memory of caprice

浮世離れしたTOKYO女子の浮世の覚書。
気まぐれ更新。

多くを与えられた者は・・

2015-06-14 20:25:55 | 
タレントのパックンことパトリック・ハ―ランさんの「一語一会」
2015年4月30日の朝日夕刊より。

ハーバードで比較宗教学を学んだあと卒業後の進路を考えあぐねて福井県の小学校で働くことになったアメリカ人の幼馴染に誘われての来日から、英会話学校講師をしながらのアマチュア劇団時代。本格的に役者をと東京へ。知人を介して吉田真さんとであってお笑いコンビ「パックンマックン」を結成。

「僕の人生、ほとんど誰かの言葉で動いてきたんだけれどね」

 節目ごとに出会った様々な言葉でも、とりわけ色濃く記憶に残っているのが、高校の英語教師だったホーリー・クロンキ―先生の一言。気性が荒く、怖い存在だった。
 最初の出会いは小学生のころ。地元の高校生が出演する劇で子役を務めることになった。演出をしていたのがクロンキ―先生で、その厳しさに度肝を抜かれた。一生懸命頑張っている子供に向かって「何だ、それは!」「練習してないだろ!」と怒鳴りまくっていた。
 高校生になり、その「怖いおばさん」と再会した。英語の授業を受け、演劇を教えてもらった。「僕の成積はそれまでAばかりだったのに、どんなに頑張っても彼女がくれる評価はBとかBマイナスだった」。誰よりも上手く歌えて踊れているはずの舞台でも一番怒られた。「ナニコレ?と不満でしたよ」
 ある日の放課後、「なぜ僕にだけ厳しいんですか?」とクロンキ―先生に猛然と抗議した。すると先生はきっぱり言った。
 「多くを与えられた者は多くを求められるのです。優れたものをたくさん与えられているのだから、あなたに対する基準は他の人たちとは異なります。あなた自身も自分に対する基準を上げなくては」
 耳慣れない言葉の重みに圧倒された。「それまでチヤホヤされてばかり。自分の可能性や素質、義務について諭されたのは初めてでしたね」。
先生への感情は信頼に変り、勉強も演劇も一層の高みを目指すようになった。のちに、その言葉は新約聖書の引用と知った。
 「自分が周りに何を求められ、何が出来るのかなって考えます。あの一言がなかったら、いまの自分と全然違っていただろうな」


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