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にあんちゃん(1959年)
■製 作:日活
■製作年:1959年
■監 督:今村昌平
■出 演: 長門裕之、松尾嘉代、沖村武、前田暁子、北林谷栄、他
“<一月二十二日 木よう日 はれ>
きょうがお父さんのなくなった日から、四十九日です。にんげんはしんでも、四十九日間は家の中にたましいがおると、福田のおばさんが、そうしきのときにいわれたので、いままで、まい朝まいばん、ごはんをあげていましたが、きょうの朝は、とくべつに、いろいろとおそなえをしました。
そうして、ながいあいだおがんでいたので、学校へ行くのがすこしおくれましたが、いそうだらまにあいました。学校からかえってくると、兄さんが、「お父さんは、あしたから、もうこの家にはいないのだから、いまからおそなえは、きゅうの一日と十五日しかない」といわれました。私は、それを聞くと、とてもかなしくなった。
私は、お父さんのおいはいの前にすわると、なんだか、お父さんが私を見ているような気がして、うれしいのです。夕がたおがんだとき、私はお父さんに「さようなら、おとうさん、さようなら」といいました。なみだがほおをこぼれた。”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f3/0ce237f430026e725fc4c63bc796b787.jpg)
と始まる、当時小学三年生であった安本末子の日記、それが映画「にあんちゃん」の原作。佐賀県大鶴鉱業所という小さな炭坑町が舞台で、母親とは三歳の時に早く死に別れ、そして父親も死んでしまうという不孝に見舞われた在日韓国人・四人兄弟の末娘の日記である。今村昌平監督は、この映画の中でさりげなく重い問題を描きながらもカラッとそれらを受け入れていく人間賛歌として描きあげた。それはたとえば以下のような場面にも見受けられる。
妹の末子が恐る恐る学校に教科書代を払わないといけないと長兄の喜一に言う。すると会社も解雇され(それも臨時雇いであったのだが)生活費が絶たれてしまい何も打つ手がない喜一は、学校はいかなくていい、4年生は休めと言葉を返してしまう。金がない現実、聞くも残酷言うも残酷な会話だ。気まずい沈黙の後、喜一はいたたまれなくなり「俺、映画へ行っくる」と立ち上がる。
それを見ていたにあんちゃん・高一が「兄ちゃん、映画へ行くお金あるとなら、末子の本、買ってやったらどやねんかね。」兄に対して反発する。素直な気持ちからくる言葉だ。そこから二人のつかみ合いが始まる。何とかしたい気持ちはあるものどうしょうもない長男の喜一、そのやりきれなさと悔しさは、本当は映画なんか行く金もないのに、映画に行くとその場を立ち去るしかなかったのだろう。
始まりは小さなことだったかもしれない、しかしそれが度重なりどうしょうもない状態へと展開していく。そんな不幸の輪の悪循環の回転。家族の崩壊はそんなことから始まるのだろう。
しかし今村昌平は悲劇の始まりとなしなかった。ケンカをしている最中に、人情家の辺見(殿山泰司)が現れ、喜一には仕事の紹介状を渡し長崎に行けとそして残った兄弟は引越しだと自分の家へと連れて行こうとする。思わぬ突然の来訪者、展開。不幸に向かう波は、外からの力によって向きを変えられてしまうのだ。この映画は、一見不幸な場面であってもそこに希望?の光を差し込ませ、とにかく明るく力強く展開していこうじゃないかとカラッと“晴れた日”演出がなされている。
「しょんなか、なるようになれじゃ、行こう」(喜一の台詞)
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“<一月二十二日 木よう日 はれ>
きょうがお父さんのなくなった日から、四十九日です。にんげんはしんでも、四十九日間は家の中にたましいがおると、福田のおばさんが、そうしきのときにいわれたので、いままで、まい朝まいばん、ごはんをあげていましたが、きょうの朝は、とくべつに、いろいろとおそなえをしました。
そうして、ながいあいだおがんでいたので、学校へ行くのがすこしおくれましたが、いそうだらまにあいました。学校からかえってくると、兄さんが、「お父さんは、あしたから、もうこの家にはいないのだから、いまからおそなえは、きゅうの一日と十五日しかない」といわれました。私は、それを聞くと、とてもかなしくなった。
私は、お父さんのおいはいの前にすわると、なんだか、お父さんが私を見ているような気がして、うれしいのです。夕がたおがんだとき、私はお父さんに「さようなら、おとうさん、さようなら」といいました。なみだがほおをこぼれた。”
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と始まる、当時小学三年生であった安本末子の日記、それが映画「にあんちゃん」の原作。佐賀県大鶴鉱業所という小さな炭坑町が舞台で、母親とは三歳の時に早く死に別れ、そして父親も死んでしまうという不孝に見舞われた在日韓国人・四人兄弟の末娘の日記である。今村昌平監督は、この映画の中でさりげなく重い問題を描きながらもカラッとそれらを受け入れていく人間賛歌として描きあげた。それはたとえば以下のような場面にも見受けられる。
妹の末子が恐る恐る学校に教科書代を払わないといけないと長兄の喜一に言う。すると会社も解雇され(それも臨時雇いであったのだが)生活費が絶たれてしまい何も打つ手がない喜一は、学校はいかなくていい、4年生は休めと言葉を返してしまう。金がない現実、聞くも残酷言うも残酷な会話だ。気まずい沈黙の後、喜一はいたたまれなくなり「俺、映画へ行っくる」と立ち上がる。
それを見ていたにあんちゃん・高一が「兄ちゃん、映画へ行くお金あるとなら、末子の本、買ってやったらどやねんかね。」兄に対して反発する。素直な気持ちからくる言葉だ。そこから二人のつかみ合いが始まる。何とかしたい気持ちはあるものどうしょうもない長男の喜一、そのやりきれなさと悔しさは、本当は映画なんか行く金もないのに、映画に行くとその場を立ち去るしかなかったのだろう。
始まりは小さなことだったかもしれない、しかしそれが度重なりどうしょうもない状態へと展開していく。そんな不幸の輪の悪循環の回転。家族の崩壊はそんなことから始まるのだろう。
しかし今村昌平は悲劇の始まりとなしなかった。ケンカをしている最中に、人情家の辺見(殿山泰司)が現れ、喜一には仕事の紹介状を渡し長崎に行けとそして残った兄弟は引越しだと自分の家へと連れて行こうとする。思わぬ突然の来訪者、展開。不幸に向かう波は、外からの力によって向きを変えられてしまうのだ。この映画は、一見不幸な場面であってもそこに希望?の光を差し込ませ、とにかく明るく力強く展開していこうじゃないかとカラッと“晴れた日”演出がなされている。
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たしか菅井きんも出ていたような気がするけど、あの人だけは役者じゃないと思った。(どこからか普通のおばさんを引っぱってきたのに違いないって)
わたしは「果てしなき欲望」の渡辺美佐さんがつぼ持って雨の中走って逃げるシーンが好きでした。
(わたしの日常)より。
にあんちゃんは今村の細部に渡る演出が、より一層のリアル感を出し、その分子供達が力強く思えます。
また、小生のブログを見てやってください。