Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

La Scala HD: SIMON BOCCANEGRA

2010-06-27 | 映画館で観るメト以外のオペラ 
久々の、映画館で観るスカラの公演です。
前回の2008-9年シーズン、オープニング・ナイト『ドン・カルロ』のライブ上映から約1年半ぶり。
正確に言うと、今日の上映は今年の4月29日の公演をライブで上映したもののアンコール上映なのですが。

スカラのHD企画を見る度に思うのは、その偏執的なまでの布フェチぶりです。
確かにスカラの舞台を映像で観る楽しみの一つはその美しい衣装、
特にそこに使用されている布の美しさであることを認めるのに私もやぶさかではありませんが、
実際の公演の映像が流れる前に挿入されているクレジット・ロールのバックで、
光をとばして軽くぼかしがかかった、豪華な布のクロース・アップの映像が何度か登場するのにはつい笑ってしまいます。
確か、『椿姫』や『アイーダ』の時にも似たような映像を見た記憶が、、。
布フェチの映像スタッフは今シーズンもご健在なんだわ、と、
なぜそんなことで私がほっとするのか?という感じですが。

スカラのHDは、オケピの中、舞台上ともに、メトよりもずっと多くのマイクが設置されているのではないかと思います。
個々のセクション、歌手の声がものすごく良く立っていて、
主役級の歌手にいたっては、もしかしたら個々にマイク(もちろん劇場内でのアンプリフィケーションのためでなく、
HD用に音を拾う目的で)が付いているのではないかと思うほどで、
これはこれでとても綺麗に音を拾っているとは思うのですが、
メトのHDよりも、さらにスタジオ録音っぽいテクスチャーに傾いた音だな、と感じます。

『シモン・ボッカネグラ』はメトのHDが2/6にあったばかりで、かつタイトル・ロールが同じドミンゴなので、
今日の上演について、あらかじめ楽しみにしているポイントがいくつかあります。

1)なんといってもドミンゴの歌と演技にどのような変化があるか。
特に、メトとスカラでは、手術前と手術後なので、声のコンディション、スタミナなど、気になるポイントがいっぱいです。
もちろん、演出が違うので、その中で、役の表現がどうメトの時と違っているか、ということも興味ある点です。

2)メトの公演については、ドミンゴは素晴らしいと思いましたが、
ジョルダーニのガブリエーレ、モリスのフィエスコは歌はかなりひどかったし、
カルフィッツィおよびガートナー(HDの日はガートナー)のパオロは歌に破綻がないのはよしとしても、
ドラマを生み出す力があまりにドミンゴと差がありすぎて、欲求不満が溜まりました。
今回はスカラですから、さすがにこんなことはないのだろう、と、タイトル・ロール以外もきっちり固めてくれることを信じます。

3)この作品と言えば、アバド指揮のスタジオ録音の存在があまりに大きいので、シモンと言えばスカラ!
当然、オケの演奏は真性イタリアン、かつ、熱く燃えるようなもののはず。
レヴァインが死にかけの体で振ったHDでのメト・オケとは結果が違って当たり前、、ですよね?マエストロ・バレンボイム!

4)メトのデル・モナコの演出は、舞台としてはこれ以上ないくらい写実的でオーソドックスなものでしたが、
現在のスカラがこの作品にどのようにアプローチするのか?これは実に興味深いです。
ちなみに、このスカラの舞台はリンデン・オーパーとの共同演出。
頓珍漢なコンセプトを舞台に持ちこむ位なら、オーソドックスの方が百万倍良い、というのが私の考えですので、
地雷が爆発することのないよう祈っています。



まず、ドミンゴなのですが、入院している間にスコアをさらにさらう時間があったからか、
スカラの客の耳はごまかせないと考えたか(ちょっと!それってNYならごまかせるってこと?)、
メトの時より歌が丁寧になっていたように感じます。
メトの公演の時と比べて、歌声に手術やそれによるしばらくのブランクの影響が感じられるかと
耳をすませて聴いてみましたが、私の感覚から言って、明らかと思うような衰えは感じませんでした。
いや、ほとんど全く変わっていないと言っていいと思います。
ほんと、70歳を目の前にしてこんな声が出るなんて、妖怪です。

多分、最も気になる人にとっては気になるであろう点は
加齢を考えれば当たり前なのですが、ブレスのスピードが遅くなっている点で、
比較的短い長さの音から次の音に移行する時に十分に空気を取り込めないからか、
歌うのに息切れしているように聴こえる箇所がありますが、
ブレスの時間が十分にあって、ある程度の長さの音を段々と空気を消費しながら歌う時にはまだまだ安定した歌唱で、
その様子を見るに、彼のキャリアの長さは天賦の才能も運もあるかもしれませんが、
やはり、何よりもきちんとした歌唱力に支えられているのだという思いを強くします。

メトの公演時のプロローグでのかつらの色は、あまりに張り切って若者しすぎていて、
登場後しばらく、”あなた誰?”という感じでしたが、
このスカラの公演では、プロローグの時から、そんなに若さを強調しておらず、かなり最初からおっさんです。
演出のせいもあるでしょうが、全体的に演じ方がメトほどべたでなく、スマートなアプローチになっていて、
もしかすると、手術後で体調的にきつかったというのもあるのかもしれませんが、
最後の幕での事切れ方も、アメーリアの腕の中で静かに息を引き取っていく感じで、
メトの時の、まるで獅子がぶっ倒れるような迫力とは演じ方がかなり対照的で、
同じ歌手が歌っている感じがしないほど、全然印象が違う舞台となっていました。

正直に言うと、今回のスカラの公演は、聴衆にきちんと受け入れられるかどうかというプレッシャーと
演出(私に言わせれば犯罪もの)に縛られたせいもあり、
ドミンゴの歌も演技も安全運転かつスマート路線に寄ってしまった感じがあって、
私は特にこの『シモン・ボッカネグラ』のような演目では、べたでもメトでの歌唱や演じ方の方が好きですが。
ただ、そのようなニーズに合わせて、これだけ近いインターバルの公演同士で、
同じ役をこれだけ演じ分けられる、という、ドミンゴの引き出しの多さはすごいな、と思います。

ということで、スタイルや演じ方のカラーに関して多少の好みはありますが、
総じて言うと、ドミンゴのパフォーマンスは今回の公演中、最も聴くところのある、安定した要素でした。



では、誰・何が安定した要素でなかったというと、まず何よりびっくりしたのはフルラネットのフィエスコです。
というか、こんなことがあっていいものでしょうか、、?
私は今日のこのHDを観るまで、万が一、ドミンゴに失望することがあったとしても、
フルラネットのフィエスコに失望するようなことがあるなどとは思っても見ませんでした。
特にあれはおととしでしたか、同じスカラの『ドン・カルロ』では、
全キャスト中、彼の独り横綱のような(私の好きなザジックもキャストの一人だったのを承知のうえでそう思う)
素晴らしいフィリッポでしたから、それはもうすごいものを期待して映画館に来たわけです。
それが、、、、あれ?
このフィエスコのプロローグのパートは結構性質が悪い(意外と歌うのが難しい)というのを差し引いても、
私は思いましたよ。”あれ?またキャスト・チェンジをちゃんとプログラムに表記してないの?スカラのHDは。”と。
だって、座席に着く前にちゃんと確認しましたから、プログラムで。フィエスコはフルラネット、と。
こんな歌がフルラネットのわけがないでしょうが、と、『三部作』でのセッコとグリゴーロのキャスト変更未表記事件もありましたので、
一体、これはなんという歌手なんだろう、、?とじっとスクリーンを見つめる。
でも、あれれ?顔は確かにフルラネットに似てるんだけどな、、、。ええっ!?
そして、しばらく聴いていて、愕然としました。確かに声そのものはフルラネットだ、、、。
でも、この歌は、、、?!

オペラヘッドでいる限り、どんなに素晴らしい歌手でも、キャリアが長く続く限り、いつかは、
”え?あの彼(彼女)が?”と感じさせられる公演に立ち会わなければならない瞬間というのがやってきて、
それは、その歌手がどれだけプライムに素晴らしい歌手であったということを知っていれば知っているほど、辛い瞬間です。
モリスとかレイミーの例を出すまでもなく、ワブリングとか音の芯が下がってくるといった現象が現れるようになると、
公演による出来・不出来の差が段々大きくなっていくようになって、
もしかすると、フルラネットもここ数年ダウンヒルで、
あの『ドン・カルロ』はたまたま出来が良かった日に当たっただけなのかもしれませんし、
あるいは、この一年で突然がくんと”それ”が訪れるようになったのか、
フルラネットは毎年メトに登場するわけではないので、私にはなんともいえませんが、
少なくとも言えるのは、私が彼の歌にここまで”ええ??”と思ったのは初めてだということです。
幸いなことに、後半に向けて少し歌唱が上を向きましたが、
容赦のないのはスカラの観客で、幕後に浴びせられたかなりの数のブーイングと
彼を弁護しようとする拍手のせめぎあいには、どんなにひどい歌でも往年の素晴らしさを知る歌手相手には、
絶対にブーイングをしないし、それがせめて我々が知っているベストの頃の彼・彼女への、
感謝とエチケットの証である、と考えているメトの観客の間でヘッズ人生の大方を過ごしている私にとって、
何か、見ているだけでいたたまれないものがあり、心臓がどきどきしてしまいました。
私は、素晴らしい舞台を何度も見せてくれた歌手を、使い捨てカイロみたいに扱うことには個人的にはものすごく抵抗があるのですが、
もしかすると、スカラの聴衆のブーイングには、”私たちは一番良いときの歌唱を知っている。
そして、今日の公演のそれは絶対それではなかった!”という、愛ある鞭のニュアンスがあるのかもしれません。
行きつけないオペラハウスの聴衆の反応の真意というのは、計り知れないものがあります。
ちょうど、ブーイングをクールに受け流しているようにフルラネットも、
本当に”こんな時もあるさ。”程度に思っているのか、本当は相当こたえているのか、私には判断しかねるのと同様に。



ハルテロスの歌は声が少しこの役には暗いんじゃないか?と私には感じられますが、
まずまず丁寧に、テクニック的にはメトのピエチョンカよりも破綻なくアメーリアの役を歌っています。
ただ、彼女の歌はどこか冷たい感じがするというのか、
メトの『椿姫』のヴィオレッタの時もそれを感じたのですが、
イタリア・オペラで熱さがないというのは、私にとっては大きな減点ポイントです。

逆に熱さ以外何もない感じがするのは、ガブリエーレを歌ったサルトリです。
彼は年齢もまだ比較的若いからか、声がくたびれていなくて、うまく音が入ると、
スコーン!と抜けたいい音が出るので、短時間聴いている分には、お?と思うのですが、
全幕通しで聴いていると、歌にニュアンスがなくて、段々退屈して来て、しまいにはどうでも良くなってきてしまいました。
恐ろしいですね、、歌の内容がすごく悪いわけでもないのに、、。
その一つの原因には、今やビジュアルが無視できない時代に突入しつつあるオペラの世界にあって、
彼のビジュアルは結構痛い、という点があげられます。
言っておきますが、このブログを長く読んでくださっている方ならお分かりな通り、
私は造形が良くない歌手にもかなり寛大だし、ルックスを埋め合わせ、さらに+αのある歌唱力がある歌手なら、
喜んでそちらをとるのですが、美人・美男か不細工か、という問題以前に、もっさりしているのは、ちょっと許せないんです。
そして、サルトリは私の基準では、とてももっさりしている。残念ながら。
心なしか、抱擁のシーンでは、ハルテロスも嫌がっているように見えなくもないですが、無理もないというものです。
それから、優れた歌手に、歌っている時の顔が美しくない歌手というのはいない、というのがMadokakip理論の一つなのですが、
彼の歌っている時の顔、これが実に美しくない。
目を糸のように細くしながら(つまり眼をつむって)気持ち良さそうに歌っている様子を見ると、
なぜか、無性に腹が立って来ました。
オペラは自分が気持ちよく歌うだけでは駄目なんですよ!何かを表現しなくては!
観客を放って自分の世界に入るな!って言うんです。
しまいには、あの声がくたびれまくっていたジョルダーニのガブリエーレと、
どちらかをとれと言われても優劣つけがたい気がしてくるほどです。
せっかくもともとは、近頃希少化しつつある、綺麗なからっとした声をしているんですから、
もっと歌で何かを表現するということに自覚的にならなくては。

パオロ役はメトのHDの公演でもガートナーという若手が歌っていましたが、
こちらも若手でマッシモ・カヴァレッティ。
彼は2月のメトの『ラ・ボエーム』で、非常にポテンシャルのある歌手だと感じましたが、
スカラの舞台の大きさ(もちろん物理的なサイズでなくてそこに立つことの意味、という点で)、
ドミンゴの『シモン・ボッカネグラ』でかつHDというエクスポージャーの高さ、などに少しのまれたか、
”まだまだ若いのう。”と思わせる内容の舞台だったように思います。
もはや内容が思い出せないほどの小さいミスがあったのですが、
そのミスよりも、その後に彼があたふたしてしまって心ここにあらずといった体だったことの方が印象に残っています。
度胸ではガートナーの方が一枚上手でしょうか。
こういう時に、そういう細かいミスは後ろに放って、ばりばり前にすすむ神経の太さが必要です。
彼の発声は非常に素直で美しく、顔も超美形というわけではないですが、好感の持てる面立ちで、
これからが楽しみという点では私の考えは変わりませんが、
ただ、そろそろ活躍している劇場のクラス、また発声の成熟度を考えると、
もう単に美しく歌っていればOKというレベルはとうに過ぎているように感じますし、
彼らしい、もう少し彫りの深い表現が欲しいかな、という気がします。
例えば、シモンに追い詰められて発するOrrore!も、言葉だけがやや上滑りする感じがあるというのか、
もっともっと言葉と感情が一体となるような表現が欲しいな、と思います。



この公演を一言でまとめると、ヴェルディ作品に不可欠なパッションに欠けている、という一点に集約されると思うのですが、
それは指揮のバレンボイムと演出のティエッツィに責任を帰すべきと思います。

まず、私は概してバレンボイムの指揮があまり好きでないと言ってよいのですが、
今までそれは、どちらかというと、彼の表現の仕方が私の好みに合わないというテイストの問題でした。
しかし、今回のこの『シモン・ボッカネグラ』の指揮は、それ以上の、つまり、
技術的に頭を傾げたくなる出来だったと思います。

残念ながらHDでは、ピットに入る時の様子以外、一切指揮者の姿は映らないので、
どんな指揮をしているのかは皆目不明なのですが、
プロローグはまあまあでしたが、一幕以降、何度も、歌から、
歌手が指揮を見失ってしまっていることがわかる場面が散見されました。
最初にそれが起こったのはサルトリだったので、”あの糸の目になっている間にバレンボイムを見失ったのだな。”と思っていたのですが、
その後に、ほとんど全員の歌手、そして合唱、しかもオケまで、彼を見失ったポイントがあったのを見る(聴く)に、
バレンボイムの指揮に問題があったと考える方が自然だと思います。
オケについては、ここ数年私が観たスカラのHDの中で、
こんなにはっきりとアンサンブルが乱れているのを聴いたのははじめて、という、そういうレベルです。

しかし、ミスよりも何よりもきついのは、この演目を聴いていて、湧き上がってこなければならない
パッション、熱さというものが、彼の指揮する演奏からは全く感じられない点です。
特に、あの、シモンとアメーリアがお互いの正体を知ってお互いを抱きしめる場面、
あそこのオケの演奏で、観客の胸が高鳴らなかったら嘘です。
(下はその場面のメトのHDの映像です。どなたか日本人の方が映画館で撮影して下ったのですね。
あろうことか、Met Playerがこの半月ほど壊れて、映像作品がほとんど見れなくなり、メト側で復旧作業中。
シモンの映像も例外でなかったのですが、おかげさまでこうして掲載できます。ありがたいことです。
シモン役は言わずもがなのドミンゴ、アメーリア aka マリーア役はピエチョンカです。)




ところが、今回のスカラの演奏はどうでしょう!!まるですかしっ屁のように、この部分が流れて行ってしまうのです!!
全く、何の感激も感動もなしに。
スカラのオケでここが盛り上がらないって、一体どういうことなんでしょう!?
いえ、ここだけでなく、ことごとく、バレンボイムはこの作品を見失っていると思います。
鑑賞し終わった後に、熱いものが胸に残らないシモンなんて、何かがおかしいと思いませんか?
当然のことながら、フルラネットの年輪による歌唱のキズも許さないスカラの聴衆が、
こんなのを見逃すはずがありません。
二幕の前だったと思うのですが、ピットに入ったバレンボイムに猛烈なブーが飛びましたが、私も同感です。
その後も先に書いたように、歌手、合唱、オケとのコーディネーションの悪さなどが見られたので、
これは終演後のカーテン・コールはどんなことになるのだろう?と、わくわくしてしまいましたが、
なんと!!!NYのこのアンコール上映では、肝心のバレンボイムの登場部分がありませんでした、、。
スカラの上層陣が恥を隠すためにカットしたのか、
それとも、すでに幕間の観客の反応に機嫌を損ねてバレンボイムが舞台に出てもこなかったのか、、。
いずれにしても、フルラネットが堂々とブーを浴びているというのに、なんと卑怯な。
ちゃんとブーを浴びている様子をスクリーンにも映し出しなさいよ!と思うのでした。

何かをつかみ損ねているといえば、演出も負けてません。
まず、アメーリアの登場してすぐの”星と海はほほえみ Come in quest'ora bruna"。
あの場面は私にはどう考えても彼女が一人でたたずんで歌っているとしか思えず、
海と空という自然とたった一人で向き合いながら、自分の辛い過去と未来への期待を吐露するところに肝があると思うのですが、
なぜかこの演出では、歌のない、アメーリアおつきの侍女兼友人みたいな女性がいて、
周りをちょろちょろとしているのです。
『ランメルモールのルチア』じゃないんだから、、、。
それから海を表現するために青い布をぱたぱたはためかせるアイディアは、あまりに寒くて、
ヨーロッパの劇場の財政難もここまで来ているのか、、としみじみしてしまいましたが、
お金がなくたって、もっとオリジナルな表現をすることは出来るんじゃないかと思います。


Plácido Domingo (Simon Boccanegra)
Ferruccio Furlanetto (Andrea / Jacopo Fiesco)
Anja Harteros (Maria / Amelia Grimaldi)
Fabio Sartori (Gabriele Adorno)
Massimo Cavalletti (Paolo Albiani)
Ernesto Panariello (Pietro)

Conductor: Daniel Barenboim
Production: Federico Tiezzi
Set design: Pier Paolo Bisleri
Costume design: Giovanna Buzzi

Performed at Teatro alla Scala on April 29, 2010
HD viewed at Symphony Space, New York (CTR ORCH E)


***ヴェルディ シモン・ボッカネグラ Verdi Simon Boccanegra***

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69 コメント

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妖怪人間ドミンゴ(笑) (みやび)
2010-07-11 02:13:34
スカラ座・レポ、ありがとうございます~。

復調具合についてMadokakipさんのお墨付きがいただけたようで何よりです♪
1~2cmとはいえ腹壁に穴開けてますから、傷が完全に治るまでは歌みたいに腹圧がかかることには慎重にならないといけなかったでしょうし。

>(ちょっと!それってNYならごまかせるってこと?)

あはは。ドミンゴはそんなこと考えませんよ。って、Madokakipさんもご承知でしょうけど。
入院して少し時間の余裕があったことと、ベルリン→METと歌ってきているので、役が体の中に入ってきたというところではないかと思います。
ただ、スカラ座の観客の方がより声そのものに厳しく、バリトン役をテノールが歌うことに対する反発が大きいかもしれない、という意識はあったと思います。
シモン・ツアーをベルリンで始めたのは、仲が良いバレンボイムがいる、というだけではなく、ドイツの観客の方が、声域が異なることに対する拒絶反応が比較的少なく、表現力という点を評価してくれそうだとの考えがあったのではないでしょうか。

>ただ、そのようなニーズに合わせて、これだけ近いインターバルの公演同士で、
>同じ役をこれだけ演じ分けられる、という、ドミンゴの引き出しの多さはすごいな、と思います。

私のように同じ演目のCDやらDVDやらをいくつも手元に持っていると、それぞれアプローチの仕方が違うな、と思うのですが、世の中そんなオタクな人ばかりではないので…この機会に、MET版と並べて上映していただけると、違いがわかっていただけるかもしれません。日本でも、是非上映していただきたい!

ところで、バレンボイムについては、初日にブーイングをくったという記事を読んだ記憶があるのですが、フルラネットがそんなに悪かったとは…。最近のフルラネットを聴いていないのでなんともいえませんが、現在のフルラネット基準でこの日は特に「低レベル」とだったということはあるのでしょうか?
この後、7月のプロムス、その後のテアトロ・レアルでのシモンもドミンゴとフルラネットのコンビになっていて、ネットの中継もあるはずなので、そこで確認できるかもしれません…我が家のPCは絶不調なのでちょっと心配ですが。

サルトーリは…やっぱり一本調子だったでしょうか。何年も前に新国でエドガルドを聴きましたが、美声だけれど一本調子というか、怒っているのか喜んでいるのか良く判らんというのが当時の印象でした。
キャリアの長さはリチートラとあまり変わらないような気がするのですが(大きな勘違いかもですが)声を維持しているのは、無理なレパートリーに手を出さないからか、声を出すことに集中しているからこそなのか…。せっかくの声なのですから、歌に磨きをかけて、『もっと歌で何かを表現するということに自覚的に』なってもらいたいところです。
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強運?ドミンゴ (keyaki)
2010-07-11 20:42:17
スカラ座の公演は、イタリアのオペラフォーラムでは、バレンボイムとフルラネットが最低、最悪だったので、ドミンゴは助かったね.....という流れになってました。

ブーは、こんなかんじだった...というコメントもありました。コピペしちゃいますね。
1. Buuuuuu... Buuuuuu.... Buuuuu
2. Basta!
1. Buuuuuu... Buuuuuu.... Buuuuu
2. Basta!
1. Ignorante!
2. V--------o!!!!
ごく普通のブーイングだったようです。フルラネットもブーされても、まあ仕方がないか...というような表情でしたね。

マゼールの椿姫の時は、もっと面白かったそうです。
1. Buuuuuuu.... Buuuuuu..(prolungati)
2. Basta ignoranti!
3. Povero Verdi!!!!
4. Povera Italia!!!!!
5. Cosa c'entra????
4. C'entra!!! C'entra!!!

れいの有名なフレミングのルクレツィア・ボルジアの時は最後の"Era desso il figlio mio"のところで、言い争いになったそうです。
"Buuuuuu"
"Basta"
"Stai zitto!"
"Stai zitto tu,cretino!!"

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ドミンゴ今度はロンドン、スペインで (boku)
2010-07-11 21:20:52
ドミンゴさん19日、24日にロンドン、スペインでボッカネグラを歌うようですね。
相変わらず多忙でございます。
その公演が”両方とも”インターネットラジオで生中継されるようです。

ロンドンの公演のキャストは、
指揮:アントニオ・パッパーノ、
プラシド・ドミンゴ、マリーナ・ポプラフスカヤ、
ジョーゼフ・カレーヤ、フェルッチョ・フルラネット、
ジョナサン・サマーズ、ルーカス・ジャコブスキ
という布陣。恒例のプロムスなのでおそらく演奏会形式かと。
フルラネットが出てますね・・・

スペイン、マドリード・レアル歌劇場の公演は、
指揮:ヘスス・ロペス=コボス、
プラシド・ドミンゴ、アンジェラ・ゲオルギウ、
フェルッチョ・フルラネット、マルチェロ・ジョルダーニ、
アンヘル・オデナ、アンヘル・ザパター
という布陣。・・・ってこっちもフルラネット!?
仲むつまじいお二人のようで、、。

中三日でロンドン、スペインと歌うんですね(汗)。
シーズン中の一流サッカー選手じゃないんだから、、、
何考えてスケジュール組んでいるんですかね?
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まぁ、いつものことなので… (みやび)
2010-07-11 21:38:09
>中三日でロンドン、スペインと歌うんですね(汗)。

これは、単発であればドミンゴ的には問題ではないと思います。どうせ自家用ジェットでしょうし。

ずっと舞台が続くと年ですから疲れも溜まるだろうと思いますが、例の70歳で引退説でも話題になったように、今シーズンは(当初の予定ではそろそろ引退かもしれないと思っていたので、その前にあちこちの劇場を漏れなく廻ろうということで)少し頑張ってスケジュールを詰めた感じになっていると思います。実際、例えばスカラ座のように来シーズンの出演予定のない歌劇場では、今回がドミンゴの最後のオペラ全幕出演になる可能性もあるわけですから…。ネット中継等も多くなるでしょう。

返信する
質問です。 (みやび)
2010-07-12 00:08:58
keyakiさん、

>2.V--------o!!!!

これは…???
Buuuuuuuuuuuuを止めようとするが故のBravoの切れ端でしょうか、
単に音を文字化したらこうなったというだけで、意味はない(というか不明)なのでしょうか?
…いや、大した問題じゃないですけど(笑)



返信する
ヴォ! (keyaki)
2010-07-12 02:07:03
>2.V--------o!!!!
なんなんでしょう....意味があるのかな?
2. Basta!
と同じ側の人たちが言っているようなので、Buuuuuuuuuuuuの反対勢力なんだけど、だからと言って、Bravoでもないわけですよね。ヴォ!とかバ!とかべ!という短い音をよく発しますが、意味があるようでないような....

歌は、歌い過ぎもよくないですけど、歌い続けている方が、喉の調子がいいんじゃないですか。ドミンゴは....
9月のリゴレットまで体調管理よろしくお願いしまぁす。
返信する
なるほどー。 (みやび)
2010-07-12 03:23:05
keyakiさん、素朴な疑問にお付き合いいただき、ありがとうございます。
意味のある言葉というわけでもなく、反対勢力としての意思表示ってとこでしょうか。

>歌い続けている方が、喉の調子がいいんじゃないですか。ドミンゴは....

いや、さすがの妖怪ドミンゴも、もう若くはないですから、ほどほどに休んだ後の方が調子が良いような気がします。
調子がいい間は続けて歌っていても問題ないようですが、調子を崩した時の立ち直りに昔よりも時間がかかりますよね。当たり前ですが。

今月のスケジュールでは今日これから南アフリカでW杯決勝を観て、ロンドンに戻って13日の公演…あたりが一番心配で、うっかり(?)スペインが優勝でもしたら、興奮して眠れなかったりしそうだな、とか(爆)
返信する
Operaの観客はやはりお上品?! (Kew Gardens)
2010-07-12 23:13:41
Keyaki-san、みやびさん

横から失礼します。ブーイングの様子に思わずイタリア人だなぁと笑ってしまいました。

Basta!は英語のEnough!と同じです。 イントネーションでは、レストランでもどこでも使いますが、この場合は、「うるさい、もうたくさん」というところでしょうか。

イタリア語のスラングというか罵倒のセリフはかなり多様だそうですが、かなり汚いとか。 Ignoranti(無教養なやつ)とか、Cretino(あほ)くらいは、かなり普通のような・・・。

私も昔パルマで、観客同志が平土間と天井桟敷で言い合いするのを目撃しました。 いいたいことはがまんできない性分なのかもしれません。

おじゃましました。
返信する
バスタ (keyaki)
2010-07-13 01:03:33
Bastaは日常的に使う便利な言葉ですよね。

さすがオペラの国と思ったのは、Buuuに対して、Bravoで対抗していないところでしょうか。「Buuuは分かったから、もうそのへんでやめときなさい」ということで、気持ちはBuuuなんでしょう。

マゼールの椿姫は、笑えますよね。
「可哀想なヴェルディ」まではいいとしても「可哀想なイタリア」と言った人に対して、「何の関係があるんだ」と誰かが叫んだら、「可哀想なイタリア」と言った人が「ある、ある」とか言っちゃってるんですよね。

フレミングのは、歌の途中でしたから、ちゃんと「静かにしろ、バカ」とか言ってくれてますね。

>いいたいことはがまんできない性分なのかもしれません。
そうなんでしょうね。思い出しましたが、こんなこともあるんですね。イタリア人歌手じゃなかったらどう対応していいかドギマギするでしょうね。
★チャリティーコンサートで、いちゃもん?(2007.2.26 パドヴァ)
http://keyaki.blog.so-net.ne.jp/2007-03-06
返信する
あ~、イタリア人 (Kew Gardens)
2010-07-13 22:18:22
keyaki-san,

面白い記事紹介ありがとうございます。 イタリア人じゃないと、固まっちゃいますよ、こんなことを言われたら。 いかにもローカルの人しか行かない劇場の雰囲気ですね。 もしかしたら、このシニョーラの先祖が、パドヴァ付近の領主で、オペラハウス所有していたので、相変わらず「ウチの」劇場のつもりかも、って想像しすぎですね。
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