるようなことを、即刻止めなければ明日の日本はない。この際、基本から考え直し、真面目に改革をしていかなければならない。愚かで真心さえ無くした政治家や役人にまかせておくと、この国はどんどんジリ貧になっていく。「人は城・人は石垣・人は堀」なのだから。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

80.環境問題ではなく人間問題・文明問題ではないのか?

2007-03-07 09:10:01 | 環境
一体、文明の進歩というのは何のためにあるのでしょうか?
文明が進歩するということは一般にどのように認識されているのでしょうか?

驚くことに、歴史上の多くの文明は100%確実に滅亡している。その点、日本なんかは例外なのかもしれない。しかし現代ではその日本も例外ではなくなりつつあることを心配する。現実に世界に冠たる日本の良き文化や伝統も、悪しき文化の欧米化を早め、根こそぎ猛烈な勢いで破壊され続けている

文明の進歩・発展=
①素晴らしい
②人を幸せにする
③世の中が進歩する
④世の中の平和に貢献する
⑤豊かになる
⑥便利になる
⑦経済が発展する
⑧人類が進歩する
⑨健康になる
⑩心にゆとりができる
⑪次世代に良いものが引き継がれる
⑫和み・快活になり・世の中が明るくなる

人間は、一見よさそうなものや、自分にとって心地良い物事を無批判に良いものと認識してしまう悪癖がある。
・「美人は素晴らしい」
・「真面目な人は信用できる」
・「坊主や警察官は偉い」
・「頑張ることはいい」
・「忙しいということは働いている」
・・・・・・・・・・・・
こういう安易に認識してしまうことを一般に『認識の関』と呼んでいますが、
人間は、「認識間違い=安易に誤解する生き物」なのです。
薬でも大量に飲めば死ぬ。食事を大量にとれば肥満になり成人病になる・・・・・・何でも行き過ぎると、いいどころか、むしろとんでもない害悪になることは承知しているのですが、物事は一本調子の発展を許さない、行き過ぎれば、ブレーキがかかるというように常にバランスをとるのです。
自動車の場合を考えてみますと、スピードを出し過ぎれば、そのブレーキは急ブレーキになり大事故の原因になるのです。特に急ブレーキの場所やタイミングを間違えば100%確実にスリップ・転覆横転・するのです。
ブレーキは早めに踏むのが鉄則ですが、スピ-ド狂は急ブレーキのスリルをむしろ好み事故を起こす。
ところが、文明の話になると「文明の進歩は、どうもブレーキをかけなくていい」「否、文明の進歩はブレーキをかけてはならない」というような間違った認識がある。

・何事も作用あれば反作用あり
・過ぎたるは及ばざるがごとし
・禍福はあざなえる縄のごとし
・奢る平家は久しからず
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『であって文明の進歩=考えるまでもなく良いことだ』
ではないことはこの数十年の日本が証明してきた。

良いはずの文明の進歩が何故こんな結果をまねいたのだろうか、真剣に考えてみたことがありますか?霊長類である多くの人間が良かれと思ってやってきたことが、逆の結果になるなんて「しんじられなーい」のだが、
人間の思いと逆の結果になる「文明の進歩」について何も考えず・是正策もとらず、否むしろもっと文明の進歩をして何とかしようとしているのだ。更に更にしんじられなーい。

 ・文明の進歩のあるべき規準を設定しないで無闇に文明を進歩させてもいいのだろうか?(文明進歩規制法ってとこかな?)
 ・文明の進歩は、地球や人類を取り返しのできない事態に陥らせてしまわないのか?
 ・文明の進歩に限度を決めないといけないのではないか?
 ・「何をやっても文明の進歩だからいい」という考えは、はたして正しいのか?
 ・生れながらに高度な文明を与えられた人は、それで当り前になってしまわないか?
  (当り前なんかではないのに、お金持ちの家に生まれた子供が「自分は金持ちで偉いんだ」と勝手に思い込むのと似ている)
 ・文明が肥大化し、維持できなくはならないのか?
 ・文明の進歩によって、人間の精神は正常に維持できるのか?
 ・文明の進歩によって、人間の肉体は正常に維持できるのか?
 ・文明の進歩によって、地球や自然は正常に維持できるのか?

そういう根本的な問題はそっちのけで、未だにその失敗を反省すらしないで、文明の進歩を礼賛している。何の疑問も不安も抱かない。
だが待てよ、「そんなんでいいのだろうか?」確かに昔人口も少なく、人々の生活水準が極めて低い時代であれば、さほど問題にはならなかっただろう。しかし物事は行き過ぎる限界というのがある。超えてはならない限度というものがあるのだ。
法律ではそういう限界や限度を設定して制定・公布・取り締まっているのだ。
・自動車は60km以上の速度を出してはいけません
・騒音は50db以上ではいけません
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし肝心な文明の進歩というものには規制値がないのだ。そういうことに人間はまだ気づいていない。個々の事案について問題にはするが、根本のことについての規制・抑制・阻止・禁止ができていない。
法律において大事なことは個々の法律ではなく、その元になる憲法なんです。ところが憲法というものの重要性についての認識が欠落している。平和とか最低の暮らしとか教育を受ける権利なんてことの決まりはあるが、「文明の進歩や経済発展を抑制しろ」なんて憲法がないのだ。それでいいのだろうか?
「憲法は守る・改正する」なんて議論でなはく憲法が時代にあったものかを常時検証して行くことが大切なんです。
私は憲法の更に前に理念というものを制定すべきだとも思う。誰も否定も反対もできない「国民の継続的な平和や暮らしの維持の根本」となる根本理念が大切なんです。
その憲法に、そろそろ文明の進歩の抑制ということが一つあってしかるべきではないかと思うのです。
しかし多分100%そういうことは不可能であり、日本も、悪しき欧米化に飲み込まれ、崩壊していく運命なんでしょうね。もう「どうにも止まらない」のであります。
http://www.meico.org/p14.html
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

78.地球環境崩壊は、確実かつ急速に悪化していくが、一体誰が真剣に取組むのか?

2007-02-23 22:19:40 | 環境
地球環境問題は、最近いろいろな具体的な悲惨な異常現象の進行によって世界中の人々も、やっと少しは危機感や地球環境問題の重要性の認識が高まってきたように思います。
何事も切羽詰らないと人間の意識は高まらないようです。
「実際に問題になってから、やるでは犬畜生以下」じゃないですか。
地球環境問題は重要な問題だと言いだしたのは、かなり昔のこと1970年前後でしょうか。その後日本では、公害問題などは飛躍的に改善される一方で、年を追って地球環境問題の深刻さは大きくなっていくばかりです。
その結果、洪水・旱魃・暴風・竜巻・不漁・生態系の変化・気候の変動・大雪・暖冬・猛暑・氷河の融解・黄砂・砂漠化・難病奇病・生物の異常繁殖・・・・・がこれでもかこれでもかと、自然の神様からつきつけられている。もう手遅れではないか?
しかしこれだけつきつけられても、ノーテンキな人間はまだ懲りるどころか、
①エアコン使うのは当たり前
②自家用自動車乗るのは当たり前
③天井一杯にまた夜の夜中に無駄な照明つけるのは当たり前
④エレベーター・エスカレーター使うのは当たり前
⑤電気製品使い放題も当たり前
⑥レジ袋貰うのは当たり前
⑦過剰包装当たり前
⑧食べ物残すのは当たり前
⑨ごみとして捨てるのは当たり前
⑩ガスや水を無駄使いするのは当たり前
⑪つまらんイベントや祭りや宴会・大会・・・をするのは当たり前
⑫手当たり次第印刷物にするのは当たり前
⑬コピーするのは当たり前
⑭夏にネクタイ・背広着るのは当たり前
⑮経済成長は当たり前
⑯寒くない地方でも冬の暖房は当たり前
⑰使い捨て次から次に新しいものを買い換えるのは当たり前
⑱都会集中・田舎の過疎化は当たり前
⑲戦争するのは当たり前
⑳軍備増強にお金や努力をするのは当たり前
「環境改善しましょう」と提案しようもんなら、90%の人は抵抗勢力と化し、大反対・猛反対の大合唱だ。小泉さんじゃないが、こいつら自身をぶっ壊さないと駄目なようだ。
第二次大戦後は、物資欠乏もあって、私の小さい頃には物を大事に使うことを嫌というほどやってきました。自動車や電気やレジ袋なんかほとんど使いませんでした。しかしそういう時代に育った人々さえも、この重大な地球環境問題の局面において環境にやさしい行動を完全に忘れ去っており、真剣な行動を起こそうとしている人はごく僅かです。
ましてや、私達のように徹底した節約とか修理とか再使用などということを知りもしないしやったこともない若者達にとってはそんな時代に戻るなんてことは不可能と言わざるをえない。そうであれば、地球環境問題への真剣な対応は、我々古い世代が生きている今すぐに着手しておかないと益々手遅れになる。
最近日本は不景気だという。だから経済発展が必要だという。(愚か者めが!)
そうではないでしょ。「不景気・収入が少ない・高齢化・小子化」結構じゃないですか。不景気・収入が少なくても、質素な暮らしでも、楽しくゆとりをもって生きていける皆が協力し支え会う国づくりこそが今求められていることではありませんか?安倍さん、それこそが美しい国ではないのですか?あんたは逆のことをやろうとしていませんか?
絶好のチャンスじゃないですか?ところが安倍首相や大臣や多くの知識層も相変わらず経済発展を前提とした改革を提唱する。
資源も化石燃料もない日本ですから、節約・倹約なんてことは一旦やると決めれば、簡単なことで一昔前に戻りさえすればいいのです。地球が崩壊する日のことを思えば、資源や化石燃料の大幅節減なんかわけもないことです。エアコンや自家用自動車などを年を決めてその日から一斉に止めればいいんです。どちみちそういう事態はいつか(あと30~70年か?)必ずやってくるのですから、早くやっておくことです。そういうことは歴史が嫌というほど教えてくれていませんか?日本から自家用自動車がなくなったら昔のように、道路はスイスイ、随分すっきりしますよ。
今は、もう環境破壊阻止に間に合うぎりぎりの段階なんです。しかもその削減は最低でも50%というとてつもないものなんです。
かつて堺谷太一氏がいったように「トウーリトル・トウレイト」であれば、確実に地球は崩壊を加速していくんです。
砂上の楼閣のように、頼りない砂でも砂があるうちはどうにかこうにか建っているのですが、砂が崩れ出せば、その上の楼閣がアッと言う間に倒壊するのは、しごく当たり前のことなんです。
南極や北極の氷河が溶ける様を見るにつけ、氷河が崩れることは、その上に建っている人間の暮らしが砂上の楼閣のように一挙に崩壊する姿を想像するのです。
しかし不思議と世界規模のこういう大きな問題がかつてなかったせいか、世界全体のことだから自分のこと、自分の国のことと意識できなくなっているのです。これは単に錯覚なんです。もし自分一人が大変な状況になるとか自分一人が死の危険に遭遇するという場合は、当事者は大騒ぎするのですが、世界全体の問題となると、なぜか態度が大きくなって「どうせ世界が全部駄目になるんだ、その時は俺も潔く死ぬ」なんて言う感覚の人が圧倒的に多いのです。
次のようなことを言う人がおられます。「地球環境問題は重大問題ですから、多くの人が関心も持っているはずです」と。しかし大きな間違いです。これだけテレビ・新聞や週刊誌でも騒がれているのに「地球環境問題に本当の意味で関心を持っているのはせいぜい10%なんだ」そうです。
地球環境問題だけでなく、何事によらず大きな問題でも関心を持つ人の割合というものは、10%以上になることはないそうです。これだけ駄目政治家や役人が多いから多くの人は選挙に関心を持ち選挙に行くだろうと考えていると、政治に大きな関心を持っている人は、同様にせいぜい10%以下なんだそうです。だからその証拠に投票率は、むしろどんどん下がって行くじゃありませんか。
物事というのは、かなり身近に迫ってくるまでは、せめて10%以下の関心を持つ人によってのみ支えられる運命を持っているものらしいのです。
もしこれが10%を超えるようでしたら、環境問題の対策もズンズン進むのですが、そういうことは理論的にも現実的にもないらしいのです。
そういえば通常時において、会社でも真面目に真剣に会社の経営のことを考えて仕事をしている社員というのもせいぜい10%未満でしたね。会社が人員整理とか倒産だとなってからやっと多くの社員が真剣に経営のことを心配するのです。
もし10%以上の社員が通常時に経営に関心を持ち仕事をしている会社があったとしたら、それは相当に凄い立派な会社なはずですよ。
100人の集団・1000人の集団~1億人の集団、大きくても小さくても真剣な人間は、せいぜい10%以下という法則があるから地球環境問題対策も進展は期待できそうもないですね。世の中というものは進歩すれば進歩するだけ、同じようにして最後は堕落していくもののようです。
1) http://www.meico.org/kankyoukaizen.html
2) http://www.meico.org/kankyouhousin.html
3) http://www.meico.org/kankyoudoukou1.pdf
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

65.チラシやダイレクトメイルは家庭の郵便箱への不法投棄だ

2006-12-16 09:23:17 | 環境
まあ毎日・毎週、なぜこんなに多くのゴミが出るのか?そしてどうしてそういうことを放置するのか?ごみを減らしたいのだが、チラシやDMや容器等のごみをどんどん供給されては、減らすのも限界だ。
環境省というのができたが、本質的なことはほとんど機能していない、奇麗事ばかりで、やることが遅い。環境省も、他の多くの役人同様に、やはり自分達の利益だけで仕事をする一団としか見えない。ゴミについてももっと減量・減容に結びつく抜本的な施策をどしどしやらないといけない。ゴミ減らし・地球環境を救うのは、環境省の腕次第なんです。
日々皆様のご家庭で大量のゴミが出ますよね、多分定常的に出るごみの多くは次のようなものでしょう。
①折り込みチラシ(問題あり)
②ダイレクトメール(問題あり)
③食料や生活用品の容器(問題あり)
④本・雑誌(問題あり)
⑤役所からの通達(役所はもっと率先して削減すべきだ)
⑥ダンボール
⑦生ごみ
⑧鼻紙など
⑨その他資料
⑩新聞
⑪空き缶
⑫ペットボトル
これらの中で分別回収されリサイクルされていないものは、

①折り込みチラシ(問題あり)
②ダイレクトメール(問題あり)
③食料や生活用品の容器(問題あり)
④本・雑誌(問題あり)
⑤役所からの通達(役所はもっと率先して削減すべきだ)

これらは受け取り拒否もできない。勝手にというか否応なしに、家庭に勝手に配布され、持ち込まれるチラシ広告類なんてほとんど95%くらい見られず捨てられるか結果的に役立たない。ちなみに私の場合もほぼ99.9%すぐに捨てるだけだ。

「チラシ配布・ダイレクトメイルは不法投棄」だ!!

「チラシ配布・ダイレクトメイル規制法」を早急に制定すべきだ。

勝手に了解なく郵便箱にチラシやDMを”といった不法投棄するのを許していいのか?ごみは不法投棄すると処罰されますが、勝手に放り込むチラシやDMなどは処罰されない。許可してないし、要らないのに勝手にごみを配るヤカラを許していいのか?
DM:ダイレクトメイルやチラシの勝手な投函を禁止する法律ができれば、確実にかなり家庭ゴミは減るはずです。
またスーパーの容器も材質及び色を透明か白に統一すれば100%リサイクルにまわすことが可能です。容器包装リサイクル法も、業者は顧客が持ち込む使用済みの容器包装を100%回収することを義務付けるべきです。そうすればごみになる廃棄物は半分になりますよ。

チラシや役所の広報をはじめ新聞や郵便物も、もっとテレビやインターネットから電子文書による配信を積極的に進めるべきです。何年までにという期限をつけて電子文書化を義務付けるべきです。
年賀はがきも積極的に抑制を働きかけるべきです。私はもう5年前から年賀はがきをEメイルに切り替えている。しかし、何度言っても相変わらず年賀はがきで送ってくる人は10%くらい存在する。しかたなくその分、意味のない年賀はがきを出すはめになる。その人達の年賀はがきは、なぜか大半が「おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」という無用・無駄なものなのです。わざわざ葉書でもらうようなものではない。
役所の広報もコンパクトにし、モノクロ裏表1頁A4という基準を作り、詳細はインターネットや電話問い合わせとすべきですよ。
環境省も個人ももっとごみ削減(結果的には温暖化防止・資源の枯渇防止・森林保護につながる)を深く意識して真剣に取り組み、当然のようにやってきた悪習慣をなくしていかなければなりません。スーパーも買い物袋のポリ袋を早急に有料化すべきですし、又は無料で渡しているスーパー名を公表すべきです。そうしてここ50年くらいに当り前になってしまった悪習慣をぬぐうべきではないのでしょうか?
こういう無駄や迷惑なことは、一刻も早くやらないと、加速する地球崩壊を食い止めることはできません。
地球環境が崩壊寸前なのですから、こういう真面目なことを簡単なことから、どんどん政治家や環境省の役人も考え・行動してほしい。(”必要なことはすぐやる課”的な発想ですね)頭が良いというより、悪賢い無能な穀つぶし政治家や役人は、税金の無駄使いはうまいが、望ましい結果を出すのが極めて下手ですね。困ったことです。
郵便は受け取り拒否できます
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sayopee/post/intro13.html


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

61.地球環境はあと何年大丈夫なのか?2050年までに地球は崩壊するだろうという人も多い

2006-11-19 21:54:28 | 環境
各国が集まって、さんざ「あーでもない・こーでもない」地球温暖化の削減目標を検討したはずなのに、一向に削減目標の完全達成はできなっかたどころか、むしろ悪化しているのです。そして目標設定に加わらなかった国の温暖化ガスは当然のように増え続けているのです。日本でも目標は設定したものの、その監視測定や監査やフォローはほとんどできていません。罰則がないのですから、目標は掲げてもあとは、お天気次第みたいな感じなんです。まあ実は「本気でやる気なんかない」といったところなんです。
駐車禁止のように、なかなか守られなければ、「駐車しただけで即座に違反とする」と同様な厳しい罰則みたいなものを決めるべきなんですが、これが案外かなり難しいことなんです。ということは「どんな環境負荷削減策も、所詮、絵に描いた餅」でしかないのです。世界中が一斉に自由主義・物質主義を捨てる覚悟をし、環境主義に切り替えでもしない限り、まず不可能でしょう。
「世の辞書に不可能という文字がある、それは環境負荷の削減についてである」村上和隆
みたいな感じでしょうか?
まあ核の廃絶すらできない世界がそんなことできるわけがないのです。「末期癌の患者にタバコ止めろ・酒も止めろ」と言えば大抵の患者は即座に止めるでしょうが、中には「どっちみち駄目ならば、むしろ思い切り”タバコを吸い・酒もあびるほどの飲みたい”なんて人も多いのだろうと思います。癌の場合と違うことは、その害が、自分本人より、子孫に大きく及ぶことなんです。

私のホームペイジにいろいろ具体的なことが掲載されている頁がありますのでご覧下さい。
参考「環境保全の重大性と現況」
http://www.meico.org/kankyoudoukou.pdfある人がこっそり言っていました、一つだけ解決策がある、でも良心のある人間としては口が裂けても言えない。というのです。それは、大戦争や大災害や大飢饉や感染性の病気による大量死だそうです。今残された解決策はそれだけだというのです。人間はそろそろ末期癌の患者のようにそういうことを覚悟しないといけないのだそうです。しかしそんな事態というのは、死ぬ人だけでなく運良く生き残った人々にとっても相当悲惨かつ過酷な地獄絵になることは間違いありません。
人にも生老病死があるすれば地球や人類にも生老病死があり得るのです。

さて、環境問題にどう取り組むべきか?少なくともこんな中途半端なやり方では2050年又は甘く見ても2100年地球崩壊は避けることはできないでしょう。
①世界の大学や研究機関のあらゆる研究を環境に関するものに限定する
②環境負荷を増やす企業には世界中で、大幅な環境税を課す
③世界中で環境主義を鮮明に打ち出す
④先進国は即刻経済活動を半減する
⑤必要な環境対策の世界基金を創設する
⑥世界基金に先進国は国家予算の20%を拠出する
⑦軍備は国連軍として統合し各国の軍備は80%削減する
⑧世界中の紛争は一斉に無期限で中止する
⑨もし紛争を1年以内に中止しない場合は大きな制裁を課す
⑩世界基準を設定し、10~100%の環境税をかける
⑪環境負荷を削減した場合は環境税に配慮する
⑫一般市民は「もったいない」「有難い」の精神で節約に努める、贅沢品はランクに応じて消費税を課す

その他沢山あるでしょうが、この際末期の地球を救済するための案を早急に国連などで検討し早い時期にコンセンサスをとらないと文字通り余命何年を宣告する事態になることでしょう。それほど地球環境の状況は、日々急速に深刻なものになっています。
地球環境問題等こういうことに関して日本は先鞭をつけても結果的にそのうち、いつの間に他国に大きくイニシアチブをとられてしまうことが多いのです。例えばスポーツの場合でも、バレーボールや相撲や柔道や水泳や体操やマラソンでも、かつての栄光はなく、現在後塵を拝しているのです。環境問題もこれまで日本はかなりリードしてきたはずですが、どうも環境問題でもそういうことに甘んじてしまい。環境先進国を更に強力に推し進めようという信念や気運がありません。
ところがマスコミの論調は、「日本は環境先進国である」といったものです。
そんな自惚れは、きれいさっぱり即刻拭い捨て、世界を更に大きくリードするような鮮明な地球環境保全方針や理念を国家百年の大計として掲げるべき時なんですが、最近どうも欧州などに遅れをとっていくような気がしています。かつての家電製品のようにスペックは日本が決めるというような勢いが必要なんですがね。残念です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする