ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

Taspo(タスポ)に「ガラパゴス化」を越えたメリットはあるのか

2008年03月30日 | ビジネス
喫煙家には面倒くさいtaspo(タスポ)だけれど、このtaspoで採用されている技術が事実上、日本のスタンダードとなっているFeliCaではなく「Mifare(まいふぇあ)」だとか。日本の「ガラパゴス化」が叫ばれている現在、このことはいいことなのか、悪いことなのか、そもそも「ガラパゴス化」はだめなことなのだろうか、考えてみた。

このMifareという規格自体は非接触型ICカード規格・ISO14443 TypeAで世界標準のもの。住民基本台帳カードがTypeBで世界標準規格に準拠しているものの、FeliCaはTypeCの規格外。実は世界的にみれば、ある意味、マイナーな規格なのだ。事実2003年時点のMifareカードの発行枚数は、世界中で4億枚近く(2003年11月)に上り、同時期のFeliCaは3800万枚のカードにすぎない。つまり市場規模としては1/10程度となる。

何故、taspoがMifareを採用したのかは不明だけれど、おかげでtaspoを利用するには専用のカードが必要になる。「suica」や「edy」、「nanaco」などはFeliCaという共通のICカードの規格を利用しているので1つの携帯電話に搭載できるのに、taspoは全く別のカードが必要になる。

本来、ICカードは財布の中のいろんなカード類を束ねて一枚にしましょうというのが狙い。だからこそPF部分とアプリケーション(それぞれのサービス)を分離し、かつ不正利用できないようにセキュリティを高めているのに、現実はそれぞれのICカードにアプリケーションが追加できないという、本末転倒な結果に。唯一その壁をこえているのが携帯電話を利用したICカードの展開だったのだ。

現時点でICカード上のアプリケーションというのは殆どが国内の利用に限定しても問題ないだろう。毎日の通勤や買い物で利用する範囲というのは「物理的に」制約があるし、経済格差や為替というものがある以上、「ポイント」や「電子マネー」というものが世界中で共通のものを利用することもまだまだ先だ。

となると、こういったPFに位置するものは世界標準かどうかよりも、その域内で共通化されているかどうかこそが大事なのだろう。すくなくとも「利用者」にとっては。

これに対して「ガラパゴス化」を憂う声というものがある。これは利用者の立場というよりも「製造業」の競争力の低下を憂うものだろう。

「ガラパゴス化」というのは、

1)高度なニーズに基づいた製品・サービスの市場が日本国内に存在する
2)一方、海外では、日本国内とは異なる品質や機能要求水準の低い市場が存在する
3)日本国内の市場が高い要求に基づいた独自の進化をとげている間に、海外では要求水準の低いレベルで事実上の標準的な仕様が決まり、拡大発展していく
4)気がついた時には、日本は世界の動き(世界標準)から大きく取り残されている

という状態。NRIの「未来ナビ」によると代表的な「ガラパゴス化現象」の例として「携帯電話」「非接触型ICカード」「建設業」「デジタル放送」などが挙げられている。

ここで注意しなければいけないのは、1)と2)のギャップだ。

日本人というのは非常に高い品質を要求するお客だ。それらの水準に基づいて、かつある程度の市場が存在する場合、日本のメーカーとしてはまずその市場でのパイを獲ろうとするだろう。高い水準での技術力があれば低い水準でも対応できるが、その逆は無理なのだから。

しかし2)であるように、海外で低い水準の市場がありそこで「標準化」技術が成立してしまうとしたら、あるいは低い水準の市場規模が大きくなり「ハイエンド」な商品ではなくコストパフォーマンスに飛んだ「ローエンド」な商品が求められるのだとしたら、製造メーカーはどのようにすべきなのだろうか。

製造メーカーにとっては、この「ガラパゴス化」というのは一種のイノベーションのジレンマみたいなものなのだろう。高い品質・技術力が必ずしも市場での最大価値を生み出すわけではないのだ。

しかし生活者にとっては「ガラパゴス化」しているかどうかは直接の関係はない。よりいいサービス・品質のいい商品が適切な価格で手に入ればいいのだから。

またそもそも「ガラパゴス化」の議論の際にそのことのメリットが語られていないのではないだろうか。

市場の要求水準が高いということはそれだけで参入障壁となる。日本市場が伸びている際には、その水準を満たすことのできる限られた国内メーカーでその市場を分け合っていたのだ。NOKIAなど世界水準「ボーダフォン」端末が日本の市場で全く支持されなかったのにはそれだけの理由があるのだ。

また高い技術水準・サービス水準が担保されるということは、そこから新しいビジネスも発生する。P2Pなど違法のコンテンツ流通によってCDの売上が急落しているのは日本に限った状況ではないが、日本では「着うた」「着うたフル」がその代替として急成長している。

言語や文化の世界で考えてみよう。「世界標準」の言語は「英語」であり、「日本語」など日本でしか通じない「独自仕様」の言語といってもいいだろう。しかしそのことは文化的な参入障壁となって、日本に独自の価値観・独自の文化を生み出し続けている。

例えば映画産業。ヨーロッパでまともにハリウッド以外の映画産業が成立しているの国があるだろうか。フランスや一時のイギリスのように国策として育てようとしない限り、単発としてはいい作品もあるが全体としてはハリウッド作品に押されっぱなしだ。これに対して日本の場合、2007年の10億円以上の興行収入の映画の本数を比べると、邦画29本に対して洋画は22本と決してハリウッド一色というわけではない。

「ガラパゴス」であることは、その内部に留まる限り、外部に対しての参入障壁がある「パラダイス」なのだ。

日本市場自体がが成熟社会を迎えある種の制約を生み出したとき、これまで同様より企業としての成長を求め続けるのであれば、「ガラパゴス」内に留まることはできないだろう。しかしそのことは内部に留まる者・高い要求水準を求めている者には関係がない。

またガラパゴス化が問題といいつつ、これまでも日本のメーカーはそれぞれの国でそれぞれの競争環境にあわせた商品や技術を提供してきている。

アナログテレビも日本とアメリカではNTSC方式だが、ヨーロッパや中国など世界の多くはPAL方式だ。しかし日本のメーカーのTVやビデオがヨーロッパで販売されなかったわけではない。またFOMAやVodafoneの通信方式はW-CDMA方式、auはCDMA2000方式とどちらも世界で標準化された技術であり、今では両方式を提供してる日本のメーカーも多く、世界で展開するだけの技術力はあったのだ。

以前に増して、世界経済の一体感・スピード感が重要になり、「知財」に対する考え方が重視されるようになったという変化は認めつつも、日本という特定の市場を中心に考えるのか、より大きな市場を中心に考えるのかによって企業の成長戦略は異なるし、調子がいいときは「日本発の技術を世界へ!」と考え、うまくいかない時は「ガラパゴス化」が問題になる、ということなのだろう。



Mifare【まいふぇあ】

未来ナビ「ガラパゴス化」する日本


ドコモ、au、ボーダフォンがFelicaで揃い踏み!電子マネーはどうなるのか?

「円」は電子マネーになるか-情報としての貨幣流通がもたらすもの


コメントを投稿