Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

Sirius: AIDA (Fri, Oct 2, 2009)

2009-10-02 | メト on Sirius
いよいよ『アイーダ』初日です。
今年のメトの『アイーダ』Aキャストは、ボータ、ウルマナ、ザジック、ガッティという、
ミラノスカラ座日本公演組が4人(前二人は『アイーダ』、後ろ二人は『ドン・カルロ』に出演・指揮)も!!

ザジックはもう何度も言うように、かつての勢いはないですが、
しかし、だからこそ、彼女のシグネチャー・ロール(アムネリス、エボリ、アズチェーナ、ウルリカなど、
ヴェルディ・メゾの役)は、歌ってくれる間に、本当、全部観ておきたいくらいです。
というわけで、メトにかけつけたい気持ちはやまやまなんですが、
生鑑賞は今のところ10/24(ライブ・イン・HDの収録の日でもあります)までおあずけ。
こういう時に頼りになるのはシリウスの放送!というわけで、今日はシリウスでの鑑賞、行きます。
もし、今日の公演がすごかったら、24日まで待てずに、間にある公演にも行ってしまうかもしれません。

ザジックを除いたキャストについても、私のこれまでの鑑賞歴からして、
ものすごい歌を披露することはなくても、手堅い歌を歌うメンバーなので、
あまり心配はしていないのですが、はっきり言って一番心配な人、それは指揮者です。

そう、ダニエーレ・ガッティです!!!
はっきり言うと、私はこの人が嫌いなんだと思います。
なんか、スカラ座のHD(『ドン・カルロ』)を観た時から、この人が振りまくネガティブなエネルギー、
鬱陶しい感じが本当に嫌です。
あなたと友達になるわけでもないんだから、そんなことどうでもいいのでは?
という方がいらっしゃるかもしれませんが、それは違います!
オペラは関わる人間全員で作り上げていくもの。
ネガティブな空気を放出する人が混じっているのは良くないのです。



それだけでも十分に嫌いな理由になりえるんですが、あたかもそれだけでは足りないかのように、
私は彼のセンスが嫌です。

スカラの『ドン・カルロ』の時は、それが主にテンポという側面に集中していましたが、
今日、彼の指揮する『アイーダ』を聴いて、テンポだけじゃないことを思い知り、眩暈がしました。

テンポに関しては、もう案の定、というか、スカラの『ドン・カルロ』の時と全く同じ。
歌手の生理を無視した、誇張したテンポの遅さ、早さ、とギアの切り替わり。

もうそれは一幕一場から全開。あまりの音楽の遅さに自分の位置を失いかけた
ランフィス役を歌うスカンディウッツィが思わず歌の途中で立ち止まって、
”今、オケはどこを演奏しているの?”と問いかけそうな雰囲気になっているのが、
ラジオですらわかるんですから、これはひどすぎます。

かと思えば、アムネリスとアイーダが一騎打ちになる場面(同じく第一場)では、
異様なハイテンポで煽りたて、ザジックが歌いにくそうにしていることといったら!

そのくせ、第二場の神殿の場面では、これまた音楽が止まってしまうかと思うくらい、
超スローテンポで、思わず弦が待ちきれずに飛び出してしまう場面まで。
もちろん、巫女役を歌うチェックがこれまた苦労していることは言うまでもありません。
というか、彼女は何度もこの役を歌っていますが、こんなにつらそうに歌っているのは、
今まで一度も聴いたことがありません。
また、男性合唱もランフィスと同じ状況に陥ったと思われ、パート毎で歌っている個所が違う、という有様でした。

聞くところでは、リハーサルでザジックとガッティが険悪な雰囲気になったとか、ならないとか。
まあ、あのスカラ座のHDを観れば、彼女がガッティの指揮では歌いにくそうにしているのは明白で、
その頃、つまり、去年の12月あたりから、10ヶ月越し
(それも、地理的には、イタリアから日本を経由してアメリカまで!)のもやもやがここで爆発したのかもしれません。
声のコンディションが良くなかったため、今日はセーブして歌いたい、
と言っているザジックを、ガッティが”Sing! Sing!"と言って
無理矢理に歌わせようとしたのが直接の引き金だったようですが、
彼女みたいに、自分の力やコンディションをよくわかっている歌手に対して、それは余計なお世話ってもんです。

大きな問題は、彼が音を早めれば緊張度が高まってドラマティックになり、
ゆったりとすれば威厳が出る、というような、至極単純な公式でテンポを設定しているように思えることで、
ゆっくりなのだけれどそこからにじみでるような緊張を感じるとか、
逆に早いんだけど堂々としている、というような
多面的で立体的で複雑な音というのをまるっきり感じることが出来ません。

その上テンポの切り替えが本当に独りよがりで、
どこで早くなるか、遅くなるかは、ガッティのみぞ知る。
ボータ、ウルマナ、ザジックといったベテランが一様に合わせて歌うのに苦労しているんですから、
その一人よがりっぷりはかなりのものです。
歌手は楽器よりも、よりトランジションに時間がかかるので
(歌手はある程度先を読みながらブレスを調節しているわけですから。
極端な例ですが、ゆったりと大らかに歌うつもりで思い切りブレスをしている間に
突然テンポが切り替わって猛烈に速まったりしたらどういうことになるか位は我々にも想像がつくことです。)
そんなに急にテンポを変えられても歌手が同時に切り替えるのは難しいということが、
本当にこの人は全くわかっていないか、わかっていてもどうでもいいと思っているのでしょう。

他にも、彼の表面的、いえ、はっきり言えば、底の浅い味付けは随所に感じられ、
一部の弦のセクションを強調したり、といったわざとらしい小技がしょっちゅうで、
実際に演奏している側にとってはそれなりに楽しかったり、
また、何度もこのオペラを聴いてあきているヘッズの中には、こういう味付けが新鮮で良い、
と言う人もいるのかもしれませんが、私は『アイーダ』の公演に、
この楽器がこんな旋律を演奏していた、とか、
あるセクションを強調するとこんな面白いバランスになった、とか、
そんな発見をするために行くのではないので、
それらが、全体としてドラマに貢献してなければ何の意味もないと思っています。

実際、彼の指揮で『アイーダ』の演奏を聴いていると、
このオペラから本来感じるはずの、お腹の底からわーっとあふれ出てくるような、
激しい感情が一切湧き出てこないのです。

ただし、彼にフェアであるために言うと、指揮だけではなくて、オケ自体の方も最悪でした。
というか、今日は金管にサブのメンバー、それもあまり上手じゃない人が多く加わっているんでしょうか?
凱旋の場のシーンでは、ABTオケが突然乱入して来たのか?とびっくりするほど、
金管が裏返る、音を外す、で、ずっこけさせられる個所が頻発でした。
ガッティが頭から蒸気を吹いていたであろうことは想像に難くありません。でも、因果応報です。
歌手たちを苦しめる人間がいれば(ガッティのことです)、指揮者を苦しめる人間がいたって不思議じゃないでしょう。

ただ、ABTオケ乱入!と思わされる個所を除き、ガッティの指揮だけの話に限定すると、
二幕二場(凱旋の場)のリードの仕方はまずまずです。
ここだけは、比較的、きちんと音楽が流れている感じがしました。

また、四幕一場(アムネリスの最大の見せ場である、裁判の場)の前半、ここもいいです。
でも、やっぱり、後半の僧達の合唱やラストでわざとらしくテンポを落としたりしてしまうんです。
不治の病ってやつです。

歌手陣については、ザジック以外は、残念ながら全体的に小粒です。
この演目に関しては、私がオペラを鑑賞し始めてからだけでも(なので、30年、40年といった長い時間ではない。)、
どんどん歌唱のスケールが小さくなっているような気がします。
といいますか、今シーズンすでに走っている『トスカ』や、この『アイーダ』のような、
パワーホース的作品で、観客を本当の意味で満足させられる歌手が近年本当に手薄になっているのは残念なことです。
実際、今回スカラ座の日本公演とメトの公演で歌手だけで3人もメンバーが重なっていること自体、
かろうじてこれらの役を歌える、というレベルですら、そうは数がいないということを物語っています。

ウルマナは、高音が最後まで神経が通らず、途中でぽとーんと投げ出してしまう感じに聴こえるのが残念。
”ああ、わが祖国 O patria mia” は音程の取り方が甘く、高音の問題もあいまって、
全く思わしくない出来でした。
大抵の指揮者は歌い終わった後に指揮をやめてソプラノに拍手を味わわせてあげるんですが、
ガッティはそのままどんどん振り続けます。
おそらくは音楽的緊張感を損なわないように、とのことだったんでしょうが、
これでは下手なアリアに拍手はいらん!と言っているかのように見えてしまいます。

一方のザジックは、四幕一場、ガッティと険悪になったことなど感じさせないほど、
あの彼女がもう少しで息切れして音が続かなくなるかと思うほどのゆっくりな演奏にも、
果敢についてゆく、、、
やっぱり彼女はガッツのあるプロフェッショナルな人です。
これまでなら、最後の音をもうちょっと長くひっぱれていたんですが、
それはたくさんを求めすぎというものでしょう。
彼女にしてはこれでも慎重に歌っている方なんですが、
エキサイティングな歌唱で、歌唱で観客もオケの音が鳴り終わる前から大喝采でした。

ボータは2007-8年シーズンの『オテロ』以来、久々に聴くのですが、
なんだかこの短い間に声のポジションがすごく下がったように思うのですが、
ラジオで聴いているゆえの錯覚でしょうか?それとも気のせいでしょうか?
以前はもっと澄んだ美しい声だった記憶があるのですが、
随分今日は野太い声になったように感じました。

では、この日の公演の音源から、その四幕一場の抜粋をご紹介。

私を愛してくれたら命を助けてあげる、という最大の切り札でもってしても、
ラダメスにばっさり振られてしまう場面。切ないなあ、アムネリス、、。
最後、ここで拍手が出るのはちょっと珍しいので
(おのぼりさんのフライング拍手に本当に感激したお客さんがのってしまった感じ?)残してみました。




続いて裁判の場面からの抜粋。頭ののっぺりした合唱の部分はこの際省略です。
終わりにも、のったらのったらと意味ありげに振る(でもそんなに深い意味はないに違いない)ガッティ、
またスカンディウィッツィのランフィスも??なんですが、
ザジックの歌はあいかわらずの迫力です。
HDの日にもこんな感じで歌ってくれると嬉しいです。




さて、『アイーダ』のフリゼルのプロダクションは、私の記憶がある限り、
ずっと同じ振付を凱旋の場で採用して来たため、メトの観客にもすっかり飽きられている感がありましたが
なんと、今年は、ボリショイ・バレエの出身で、
現在ABTでアーティスト・イン・レジデンスの職にあるアレクセイ・ラトマンスキーによる
新しい振付が見れるそうで、これは実際にオペラハウスで観るのがとっても楽しみです。
ABTとのこういうコラボは大歓迎!ただし、オケの方は無関係でお願いします。


Violeta Urmana (Aida)
Dolora Zajick (Amneris)
Johan Botha (Radames)
Carlo Guelfi (Amonasro)
Roberto Scandiuzzi (Ramfis)
Stefan Kocan (The King)
Jennifer Check (A Priestess)
Conductor: Daniele Gatti
Production: Sonja Frisell
Set design: Gianni Quaranta
Costume design: Dada Saligeri
Lighting design: Gil Wechsler
Choreography: Alexei Ratmansky
SB

*** ヴェルディ アイーダ Verdi Aida ***

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10 コメント

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やっぱり・・・ (boku)
2009-10-03 15:26:48
はっきり言って今回の記事のガッティ評は自分がドン・カルロの時に感じたこととまるっきり同じです。
ゆっくり振っているかと思ったらいきなりどんっ!とテンポを上げて観客の脳内で?がどんどん増殖していくんです。

>大きな問題は、彼が音を早めれば緊張度が高まってドラマティックになり、
>ゆったりとすれば威厳が出る、というような、至極単純な公式でテンポを設定しているように思えることで
悪質ですよね。
これがスカラ座の次期音楽監督候補だってんですから泣きたくなりますよ。

>その上テンポの切り替えが本当に独りよがりでどこで早くなるか、遅くなるかは、ガッティのみぞ知る。
このギアの切り替えはどこから持ってきたんでしょうかね。
違法改造ですよ。検問して捕まっちゃってくださいよ。

>、『アイーダ』のフリゼルのプロダクションは、私の記憶がある限り、
>ずっと同じ振付を凱旋の場で採用して来たため、
え?ということはあの89年のDVDの振り付けをずーっとやってたってことですか?
アホっぽいと言うか何と言うか、、、なぜ今まで変えなかったのでしょうか?
返信する
おぉー (sora)
2009-10-03 19:41:56
午前中から(in日本)やってたみたいですね。
私はオテロリベンジ(前回は音の悪い席だったので)に新国へ向かってしまったので聴けませんでした。
こちらの指揮者(フリッツァ)は今回とても安定しています

ガッティ、、、、結構かわいい顔してるんですけどね。ぬぼーっとした。
negative人間の烙印を押されているとは
生ガッティはすごいですよ~
madokakipさんにも是非とも異次元を体験して頂きたいところですが。。。
そんな事を願ってはいけませんね
ガッティしっかり!!
返信する
アイーダ初日 (Madokakip)
2009-10-04 05:26:01
先ほどこの日の公演の音源の抜粋も追加しましたので、
参考にしていただければと思います。
それでは頂いた順で。

 bokuさん、

ヘッズや音楽を専門にしている人にも彼をいい!という人は少なからずいるので、
私は自分の意見が唯一だとは全然思っていないです。
むしろ逆で、これほど、いい、いい、という人がいるから、
それなら一丁なぜ私が好きになれないかを書いてみようか、という気になる、ともいえますね。
万人の人がこりゃだめだ!というような内容なら、
ここまでこてんぱんに書いていないかもしれません。

なので、bokuさんや私のように感じる人間の方が少数派、ってことだって、
十分ありえますよ!

声はマイクを通して聴いた音と
生で聴いた場合とで違う場合もありますが、
テンポといった話になると、生で聴いたからといって、
突然適切に聴こえる、なんてことは多分ないと思うので、
生鑑賞が楽しみなような、不安なような、、。

はい、凱旋の場の振付、今DVDで確認してみましたが、
あの頃(1988年10月)の公演から
一番直近の2007年の公演まで全く振付は変わっていませんでした。

 soraさん、

はい、ウェブでも放送があったみたいです、今回。
新国リベンジですか!
私からすれば指揮者に関していうと、
ガッティよりもフリッツァの方が全然いいと思うので、
羨ましいです、、。

>ガッティ、、、、結構かわいい顔してるんですけどね。

ええええええええ~~~~~~~~っ!!!!(笑)

>ぬぼーっとした

そう、そう(笑)

なんか、指揮者の中には指揮台に立っただけで、
オケのメンバーから、”よし、がんばるぞっ!”
という雰囲気が立ち上る人がいるんですよね。
マルコ(・アルミリアート)なんかそうなので、
レヴァインが健康上の理由でメトを去ることになったら、
彼あたりが次期音楽監督になってくれたらなあ、と思います。

ガッティはどうでしょうね。
これは24日の生公演で確認してきます。

>是非とも異次元を体験して頂きたいところですが

えーっ、変なところに連れ去れてしまうんじゃないかと心配ですぅ(笑)
返信する
生で観るおぼろ月 (le Grand Condé)
2009-10-05 21:39:30
> この人が振りまくネガティブなエネルギー、

この人の胡散臭い空気をどう表現したものか.. うまいことを仰る!
写真からも発散されてくる彼の負のエネルギー、結局、スカラ座の来日公演は、バレンボイムがスカラ座?(ゲルギエフとウィーンフィルの組み合せように全くピンと来ない)、などなど..モチベーションがあがらず、パスしました. と、云いたいところですが、一度は生ガッティを体験すべきと思い、渋々、合唱とオーケストラのみの<ヴェルディプロ>には行ってきました.NHKホールは昔と変わらず音がデッド.ここに来るのはそういえば学生の頃、当時バリバリ現役のピアニストのアシュケナージの
ハンマークラヴィーアを聴いて以来か..音が悪いので2度と行く気がしなかったのが原因です. それでもスカラ座のオーケストラ、ヴァイオリン、チェロの渋い弦の美音を堪能しました.なぜか、合唱の出だしが、オーケストラに対してワンテンポ遅れるのが目立つ.ガッティとの関係、うまくいっていないのだろうか.. 事前にあまりにひどい音を妄想していたせいか、ガッティの演奏、テンポの揺れなどそれ程気になりませんでした.ただ、拍手を幾分遮るように、そそくさと次の曲を始めたり、こちらを向いても、笑顔を見せる程でもなく、何か悩みを抱え持っているような暗い顔つき.

音楽性からは、アーティストというより、現実主義者.人間的な印象としては、蚤の心臓の持ち主.保身の為なら自分の信条を曲げることも厭わない.上から言われたことにはきわめて従順.そんな風に見うけましたが、実はいい人でしたらご容赦を(笑)
返信する
どの写真も (Madokakip)
2009-10-06 10:11:06
 le Grand Condéさん、

ガッティのネガティブな波動を感じられた方がここに!!(笑)

最初はこの記事の内容にあった雰囲気の写真を探そう、と思ったのですが、
頑張るまでもありませんでした。
ほとんどどの写真からも彼のネガ波を感じますので。
一緒に働いていると、こっちまでやーな気分にさせられそうな表情が多いですよね、彼は。

その上に、私は上に追加した音源で十分、
なぜ彼の『アイーダ』に今ひとつ心を動かされないか、
十分現れていると思うのですが、
(実はザジックの歌もさることながら、ガッティがどういう風にオケをひっぱっているか、
それを紹介したくてアップしたというのが大きいです。)
なんと、オケのメンバーとか、
批評家の中には彼を高く評価する人がいるんですよね。
NYタイムズの批評は相変わらず役立たずな表現で何を言っているんだろう?という感じなんですが、

http://www.nytimes.com/2009/10/05/arts/music/05opera.html?_r=2

”ガッティは今回最初から最後までしっかりとした集中力を保ち、
オケから心のこもった表現に富んだ演奏を引き出した。
歌手にも十分な自由を与え(えーーーーっ??!!)、
重厚な音の流れも好ましい効果が出るようにコーディネートしてみせた。”

むしろ、注目したいのはこちらのオペラ・ブリタニアの批評です。

http://www.opera-britannia.com/index.php?option=com_content&view=article&id=104:aida-the-metropolitan-opera-new-york-2nd-october-2009&catid=8&Itemid=16

というのは、この記事を書いた批評家は、
実はザジックのアムネリスのずっとファンだった、と告白しているんですが、
欠点も含めて、非常に的確な分析をしています。
私も彼女のことは大好きですが、この方の分析は、
全くその通りだと思いました。
(趣旨としては、彼女は決して表現で聴かせるタイプではなく、
声の威力そのもので聴かせるタイプの歌唱でやってきた。
その彼女がもう60近い年齢ということとあいまって、
今でもコンディションのいい日には、
ハイCをしっかりしたピアニッシモで鳴らすことも出来るが、
中音域が弱くなったこと、昔よりも声を轟かせる場面で、
胸声に頼ることが多くなったことなどから、
全体の流れとしては、随分声にかげりが出始めている。
現在、その声の翳りを埋めるだけの表現の深さがないのが彼女の歌唱の問題といえる。)

この同じ筆者がガッティのことをこのように評しています。

”ガッティはメトから大変美しい響きを引き出した。(中略)
前奏曲の最初の小節に聴けた、弦の互いの音に絡み合うような音、
ああいう音を聴けるのはただ、ただ、喜びである。
これらの最初の小節や、凱旋の場が極めてクリアかつ精巧に演奏されるのを聴くと、
主人公たちの運命が表現されているのがわかるのである。
ガッティは、金管の音の壁で歌手を押しつぶしたり
単にテンポを操作することで興奮を生み出そうというようなことは決してなく、
スコアにあることをもってどういった方向に行こうとしているかということを、
きちんと把握しているのがこちらに伝わるので、
非常に落ち着いて聴いていられる。
時に、彼のアプローチから、私はドビュッシー風のものを感じた。
こう表現するのは決して全くの見当違いではないと思う。
なぜなら、アイーダの多くの部分は、実際、室内楽的であるからだ。
時に、彼のスコアの上にはりついてなかなかうごかなくなりがちな点(注:要はテンポがのったりすることを言っているのだと思います)を嫌う人もいるようだが(注:はい。私とか。)、
私は問題だとは思わなかった。
むしろ、問題なのは、時々、ヴェルディが
はっきりとリズムを強調して、と指定している個所ですら、
シャープかつはっきりとしたアクセントを感じない場面がある点で、
この点で、彼の『アイーダ』、いや、もっと言うと、彼のヴェルディ作品は、
ややイタリア的ではない部分があり、
これが、長期的には彼の指揮をメトの聴衆が受け入れられないと判断する原因になる可能性はある。”

NYタイムズに比べて、実に読み応えのある批評ですね。
このあたりの意見を心にとめて、24日の公演の生ガッティを楽しみに待つことにします。
返信する
日本語万歳 (sora)
2009-10-06 13:30:59
madokakipさん、有難うございます。
私もチエカさんのブログのコメントの読解に努めているのですが、なかなか。。。
いったいガッティはどういう評価を受けているのだろうかと、やはり気になるわけで。
先月の日本公演も両極端な評価だなぁ~と思いましたが、metもそんな感じなのでしょうか?

「ヴェルディプロ」では私も、特別悪いと思いませんでした。というか、いつもの自分(オケの善し悪しなんて
良く分からなくて、やっぱり私にはオケから歌心を感じるなんて難しいことは無理なんだわ~、という感じ)でした。
初めの方で、若干もたもたしてて眠くなりましたが、ドン・カルロもアイーダも良かったと思います。
『シチリア島の夕べの祈り』よりの序曲なんて、とても良かったです。マクベス「第3幕の魔女や悪霊の踊り」とかもよかったので、怪しくてリズム感のある曲とかで威力を発揮するタイプかな?と思いました。

でも、ドン・カルロ、、、飴玉の紙のぎゅーっという音で感じる、「首をねじって頭を回したくなるような悶え」を感じたんですけどね。そして異次元へ飛ばされて思考停止です。しかも2度の公演で。そんなことかつて無かった事です。
ほんとにガッティを評価する声が多いのに驚きますよね。
というわけで、相性が悪いのかな、、、という結論です。

>イタリア的。
>シャープかつはっきりとしたアクセントを感じない場面がある点で
バレンボイムの「アイーダ」も、こんなんでしたよ。
でも、若干もの足り無くても、異次元には飛ばされませんでしたけど。
異次元が感動に変わる日がやってくるのでしょうか
返信する
こんにちは (boku)
2009-10-06 18:17:24
オペラ・ブリタニアの記事ですが、
このガッティを良いと言う批評は確かにガッティの指揮に対する自分の意見とは違うものですね。
とっても参考になったのですが最後の
>時々、ヴェルディがはっきりとリズムを強調して、と指定している個所ですら、~
がとても読み応えがあってすごく勉強になりますね。
この記事には”ドビュッシー風”と書いてありましたが確かにガッティの前衛的なヴェルディはもしかするとヴェルディではなくもっと違うものを表現しているようにも思えますね。
(とはいってもやっぱり嫌いですがね。)
オペラ・ブリタニア、ズバッとカッコイイ事言っちゃうとこがいいです。

24日のレポが楽しみになってきました。
返信する
ガッティ評 (Madokakip)
2009-10-07 12:15:32
頂いた順です。

 soraさん、

いえいえ、私も他の方はこのぬぼーっとした指揮者をどう思っているのかしら?と
気になるので、評が出てきたら読んでます。
参考にしていただけると嬉しいです。

そうはいっても新演出でも何でもないので、
評の数が少ないのですが、
他にはNYポストが”ガッティの硬くてマイクロ・マネージ(細かいところまでちまちまとマネージメントしようとすること)的な指揮にはブーがちらほら聴かれた。”と書いてます。

http://www.nypost.com/p/entertainment/theater/good_barber_fair_princess_ISQouRzM0IhEMxtjfhRLyO

ちなみにブーイングについてはなんだか『トスカ』の初日の件からすっかり注目を浴びるようになってますが、
さすがにオープニング・ナイトのような猛烈なブーを聞くことは珍しいですけれども、
ちらほらブーが出ている、というのはメトではそんなに珍しいことではないんですけどね。
なぜか土曜のマチネのお客さんはおとなしい人が多いので、
HDではそういうことが一度もないですが、
平日の公演ではたまにブーを聞きます。

あとは、ボルティモア・サン紙ですが、

http://weblogs.baltimoresun.com/entertainment/classicalmusic/2009/10/new_york_report_part_1_tosca_a.html

”その夜のスターはガッティだった。
彼の暖かく、極めてニュアンスにとんだ指揮のせいで、
ヴェルディの音楽がかつてないほどにリッチに聴こえた。
(カーテン・コールがすべて終わるまでいなかったのだが、
タイムズの評によると、金曜の夜の公演ではガッティがブーを受けたそうだ。
これはNYの馬鹿げた新しい流行なのか?
それとも、真のオペラ・ファンの正直なリアクションなのか?)

、、、、、

正直なリアクションでしょう、多分。
ブーというのはBravoより出すのが難しいと思います。
流行のノリで出来るものではないと私は思います。

それにしても、

>、「首をねじって頭を回したくなるような悶え」

(笑)すごいですね。エクソシストみたい、、。

そして、

>バレンボイムの「アイーダ」も、こんなんでしたよ。

うんうん、これはわかる気がします。

 bokuさん、

ね、面白いですね。人の感じ方の違いって。
NYタイムズのクリティックも、基本的にはブリタニアの人と同じようなことを感じているのかもしれませんが、
それをこうやって具体的に書いてくれないと、
どういうところがいいと思うのか、わからないですよね。
その点で、上でご紹介したボルティモア・サンも、
プロの評の割に、暖かいとかリッチとか、
感覚的な言葉のオン・パレードでげんなりします。
返信する
Debussy (le Grand Condé)
2009-10-07 22:30:53
そういえば昔「アイーダ」を、最初に聴いた時、前奏曲に魅かれたことを思い出しました.
弦が、織り重ねられるように、端正かつ明確に、低音弦を徐々に増しながら、他のパートを伴いながら盛り上げていく様に、ヴェルディの音楽の、特に構築性に新鮮さを覚えたものです.その後伝記などで、彼は、ロンコレという片田舎出身で、才能を認められ、有名なオペラを世に多数送り出し、確か、実業家として、蓄財にも長けていたというような記憶があります.
彼の音楽の構築性とは、そのあたりを感じさせるもので、非常に理路整然としており、全体的な構成をまずしっかりとり、段階的にディテールを決めていき、各パートの音の役割を譜面に落としていく様が見えるようです.緻密に、配列された各パートが秩序をともなって再生されるところに、「アイーダ」の前奏曲を美しいと感じさせるポイントがあると思います.つまり、アイーダの前奏曲の美しさは、オーケストラ云々より、ヴェルディの天才に依存する面が大きい.

ヴェルディの音楽性の魅力は、イタリアルネサンス建築のような魅力に例えられるのではないでしょうか.シンメトリ構成によるマッシブな壮大さ、それらを構成するディテールは、シンプルで明快・直線的であり、比例的な秩序に基づく整然とした配列を構成している.

ドビュッシーは、「喜びの島」を初めて聴いたとき、その斬新な音作りに度肝を抜かれました.この人は超天才であると.ドビュッシーの時代、19世紀後半、Parisでは、音楽では印象派、建築・工芸ではアールヌーボー、絵画では印象派による活躍といずれも、共通した文化の色合いを持ってますね.アールヌーボーの植物を素材にした曲線美、モネ、ルノアール、ピサロ..光を色として捕らえて絵画として点描する世界.ドビュッシー、ラヴェル、サティなどの印象派音楽.彼らの音楽に共通するのは、絵画の印象派、あるいはアールヌボーと共通する柔らかさであり、光、水のゆらめきを絵ではなく、音楽として表現する.それらの色彩的な音楽表現を特徴付けているのは、フルート、クラリネット等の木管と、ハープではないだろうか.フルート、クラリネットは、色彩的な表現、コロコロと変幻自在に光を表現し、ハープは、その背景としての当時の空気(感)を表現する.以前、こちらのブログで紹介頂いたラヴェルの「子供と魔法」のCDを聴いた時、投稿はしなかったのですが、ラヴェルの曲には、サティの曲に実によく似たものが含まれていて面白かった.同時代の印象派同士、相互に刺激しあい影響を受けていたのでしょう.

久しぶりに、Debussyの愛聴盤を色々聴いております.(1930~1940年代 録音)
Prelude a l'Apres-midi d'un faune、Nocturnes、La Mer、Deux Danses、...

以上のような音楽的な背景のみならず、実際に改めて聴いてみても、ヴェルディとドビュッシーにはいかなる共通項も見出せない.

His approach, I thought at moments, was almost Debussian - not entirely inappropriate, since much of Aida really is a chamber work

「ガッティのアプローチは、時にほぼドビュッシー的だ. 必ずしも不適当ではない、なぜなら、アイーダの多くは本当は室内楽だからである」ちょっとわかりづらいので並び替えてみます.

A「アイーダの多くは本当は室内楽的だ」→<?1>
B「したがって、ガッティのアプローチは、ほぼドビュッシー的である」→<?2> AからBへの展開が<?3>

意味不明なのです.
オペラ・ブリタニアさんというのはプロの批評家の方なのでしょうか? このように突飛な表現は、もう少し詳しく具体的に書いて頂けないと、せっかく書いても読んだ人はわからずにスルーしてしまうか、私のように消化不良に苛立たせられるかという状態になります.

ガッティについては<ヴェルディ・プロ>を見ただけでも、気づいた面は多々あります.
ヴェルディの几帳面な音楽構築において、特徴的なのは、各パートの旋律が明確であり、それらが相互に無駄なく合理的に組み立てられてアンサンブルとして表現される点.
ガッティは、このあたり、各パート(高音弦、低音弦、木管、ブラス)相互が重なっていても、各々の旋律を、濁らせることなく明快に美しく浮かび上がらせていた点は特筆.

彼に問題なのは、テンポ. テンポは難しいのです. その曲のベースとなるテンポが掴みきれていないのではないだろうか.
私のヴェルディ観は、田舎者的な素朴、実直、几帳面、そして大天才. そこからおのずとテンポのイメージが出来ると思うのですが,彼の場合、テンポが右~左と揺れ動くが、ベースとなる中心のテンポが感じられないので、ヴェルディの曲の印象が非常に希薄になる.
当日、分かりやすい例として「ドン・カルロ」の合唱「喜びの日の夜が明けた」.実際に、行かれた人は、例えば、ガブリエレ・サンティーニ盤のおなじ箇所を聴き比べてみればうなずけると思う. ガブリエレ・サンティーニ盤は、54年盤と、61年盤があるが、この箇所については、54年盤のほうがわかりやすい.

ガッティは、オペラ指揮者を辞めれば成功するかもしれない(笑).

- とうとう正しいテンポを見つけたと思う.「コシ・ファン・トゥッテ」をミュンヘンでやった時に、ある批評家がわたしのテンポについて文句をつけて、あるところは遅すぎ、あるところは速すぎと書いた.そこでぼくは彼にあてて手紙を書いた、《敬愛する友よ、私はいまちょうどあなたの批評を読んだところですが、音楽の天国にいるモーツァルトから直接に正確なテンポの指示をもらった人がいることを喜んでいます.どうかその指示をわたしに教えて頂けないでしょうか》 R.Strauss 75才 -

いつもコメントしようとする時には、終わっている. 皆さんタフですねぇ.
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小指の爪のサイズの左脳 (Madokakip)
2009-10-08 11:15:37
 le Grand Condéさん、

いや、これは大変なことになってしまいました(笑)
左脳が小指の爪のサイズくらいしかない私は論理的思考が苦手なので、
途中で脳が崩壊するかと思いました(笑)。

えっと、まずですが、私はヴェルディに関しては、
le Grand Condéさんと似た意見ですし、
もっと言うと、ヴェルディの音楽はいい意味で単純だ、と思っています。
ですから、こねくりまわしたり、凝ったことをしたり、
人と違うことをしたり、独自の世界を築き上げよう、といった意思が感じられる指揮は、
好きではない、というのが本音です。
もっと言うと、ヴェルディを聴いている気がしません。
そして、これまでガッティの(マイクを通してですが)演奏を聴いた二回とも、
ヴェルディの作品を聴いたなあ、という感じが希薄です。

>ベースとなる中心のテンポが感じられないので、ヴェルディの曲の印象が非常に希薄になる.

まさにそうなのです。

で、サンティーニの54年盤、聴いてみました。
私の好みにしてはほんの少し遅いですが、
おっしゃるとおり、ベースのテンポがはっきりしていますよね。
それがはっきりしていると、自分の好みより遅くても早くても、
ガッティの時のような気持ち悪い感触はないんですね。

>各々の旋律を、濁らせることなく明快に美しく浮かび上がらせていた点は特筆.

これは実際にオペラハウスで確認するのが楽しみな点です。

で、以上をふまえて、オペラ・ブリタニアの件にすすみますと、
私個人は、ヴェルディとドビュッシーに何の接点も見つけられないのはおろか、
『アイーダ』を全体として室内楽的と感じたことすらありません。

ただ、室内楽的、というのは危険な言葉で、
一緒に演奏している各セクション、もしくはセクション内の別の奏者、
そして歌手と息を合わせ繊細に音を作る、という意味では、
それは室内楽的だとは思います。
この筆者がふれている前奏曲の部分もそうですが、
”清きアイーダ”や”わが故郷”、
それからラストの場面など、枚挙に暇がありません。
でも、それを言えば極端な話、ワーグナーだって室内楽的な部分があるといえますよね。
ですから、この言葉は主観的要素が多いです。

ただ、ドビュッシー、これは室内楽的、と言う言葉よりはもう少し指していることが
限定的になりますよね。

le Grand Condéさんが説明してくださっているように、
ドビュッシーといって、なんとなく浮かぶイメージは、
共通していると思います。
室内楽的、と言う言葉よりは少なくともずっと。

で、私は今まで聴いた範囲では、
自分としては全くガッティの指揮がドビュッシー的とは思いませんが、
そう考える人がいる、という点は、
なぜ彼を高く評価する人がいるのか、という世界の第八の不思議を解明するのに、
役立つ意見だとは思います。

His approach, I thought at moments, was almost Debussian - not entirely inappropriate, since much of Aida really is a chamber work

この文章なんですが、正確に訳すと、
”時々感じたのは、彼の(指揮の)アプローチがほとんどドビュッシー的と言っても良い点で、
それはアイーダの大半が実は室内楽的作品であることを考えれば、
必ずしも不適切ではない。”という風になると思うのですが、
よって、


>A「アイーダの多くは本当は室内楽的だ」→<?1>
>B「したがって、ガッティのアプローチは、ほぼドビュッシー的である」→ AからBへの展開が
意味不明なのです.

は、AだからBという展開にはなっておらず、
むしろ、

>A「アイーダの多くは本当は室内楽的だ」
と、
>B「ガッティの指揮はドビュッシー的だ」
という二つのステートメントの羅列になっていると考えます。

よって、ドビュッシーの音楽が室内楽的だ、という定義にある程度同意できる人には
それなりに意味が通る論説になっていますが、
それに賛同しない人にはここが意味不明を導く要因になるかと思います。

R.シュトラウスのコメント、考えさせられますね。
正確なテンポをこれ!というのは難しいですが、
これは違う!というのは感じれる、というのが私の持論ですが、
まあ、違う、と感じるには、それの基準となっているものがあるはずで、、

ああ、この辺にしておきます。
また脳がカチカチ音をたててきましたので、、(笑)
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