保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱 (講談社現代新書) | |
西部 邁 | |
講談社 |
最後の書になつた『保守の真髄』に、昨年の秋に自裁する予定であつたことが書かれ、その死が近いことが知られてゐた。社会を計画的に変更していく社会主義をあれほど批判し、唾棄してゐた「保守主義者」が、自分の生命にたいしては計画的に変更していく社会主義者であつたといふことは、大いなる矛盾であるが、さういふ矛盾に引き裂かれて死ぬといふのも西部邁らしい気がする。しかし、寂しいのである。
思ひ出をいくつか書かう。
20代の頃、上京していろいろな仕事をしてゐたが、自民党の政調会と組んで政治家を対象とした勉強会を手伝つてゐたことがある。月に一回、当時の知識人をお呼びして、それに関心のある代議士たちが集まるといふ形式であつた。場所は、ホテルニュー大谷である。講義をしてもらひ、食事を摂りながら質疑応答をする。東大を辞め、ちやうど『発言者』の創刊を準備してゐる頃だつた。記憶を頼りに今書いてゐるから順序は違つてゐるかもしれないが、日本新党が出来、平成維新の会が立ち上がり、自民党が大きく揺さぶられてゐる時であつた。
西部邁の言葉を聞きたかつた。テレビで見てゐるのと同じ調子で、話してゐる言葉をそのまま記録したら本になるやうな整然とした弁舌である。それでゐて情感を内に秘めてゐるから一本調子ではなく、聞いてゐて面白い。あつといふ間であつた。
一人の代議士が「先生の言つてゐる伝統とはいつの時代のことか」といふ質問をした。西部邁によく出る質問である。即座に「伝統といふのは、さういふ具体的な時代のことではなく、精神の平衡の支点である」といふ、これまたよく聞く答へを話された。かういふ観念としての伝統といふことは、それを考へたことのない人には分からない。その代議士は不満さうだつたが、それ以上は言葉を重ねなかつた。
真正保守思想といふことを語つてゐたが、20代の私はそれらを貪り読んでゐた。
会が終はつて見送る時に、「先生、これから作る雑誌に何かお手伝ひすることはありませんか」と尋ねたが、「いや、もう〇〇さんといふ人がゐて、その人に任せてゐるから」と素つ気なく言はれた。
部屋に戻つて、後片付けをしてゐると、先生のテーブルに百円ライターが置かれてゐた。届けるまでもないと思ひ、それは今も手元にある。
その後も、何回かその会合はあつたが、最初の印象が一番強い。
反米保守といふフレームでしか語らなくなるその後の西部邁氏とは意見を異にしてきたが、言葉の力を持つた人であることは間違ひない。
弱つた西部邁もさらしてほしかつたが、さういふことを許さないのであらう。自分勝手な思想家である。さういふ自分勝手さが魅力であるのは、氏の人徳であらう。
享年78 御冥福を祈る
本当に寂しいです。合掌
いい文章でした。
佐伯先生に会ひに行きませんか。