村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

465.田舎と都会の違い当たり前だが、その意味が分かってない

2018-10-25 21:06:47 | 暮らし
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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出来た・出来ます
テーマ:田舎と都会の違い当たり前だが、その意味が分かってない

日本人は特に理由がなければ日本に住み続ける
男(女)は特に理由がなければ男(女)であり続ける
関東人は特に理由がなければ関東に住み続ける
善人(悪人)は特に理由がなければ善人(悪人)を続ける
芸術家は特に理由がなければ芸術家を続ける

とにかく続けたがる、続けるのが無駄な場合であっても続けようとする
続けるのが素晴らしいこと、良いことと頭ごなしに思い込んでいる
他人を観ていて、私が思うのだが、やめたほうがよいことが多いのだ
例えば、男の老人の場合、床屋に行く、新聞をとる、固定電話、自動車、
    昔の友人、都会の友人、便利すぎ、あまりに多い店、旅行観光
    怒る、過剰意識、都会、観光地、多すぎる政治家役人、過大な国家予算
    オリンピック、儲け目的のスポーツ競技、グルメ、過大な文化財保護、
    超高速輸送機関、過剰な化粧や衣装、電子ゲーム、過剰な健康保険
    都会の高層ビル群、都会の課題なインフラや箱物、過大な介護施設

すなわち、人間は改善や変革より、基本的に同じ状況を続けてしまう
なぜかと言うと、樂だから、安全だから、楽しいから、快適だから・・・・
長年続けて来たことをある日突然に変革し、その変革を維持することは難しい

私が昨年60年ぶりに超苦手な水彩画を一年やって、すごく楽しかったので
次々に他人に勧めたが一人として私の誘いに乗る人はいなかった
偶然でもよい、何となくでもよい、とにかく変革を断行すべきなのだが
今日は、都会の人が田舎に移り住まない現代の日本人の傾向について話をしたい
難しいことなので、話を分かり易くするために歯磨きを例に解説していきます。

・話はそれるが私は歯の悪い人に「歯を磨いてはならない」と言うのですが
 こういうことを正しく理解できる人は少ない
・同様に都会しか住むのは嫌という人に「都会に暮らしてはならない」
 と言うのですが、こういうことを正しく理解できる人は少ない
 多分全く理解できないと思っています。
 歯を磨いていれば虫歯・歯周病にはならないと安易に考えている人が多い
 現実に歯をきちんと磨いていそうな人でも歯周病は多いのだそうだ
 同様に都会に暮らし続けているのが最も良いと安易に考えている人も多い

「歯を磨いています」「一生懸命磨いています」それこそが問題の震源地なのだ
「歯磨きしましょう」という言葉も実は可笑しい。「歯の総合的手入」が正しい
歯磨きは、歯の総合的手入のほんの一部に過ぎない

多くの人は歯を磨くという本当の意味を知らない。嘘だと言うならば質問してみて下さい
厳格に観察すると、歯ブラシに歯磨きつけ1~2分、歯を磨く真似をしているだけ
しかも、朝起きた時だけ磨くなんて人も案外多いのにはびっくりします。
恰好だけでも歯を磨きさえすれば、歯磨きしていると錯覚するのだ

よく便所で用を足して水道の水に手をちょっと濡らす程度で出て来る人を見かける
彼らは水道の水がかかれば手を洗ったと信じ切っているが、綺麗にはなってない
是非とも見せかけの嘘誤魔化しの行為は止めて、正しいやり方を実践して欲しい

私もかつて親から朝起きた時に一日一回磨くように習慣付けられ、
その結果若い時に多くの虫歯を作ってしまった苦い経験がある
正しくは一日四回
私は歯及び口の中全体の虫歯菌や食べかすを除去している
そのために歯ブラシだけでなく各種の道具を使っている
歯ブラシ一本で虫歯や歯槽膿漏は防止できるかというと、真っ赤なウソ
「歯を磨く」でなく「歯と口中を総合的に手入する」が正しい

多くの人の口の中はひどく不衛生というのが実態だそうだ。
一体何のために歯を磨くのか?というと歯や口中の虫歯菌や食べかす、歯垢の除去

現実に私も歯ブラシで歯は磨くがそれだけでは歯のカスや汚れは取れてない
私は、
 ①水でうがい
 ②プラスチックの専用楊枝2種類
 ③毎食後歯磨き(毎食後計3回)
 ④歯磨き粉(普通の歯磨き粉2種類)
 ⑤電動歯ブラシ(普通の標準歯ブラシ)
 ⑥電動歯ブラシ(先端の尖った歯ブラシ)
 ⑦歯間ブラシ
 ⑧舌の舌苔を柔らかいブラシで除去
 ⑨寝る前にも入念に歯磨き
 ⑩歯磨き粉(機能性能の高い歯磨き粉1種類)就寝前に用いる
 ⑪金属の歯垢取り器
 ⑫間食は絶対にしない、水以外、食間に一切飲食しない
 ⑬歯磨きをしてすぐにうがいせずに歯磨きが歯についた状態で
  10分以上そのままをキープし、後でうがいする
 ⑭風呂に入った時は湯舟につかりながら歯を湯々丁寧に磨く
 ⑮常時口に唾液を満たすことも大事なこと
 ⑯寝てから、口が乾いていたら、起きて寝床でウガイする
 ⑰甘い菓子・果物・ジュース、酸っぱいものを食べたら必ず、すぐに歯の手入れを

これだけやって初めて歯をきちんと綺麗に維持することが出来る
多くの人が歯をおざなりに磨いているのを観ると歯を磨いてはいるが
汚れやカスはかなり残っている。それにも拘らず「きちんと磨いた」と勘違いしている
すなわち歯を綺麗に維持すること=歯磨きと勘違いしているのだ


分かりやすくするために、歯磨きの例を述べたが何事にも言えること
すなわち物事を表面的にとらえているために本来望ましいはずのことが
問題だらけのまま放置されているということになるということ

都会に暮らす人は、自分が暮らしやすい場所に惰性で暮らしているだけ
この世に生まれて、惰性でとか、しかたないからとか、便利だからと
当たり前のように、都会に暮らしているのは実に悲しいことである
分かりますか?分からないでしょうね、これが分かれば人生の根本が解決する

問題が解決しない人をよくよく観察すると、表面的や部分的なことに拘る
目先のことに囚われ過ぎているのです。”捕らわれる”が問題の根源なのだ
しっかり自分で根本を把握し、調査し、考え、試行し、改善を重ね、
 冷静に評価し、真に正しいやり方を確定し、実行することだ。
よく私が言うことは、「貴方のやり方は全く効果がありません。全く逆効果です」
と言うのですが理解してくれないことが多い。

「俺は、考えている・真剣にやっている」「何も問題はない」の一点張り
一生懸命やってはいると言うが、現実は全くきちんと出来てはいない。
投げやり、どうでもいい、何とかなる的な人だらけだ。
私に言わせれば、非常に的外れ。真剣にやっていても、的に当たらなければ何もならない。

私は最近はどんな人とも付き合いますが、正直なところを言うと
 都会暮らし+大工ができない+自分を棄てない人=付き合いたくない人
 良かれと、お嬢・坊っちゃんタイプの人と結婚してつらい人生を歩む人は多い
都会育ちは、即ちお嬢・坊っちゃんなのだ、何でも他人に頼り、何も出来ない、
大して努力せずに、便利さや楽なことだけを追い求める、文句も多い我儘になる
残念ながらこれに合致するタイプの人は多い、一言で言うと【依存型・我まま型】
大工が出来ない人というのは、大工仕事は本来家事同様誰でも普通にできるはずなのだ
ところが現代人特と都会人は、大工しなくて当たり前と思いこんでいる
楽なほうに自分を甘やかす人である証拠であって、ちょっとした家の修理くらいは
自分でやろうとしないことは、すでに山暮らしや田舎暮らしも出来ない

悩みが多い、苦しい、困っている、生き甲斐がない、つらい、と言う場合
貴方自身の行動原理を原点基本に戻って物事を見直しすることだ。
多くの悩み苦しむ人のいけないことは原点基本に戻らないことにある。

さて田舎暮らしに話を戻すと、
都会暮らしの人も同様に、暮らし=都会暮らしと勘違いしている
東京や大阪や名古屋や京都に暮らす人はそこでの暮らしこそ、暮しなのだ
私は、そういう暮らしは暮らしとは言わない、あえて言うと暗死(クラシ)だ
東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀の山中⇒滋賀の田舎と移り住んだ私にはそれがハッキリ分かる
都会の人が私の住む田舎や山に来ると、そのことが嫌というほど分かるのだ

私に言わせればそれらの多くの都会暮らし人=視野が狭い、偏っている、浅い
更に言うならば、間違った暮らしを=本物の暮らしだと勘違いしている
私には都会の人は実につまらない、魅力のない、人達なのだ
都会の人に言わすと、「田舎や山の暮らしは面白く魅力がない」と言うのだが
頭の中に、田舎暮らしや山暮らしや地方暮らしは全く存在してない、だから
田舎からどんどん人が減っていく。依存型・我まま型のお嬢・お坊ちゃん化

 私が東京から大阪に来たのも
 大坂から京都に移ったのも
 大企業から零細企業に転職したのも
 更にベンチャー企業に転職したのも
 経営コンサルタントを自営したのも
 滋賀の山に暮らしたのも
 滋賀の町に降りて終の棲家にしたのも

本物の出家とは、ほど遠いが、私は、一つのミニ出家であったと信じている
そのミニ出家を数回繰り返してきてやっと不惑・知命・耳順・従心
の自分に近づけたと思う。正に孔子の論語の境地の実践であろうか
 住む場所は人生を大きく左右する
  充実した人生を送るには樂や便利さを求め過ぎてはならない

都会暮らしを捨て山暮らしなり田舎暮らしをすることも一つの出家だと思う
生まれ故郷を捨てるのも、長年勤めた会社を捨てるのも、出家の一つだと思う
それさえも出来ない、そんな心の狭い人を、私は心の底から可哀そうでしかたない
何故、今の境遇に居座るのか、座して死を待つのか、苦手に挑戦しないのか

「田舎と都会の分かり易い違い」を簡単に列挙してみる

 ①田舎は一戸建て、都会はビル
 ②田舎は自動車、都会は電車
 ③田舎は自然、都会は人工物
 ④田舎は作業中心、都会は座るか歩く中心
 ⑤田舎は自給自足自力、都会は買う
 ⑥田舎は人口過少、都会は過密
 ⑦田舎は土、都会はアスファルトやコンクリート
 ⑧田舎は道がすいている、都会は混雑、雑踏
 ⑨田舎は家や土地が広い、都会は家が狭い土地は少ない
 ⑩田舎は庭あり、都会は庭なし
 ⑪田舎は静か、都会は煩い
 ⑫田舎は店が少ない、都会は店が多い
 ⑬田舎は速い、都会は遅くゆったり
 ⑭田舎は緑、都会は灰色
 ⑮田舎は地面、都会は空中
 ⑯田舎は肉体作業、都会は頭脳仕事や理屈
 ⑰田舎は虫や獣、都会は人だけ
 ⑱田舎は追従、都会は先端
 ⑲田舎はゆったり、都会はストレス
 ⑳田舎は広い、都会は狭い

20項目を書き出したが都会の皆様の感想はどうだろうか?
多分、田舎は嫌、都会にそのまま暮らしていたい、それだけだと想像する
「嫌なものは嫌」「必要がない」「今十分幸せ」と言い切るだけ
私がこのような話を何度やっても、一向に都会の人の反応はない
政府のやる地方再生はそういう意味で多分成功しない、
私のもっとも嫌いな”地方の都会化”が進むだけ
私に言わせれば人間の根本的かつ重要な問題であるが、
環境問題同様、意気込みとは逆の悪い方向に進んでしまうのだ

例えば
  人が多いことは致命的な欠陥であるし
  庭も空地もない、ゆったりできないことも致命的な欠陥である
  便利なことさえ致命的な欠陥である
  道路の混雑も致命的な欠陥である
  そんな致命的な欠陥だらけの都会で我慢強く生きている
  なぜそんなに我慢強く都会に住む必要があるのだろうか?

それと都会の空き家問題だが、もっと空地を増やすべきで空地奨励策をすべきだ
昔は東京や大阪も空地が多かった、空地はいろいろな可能性を提供するのだ
多分都会人は「確かに良い点だが、それ以外に何倍も良いところが都会にある」
とでも言いたいのだろう

どうも都会の人には、
田舎と都会の違いを「まあ、田舎と都会が違うよねー」「都会が断然良いに決まっている」
「時々は行きたいだけ」「暮らすの御免」「田舎ってダサい」・・・
くらいしか分かってない。まるで子供なんだ、もっと大人になれないのかなー?
何が、どう、違うのかその根底に流れる、ふかーい意味合いを理解できていない
分かっていそうで実はまるで分かってないのだ

 ・苦しみ悩みのある人に言う「悩み・苦しみから逃げるのではなく、付き合うこと
    ・味わうこと」
 ・不便を避ける人に言う「不便を避けずに、不便を愛すること抵抗感をなくすこと」
 ・山や田舎が苦手な人に言う「山や田舎を頭ごなしに毛嫌いせずに、住んでみること」
 ・腰痛の人に言う「腰が痛い・痛いと言わず、思わずに腰痛でも身体動かすこと」
 ・人との会話が苦手な人に言う「誰とも会話し、相手の好む話題を投げかける事」

そう言う私もまだあまり分かっていないのだろうが、少なくとも私のように
10年くらい山暮らしをしてほしいものだが、それすらやりたがらない人ばかり
挙句の果てに「限界集落なんて烙印を押す」そんな判子要りません

何事についても言えるが、口先だけで結論を出すのは最低、やった上で結論出せ

東京人の私が京都に住んだ時も20年以上の京都暮しを体験し、京都を知った
彼女いない期間20年とか闘病20年とか口下手20年なども貴重な体験だ
そんな体験があって人は、問題の本質をやっと理解し、目覚め、改革にとりかかる

 ・都会と田舎の暮らしの違いが分からない
 ・分かったとしても関心がない、頭ごなしに田舎否定
 ・それが田舎を限界集落呼ばわりしてすます最悪のシナリオ
 ・日本から田舎はなくなりつつある、ましてや山暮らしは今でも消滅寸前
  いわゆる絶滅危惧の状況である、暮らし方にも絶命危惧が存在するのだ
 ・限界集落とは都会人の頭の中に蔓延っている薄汚れた雑草だ

気付く人はかなり大したものだが、大半の都会人は気付かない
私に言わして戴くと、都会のあまりにひどい劣悪な生き方は正に麻薬である
『都会なんて、あんな劣悪な所によく住んでいる』多分麻薬なんだろう
『最悪だよ』と私が大声で10回叫んでも誰一人振りむきもしない
我が娘・息子も、親友も、都会の知り合いも私の言ったことを考えようともしない

今の私にとって都会人がつまらない理由は、便利さや楽を追求する中で嘘誤魔化し
があまりに多いからだ、私の20年の山暮らしは不便さと同時に自然との対話だった
そして私の頭の中から嘘誤魔化しが薄皮を剥ぐ様に、確実に剥げ落ちて行ったのだ
その結果かもしれないが、会話するようになった、私は元々大の会話下手だった
今現在の私が都会の人と会話してみると、何しろ、嘘誤魔化しが多いのに閉口する
私には、正常な人間とは思えないほどなのだ、そういう意味では、困った面もある
自分が嘘誤魔化しを上手につけなくなっていること。良いことかもしれませんが?
田舎に移り住んできた元々の都会人も、嘘誤魔化しが抜け切れない人がほとんど
そういう人が田舎に嘘誤魔化し文化を持ち込む、その点、人気のない山暮らしは良い

これら田舎と都会の違いを心底理解する一番望ましい方法は田舎や山に
10年以上は実際に住むことだ、「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」である
虎穴に入らずんばという前提条件が崩れてしまっているので虎児を得る希望はゼロ
「不立文字教化別伝」というように
実際にやらないで話を観たり聞いて理解する「都会人観てきたような嘘を言う」
「出家せよ」とは言ってない、「田舎や山で暮らせ」と言っているだけなのに

変革を数多く体験した私にしてみると都会人の印象は
 ・楽しそうな、面白そうなことに食いつく
 ・樂を求める癖が染みつき、遊び癖・依存癖・逃避癖が増す
 ・楽に染まった都会人は友人としても浅く、深い付き合いにならない
 ・山の我が家に招き、感想を聞くと、「素晴らしいでも、私は住めない」
 ・私には住めると思うのだが、頭から住めないと即断するほど頼りなくなっている
  まあ都会暮らしに慣れ切ってしまい、肉食男子がいないということだろう
  すなわち、都会で大災害が起きると全く頼りにはならないと言うこと
  大災害が起きると都会は復興が相当に遅れそうだ
  田舎に疎開するとしても、対応できなさそうだ
そのせいかどうか知らんが、安曇川も今大規模店が増え、農地の宅地化が進み
駅周辺に都会からの人達の新築住宅が増えている、大阪などの災害対策の人も
いるのだろう。安・近・広の家が手に入るのだから上手い話しだと思う
都会近郊の田舎では安曇川のような場所は都会人の受け皿になろうとしている

安曇川の駅前の平和堂移転跡に商店つき高層マンションが出来るのだそうだ
●平和堂跡地に特養や住宅建設へ 滋賀・安曇川駅前の再開発計画
    ( 2018年08月13日京都新聞)
 JR安曇川駅前の旧平和堂安曇川店跡地(滋賀県高島市安曇川町)について、
 特別養護老人ホームや住宅、店舗などを建設する再開発計画が発表された。
 コンサルタント会社の示した計画では、同駅北東側の約1・2ヘクタールに、
 本年度設立の社会福祉法人が、特別養護老人ホーム(2階建て定員50人)と
 0~2歳児対象の保育所(平屋建て同18人)を建設する。
 市内で会員制リゾートホテル計画を進めるリゾートトラスト(名古屋市)が、
 11階建ての社員寮(180戸)を設ける。
 近くの滋賀県信用組合安曇川支店が市道拡幅に伴い、現店舗から移転するほか、
 飲食店や賃貸マンション(2階建て、12戸)もできる。
 多くの施設が19年10月オープン予定。特養ホームは20年4月開設を目指し
 リ社の社員寮はホテルの開業(時期未定)に合わせて建設を進める方針。
 同駅周辺は2010年に平和堂が国道161号バイパス沿いに移転以降、
 にぎわいが大きく冷え込んでいた。市は市街地活性化に欠かせない土地として、
 平和堂に売却猶予の協力を求め、興味を持つ民間業者誘致や調整を担ってきた
 市役所での会見で、福井正明市長は「平和堂跡地は就任当時からの懸案だった。
 駅前に約200人人口が増える予定、地域の核になりうる」と期待を示した。


ところでごく最近高層ビルの免震ゴムやダンパー問題も明らかになり
大地震の時にビル倒壊の恐れもあるとか。地震対策がむしろ地震リスクに
高いノッポビルより田舎で広い平屋住宅に住むほうが良いのでは?

結婚なんて結婚してやっと少し、恋愛・連れ合い・家族・・・がわかって来る
だから現代においては、一度離婚するぐらいの気持で結婚するとよいと思う
もっと離婚に大らかになって欲しい、「失敗は成功のものなんすよ」
山も京都も実際に住んでみると、事前の予想に反し、とにかく苦労も多い
田舎も同様に、とにかく暮してみよ。
都会の人で田舎に暮らしたことのない人に言いたいことは
「都会暮らしという麻薬に浸かったような人生で一生を終えてよいのか?」ということ

同様に「関東の人に関西で暮さなくて良いのか?」とも言いたい
大企業の社員に「中小企業や零細企業に勤めなくて良いのか?」
絵が嫌いなんて人に「絵が下手のままで良いのか?」
口下手な人に「誰とも楽しく会話出来なくて良いのか?」
大工も出来ない人に「自分の住む家くらい自分で直せなくてよいのか?」
腰痛で悩む人に「腰痛くらい自分で直そうとしなくてよいのか?」
・・・・とも言いたい


私は隆盛を極めた当時の松下電器から零細企業更にベンチャー企業に転職した
そしてやっと企業というものをほんの少しは理解した経験があるが、
大企業に長く勤め続けて退職した人は企業は無論、自社のことすら分かっていない

昨年私は大嫌い、大苦手な絵描きをやったが、なんと案外すぐに上達した
それまでの絵描きについてのコンプレックスを完全に拭い去った
口下手も同様、今や話好き・話し上手の私に大きく変身を遂げた
私は気軽に冒険的チャレンジを重ねて来たが、そうしない人のほうが多い

田舎を限界集落というなら都会は地獄と言わざるを得ない、少なくも天国ではない
田舎より都会が優れている点は、樂や金儲けに関することだけ
近年、平成30年には巨大台風や地震により恐ろしい被害が明らかになった
そうだ、巨大災害では都会のほうの被害が田舎の数倍より甚大なのだ
都会にとって致命傷になる恐れも出てきたのだ
しかも都会は大被害に対してリスキーなアキレス腱を内蔵しているのだ
すなわち巨大災害により都会自身は無論のこと日本全体も大崩壊する
例えば、
 1.高速道路崩壊
 2.高層ビル崩壊
 3.ガラスや看板や屋上設置物の飛散
 4.集中豪雨での下水の排水能力不足
 5.鉄道路線崩壊
 6.地下鉄網の長期ダウン
 7.光回線の寸断、情報経路の大崩壊
 8.ガス、水道の寸断長期化
 9.ブラックアウトや大停電
 10.高層ビルのエレベータ停止
 11.荒川決壊のような都会広域大洪水
 12.大地震による広域大火災及び消防活動困難
 13.大都市は海に面しており、大津波による海岸や大川沿線の広域水没や崩壊
 14.テロによる大崩壊、多数死傷
 15.流通網の崩壊長期化
 16.被害が広範で修理旧用部材の加工や供給の長期停滞
 17.避難場所の確保困難
 18.経済活動の長期停滞
 19.飛行場の崩壊による航空路麻痺、訪日外人減少
 20.膨大な食料確保困難に
 21.新型インフルエンザなど感染症が蔓延すると防御が困難
 22.細菌兵器攻撃に遭う危険が多く、起きると被害は甚大
 23.大規模・巨大人口密集・高度インフラが多いためにダメージが大きい


何しろ、都会は安全ではなく、極めて大きな危険をかかえる場所と思うべし

「都会には大病院がある」と言うが、高齢者が増えると患者も激増する
そうなるとさしもの都会の大病院も溢れてしまい、診察や手術もままならない
更に巨大災害によるインフラダウンや水・電気の停止で大病院が麻痺
都会で病人になるよりは、田舎で元気で暮すほうがずーっと良いはずだ

都会の大災害は田舎の場合の数百倍となることを覚悟すべきだ
大規模災害は、被災後の大規模災害復旧もかなり手間取ることになる
限界集落と言われている田舎は極端な話、崩壊しても日本全体に、大した
影響を与えない、微々たるものなのだ、悲しくもあり、ホットもする

被災者の数が田舎の場合と桁違いなのだ、その被災者を受け入れる施設がない
都会の多くの難民で溢れることになる、その時都会人はどうするか?
多分その対策なんか全く考えていないから、路頭に迷うのは必至だ
何しろ、人の多く密集する土地に住むのは地獄ですぞ

「懲りない人には、何度言っても駄目」それが私の確固たる経験則
世の中には懲りない人で溢れている、貴方も懲りない人


私の友人の大工さんの作品、なにしろ広いデッキが魅力だが何とも美しい


モグラ除けの風車が家の前の空き地で活躍したが山用に2号を作成した


缶ビールの空き缶に立ての切れ目を入れ達磨風車にする幅を狭くするのが大変
細いカッターと細い金切りはさみで1時間で作成でも根詰めの仕事だ
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464.他人の意見に耳を傾けず、意見を受け入れない人々

2018-10-06 08:47:13 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
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  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
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    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

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テーマ:他人の意見に耳を傾けず、意見を受け入れない人々

こういうことありませんか?
自分がある人に「こういうことしたら、すごくいいと思う」と言うことがある
しかし、それを聴いた相手は全く意に介せず、関心もやる気も全く示さない
まあ、いつものことで、言った本人自身も特に驚かないし、意に介さない

そういうことの連続で、いつも自分の意見を聴かない相手に慣れっこになっている
私もその一人、私は元々経営コンサルタントだったのでアドバイスは得意だが
私のアドバイスを活かした人をあまり知らない
「もうそんな人と付き合ってもしかたない」「時間やお金の無駄」なのだ

それが反省になって、
私は他人の意見やアドバイスを何とか受け入れようとするようになった
そして受け入れてみると、良い結果を得られることが分かってきた
それからというもの、相手から何か得ようとする姿勢が強くなって行った
これは、すごい変化であり、私にとって大きなプラスとなっている
相手のアドバイスを受け入れようという提案も他人には受け入れられない

「他人のことを聴いていない」と私は言われるが、実は、私が一番聞いているのだ
   ”聴いている=相手の意見を受け入れる”ことだと私は思っている
もし相手の意見を何も役立てていないのなら本当に聴いていることにはならない
ゆったり聞いていることより、相手の言うことに絡むくらいがのぞましいのだが
そういう絡む態度を「村上さんは他人の言うことを聴いていない」と勘違いするのだ
無論、私はそういう見かけの聞いていない感じを反省して直しているのだが

私には出来たことが、その人には何らかの個人的な理由で出来ないのだ
またはやる気がないのだ
その原因を考えると、相手のアドバイスを受け入れない理由は
 ①関心がない
 ②興味がない
 ③やる気がない
 ④他人を受け入れない
 ⑤面倒くさがり
 ⑥分かる努力を惜しむ
 ⑦苦手意識
 ⑧続かない
 ⑨レベルが低い
 ⑩直ぐには出来ない
 ⑪元からそういう意識が欠如している
 ⑫受け入れるだけの素養がない


タバコの禁煙や甘い菓子を止めることを考えれば容易に理解できることでしょう
他人の意見やアドバイスくらい素晴らしいものはないのだが
あまりに核心をついているアドバイスなので、かえって出来ないのだろう

何度付き合っても、私の意見を一切聴かない、意見が役立ったという話もない
それでは、真の友人とは言えないし、付き合う意味もない
友人とは、互いに影響を与える関係でなくては価値がないことを認識すべきだ
私が参考になるのは、相手の欠陥ばかり、反面教師としてだけ役立っている
そんな友人関係は悲しいものだが、それでも、少しは役立っていると思うしかない

 1)あまりに親しい友人
 2)親子
 3)夫婦
 4)恋人同士
 5)上司部下
あまりに慣れてしまい、所謂”上の空という状態”になっている

意外なことは、それが、かなり親しい人同士の場合に多く起きていることである
マンネリとか慣れとか言う状態だ
人との付き合いとは、ある意味互いに緊張状態のほうが望ましいというものだ

親しくなるほど、例えば、家族、夫婦、親子などのほうが
相手を尊敬せず、相手の意見を受け入れない関係になりがちなのである

無関心は最も悪い関係なのだ、むしろ対立するほうがずーっとましなのだ
最も望ましい関係とは、愛し合う二人と思い込むと大間違い
愛し合う関係はそのうちマンネリになり無関心になり、最後は鬱陶しくなる
そういう意味では愛し合う瞬間から別れが始まるのだ

本当の愛人や友人とは、互いに影響を及ぼし続ける関係でなくてはならない
互いに影響を及ぼす関係が鬱陶しくなったら、
その愛や友人関係も終わりに近づいていると知るべきなのだ
友人とは慣れの典型で当初のドキドキ感やワクワク感が薄れていく

人は飽きるのだ、「逢うは、別れーのはじめ」なのである
はやく別れが来るか、ゆっくり来るかの違いくらいのものなので
友人とか恋人なんてのは意外に儚いもので、
無関心も別れも、意外にすぐにやって来るものである

友人のようで友人にならない、恋人のようで恋人にならない
そういう関係が一番深い良い関係長持ちするということなのだ

 ・友人とは互いに影響を及ぼす関係なのか
 ・友人とは互いに遠慮なく、大して影響を及ぼすこともなく、空気のような存在なのか
    どちらかに一方に偏り過ぎてはいけない

夫婦や家族がその点一番別れが早く、かつ絶望的だ
だから子供も早く親元から独立させるべきなのだろう
親から距離的に離すことは、精神的には離れない良い方法なのだ

「ご結婚おめでとう」ではない「ご結婚残念でした」なんです
本当は結婚なんかしない、同じ屋根の下に住まない、友人なんかにならない
友人になるのも良いがあまり親密にならないほうがよい
一体親密(慣れ)とはどういうことか考えたことがありますか?

 ・親密とは慣れと裏腹
 ・相手の意識が薄れる
 ・やがて確実に新鮮さが欠如する
 ・相手への尊敬の念も薄れていく
 ・相手を人と意識しなくなる同化してしまう、同化させてしまう
 ・親子や夫婦の場合が最も顕著だが、親子や夫婦の意識が全くなくなる


そういうことが親密の恐ろしさである、そんなのは親子関係でも夫婦関係でも
友人関係でもない

だから家族は離れて暮らせ夫婦も離れて暮らせなのである
私は、55歳から家族と離れ、一人山で暮してきた
それが良い結果を招いたような印象を持っている、慣れ合いはいかん
今思うのだが都会に暮らしていると、都会暮らしに慣れてしまうのだ
慣れてしまう=堕落、マンネリであり私の考える友人の資格を失うのだ
真の友人とは異質なものを持つ者同士でなくてはいけない
なぜかというと、真の友人ではなくなり、”同じ穴のムジナ”になってしまうからである

今の日本の世の中の構造は戦後や戦前の日本とは大きく変質している
あまりになんだかんだ便利さに親しむあまり、人間が人間でなくなっている
便利さに親しむことも親子や夫婦や友人と同様に、ある意味で人を蝕んでいるのだ
便利さ以外にも次のようなものがある、慣れが怖いものである
 贅沢
 安全
 平和
 快適
 健康
 長生き
 携帯・インターネット・テレビ
 カード

こういうことが進んでいる国は先進国のように思われているが
私は、そうではないと思う、そういうものに慣れっこになっていることは
やがて、無意志になり無批判になり無関心・無感動になっていく

 ・日本人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・都会人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・家族員になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・妻や夫になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・現代人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・有名人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・偉い人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・幸福人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない


古い人間は、携帯やテレビやカードが昔は存在しなかったことを知っている
古い人間はテレビや自動車や洗濯機がない時代を知っている
しかし最近の人は、それらが当たり前にある、永遠にあると信じ切っている
好景気は良いことのように思っているが、実は好景気は永遠に続くわけではない
平和もそうだ、いつまでも続かない、最近の人は戦争体験が全くない
ある意味平和が続くと平和に慣れっこになって、争い事が起こって来るものだ
大災害の体験もない、大不況の経験もない、食料危機の経験もない

”あって当たり前”の人が多くなていることは大きなリスクなのだ
火山噴火や巨大地震のように確実にマグマや歪みは溜まっていく
水も電気もガスも出て当たり前ではない、もし、それらがでなくなったら
昔の人はともかく、最近の人はびっくりしてパニックになってしまう
慣れてはいけないのだ、当たり前ではいけないのだ
また、調子が良いから、更に”行け行けどんどん”もやってはならない
  控え目・節度・謙虚・間・冷静・沈着・原点基本が大事なのだ

ここ田中も空地が多い、そのことはむしろ暮らし易さでもあるが、土地価格が下がり
その空地が放置されている、草ぼうぼうは良くない、私は転入時から
前の空き地を綺麗に維持管理している。こんなことも真似る人は少ない
コメント
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