Maxのブログ

Maxが、報道などを丸呑みせず、自分で見聞きしたこと、感じたこと、を投稿します

「もやい」のすすめ

2011-05-16 09:40:31 | 日記

  震災被災地には、国内外から復興への支援が送られているが、この中で現れて来た、「絆」とか「舫」に注目してみたい。

  

  敗戦後、核家族化、首都圏への一極集中により、地域社会の結びつけが弱くなる一方で、何でも「公」に頼り切るという傾向が強くなり、その結果として大きな政府、財政危機をもたらしている。新しい日本は、自助、共助の役割を大きくし、多種多様な地域社会を尊重するくにとならなければならない。 

  

  三陸の漁業では、船や船具などを送る運動が全国的に広がっており、プロジェクト「舫」と呼ばれている。三重県の水産加工業者がインターネットで漁船の提供を呼びかけ、自前で漁船や船外機を提供している。 

 

南三陸町歌津地区では、避難所に集まって人たちが、孤立無援のなかで、自ら避難所を改善、増築しながら避難所の土地を確保したり、道路舗装まで自前で行っている。これには全国的なボランティア活動に助けられた面もあるが、避難所のサイトをインターネットに立ち上げ、活動状況をリアルタイムで紹介し、必要な物資の提供を求めている。 

 

釜石の造船所や鉄工場では、工場の復旧のため緊急に必要な精密水準器、部品、工具などが、前から付き合いのあった同業者や、インターネットなどで聞きつけた業者から送られて来ている。造船所の再開が漁業再会のため最も必要だ。一部の工場は事業再開ができたという。 

 

これから産業の再生に取り組むことになるわけだが、個人や企業単独では困難な面が多いであろう。当初3年間くらいは、資材、拠点などを共有とし、協同組合方式で立ち上げるべきであろう。軌道に乗った後に、従来のあり方にもどしていけば良い。資金の手当て、信用供与も個人より組合の方が容易となる。

 

宮城県が震災復興構想に漁業の協業化をもりこんだら、宮城県漁連が「漁民のサラリーマン化」につながると言って反対したそうだが、これは漁連が対案を持って言っているのか、非常に疑問だ。

 

もともと定置網などの大規模な漁業は網元が漁船、漁具、網小屋を所有し、網子をかかえて漁業を行ってきた。これが封建的だというので、戦後GHQの指導で独立させたのが漁業の歴史で、「農地解放」と同列なのだろう。

 

漁協や農協はこれまで、生産者に金を貸して漁船を造らせたり、トラクターを買わせたりして、その利子を稼いでいた。農協、漁協は組合長などの幹部の私有物ではなく、生産者の民主的な組織なのだから、組合として漁業、農業を行い、その成果を組合員で分配するというのは、少しもおかしくない。

 

また、この方式だと、新組合員の参入がしやすくなる。漁業、農業従事者はどんどん高齢化して、後継者に悩んでいる。耕作放棄地が全国で増加している。反面、都会から漁業、農業に入っていきたいと思っている人は増えているが、開業当初に必要となる資金や土地、住宅の確保が難しく、参入が難しい。

 

東京都の小笠原漁協は、漁船、アパートを所有し、漁業を始めたい人に漁業の仕方を教え、独立するまで支援する態勢を用意している。長崎県の南島原市の農業法人でも研修生を受け入れて、法人で農業に従事しながらノウハウを育て、一定の期間後に農地、住宅を借りるというシステムを作っている。

 

全国の支援者との連帯、地域での協働、生産設備などの共有これら全てが「もやい」なのであり、「もやい」が広まれば、「この国のかたち」も変わっていくだろう。


仮設住宅でなく仮設集落をつくろう

2011-05-13 09:48:01 | 日記

これまでの仮設住宅では、同じような住宅のみの建設しか認められなかった。阪神大震災後の仮設住宅は2年の年限つきで開設したが、仮設住宅を出られない人が多く、仮設が長期化するとともに、仮設住宅での自殺が多く発生するという悲劇を生んだ。

むしろ、今回は、戦後のバラック村のイメージで仮設集落を考えてはどうだろう。住宅地の中、あるいは近傍にマーケット、飲食店、床屋などの住区施設を作るのだ。

 公営住宅ですら店舗、集会所が入っている。従来これらを認めなかったのは、制度が悪かったのだから、改定しなければならない。

 営業施設への税金の支出ができなければ、隣接地の所有者に土地を無償で提供してもらい、仮設住宅に入る商業者たちが自前で店舗を作っても良いのではないか。青空市から始めめて、段々にテント、仮小屋、本店舗としていってもいいのではないだろうか。

農地には建築行為ができないという法規も、時限的でよいから解除すべきだ。仮設住宅用地確保が進まないのもこの制限が原因となっている面がある。南三陸町で避難所(歌津地区、馬場中山生活センター)のリーダーである地区長が地権者に直接要請して、使用の同意をとりつけたのに、町役場では建設の意思決定が遅れている。

 仮設住宅近傍の農地、耕作放棄地での農業も考えられる。低地の農地は、地盤沈下、塩害などの影響で、復旧には早くとも3年~5年かかると考えられるし、市街地も新しい津波対策や地盤沈下対策などがあり、同様な時間がかかる。


 仮設店舗により、商業、農業などで住民が収入を得ることができ、生きがい、復興への希望へとつながるだろう。また、ここがコミュニティの拠点となり、情報交換、井戸端会議の場所となり、孤独死も防げる。


電力供給体制の抜本的見直し

2011-05-12 13:04:24 | 日記

 現在の9電力体制は、それまで1本だった国営の日本発送電会社を、戦後「電力の鬼」松永安ヱ門が強力なリーダーシップで、多くの反対を押し切って打ち立てたものだ。しかし、当時は「原子力発電」は、当然想定にはいっていなかった。

 原子力導入は正力松太郎が推進、中曽根、田中角栄が首相、幹事長としてかかわったということが、最近発掘されたCIA機密文書に書かれていたことが、2011年4月21日の毎日新聞に報じられている。

 このときの「国策民営」という政策のツケが、今回の福島原発に回ってきたというのが、毎日の主張であろう。私は、今回の原発事故をめぐって、いろいろ議論されている機会を捉えて、今後の電力供給のあり方を抜本的に見直すべきだと考える。

 地域分割して、ひとつの電力会社が発電・送電・供給を地域独占で行うというのが、現在のやり方だが、福島で東電が発電していること自体、すでに論理破綻しているのではないか。

 私の思いつきだが、水力発電は水資源公団、原子力は動力炉核燃料公団をそれぞれ改組(電力会社の水力、原子力担当部署の職員は、新しい組織に移転させる)して担当することとし、火力は地域電力会社、民間の発電(地熱、風力、ソーラーその他を含む)とを合わせ、地域電力会社が需給調整、需要者への供給を行うという体制にしたらどうだろうか。民間の発電事業は免許制とするが、家庭発生の小規模電力買取は電力会社の義務とする。という体制は可能なのではないか。

 料金の設定、発電能力の割り当てなどが課題であるが、技術的に解決可能と思える。


福島第1原発の高度汚染水もれ

2011-05-12 09:46:39 | 日記

 今日の朝日新聞朝刊1面で、ピットから漏れた高度汚染水が海へ流出したことを報じていた。

 土木屋の眼でみると、現在の対策状況では、漏れるのが当たり前だ。ケーブルを通すトレンチの穴はシーリングしてないし、トレンチからの漏水も、1箇所を止めたと報道があったが、他の部分から漏水がある可能性が大きい。
 2次冷却水の排水口が4つ並んで、その沖側に消波堤があり、北側に開口部がある。ここにシルトフェンスを設置してあるが、これは全く止水機能はなく、流出油などの浮遊物を一応止めるというだけである。

 本気で、原子炉からの汚染水漏れを止めるためには、原子炉およびタービン建屋その他施設周辺全体の止水、トレンチ、ピットの止水、排水口周辺を止水壁で囲う、これら全てを実施する必要がある。
 最も緊急なのが、排水溝を囲む水面全体を止水構造の壁で囲うことだ。これは、今まで全国の水面に建設している廃棄物処分場の建設技術を使えばすぐにでも可能だ。施設周辺の止水工事はトンネル建設の技術で実現可能だ。

 「餅は餅屋」という言葉があるが、原子炉の機器については原子力工学が対応するのが適当だが、止水工、水面締切り工についてはそれぞれトンネル工学、海洋土木工学の分野が最も適している。それぞれの専門家あるいは専門業者に対策を依頼すれば、すぐにでも対策工事が可能だ。

 これまで2ヶ月の対応を見ていると、なるほど「フクシマ50」や現場事務所の所長は超人的な頑張りをしているようだが、大きな問題になると東電本社、保安院、経産省、そして総理官邸と複雑怪奇な意思決定手続きを経て、後手後手にまわっている印象だ。

 また、当事者である東電が対策費をしぶっているような情報もある。対策経費と時間経過による損害(国内外への信頼性を含め)の比較評価ができているのか、全く疑問である。


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