ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「円」は電子マネーになるか-情報としての貨幣流通がもたらすもの

2005年01月31日 | 貨幣、ポイント
先日、「ゲリラ化する偽札事件」の中で「情報」としての「貨幣」についてちょっと触れたのだけど、このまま「貨幣」が物理的な媒体にとらわれない情報として流通した場合に、果たして「貨幣制度」はどうなるのかということについて書いてみようと思う。これまでもこのブログで何度か書いているけれど、基本的に僕は早晩(と言っても十年単位の話で)現状の「貨幣制度」は崩壊するというスタンスなので、現実味を感じない人は適当に流しつつ読んでもらうくらいがいいのかな、と。

「貨幣」というものがそもそも「物理的媒体(紙幣)」と「情報(価値)」という2つの側面から成り立っているというのは「ゲリラ化する偽札事件」の中で述べた通りだ。そして現在の情報ネットワークの発達によって「貨幣」が特定の「物理的媒体」に依存している必要性は少なくなってきている。例えばネットバンキングの発達は銀行の窓口にまで「お金」を持ち運ぶ必要さえなくなってしまったし、「楽天」などのECモールでの買い物ではクレジットカードなりが全てを片付けてくれる。最近では、EDYのような電子マネーも登場しており、携帯電話は持ち運ぶ必要があるかもしれないけど、財布を持つ必要さえなくなってしまった。

ゲリラ化する「偽札事件」-情報としての貨幣流通がもたらすもの

貨幣はBit化し、物理的な実体をもたぬまま流通する日は決して遠くないのだ。

しかしそうなった場合、誰がその社会的インフラとしての「貨幣」を整備するのだろうか。それがEdyなどの電子マネーじゃないのか、という人もいるかもしれない。しかしEdyとはSonyやドコモが株主となっている1民間企業であるビットワレット社が提供しているプリペイド型電子マネーサービスに過ぎない。だからこそ日銀が発行する「円」→「Edy」への交換(ポイントの購入)は可能であるが、その逆は行っていない。民間企業である以上、Edyからの流出は避けなければならないのだ。

またこのような民間がベースとなっている電子マネーは何もEdyだけではない。「Suica(JR系)」、「Webマネー」、「ネットキャッシュ(NTT系)」、「ちょコム(NTT系)」など、普及度やサービス内容に違いはあるものの基本的には同じものだ。

ビットワレット株式会社
JR東日本:Suica
「NET CASH」 NTTカードソリューション
電子マネーちょコムとは

まぁ、「円」も日銀からの「借入証文に過ぎない(木村剛)」のだし、それぞれの電子マネーが流通してもいいのではないか、という考え方はもちろんある。ただし例えば、ある店ではSuicaでの決済は可能だけれどEdyでは払うことができない、Edyは貯まっているのに銀行の「円」残高が不足していて支払いができない、といった流動性の問題があるだろう。

またANAのマイレージをEdyに変えることができるといったように、1民間企業のポイントサービスとして考えれば許容の範囲でも、「円」に代わる(あるいは対等の)貨幣として考えるとどうだろう。これは貨幣の供給量を日銀や大蔵省だけでなく民間企業の販売戦略にも影響されてしまうということに他ならない。

またビットワレット社が海外の電子マネーを提供している企業とポイント交換の提携をした場合はどうだろう。おそらくそこには「円」と「ドル」が行っているような変動相場制は行われないだろうから固定相場となるのだろう。となると、片方で変動相場によるやり取りが行われつつ、片方で固定相場が存在することになる。これは明らかに投機の対象となるであろうし、それをコントロールするための主要なプレイヤーの一部が利益追求を目的とする民間企業となってしまう。

「貨幣」とは社会の経済行為を媒介するための共通のインフラクトラクチャーであるべきであろう。とすると、EdyにしろSuicaにしろこれら民間企業が提供するプリペイド式の電子マネーは「円」というベースがあってこそ成り立つものと考えるべきだろう。ではこの「円」自体のBit化・電子マネー化は誰が行うべきなのか。国か?民間か?PFIによる事業化か?またその時、これら電子マネーとの両立しうるものなのか。

EdyやSuicaのような電子マネーが普及すればするほどこの矛盾は大きくなっていくのではないだろうか。




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