震災被災地には、国内外から復興への支援が送られているが、この中で現れて来た、「絆」とか「舫」に注目してみたい。
敗戦後、核家族化、首都圏への一極集中により、地域社会の結びつけが弱くなる一方で、何でも「公」に頼り切るという傾向が強くなり、その結果として大きな政府、財政危機をもたらしている。新しい日本は、自助、共助の役割を大きくし、多種多様な地域社会を尊重するくにとならなければならない。
三陸の漁業では、船や船具などを送る運動が全国的に広がっており、プロジェクト「舫」と呼ばれている。三重県の水産加工業者がインターネットで漁船の提供を呼びかけ、自前で漁船や船外機を提供している。
南三陸町歌津地区では、避難所に集まって人たちが、孤立無援のなかで、自ら避難所を改善、増築しながら避難所の土地を確保したり、道路舗装まで自前で行っている。これには全国的なボランティア活動に助けられた面もあるが、避難所のサイトをインターネットに立ち上げ、活動状況をリアルタイムで紹介し、必要な物資の提供を求めている。
釜石の造船所や鉄工場では、工場の復旧のため緊急に必要な精密水準器、部品、工具などが、前から付き合いのあった同業者や、インターネットなどで聞きつけた業者から送られて来ている。造船所の再開が漁業再会のため最も必要だ。一部の工場は事業再開ができたという。
これから産業の再生に取り組むことになるわけだが、個人や企業単独では困難な面が多いであろう。当初3年間くらいは、資材、拠点などを共有とし、協同組合方式で立ち上げるべきであろう。軌道に乗った後に、従来のあり方にもどしていけば良い。資金の手当て、信用供与も個人より組合の方が容易となる。
宮城県が震災復興構想に漁業の協業化をもりこんだら、宮城県漁連が「漁民のサラリーマン化」につながると言って反対したそうだが、これは漁連が対案を持って言っているのか、非常に疑問だ。
もともと定置網などの大規模な漁業は網元が漁船、漁具、網小屋を所有し、網子をかかえて漁業を行ってきた。これが封建的だというので、戦後GHQの指導で独立させたのが漁業の歴史で、「農地解放」と同列なのだろう。
漁協や農協はこれまで、生産者に金を貸して漁船を造らせたり、トラクターを買わせたりして、その利子を稼いでいた。農協、漁協は組合長などの幹部の私有物ではなく、生産者の民主的な組織なのだから、組合として漁業、農業を行い、その成果を組合員で分配するというのは、少しもおかしくない。
また、この方式だと、新組合員の参入がしやすくなる。漁業、農業従事者はどんどん高齢化して、後継者に悩んでいる。耕作放棄地が全国で増加している。反面、都会から漁業、農業に入っていきたいと思っている人は増えているが、開業当初に必要となる資金や土地、住宅の確保が難しく、参入が難しい。
東京都の小笠原漁協は、漁船、アパートを所有し、漁業を始めたい人に漁業の仕方を教え、独立するまで支援する態勢を用意している。長崎県の南島原市の農業法人でも研修生を受け入れて、法人で農業に従事しながらノウハウを育て、一定の期間後に農地、住宅を借りるというシステムを作っている。
全国の支援者との連帯、地域での協働、生産設備などの共有これら全てが「もやい」なのであり、「もやい」が広まれば、「この国のかたち」も変わっていくだろう。