Maxのブログ

Maxが、報道などを丸呑みせず、自分で見聞きしたこと、感じたこと、を投稿します

碁石海岸」観光まつり

2014-05-05 18:45:36 | 日記

震災後2回目の「観光まつり」です。

環境省によって、新しい施設が整備され、利用しやすくなりました。

 

 

7月のオープンするようですが、案内ブース、トイレなどがあります。

新しくなった乱暴谷展望台。車椅子で乗り入れられるようになりました。

観光船にお客が大勢乗っていました。

新旧「つばき娘」の紹介。

オオフナトンも踊りが上達したようです。

勇壮な千歳明神太鼓。

「世界の椿館」「市立博物館」も無料開放。


敦賀原発活断層問題について

2012-11-21 20:00:11 | 日記

今日(11月21日)NHKのクローズアップ現代で大飯原発の問題をやっていた。

「活断層」について、学識経験者と言われる人が集まって、議論が出ないのはなぜか?電力会社の息がかかっている学者とそうでない学者の対立なのだろうか?

私は、活断層地図が売り出され、これが安全な土地かどうかの材料に使われていると聞いて、大変不審に感じていた。そもそも「活断層」という定義は、科学的審査に絶えうるものなのか?根拠となるべき科学的定義があり、基準となる調査・検査方法が確立しており、それによれば誰が判定しても同じ判定が下せるものか?どうもそうでないため、国民が注視する。判定会議で結論が出せないのではないか?

「活断層」地震原因説が疑問なので、自分なりに、地質学、地盤工学、地球物理学などの本を読んで見たが、結局のところ、日本列島の成立過程についての定説がないためではないか、と考えるようになった。そのうち、丸善で本を漁っていたら、面白そうな本に出会った。泊次郎著「プレートテクトニクスの拒絶と受容」がそれだ。

戦後のGHQの後押しによる民主化運動が地質学会にも大きな影響を与え、その学会体制が続いたために、「プレートテクトニクス」の受容が欧米に比べ10年以上遅れ、そのため一時は世界トップクラスだった地震学も世界に取り残されたという。

このため、ちょっと古い地質学などで、日本列島のなりたちについて学習しようとしても、納得できる説明がない。何億年前東アジアはどういう地形で、それがプレートの動きによってどう変わってきたのか?昔は大陸と地続きだったというが、いつからどういう風に日本海ができていったのか?日本列島の個々の島の形は、どういう形からどういうふうに変わってきたのか?ちゃんと書かれている本は、不勉強ながら出会えない。

現在、ネットに出ているプレート境界に線も微妙に違っていて、特に、北米プレートとユーラシアプレートの境界が不明確で、その過去の動きも不明確だ。なかには、点線で表示してあるものも見受けられる。

以前は、「地向斜造山論」が唱えられ、これに基づく「Japanese Islans」が定説となっていたわけだが、これが否定された今、日本列島の成立・変化を正確に記述したものが求められる。プレートテクトニクスによる付加体は、日本列島のどこからどこまでなのか、全部なのか?それの理解なくして、これが「断層」なのか「地すべり」なのか、という結論はだせまい。

「活断層」への最初の疑問は、産総研が発表しているものだけなのかどうか?だった。10万年なり30万年前の断層の痕跡が現在はっきりと確認できる場所は少ない。都市部など、地形が改変され、表面が舗装と建築物で覆い尽くされている場所、その後の火山噴出物で厚く被われているところなど確認は困難だ。「活断層地図」に表示されているのは、数分の1と考えるできだろう。

電力会社や政府に利害を持たない科学者の、客観的な審査基準が確立されなければ、安全な割れ目かどうかという判断はできないだろう。


住宅建築花盛り

2012-11-19 23:52:45 | 日記

大船渡駅周辺は、区画整理となるので、更地が延々と連なっているが、盛では工事中の建物があちこちにあり、まるで住宅展示場みたい。

エスバイエル工法。

木質パネル工法。

モダンな設計。

壊すものは、壊し、資金の手当てが着いた人は、争うように建築を始めている。

気仙大工に本格建築を頼むと、3~5年待たなければならないらしい。

防災集団移転では今年度中に用地買い上げ、25年度造成工事、26年春土地引渡しというスケジュールだが、そういう状況から、早く自分の区画を決め、大工や工務店に交渉したいという。

防集で移転する人の土地は、買い上げてもらい、その資金を新築住宅の資金にしようというわけだ。

以前のローンが残っていて、土地を買い上げてもらえない人が問題。災害公営住宅の希望者は、当初の予想より多くなっている。

ただ、1番目に手がけた、雇用促進住宅改修には、募集戸数を大きく下回る応募しかなかった。高齢化社会に5階エレベータなし、は適合しないだろう。戸建ての公営住宅の希望が多いのだが、連棟形式しか認められないという。

 


漁業復興のイメージ

2012-11-08 21:23:10 | 日記

震災以前から、農業・漁業従事者の高齢化が進み、後継者の確保が大きな課題でした。震災・津浪により漁業の基盤である漁港、養殖施設、加工場、漁船、住居が失われ、未だ復旧の目処が立ちません。

そんな中で、他の地域に転居したり転業してしまった人が、特に若い年齢層に目立ちます。宮城県では、漁港の集約化、民間企業の参入という方針を出しています。

震災後、特に漁船の多くが失われてしまったため、数少ない船を共同で使って漁を再開した例は多くあります。それは、震災直後の一時的な形態と見られていましたが、後継者不足の中、将来の新しい形態として評価する学識経験者もいます。

筆者は、すくなくとも復旧の過程では、協同漁業で乗り切るべきだと主張して来ました。今、現地で高齢化の実情を見ていて、都市などから新しい担い手を導入する仕組みとして、協同方式、漁業生産法人方式も有効ではないかと考えるようになりました。

復興の早かった、「日本一のワカメ」を誇る重茂漁協、「森で育てるカキ」で有名な唐桑など、共通するのは強いリーダーの存在と協同態勢です。

都会から田舎に入って、農業・漁業をする一番の障壁が、大きな初期投資と、農協・漁協の排他的性質です。農業であれば田畑と住居、漁業では漁船と住居を手に入れなければなりませんし、組合員でなければ出荷したり、漁場に入ることができません。最近は、農業生産法人や漁業生産法人が設立されるようになりました。これは、農業・漁業の営業継続とともに、新規参入の受け皿としての可能性を持っていると思います。

民間企業の参入というと、流通・加工の大企業による支配と受け取り、拒否感を与えることが多かったようですが、一人営業主でなく仲間で一緒にやるという方式もあっていいのではないでしょうか。生産法人があれば、被雇用者として参入し、将来的に経営者側や独立営業者になるという道もできるのでは、と思います。


日本人のこころ

2012-10-28 08:08:29 | 日記

日本人より日本のことに詳しい外国人に驚かされることが多い。
そういう人々が語る「日本の美徳」、「美しい風景」がどんどん失われているのは哀しい。

今朝なにげなく、NHK Eチャンネルを眺めていたら、ベッカーさんという人が、日本人が持つ「理想の終焉」について調査、研究していると話していた。

自宅の畳の上の布団に寝て、庭に来る鳥の声を聞き、愛する家族に末期のお別れを告げ、平安に死を迎える。これが理想の死に方。

ところが、病院のベッドに沢山のチューブを付けられて、声も出せず、麻酔薬で意識もうろうとしながら、医師に延命装置のスイッチを切られてご臨終。これが実態だ。

ベッカーさんによれば、日本人が死を考えなくなったことが、過去や将来を考えないことにつながり、さらには、さまざまな社会のゆがみとなって現れている、という。

肉親が亡くなった2,3年内に、その家族が病気になったり、事故に遭ったりするのは、心が未整理状態にあるため、注意力が散漫になったり、免疫力低下、生きる目的の喪失につながっている。昔はこれを「祟り」と言って、これを避けるために行われるのが、初七日、四十九日、一周忌などの法事だという。

ベッカーさんは、一見哲学者のようだが、ホスピスや末期医療に実践的に携わる、医療の分野の人だという。

TV視聴後、検索してみたら、ドイツ系アメリカ人として、臨死体験、瞑想療法などを研究、ハワイの東西文化センターで学位を授与され、1980年代から日本に住み着き、現在、京都大学こころの未来研究所教授だという。

高齢社会を向かう世界の社会に、日本は高齢化先進国として模範になれるという。日本の風習をアレンジして取り入れることが、世界各国で始まっているという。例えば、アメリカのホスピスで、亡くなった患者を偲んで、ろうそくを立てて、みんなで瞑想するなど。

現代日本人は昔の文化を失くしてしまった、とよく言われるが、私は、日本人の心にはまだまだ根強く残っていると信じている。古民家、お祭り、伝統行事、方言などなど、もっと大事にしていきたい。


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