Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

LA SONNAMBULA: MOONLIGHT BECOMES YOU

2009-02-23 | メト レクチャー・シリーズ
『トロヴァトーレ』に続き、
”月の光がよく似合う:デッセイ、フローレスとそして夢遊病の女”と題された、
来週月曜日(3/2)にプレミアを迎える『夢遊病の女』に登場する
ナタリー・デッセイとフアン・ディエゴ・フローレスを迎えての座談会に行って来ました。

『トロヴァトーレ』のレクチャーの時の3倍近いオーディエンスの入りにびっくり。
それでも年齢の高さはいつものことで、左に座っていた女性に、
”あなたが今日一番若い聴衆なのは間違いなさそうね。”とからかわれました。
何度も言うようですが、私も一般の基準から言えば、決して若くはない年齢なのに。
その方とサブスクリプションの話になって、
”土曜のマチネのサブスクリプションを取るのは大変だったのよ。”とおっしゃるので、
”土曜のマチネなら、私と同じですね。でも、私が取ったときはそうでもなかったんですが、、。”というと、
右隣からいきなり、”一人か二人か、それによってだいぶ違うかもしれないですよ。”という
声がするので、私が一人だと決め付けるなんてちょっと失礼千万じゃなくって?(本当のことだけれど。)と、
その方の方を見ると、何ともかわいらしい、小柄で、人の良さそうな女性がにこにこ。
気のよさそうな方から無邪気に飛び出してくる言葉はおそろしい。
その方はロング・アイランドからマンハッタンに通勤されているそうで、
今日は勤務先から直接このオペラハウスにいらしたとか。
オペラの公演で家からオペラハウスにいらっしゃる際、天候の悪いときは大変なんだそうです。
左隣の方はスタテン・アイランド在住で、やっぱりオペラハウスに通うのが面倒くさい時がある、とおっしゃってました。
わかります、わかります。
なぜなら、私はNYに来て、最初は、通勤の便を最重視して、
マンハッタンのイースト・サイドにアパートを借りていたのですが、
マンハッタンはタクシーを利用する際、南北の交通よりも東西の交通に時間がかかることが多く、
何度もオペラに遅刻しそうになった経験を経て、これではいかん!と、
メトのあるアッパー・ウェスト・サイドに引っ越したくらいなので。
毎朝の通勤に余計な時間がかかることになっても、メトの側にいる方を採る!

だから、わざわざオペラハウスに出てくるより、地元の映画館で見れるHDの方が
ありがたく感じることがあるわね!と両隣の女性は盛り上がり、
ロング・アイランドの女性が、”実は私がオペラにのめりこむようになったのは
ごく最近のことで、それはオネーギンのHDを映画館で観たのがきっかけなんです。
あの公演は本当に気に入ってしまって、テレビの放送も観たのにDVDも買っちゃったわ。”

すると、前の列に座っていたおばさまがいきなりふりかえって、
”あら、あのオネーギン、DVDになってるの?いくら?”
レクチャー開始前にオペラヘッドの雑談が雪だるま式に大きくなっていく様子に、
時間さえあれば、会場中の全員を巻き込むのではないかというくらいの勢いでした。

その雑談の間に、レクチャーの楽しみは、歌手の地の話し声を聞けるところにもありますね、
という話になって、ロング・アイランドの女性が、
”そうなの!先週(『アドリアナ・ルクヴルール』)のマチネの放送のインターミッションに
レナータ・スコットがホストとして登場したんだけど、結構なお年とはいえ、
声が低くてびっくりしたわ。彼女の持ち役から、すごく高い声をイメージしてたのに。”

それから、今日登場するデッセイとフローレスは、通訳を使うのだろうか、という話になって、
”ちょっとそれが心配なの。”とスタテン・アイランドが言うと、
”ルチアのHDもデッセイが司会してたけど、通訳なしでも英語で大丈夫なんじゃないかしら。
もちろんネイティブじゃないけど、身振り手振りとか、表情とかで、いいたいことは
十分伝わってくるから。”とロング・アイランド。
その言葉と同時にデッセイとフローレスが登場!
二人の姿に盛り上がりまくるオーディエンスに、カメラのフラッシュもバシバシ、、
って、あれ?このイベント、カメラ、OKなんですか、、?

今日のモデレーターはエレナ・パークが予定されていたのですが、
登場したのは、シリウスやマチネの全国ネットのラジオ放送でもおなじみのマーガレット。
フローレスはオフ・ホワイトのセーターに、カジュアルなパンツといういでたちで、
デッセイは、リハからそのまま現われたかと思うような黒のスウェット・スーツ。

一時間びっしりのレクチャー、しかも、前回の『トロヴァトーレ』はゲストが3人だったため、
司会の進行によって、きちんと各人のための答えの枠があったので、割と整理されていたのですが、
今日のようにゲストが二人の時は、まるで会話のようにぽんぽん言葉が飛ぶため、
『トロヴァトーレ』の時以上の情報量。
それこそMadokakipは脳でショートサーキットを起こすかと思いました。
語られたこと全てをカバーしているわけではないと思いますし、
残念ながら、語られた順序を再現することはもはや不可能。
なので、便宜的に、私の方で、ある程度のテーマにわけて、二人が語った言葉の一部を羅列してみます。

 La Sonnambula(『夢遊病の女』の原題)という作品について

フローレス 「この作品は、音楽にも流れているような、浮遊しているような感覚があるけれど、
台本もちょっとそういうところがある。
だから、あんまりまじめに、あそこはおかしい!とか、ここはありえない!と、
考え込むのはやめて、こういうオペラなんだ、と、楽しんだ方がいい。
例えば、ロッシーニ作の『オテロ』には、いつも、どうしてヴェルディの『オテロ』のような
緊迫したドラマがないのか、という批判がつきまとう。
でも、それはそういう時代の作品だったから、としか言いようがないんだよ。
ベル・カント作品が作られた時代は聴衆たちが、ジェラートを食べるような気分で
オペラを楽しんでいた時代なんだから。」
 
フローレス&デッセイ 「感情の全てを音楽が表現しているような繊細さがある」

デッセイ 「ある意味、この作品の主役は合唱であるとも言えると思う。」
とはいえ、後にこの作品の聴き所は?という問いに、
デッセイ 「それはもちろんワタクシでしょ?(笑)
まじめな話、アミーナの歌がなんといってもこの作品の中心にある。」

”La Sonnambulaはセミ・セリア(注:オペラ・セリアとは正歌劇の意で、
一般には、格調の高い、まじめなスタイルのイタリア・オペラのことをいい、
しばしば神話や歴史的な物語に題材をとる。それにセミがついているので、ここは半正歌劇、くらいの意味。)
である、という人もいますが?”という問いに
フローレス 「えー、そんな風に言われていることすら知らなかったよ。
うーん、結末がハッピー・エンディングなのでセミという部分はわかるけど、セリアかな、このオペラ、、?」
デッセイ 「コメディーよね?」(フローレスも同意)
フローレス 「セリアというのは、マティルデ(ディ・シャブラン)のような作品のことを言うよね。
この作品はちょっと違うと思うな。」

ベッリーニとドニゼッティの作品の違いについて
フローレス 「要される歌い方はほとんど変わりがないんだけど、、
ベッリーニの方が、レガートのラインが長いかな。でもほとんど同じだね。
ロッシーニは全然違う。ロッシーニの作品はギアが次々入れ替わるんだ。
レガートで悠々と歌っていたかと思うと、突然コロラトゥーラが入ったりね。
(といいながら、ha ha ha haと実演!)
ベッリーニの作品ではどっぷりレガートに浸っていられるけれど、ロッシーニは
常に、ギアが変わるときのための準備をしておかなければならないんだ。」
デッセイ 「ドニゼッティに比べると、ベッリーニの作品は歌うときに
よりむき出しというか、自分の心を差し出すような感じなの。」

なぜアミーナはそもそも夢遊病になってしまったのでしょう?
デッセイ (冗談めかしてフローレスを横目で睨みながら)
「愛するエルヴィーノに信用されてないからじゃないかしら?」

では、エルヴィーノがアミーナの夢遊病をすぐに信じてあげないのはなぜでしょう?
フローレス 「村中が、アミーナが伯爵の部屋に居たことを知ってるんだからしょうがないよ。
嫉妬の気持ち。単純な普通の男性さ!」

フローレス 「この作品がオペラハウスのコア・レパートリーにあるというのは
確かに無理があるかもしれないけど、滅多に上演されない演目というわけではなく、
結構な人気作品と言ってもいいから、メトでは何だっけ?今回が35年ぶりの公演と聞いて驚いてるんだ。」
マーガレットが、その35年前の公演のアミーナがレナータ・スコットであることを指摘すると、
フローレス 「エルヴィーノを歌ったテノールは誰だっけ?」
マーガレットが、誰だったかしら、(アルフレード・)クラウスだったかしら?と思い出せないでいると、
会場から”(ニコライ・)ゲッダ!”という大声が飛びました。さすがオペラヘッド、大正解!

 La Sonnambulaを歌うということ

”おお花よ、お前に会えるとは思わなかった Ah! Non creda mirarti"について
(注:エルヴィーノら村人や伯爵の目の前に、夢遊しながら登場したアミーナが、
エルヴィーノに婚約を破棄されてなお彼への思いを抱き続けていることを歌うこのオペラの最大の聴かせどころ。)
デッセイ 「あのアリアの前奏部分が始まると、責任感に押しつぶされそうになるわ。
この美しいアリアを、もし私が失敗して台無しにしてしまったらどうしよう、と。
だって、そんな行為はもはやこの曲に対する罪だもの。
だから、そんな”殺害者”にだけはならないように!っていつも思ってる。」

夢遊の場面は、狂乱の場と同種のものだと思いますか?
デッセイ 「違うと思う。この作品の夢遊の場面は、アミーナが過去を振り返って、
その時の幸せな気持ちを思い出しながら、もう一度その思い出を生きようとしている場面だと思うの。
狂乱の場とは、全くエネルギーが別物だわ。」

実際に夢遊病の人を知っていますか?
デッセイ 「夢遊病を体験したことがある、という人は知っているけれど、実際に自分の目で
その現場を見た事はないの。
だから、この役を歌うときも、最初は、”こんな感じかしら?”みたいに、
ゆっくりと歩いて演じるところからはじめて、まわりの人からフィードバックをもらったの。」

影響を受けたアミーナはいますか?
デッセイ 「レナータ(・スコット)。マリア(・カラス)。それからマリエッラ(・デヴィーア)。」
その答えにマーガレットが、昔の歌手には特に興味がないし、聴かない、という若い歌手がいますが?とたたみかけると、
デッセイ 「信じられないことだわ。他の歌手の歌はインスピレーションの源だし、
誰の歌からも、何かを学べると思う。例えば、あまり歌唱が気に入らなかったとしても、
それでは、それはなぜなのか?どこがいけないのか?ということを考えるきっかけになるもの。」

 メトのLa Sonnambula、ジンマーマンの演出について

デッセイとフローレスの説明によると、今回のメトのジンマーマン演出では、
『夢遊病の女』のオペラのリハーサル風景がそのまま作品の設定になっていて、
デッセイとフローレスはそのオペラに出演する歌手、という役どころ。
段々オペラの中の話と外枠の話の境界が交じり合っていくのだとか。

デッセイが身につけている黒のスウェットスーツは実は衣装の一つ(おそらくリハーサル時の格好)で、
デッセイ 「衣装はこのスウェットスーツとスカート、それから夢遊のシーンのローブしかないの。」
フローレス 「本当はこの演出のための衣装を購入しに、衣装係の人とショッピングに行く予定だったんだ。
でも、衣装の人が参考までに、と一セット用意してくれていて、それが気に入っちゃったから、”それでいいよ!”って。」

デッセイ 「最初は自分が演じている歌手をディーヴァちっくなキャラクターにしようと思ったのだけど、
アミーナがあまりに純真で優しい子なので、ちょっと上手くかみ合わないかな、と思ったの。」

この演出は、スタンダードなスイスの山村という設定とは全然違っていますが?
デッセイ 「いいと思うわ。というのも、この作品の脚本は音楽に比べるとやや弱いところがあるでしょ?
それを典型的なスイスの山村を舞台に演じても退屈になっちゃう。
メトの演出は、話を面白くするように思うわ。」

オーディエンスからの質問コーナーで出た、夢遊のシーンで細い橋を渡るのは危なくないか?の問に、
(多分下の写真のイメージから、こんな風に舞台でも演じられると思い込んでいるのだと思います)



デッセイ 「夢遊のシーンについて具体的にどういう風に演じられるかはこの場では言えないんですが、
でも、普通じゃないことは確かよ。危なくはないわ。」
(注:ちなみに、リハーサルを見たオペラ警察よりこの部分がどのように演じられかを教えてもらいましたが、
ヒントはこの記事の中の二人の発言の中に隠れています。
詳しくは申しませんので、実演の舞台やHDの上映をお楽しみに!)

 オペラに出演するということ

デッセイはリハーサルが好きだ、という噂を聞きましたが本当?
デッセイ 「リハーサルのプロセスが一番楽しいの。色々な可能性を試せて、
しかも、制限が何もないから!」
マーガレットが、では、リハーサルではあらゆるパターンを試しているの?と聞くと、
デッセイ 「そうしたいのだけれど、それには時間が足りなくて。
今回は4週間のリハーサルだけど、それでも。」
するとフローレスがびっくりした様子でデッセイを見ながら、
フローレス 「えっ?ナタリー、4週間もいるの?僕、2週間なのに。」
デッセイがフローレスを横目で睨む振りをすると、
フローレス 「彼女はボクにも自分と同じ事を要求するんだよね。」と、たまんないよ!という身振り。

演出家と意見が衝突したらどうしますか?
デッセイ 「そういうことはないわね。どういう演出をするか、というのを決めるのは
私の仕事じゃないもの。私の仕事は演出家の指示通りに歌い、演じること。
もちろん、それは、兵隊のように盲目的な全面服従というわけではないわ。
この部分はああしたら?こうしたら?という議論はもちろんします。
だって、オペラはコラボレーション、共同作業なんですから。
だけど、それ以外は、、。もし演出が本当に気に入らなければ、降りるしかないいんじゃないかしら?」

今の若い歌手たちへのアドバイスもかねるとしたら、ルックス、メディア媒体での
ビジュアル面での強さ、歌、演技、これらのパッケージの、どれかが欠けていたり、
どれかがどれかより強く、または弱くてもいいと思いますか?
デッセイ 「いいえ。あえて、全てを持とうとしなさい、と言うわ。
もし、それが嫌なら、今すぐにでもこの仕事をやめてしまいなさい、と。」

 二人で一緒に仕事をするということ

デッセイとフローレスは昨シーズンのメトの『連隊の娘』でも素晴らしいケミストリーを見せましたが、
お互いにこの二人で組むことの良さを語ってください、というリクエストに、
デッセイ 「今日は彼と初めて喧嘩をしたの。演じ方、解釈の食い違いで、、。
でも、私達はお互いにすごく尊敬しあっている」と前置きした後で、
デッセイ 「彼のいいところは、”歌”にものすごく情熱があること。
私は、えてして、歌うことよりも演技にフォーカスが向かいがちになって、
歌が犠牲になることすらあるの。
でも、彼がいることで、歌と演技を同じくらいの高い次元に保たなくてはという意識を常に持つことができる。」
フローレス 「彼女と組むと、本当に自由に役を歌い演じることができる。
これは出来ない、あれもだめ、これもだめ、というのが全くない人なんだ。」
横から、デッセイが、”キスはだめー”と他のソプラノが言いそうな例としてあげると
フローレス 「まあ、こちらが自由に演じない方がいいや、と思うようなソプラノもいるんだけど(笑)。」
この爆弾発言に会場は大爆笑。、、フローレス、それ、誰のこと?

 ライブ・イン・HDをはじめとするメディアについて

HD、シリウス、全国ネットのラジオ放送、ネットによる放送、
(ここでデッセイが”海賊物録音”!と合いの手。)など、今はあらゆる類のメディアで
オペラの公演を楽しむことが可能になりつつありますが?
フローレス 「昔は、せいぜい年に一度、今日はライブ中継の日だ!と緊張したものだけど、
今は、HD、ラジオ、下手すりゃ劇場で公演中に平気でカメラを回している
(といいながらビデオカメラを持つ仕草)人もいて、気が抜けないよ!」
デッセイ 「私達歌手は努力はするけれど、機械じゃないから、毎回、全ての公演が完璧、なんてことはありえない。」
と、ライブ放送にCDのスタジオ録音盤のような完璧さを求めるオーディエンスを危惧する意見も聞かれました。
マーガレットがHDなどの生放送の緊張をいい方向に活用することはできますか?と尋ねると、
デッセイは、あなた、頭おかしいんじゃない?くらいの勢いで、
デッセイ 「有効活用?プレッシャーは単なるプレッシャー、もう一つの心配事でしかないわ!」
演じる側には私たちには伺いしれないほどのプレッシャーがあるということです。
デッセイ 「HDはほんの小さなにきびの後レベルのことまで逃さないから嫌になるわ。」
フローレス 「セヴィリヤの時なんか、すっかり浸ってアリアを歌っていたら、
いきなり、ウィーン、ウィーンというすごい音がして、黒い箱が目の前に飛び出してきたんだ。
一体なんだこれは?と仰天したよ。(注:自動操作の無人カメラのこと)
そういえば、あのセヴィリヤの時は、オケのまわりに板でできた花道があって、
僕たちはそこで歌うこともあったけど、アコースティック(音響)が最高だった!」

ライブ・イン・HDのために特に気をつけていることはあるか?の問には、
二人とも、「ない!!すごいプレッシャーだから、出来るだけカメラが入っていることも忘れようとします!!」
HDのために演技を変えることも全くしていないそうです。
(注:以前、アラーニャはカメラ用に演技を変えている、と言っていました。)

 デッセイに質問

『連隊の娘』であんなに動き回ってよく歌えると感心しましたが?
デッセイ 「逆に動いていないほうが辛いの。だから普段のレッスンでも歩き回ったり、
変なポーズをとったりしながら歌ってるわよ。」
フローレス 「ちなみに僕がマティルデ・ディ・シャブランに出演したとき、すごく動きが多くて、
走るシーンは大変だった。走ると横隔膜が上下するでしょ?
それを歌う時のコントロールされたポジションに持っていくのが大変なんだ。
だからナタリーはすごく簡単にやっているように見えるけど、あれはすごいことなんだ。」

前述の『アドリアーナ・ルクヴルール』のラジオ放送日のインターミッションにゲストとして招かれた際、
ホストのレナータ・スコットの”これから歌ってみたい役は?”という質問になんて答えてましたっけ?
デッセイ 「(笑いながら)サロメ、トスカ、、。
ドラマの面では面白そうだけど、自分の声には無理だってわかってる。
ベル・カントの役が自分の声には合っていると思うし、これからも歌い続けていくことになるでしょう。」

 フローレスに質問
最近、ドレスデンで『リゴレット』のマントヴァ公を歌いましたが、今後の予定は?
フローレス 「ペルーのリマとドレスデンで歌いましたが、とりあえず、今後は歌うつもりはありません。
というのは、自分が通常レパートリーにしている演目の最高音がCやBなどに比べ、
マントヴァ公はAやGで勝負する個所が多いんですね。
だから、もともとのレパートリーに影響を与えないためにも、、。
重い、軽い、の話をすれば、マントヴァは重くはありません。
というのも、女心の歌をはじめとして、軽い曲が多いし、彼のパートではオケの伴奏も概ね軽いので。
だから重さの問題ではなく、高さの問題です。歳をとったらまた考えるかもしれませんが。
ヴェルディの作品では、考えるにしてもこのマントヴァ公役だけで、
他の役に挑戦することは決してないでしょう。」

 メト2009-10年シーズンの二人の予定

フローレスは『連隊の娘』ですね、とマーガレットが言うと、
フローレス、デッセイを指差し、「あれ?ナタリーは出ないの?」
肩をすくめるデッセイ。相手役がダムローと知らないフローレスなのでした。

一方、デッセイはトマの『ハムレット』。
デッセイ 「すっごく美しいプロダクションで、歌うのが今からとっても楽しみ!
トマと同郷のフランス人としては、しばしば作品として弱い、という批判があるこの作品を
守ってあげなきゃ!という気になるわ。すごくドラマチックでいい作品よ。
同じトマでも『ミニョン』はイマイチだけど。」

一生懸命身振り手振りを交えて語る彼らからは、きちんと言いたいことは伝わってきますし、
英語のネイティブ・スピーカーでないために細かい発音が正しくないとか、
ボキャブラリーが限定されていることも、ここNYでは誰も気にしちゃいません。
大切なのは彼らがどんな歌を歌えるかであり、そのことに関する彼らへの
オペラヘッズたちからの尊敬の念は、他のどんな歌手に対してよりも熱いのです。
しかし、ロング・アイランドの女性が最後に言った”この二人、かわいいわーadorable!"という言葉にも激しく同意。
本当、素敵な二人でした。

Moonlight Becomes You: Dessay, Florez and Sonnambula
The Metropolitan Opera Guild Lectures and Community Program
Guests: Natalie Dessay, Juan Diego Florez
Host: Margaret Juntwait
Lecture held at Metropolitan Opera House Auditorium

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12 コメント

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詳しい報告ありがとうございます (babyfairy)
2009-03-01 12:29:37
詳細報告どうもありがとうございます。

フローレス・ファン仲間の中では、今回の『劇中劇』演出には批判的意見、デセイのエゴでベッリーニとロマーニのオリジナルがデフォルメされてしまった云々と不満の声も出ています。

私もロッシーニやドニゼッティ以外のベルカントオペラのコンセプト化には疑問を感じている方なので、今のところあちこちで読みかじったドレスリハーサルの感想等を加味して考えるとちょっと不安です。

でも、21日には映画館で中継を鑑賞するので、とりあえずそれを観てから自分の感想を書くつもりでいます。まあ、確かにこの2人、可愛らしいしお似合いなんですよね。今回の演出もこの2人だから許されるのかも・・・。
返信する
どんなことになるのでしょう? (Madokakip)
2009-03-01 15:01:35
 babyfairyさん、

私はことオペラの演出に関しては超コンサバなので、
誰の作品でも、コンセプト化、アブストラクト化に基本的には大反対なんです。

それが上手くいっている場合はともかく、
下手に行った日には、怒りが二倍になるでしょう。

そうですか、、ゲネプロを観た人に批判的意見が多いとしたら、
怒り二倍系でしょうか、、?
ハリセンを用意しておくことにします。

私は今週一回と、21日の公演の二回を観に行く予定です。
babyfairyさんと同じく、それを観て審判を下し、好意的な感想を書くか、
ハリセンを振り回すか、決めたいと思います。

デッセイは、こういう場所で見ると、
舞台で見る以上に小さくて、びっくりしました。
フローレスは、デッセイと組むメリットとして、もう一点、
”僕は背がそんなに高い方じゃないから、
彼女が小さくて助かる。”とも言ってました。

この日はリハ中の二人の喧嘩が尾をひいているのか、
公演が近くなってぴりぴりしているのか、
デッセイが少しナーバスだったようにも感じましたが、
それをフローレスが一生懸命笑わせたりして、
気を使っている感じなのがまたかわいかったです。
フローレスは結構爆弾発言系で、話も面白い人なのが意外でした。
返信する
トラックバック (babyfairy)
2009-03-01 19:05:17
>怒り二倍系でしょうか、、?

うーん、そうでない事を祈っています。。。この2人、確かにお似合いの舞台カップルなので。

ところで、事後承諾の形で申し訳ありませんが、こちらの記事煮トラックバックさせて頂きましたので、よろしく御願い致します。
返信する
レクチャーについて。 (ゆみゆみ)
2009-03-01 19:29:14
ロンドンの「オネーギン」の話をしたホロ様のラジオ放送の録音会場へ行きました。その時に見た温かい人柄で、ホロ様が益々好きになりました。全く英語はわからないけれど、私が、NYへ行っている間にそのレクチャーがあれば、行くことは可能なのでしょうか?
英語の先生が、何でも「録音」して来なさい。そうすれば訳してあげるから。とおっしゃって下さいます。
出演者の普段の姿に接すれば作品の見方も変わるでしょう。いつか、行ってみたいです。
返信する
興味深いです。 (jun)
2009-03-01 22:05:27
歌い手を招いてのレクチャーっておもしろいですね!
出演すれば必ず話題になるような旬の歌手が語るというのはなかなかいい企画!
>私は、えてして、歌うことよりも演技にフォーカスが向かいがちになって、歌が犠牲になることすらあるの。

彼女わかってるんですね!ここが歌好き仲間の評価が別れるところで、抜群巧いのはわかるんだけどあそこまで美しい声を犠牲にするかという意見もあります。
何年か前のガラで歌ったアミーナもいまいちでした。
HDの連隊も私はあまり好きじゃなかったです。ちょっとしたコミカルさならチャーミングだけど、あの演出笑いをとろうとしているのが見えて興ざめでした。
今回も意見が別れそうですね~~
特にアミーナのシーンAh! Non creda mirartiはソプラノの試金石といわれるくらいで、この曲のテクニックをすべて完璧にマスターすればベルカントは習得というほどの名曲。
レナータ・スコットはこのオペラ何年もかけて勉強し、カラスの代役でデビューし大成功しました。
私はこのオペラは演奏会形式でしか見たことがないので(ルチア・アルベルティ&ジョン・アラー)楽しみです。

>感情の全てを音楽が表現しているような繊細さがある
そんな歌を聴かせてほしいですね!
返信する
禁断のサイト/はい、もちろん!/いよいよ今週! (Madokakip)
2009-03-02 10:09:34
頂いた順です。

 babyfairyさん、

>事後承諾の形で申し訳ありませんが

いえいえ、事後で全く問題ございません!
ブログ内でご紹介いただき、嬉しいです。
ありがとうございます。
承認もすんでいるのですが、
先ほどブログに再訪させていただいた際、
ご紹介の部分のリンクをクリックすると、
forbiddenの文字が出てきました。
まさに、Operax3、禁断のサイトですね!(笑)
何か私の方の問題でしたら、ご連絡ください。
(ドレス・リハーサルの音源をあげていらっしゃる部分も、
リンクが消えているようなので、
もしかすると、Amebaの問題でしょうか?)

 ゆみゆみさん、

>NYへ行っている間にそのレクチャーがあれば、行くことは可能なのでしょうか?

もちろんです。

http://www.metoperafamily.org/education/lectures/index.aspx

こちらがプログラムの一覧です。
シリーズでしか受講できないものもありますので、
ご注意くださいね。(Part X of Yとなっているものがそうです。)

録音については本来は禁止されているかもしれないので
そちらもご注意ください。
私はギルドに確認したわけではないですが、
オペラの公演と基本的に同じと考えて、
カメラやテレコなどの持込はしていないです。
(なのでいつも頭がパンク状態、、。)

 junさん、

オペラは舞台だけで判断するもの、という考えもあるでしょうが、
私はこのレクチャー、結構好きです。
歌手がどういうことを考えながら演じているのか、というのを知ると、
それがきちんと舞台に表現されているか、いないか、
という新しい視点も加わりました。
先にふれたようなタイプの方は、
それが邪道なんだ!というでしょうが、
私にとってはそこが楽しいので、
また心惹かれる出演者のときはぜひ参加したいと思っています。

デッセイに関する両方の意見、よくわかります。
私個人は、こういう、綺麗な声を犠牲にしてまで
演技にこだわる、という変わった人がいてもいいのではないか、とは思っています。
他に彼女のようなタイプはあまりいないですし。

『連隊』は私は楽しみました。
彼女のコミカルな演技もすごく良かったと思いますが、
実は私が一番好きなのは、あのどたばたの中で、
ふっと空気が変わるような気がするフローレスが歌ったトニオのアリア
”マリーの側にいるために Pour me rapprocher de Marie ”の部分なんですね。
それまでが馬鹿ばかしければ馬鹿馬鹿しいほど、
ほろっとするというか、、。
それまでのどたばたは全てこのためにあった!という気がして、上手い構成だと思いました。

あと、デッセイの強みは、毎回、演じ方が違う、という点かな、と個人的には思っています。
なので、同じ演目でも何回も見たくなる人です。
装飾音のつけ方も変えたりしていて、
そちらも楽しいのですが。

babyfairyさんのブログはご覧になりましたでしょうか?
結構、舞台裏はいろいろあるようですね。
舞台裏とレクチャーで言っていることが食い違っている部分もあって、
(ディレクターと意見が対立した場合、云々、、というところ)
レクチャーは本人が語っていることですから、
全部を鵜呑みにするのは危険、という部分もあるのかもしれません。

この演目でも、いつも同様、正直に、感想を書きたいと思っています。

>そんな歌を聴かせてほしいですね

同感です!
返信する
好きになれるか!? (娑羅)
2009-03-02 15:34:59
3/14に実演を見る予定なので、メイ主演のDVD、デセイ主演のCDでお勉強中。
ですが、私、このオペラが好きになれず
DVDでもCDでも、途中で眠くなってしまうのです・・・
全然長いオペラじゃないのに。
だから、今回のMETの新演出でこの作品を好きになれるか、自分自身、すごく楽しみにしています。

昨日見に行った「ルチア」のライブビューイングで、ジマーマンがデセイとのインタビューで、この「夢遊病~」について語っていましたが、稽古中の2人が恋に落ちて・・・という意味がよくわかりませんでした。
読み替え演出なのですね?
私の頭の中に?が飛び散らないといいのですが・・・。

レクチャー前にオネーギンのDVDについて盛り上がってる方のお話で思い出しましたが、昨日の「ルチア」で隣に座った方が、「オネーギン、早く見なくちゃ。録画してあるんだよ。METのだからいいと思うんだ。」と話しているのを聞いて、心の中で「早く見て!絶対いいから!」と叫んでいた私でした(笑)
返信する
リンクを貼り直しました (babyfairy)
2009-03-02 18:02:51
禁断になっていたリンク、消えていたリンクを貼り直しました。動作確認した段階では大丈夫ですので、よろしければご確認ください。

>実は私が一番好きなのは、あのどたばたの中で、
ふっと空気が変わるような気がするフローレスが歌ったトニオのアリア
”マリーの側にいるために Pour me rapprocher de Marie ”の部分

私もです。『連隊』や『愛の妙薬』にはこのガラッと空気の変わるテノールのアリアが用意されていますよね。ネモリーノだって散々コケにされる冴えない役回りなのに、『人知れぬ涙』でホロッとさせてくれるんですよ。その点さえ阻害しなければ、この間の『連隊』みたいにハチャメチャに弾けた演出/演技で楽しませてくれるのは大歓迎です。

ただ、ドニゼッティのこうした喜劇と、ベッリーニの『夢遊病の娘』は同じハッピーエンドであっても性格が違うオペラで、喜劇と言えば喜劇かもしれませんが、ベッリーニののんびりとした夢心地の旋律を生かしたものにしないと全体の雰囲気をぶち壊してしまうと思います。その辺が今回のものはどうなのか興味あります。

今回、ドレスリハーサルの音源だけで鑑賞した限りではあまり感心しませんでしたが、デセイは舞台で見るとチャーミングなパフォーマーです。今はベッリーニのオペラとは認め難い思いがある反面、彼女にしか出来ない、変わり種の『夢遊病』もあってもいいかなとも思い始めています。

何故って、私はフローレスの追っ掛ですが、『夢遊病』とか『連隊』は確かに観ている間は楽しんだけれど、1回観れば十分と思い、今回もメト迄行かなかったんです。まだ超絶技巧てんこ盛りのロッシーニやもう少しドラマチックな『清教徒』とか『湖上の美人』だったら何度も行きたいけれど。
返信する
子守唄?/全然違いますね (Madokakip)
2009-03-03 12:51:59
頂いた順です。

 娑羅さん、

>途中で眠くなってしまうのです・

子守唄系ですね(笑)。わかります。
デッセイやフローレスが言っていたことと重なりますが、
筋で引っ張っていくオペラじゃないんですね。
雰囲気とか歌がきちんとしていないと
眠くなってしまう気持ち、すごくわかります。
(メイがきちんとしていない、という意味ではありませんが、、。)

まさに正攻法で、歌で完全にねじふせるか、
演出で筋の弱さを補完するか、という手しかないですが、
今回のメトの演出は、後者に行っているように思います。

私は、カラスの録音を聴いていますが、
その盤で歌っているテノールがまったくもって好きになれません。
今、プレミアのシリウスの放送を聴きながら
このコメントを書いていますが、
フローレスのこの役での歌はいいですねー。
この作品はこういう声で歌われるのを待ってるんだな、と感じました。

>稽古中の2人が恋に落ちて・

そうですね、読み替えというよりは、
劇中劇に近いと思います。
その劇中劇であるオペラの部分と、劇の部分であたる、
それを演じる二人の話が交錯していく、というような感じのもののようです。

>、「オネーギン、早く見なくちゃ。録画してあるんだよ。

いつの話なんだか、、(笑)、そんな長い間放置しないで、早く観なさい!!!ですよね。

 babyfairyさん、

ありがとうございます。
ドニゼッティとベッリーニ、確かに全然違いますよね。
娑羅さんへのコメントにもあるとおり、
今、シリウスの放送を聴きながら書いてますが、
デッセイが少しこの作品では苦戦しているように思います。
コンディションもちょっと今日は良くなさそうです。

ちょっとスタイルが合わないのかな、、?
彼女はルチアの狂気の表現はすごく良かったですが、
この作品ののんびりした雰囲気が出来っていない気がします。
のんびりしている、というのは逆にすごく難しいことなのかな、と思いますね。
頑張ってる感じや必死さが見えた瞬間に
この作品の良さの一部が死んでしまうんですよね。
今日の公演を聴いて、カラスのあの力の抜けた、
それでいて手を抜いていないあの歌はやっぱりすごい、と実感しました。
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babyfairyさんへ追伸です (Madokakip)
2009-03-03 13:07:04
 babyfairyさん、

今、聴き終わりましたが、演出のジンマーマンが出てきた瞬間、
すごいブーが飛びましたね。
オペラハウスにいた友人の話ですと、
客席から”This is disgusting!"という野次がとんだそうですが、
デッセイが彼女をかばうように彼女に向かって拍手するジェスチャーをしていたそうです。
あと、やっぱり指揮者が良くないですね。
ソリスト(特にペルトゥージ)が苦労している様子からも、それを感じました。
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