Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

DIE FLIEGENDE HOLLANDER (Fri, Apr 23, 2010)

2010-04-23 | メトロポリタン・オペラ
ドレス・リハーサルから3日経った今日は『さまよえるオランダ人』のシーズン初日です。
今日はおかげさまで前の晩良く寝れまして、体調はこれ以上ないぐらいいいです。
あのドレス・リハーサルで聴いた大野さん率いるオケの緩さや、
ウーシタロやヴォイトのぱっとしない歌は、私の睡眠不足ゆえの幻聴だったのか、、?
そうであることを願う!

そのヴォイトについて、ドレス・リハーサルのレポートでふれずにいてしまったのですが、
あの日は、いくつかマーキング(=フル・ボイスで歌わないこと)していた箇所もあって、
リハーサル仕様の歌唱ではあったので、今日はもしかしたら、
見違える、いえ、聴き違えるような歌を聴かせてくれるかもしれません。



しかし、またしても序曲でがっくり。全然リハーサルと変わってないか、
下手するとさらにまずくなっているくらいか、、?
私が見たところでは、肝心なところでオケにクリアな指示が出ていないように見える箇所があるように感じるんですが、
大野さんがきちんとした指揮のテクニックを持っていないことはないと思うので、
これは一体何なのか、、?と本当に不思議な気持ちです。
もしかすると、ご本人は指示を出しているつもりなのかもしれませんが、オケには伝わってないと思います。
あうんの呼吸というのは、もしかしたら、彼が音楽監督を務めていたモネや、
現在首席指揮者であるリヨンなんかでは期待できた・できるのかもしれませんが、
メトでは大野さんはあまたいる客演指揮者の一人ですし、
与えられた短いリハーサルの間によほどがっちり意図をオケに伝えられたのでなければ、
それをオケに期待するのは危険で、やはりはっきりとした指示ほど強いものはありません。
後、大野さんほど場数を踏んでいる指揮者でそれはないと思いたいのですが、
もしかすると、メトやその舞台に立つ歌手たちに少し気後れがあって、遠慮している可能性もあるんでしょうか?
リハーサルの時と全く同じで、やっぱり自分が音楽をリードして行く!オケも歌手も自分が引っ張る!という感じよりは、
自分はとりあえず指揮するんですが、オケや歌手さんたちに演奏して・歌ってもらって、
ま、それに合わせて僕も振りますんで、というような、”とりあえず”&”なんとなく”感があるのです。
もちろん、時と場合に応じて、歌手に合わせることが必要・大事な場面もありますが、
音楽作りの基本の姿勢、デフォルトがそれというのは、やっぱりちょっとおかしいと思います。
もちろん歌手もオケも、(もしそのような気後れが大野さんにあったとして)大野さんのそんな気持ちとは裏腹に、
当然ながら、そしてそれは正しいことなのですが、オペラの公演の音楽的リードは指揮者がとるもの、と思っているので、
二人の外野手の間に凡打が落ちるような、責任の所在を相手になすりつけるようなエラーになってしまっているのです。
もし、逆に大野さんの頭の中にきちんとした指揮のビジョンがあったというなら、
それは、それを実現させるための指示がオケに伝わっていないということで、
テクニックの問題、もしくは不十分な準備という論点に戻ってしまいます。



私は普段、メディアの批評は一応読みはするものの、私の考えとは一切関係ないと割り切っていますが、
(特にNYタイムズとはしばしば意見が食い違う。)
日本人として、大野さんの今回のメトでの指揮の評価が気になる、という方もいらっしゃると思うので、
いくつかご紹介します。
まず、コンチェルト・ネットのアーリーン・ジュディス・クロツコの評。
”ジェームズ・レヴァインによって磨き上げられたアンサンブルを誇るメト・オケのような優れたオーケストラをしても、
この素晴らしいスコアからどれくらい劇的インパクトを引き出せるかというのは、指揮者の技量にかかっている。
そして、ああ、大野和士の指揮は、残念な失望に終わってしまった。
彼は平たいテクスチャーと変化のないサウンドで塗り固めた演奏でオケを引っ張り、
時に現れるライトモチーフはかろうじてひねり出される、と言ったふうだった。
彼の指揮棒から出る音楽には、ワーグナーが海の力とそして運命の厳しさを表現するために込めた、
必要不可欠なドライブに欠けていた。
代わりに作品の至るところで感じられものといえば、無関心さ、やる気のなさ、である。
大野はしばしば歌手に十分なサポートを与えず、かと思えばオケの音で彼らを沈めてしまうこともあった。
彼の指揮はまた概して舞台で進行していることとのコーディネーションが悪かった。
(中略)
メト・オケにこの指揮はなかろう、、。”
いやー、びっくりしました。自分が書いたかと思う位、同じ意見で。



そしてNYタイムズのアンソニー・トマシーニの評。
”、、、主な問題点は、フィンランドのバス・バリトン、ユーハ・ウーシタロによるオランダ人役の中身のない表現と、
大野和士による、こちらをいらいらさせる指揮、である。
東京生まれの大野氏は、2007年にメト・デビュー、
現在、フランスのリヨン・オペラの首席指揮者を務め、世界中の主要歌劇場で指揮している。
にもかかわらず、このワーグナーの重要な作品で、彼が何をやりたいのか、私にはちっとも理解できなかったし、
結果として出てくる音も無力だった。
ピットの中では彼は動きも大きく、エネルギー豊かだ。
しかし、彼がオーケストラから引き出した演奏は統一感がなく、
時に引き締まってぱりっとしたかと思うと、突然集中力を失い、おざなりになって、
音の入りがばらばらということもしばしばだった。
さらに問題なのは、演奏に様式、ドライブ、ドラマの三つが欠けている点である。
時に、彼の指揮から、軽さ、明晰さを音楽に引き出そうとする意志が伺え、
それはイタリア風のリリシズムという要素を持つこの作品においては、妥当なアプローチではあるのだが、
音楽が薄っぺらく、生気がないものに聴こえることが多すぎた。”
”いらいらさせられる指揮”って、大野さんも大概な言われようですが、
まあ、作品が作品ですし、最低でも期待している躍動感というものがあるので、
それが欠けていたらいらいらもするし、私もしたんですけれども。



それからこちらはサン・フランシスコ・クロニクル紙に掲載されたものなのですが、
自社の批評家を実際の公演に送れない地方紙と同様、共同通信(AP)からの借り物評で済ませてます。
(ただ、SFクロニクル紙は、メトについても、公演によっては自社の批評家のオリジナルの評を
掲載することもあったように記憶しています。)そのAPのロナルド・ブラム評。
”リヨン・オペラの首席指揮者である大野和士はあまりにそそくさと旋律を演奏することを重視して、
顔にしぶきがかかってくる気がようなリアルな海の感覚が犠牲になってしまった。”
え?そ、それだけ、、?
ただ、私の考えではテンポの物理的な数字自体はあまり問題ではなくて、
例えば、クナパーツブッシュの指揮の音源(バイロイト)での序曲など、
物理的な数字では遅いんでしょうが、きちんと緊張感が保たれています。
問題は、このいい意味でのテンション、緊張感がきちんと演奏に保たれているかということで、
これがきちんと感じられるなら、天文学的な数字の速さでも、またこれ以上遅く演奏できません!という亀演奏でも、
どちらでも構わないと思います。
限度を越えた遅さ、速さは結局このテンションを失わせることになると思うので、
このステートメントはいずれの場合も有効だと思います。

、、と、まあ、こういう感じなんですが、調べてみて驚いたのは、他の演目に比べて、実に評自体が少ないこと!
一応ヴォイトのような有名歌手がキャスティングされながら、
良い公演、話題の公演なら取り上げてくれるはずの他紙・誌(フィナンシャル・タイムズ、NYポストなど)に
完全黙殺されている点にも、つまり、評がないということ自体に、この公演のふがいなさが表れています。



ウーシタロの歌ですが、私はドレス・リハーサルに重ねて、
今回の本番の公演を聴いて、やはり、彼にこのオランダ人役は厳しいのではないか?
という意見に達しつつあります。
You Tubeに彼の2005年の公演と思われる映像が上がっていて(Uusitalo, Dutchmanと検索すると出てきます)、
野外の公演のため、ヘッドセット型のマイクをつけて録音しているんですが、
すでにこの頃から今の歌に至る兆候が現れていると思います。
彼の歌うオランダ人役は、音域的に非常に制限があって、あるところ以上にいくと、
ざらっとした手触りがあるのは、上で紹介した評の中でそう述べているものがある通りで、
すでにこの2005年にもそれが確認されます。
それがもっと進行してしまった状態が、今回のメトでの歌唱といってもいいと思います。
また、この2005年の音源は野外での公演ということで、メトで歌う時と似た心理作用が働いているのかも知れませんが、
発声にほとんど不必要といってよいレベルの負荷がかかっているように感じます。
不必要という言葉は、ここでは、その努力が音にどんな面でのパフォーマンス・アップとしても表れない、という意味で私は使っています、
もしかすると、もう少し規模の小さい劇場ではこんなことはないのかもしれませんが、
もしワーグナーを一線で歌って行くというのであれば、
メトほどではなくてもそれなりにサイズのある劇場で歌わなければならないこともあるわけで、
その時には必然的に今回のメトでのような歌唱になってしまう、ということになると思います。
ドレス・リハーサルの記事でも書きましたが、この負荷のせいで、音の重心が頻繁にぶれるような歌い方になっていて、
この点は劇場で聴くより、シリウスなどマイクを通した音源でよりはっきり感じられます。
彼のオランダ人は、妙な感情過多な歌い方を排し、自らの運命に厳しい感じやエレガントな雰囲気もあり、
方向としては私は嫌いではないのですが、
やはり、素材に難があると、結果として出てくる料理のおいしさにも限界があるのは自明なことです。



ヴォイトは一応今日はフル・ボイスで歌ってますが、歌の全体の印象としてはそうドレス・リハーサルの時と変わりありません。
以前の彼女はトップの響きが非常に美しかったと言われていて、
それは年末の『エレクトラ』の時に、まだ、ある条件のもとでは出てくる可能性があることが十分確認出来ましたが、
ここ数年のワーグナーの全幕作品の彼女の歌唱で、あれと同等のものを私は残念ながら彼女から聴いたことがないです。
125周年記念ガラでの『ジークフリート』からの抜粋の歌唱ではそれを感じましたが、
特にスタミナを要される演目で、抜粋を全幕と一緒にすることは出来ないので、、。
今日のゼンタも、残念ながらトップに軽い緊張感がありました(もちろん悪い意味での)。
しかし、私の目から見て、彼女の歌唱で他の何よりも大きい問題に思えるのは、
彼女に役をインターナライズする能力、もしくは努力に欠けているように感じられる点で、
これが、彼女の歌はどれも少し退屈というか、わくわくさせられない原因になっているように感じられます。
『エレクトラ』での歌唱は、彼女のそういった努力が身を結んだというよりは、
彼女の個性、性質、すべてが上手くマッチした幸運の産物なのではないか、というような気もしているのですが、どうでしょう?
特にワーグナーの上演では、いまだ、歌手側の歌唱での負担があまりに大きいこともあって、
他のレパートリー(例えばヴェルディやプッチーニの作品)で基準になっているようなレベルの演技が出来なくても、
多少歌手が大目に見てもらえる部分もあるのですが、それにしてもヴォイトの演技は、
ちょっと水準が低すぎるというか、舞台監督に言われた動きを何も考えずに再現しているようにしか見えません。
この『オランダ人』とほぼ、もしくは全く同時期にメトで演奏された演目で見られた
『トスカ』でのラセット、カウフマン、ターフェルの、『カルメン』でのカウフマンの、『ルル』でのペーターゼンの演技と比べると、余計にそのお粗末さが目立ちます。
作品の種類が違うと言われるかもしれませんが、どんな作品でも、自分の演技が
歌や作品のコンテクストとどのように関わっているかと考えながら実行するのでなければ、意味がありません。
特に第二幕でエリックになじられながらも、オランダ人への思いが募って、
エリックが自分の見た夢(これが正夢になってしまうわけですが)として、
オランダ人とゼンタの出会いと愛を暗示する内容を語ると、エクスタティックな興奮に耐え切れなくなって、
絵を抱えながら、後ろに仰け反る演技は、本来なら、この作品の中で、
ゼンタの中に鬱屈していた精神的愛と実在するオランダ人への性愛が結びつく、
空想の世界と実際の世界が結ぶつく、非常に重要なシーンとなったはずが、
彼女の表面だけをなぞった演技に、オペラハウスの客席からは爆笑・失笑の渦。
こういう演技は、表面だけ取り繕うのではなく、内面から恥を捨てて本当に自分の中で咀嚼して演じないと、
このようなコメディ・アクトになってしまう、、、。
レパートリーは全然違いますが『カルメン』のカウフマンのエロ満開の演技
説得力があるのとは、そこに違いがあるのです。
ウーシタロのオランダ人の性格描写に難点があるというなら(トマシーニよ、お聞き!)、
ヴォイトのゼンタにも同じくらい難点があったと思います。



エリックを歌ったステファン・グールド。
彼はアメリカ人で、Stephenという綴りは、本人、いや、親の、と言ったほうがいいのかもしれませんが、
の意思で、スティーブン、ステファン、いずれの発音もありえます。
新国立劇場の資料では、ステファンとしているようなので、彼に関しては、こちらでもステファンにしておきます。
彼の発声と歌唱、私は嫌いですねえ、、、。
大きい声を張り上げるばかりで、ニュアンスというものが全く欠落しているし、
ドラマと無関係に、歌ばかりがばりばりと進んでいく感じ、、、。
最近、ワーグナーの作品がレパートリーに入っているテノールにこの問題を抱えている人が本当に多いように感じますが、
私は彼の発声にも、どこかやり方が正しくない耳障りな響きを感じます。
『アリアドネ』のランス・ライアンもワーグナーをレパートリーにしていますが、
彼にも私は不自然な発声の匂いを感じます。)
すでにトップにはざらざらした音が混じりだしているように思うのですが、
彼の場合、そんなテクスチャーの問題よりも、まず、歌に全く知性が感じられないのが嫌です。
エリック役だからかろうじてまだしも、この歌唱を他のワーグナー作品でやられたら、きついだろうなあ、、。

では、指揮、キャストが総倒れだったかというと、たった一人、健闘していた人がいます。
ダーラント役のケーニッヒです。
彼はつい最近、『魔笛』のザラストロでも聴く機会がありましたが、
私は圧倒的にこのダーラント役での彼の方が良いと思いました。
ザラストロの時ほど声量は威圧的ではなく、非常にコントロールされていて、
言葉に込められたニュアンスの豊かさは、グールドに爪の垢でも煎じて飲んでほしいくらいです。
彼はダーラントの強欲な部分をそう強調せず、お金も好きだけど、娘のことをとても大事にしている、
気の好い、愛すべき人物としてこの役を歌い演じていて、
このタイプのアプローチとしては、これ以上なかなか求め得ないほど上手く歌い演じています。
せっかくの好演が指揮と主役に台無しにされて、本当に気の毒。

舵取り役のラッセルは、風邪から病み上がり直後だったと思しきドレス・リハーサルの時よりは、
少しコンディションが上を向いて来ているように感じましたが、
彼の本来の歌唱として聴くには少し躊躇するレベルですので、
リハーサルのレポートで書いた以外の感想は、特に書かないでおこうと思います。


Juha Uusitalo (The Dutchman)
Deborah Voigt (Senta)
Hans-Peter König (Daland)
Stephen Gould (Erik)
Russell Thomas (The Steersman)
Wendy White (Mary)
Conductor: Kazushi Ono
Production: August Everding
Set design: Hans Schavernoch
Costume design: Lore Haas
Lighting design: Gil Wechsler
Stage direction: Stephen Pickover
Dr Circ A Even
ON

*** ワーグナー さまよえるオランダ人 Wagner Der Fliegende Holländer ***

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23 コメント

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ご無沙汰しています (rosynow)
2010-05-18 13:21:47
僕もNYタイムズ読みましたが、大野さん本当に酷評されてますよね。
ワーキングリハーサルは観たのですが、ドレスリハーサルがあったとは知りませんでした。
同じ23日の本番を観たのですが、日本人ということで贔屓目があるのは重々承知ですが、あそこまでの酷評は無いんじゃないかと感じます。とはいえ友人も散々こき下ろしていましたが。
がなり立てていると評されたUsitaloにしても、批評の後なので気をつけていたのかもしれませんが、そういう風には全く感じませんでした。
歌っているだけで演じていないヴォイトが、僕は気になって仕方ありませんでした。

これにめげずに大野さんには頑張ってもらいたいものです。5月5日のルイジの振るルルのドレスリハーサルには奥さんと二人でお見えになってましたが。

シーズン終わっちゃいましたね。
何だか憂鬱ですね。
返信する
ゲルギさんを思い出します。 (ゆみゆみ)
2010-05-19 09:16:12
「オネーギン」のゲルギエフのリハーサルを思い出します。
撮影されているという意識があったにしても歌手(あのキャスト凄い人たち)に状況を考えたら「何処を向いているべきか?」と尋ねたり、チャイコのもつ、繰り返しによる盛り上がりの指示をオケにしている場面などを鮮明に思い出します。
私も最後のビューイング。何とかやりくりして行きたいと思っています。
寂しい
返信する
例えばこんな実験 (Madokakip)
2010-05-20 16:45:57
 rosynowさん、

こんにちは!本当に、、シーズンが終わってしまって、私、早くも抜け殻状態で何をする気にもなれません。
早くも廃人状態になりつつあります。

そうですね、、大野さん、、私も同じ日本人として応援しており、贔屓目にも見たいのですが、
ちょっと今回は厳しいかな、、、。
といいますのは、私が考えるに、指揮者としての評価には大きく分けて二つの面があるんじゃないかと思います。
一つはオケから実際に出てくる音。言い換えれば目をつむっていて聴こえる音。
それから、もう一つはオケに対して出している指示も含めた評価。
一つ目がすべてだ!という考え方ももちろんあるでしょう。
ただ、この先もメトに客演を続けていけるようになるには、二つ目のポイントも無視できないと思うんですね。

この二つ目のポイントで最大級にやらかしてしまったのが『椿姫』のスラットキンのような例なんですが、
大野さんもこちらでかなりポイントを落としたと思います。

いくつか問題はあったと思いますが、テクニカルな面でもっとも気になったのは、
所々に現れたダウンビートの指示の曖昧さです。
このような実験をイメージして頂けたら、と思います。
指揮に合わせて、ダウンビートが来る度に、あーと歌う、という簡単なものです。
まずダウンビートがはっきりしたクリアな指揮。歌うべき場所がとってもはっきりしていて歌うのに何の苦労もないはずです。
しかし、大野さんの問題をかなり誇張して再現したものに合わせて歌おうとすると、
タクトが降りている場所がわかりにくく、どこであーと歌い出せばいいかわかりません。
(私も友人にお願いしてやってもらいましたが、口があの字に開いたまま、音を出せませんでした。)

メトの公演ではしかし、口をあの字に開いたままにしていては大問題で、
Show must go on、オケや歌手はそれでも何とか音を出していかなければなりません。
これがキャストやオケの各セクションにとってどれだけ疲れる作業か!
結局、少なくともこの日の演奏では、オケの団員たち、もしくは歌手自身の判断で埋められた音がたくさんあったということなんです。
それが結果として、音楽としてはそこまで悪くない、と感じられたとしても、
この本来存在すべきでないストレスをオケに与えている、という点で大きなマイナスです。
もちろん、これが歌手にとっても同じストレスになっていることは言うまでもなく、
それが批評の中で言われている“歌手へのきちんとしたサポートがない”と言及につながっているのだと思います。

以前の『アイーダ』のときはこんな問題があった覚えがないので、
テクニックそのものの問題というよりは、もしかすると、この作品で何かきちんと消化しきっていないところがあるのかな?と推測するしかないのですが、
おっしゃるとおり、この経験をばねにして頂いて、これから活躍を続けて頂きたいです。

ヴォイトについては、おっしゃる通りで、いくら歌で余計に気をつかうといっても、
彼女の立っているだけで演じてない、というのは、かなりいつものことなんですよね、、。
痩せることになにがしかの効果があるとすれば、単に体重が減ったということだけではなくて、
それに伴って生まれる“私は綺麗なんだから今やどんな役にもなりきれるのよ。”という自信、
それが演技や歌唱を次のレベルに押し上げる点にあると思うのですが、
ヴォイトに関しては体重が減ったという段階でとまっているような感じがするのが残念です。
返信する
リハーサルも (Madokakip)
2010-05-20 16:48:29
ゆみゆみさん、

そうなんですよね、、『オランダ人』はリハーサルの時にもあんまり指示が出ていなかった、というようなことも聞きました。
雀の涙のようなリハーサル時間だったでしょうが、まだ与えられているだけましなんですから、
それを最大限に活用して欲しかったです。
全然リハーサルなしでピットに飛び込んでいる指揮者もいるわけですし、、。

>最後のビューイング

『アルミーダ』...きゃあああああ。
返信する
出待ち@5月6日 (チャッピー)
2010-05-21 23:00:09
METの観客からは生温い拍手を送られた大野さん。
でも、出待ち連中のテンションは高かった!
大野さん目当てに来たポーランド人。「ミスター円」と呼ばれた某大蔵官僚に似た東洋系のおじさん。それに常連の計7人で盛り上がりました。
出演者の中で真っ先に出てきた大野さん。カメラを向けると笑みを浮かべる。かわいい!ファンサービスはお好きなようです。
私を見ると「あっ、どうも」。(海外行くと日本人よりチャイニーズに見られるんだが、やはり日本人に見られると嬉しい)
プレイビルと彼が表紙のAERAにサインしてもらいました。書くのに30秒くらいはかかる、すんごく丁寧なサインです。(下手すると50人は集まるかもしれない新国立でもこのサインが出来るか?)
しかしこのテンション、「あんたはこんなもんじゃない、ガンバレ!」なのか、「もうこれが最後だから、しっかり貰っておこう」なのか。

続いてケーニヒ、ウシタロウ、グールドが続々と登場。三人一緒のところを写真に撮らせてもらいました。
で、ヴォイト。待てど暮らせど出てこない。年末に出待ちでご一緒した日本人の方が「本来彼女は出待ちが好きではない。ここは地元だからやるみたいだけど」と言ってたのを思い出す。地元であっても、出来が良くないor機嫌が悪いとやらないみたいです。

常連の白髪のおばさま(not西宮のおばさま)が、日本人と結婚して68年から74年にかけて日本に住んでたことが判明。1時間ほど立ち話。私の家から車で30分くらいの所に住んでたこともあるらしい。
すべての道はMETに通ず・・・
返信する
メトってこんなもの? (Madokakip)
2010-05-25 14:07:35
 チャッピーさん、

>書くのに30秒くらいはかかる

どんなサインしたら、そんなに時間がかかるのか、、
大野和士、どの字も画数少ないのに、、、。

ところで、最近、ある女性批評家の方のブログに、このメトでのオランダ人のことや、
大野さんと交わした言葉が簡単に掲載されてました。
とりようによっては大野さんの言葉も言い訳ともとれる内容で、かっこよくないなあ、と思いましたね。
しかもこの批評家の方、今回メトにいらしたのが初めてらしいんですが、たった一回の演奏を聴いて、
“詳しくは書きませんが”“メトってこんな程度か”と思ったんだそうです。
こんなもの、とばっさり一刀両断するなら、その根拠くらいは書くのが礼儀だし、
プロの批評家のくせに、たった一回の演奏で、その劇場の実力をジェネラライズするような一文を平気で書ける神経も私にはよくわかりません。
っていうか、そんな“メトって”と一文で総括できるほど、今のメトをきちんと生で聴いてないでしょうが!という、、。
同じことをゲルブ支配人やキャストやオケのメンバーの前に立って言えますか?って思います。
その一方で、あのオランダ人の指揮を褒める文章があったりして、本当、白けました。
全部訳して、チエカさんのブログに投稿したら、どんなリアクションが地元ヘッズから来ただろうか?と、
想像するだに恐ろしい。
だって、そのチエカさんのブログでの読者投票による年間ワースト非新演出演目に、
堂々、『オランダ人』が選ばれてましたからね、、、。
返信する
ショック (sora)
2010-05-28 22:41:07
例のサイトを久し振りに覗いたらいくつかupされてましたよ。
大野さんのまずい指揮など確認してみたいと思います。。。。
ってちょっと聞いてみてますが、、、うん、これは、、、
あと私的に本当に驚きなのが、ウーシタロです。どうしたんですか!!どうしたのー!!
私の初生オペラのオランダ人だったのにー!!
こんなじゃなかったよー!!(多分)
あーショック。

以下ウーシタロへの私の初感想です。
「結構良かった。迫力ある歌い方でオランダ人にぴったりだった。」

止めた。
出てきたばっかりだけど、もう聴きたくないです。
ウーシタロ。。。
ファイト。。。


因みにMETの後に都響で振った演奏は評判良かったですよ。(私は行ってませんが。すぐ売り切れちゃうんですよね。)
返信する
止めたけど。 (sora)
2010-05-28 23:28:13
ウーシタロはすっとばして、ゼンタとエリックを確認しました。

ひどい。

そして本当に演奏がやばい。
これはイライラしますよね。

私結構どんくさいんで、録音ってあんまり下手とか思わないんですけど、、、。
年末が非常に心配になりました。
返信する
soraさん (みやび)
2010-05-29 01:46:25
ここの記事と全然関係ないのですが、チューリッヒの「トスカ」TV放送。エミリー・マギー、良かったですよ(それだけかい(爆))。色々と(悪い意味ではなく)思うことはあってなかなか感想をご報告できないでいますが、「エミリー・マギーは?」とのことだったので、「影のない女」に行かれるのかな?と今更…ちょっと遅すぎましたね。
おそらく演出の関係だと思うのでうが、プリマドンナっぽい華やかな感じには欠けていますが、破綻なく良く歌っていたと思います。

で、「オランダ人」ですが…ステファン…色が白いと誰だかわかりませんでした(笑)

>大きい声を張り上げるばかりで、ニュアンスというものが全く欠落しているし、
>ドラマと無関係に、歌ばかりがばりばりと進んでいく感じ、、、。

私は今回の「オランダ人」を全く聴いていないのですが(聴いてから書くのが本当だとは承知しているのですが)、新国のオテロの時はそんな感じはしませんでした。すごく知性豊かに感じられたか?といわれると困りますが…。大声を張り上げるばかり、というタイプだとは感じなかったというか、そもそも大声という印象がありませんでした。

もちろん、共演者や指揮の影響も大きいと思いますが…やはり、新国とMETの劇場のキャパシティの差というのは歌い方にも影響するのかなぁという気がしました。

そして、ヴォイトが来シーズン出演する「西部の娘」は、ジャンカルロ・デル・モナコ演出ということは、あの絵に描いたようなというか、皮のブーツにお馬さん、というバリバリの西部劇ですね。DVDになっている…スラットキン指揮で!
返信する
みやびさん (sora)
2010-05-29 08:49:52
おはようございます。

私も「影の無い女」行きましたよ☆
マギーさん良かったですよね。3幕目はうるっときました。
演出の方は愛妙に引き続き、私にはいまいちだったのですが、どちらにも言えることなのですが、1,2階から観るのと上階から観るのとでは結構印象に差が出てきてしまうのかもしれません。どっから観ても良いというのが理想ですが、なかなかそうもいきませんものね。

オランダ人は大した感想も書かなくて「ひどい」なんて言って申し訳ないのですが、これはほんとに聴いて頂きたいたいです。
驚きが強いです。「え?どうしたの?みんなどうしたの?」という感じですよ。
グールドもそうです。私も新国オテロではちょっとなよなよしてるし、オテロの声っていう感じではなかったけれど、ここまでふらふらした音程で且つ知性が感じられないような声ではなかったと思います。
ヴォイトさんは、私は声自体を初めて聞くのですが、演奏とも相まってちょっとちんたらしてて変な抑揚とイントネーションになったりしていたかな?昨日の事なのにもう忘れている。。。

とにかく「驚き」です。
録音なので演出は別として、なんか全てが悪い方向に向かってしまった公演だったんでしょうか。。。(ちょっと言い過ぎですね。ちゃんと聞いてないし。ごめんなさい。)
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