新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

禅話53―仏性と水中の月―

2014-12-28 09:28:44 | 日記
写真:過日、法事に向かう道中で見かけた猫。よく見ると首に何か付けているので、飼い猫のようだ。


◆尸梨和尚


○原文

順宗皇帝問師、「大地普衆生、見性成佛道?」
師曰、「佛性猶如水中月、可見不可取。」
大義禪師曰、「佛性非見。必見水中月、何不攫取?」
帝黙然之。
又問大義、「何者是佛性?」
大義云、「不離陛下所問。」
皇帝黙契玄関。一言遂合。
(黙の漢字、正しくは口偏に黒)


○訳文

順宗皇帝、師に問う、「大地に普し衆生、性を見、佛道を成す?」
師曰く、「佛性は猶お水中の月の如し。見は可なるも、取は不可なり。」
大義禪師曰く、「佛性は見るに非ず。水中の月を必見して、何をか攫取せぬ?」
帝、これに黙然す。
大義にまた問う、「何者か是れ佛性?」
大義云わく、「陛下に問う所を離れず。」
皇帝黙して玄関に契りて、一言遂げて合す。


※「仏性」や「水中の月」について云々するのは、良く言えば禅の王道。悪く言うと、いかにも禅臭い印象を受ける。
いずれにせよ今回は今年最後の「禅話」だ。
どうぞ皆さまお1人お1人で参究なさって頂くとして、僕からは余計な説明はしないでおく。
尚、僕の訓読(訳文)が「読みにくい」という方は、どうぞ原文をご参考に。

それでは、良いお年をお迎え下さい。

合掌




◆新・からっぽ禅蔵◆

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ベスト3

2014-12-26 10:18:55 | 日記
「ザ・インタビュー」という洋画。
北朝鮮のキム第一書記の暗殺をテーマにしているコメディ映画だという。
表現の自由は良いが、特定の人物を実名で登場させ、なおかつ暗殺というのは酷すぎるのではないか?

「表現の自由」の名のもとで、言葉の暴力であるヘイトスピーチは許される事ではない。
「表現の自由」の名のもとで、特定の国のリーダーや、特定の人種等々を名指しで、侮辱的なコメディの題材にするべきではない。

本件について、僕はアメリカ側の関係者に抗議を示すと同時に、侮辱を受けた北朝鮮側の関係者にお見舞い申し上げる。

さて、以下は本題。

僕は子供の頃から、邦楽よりは洋楽、邦画よりは洋画のほうが好きだった。

しかし最近は邦画もよく観る。

もう年末なので、今年観た邦画の中で特に印象に残った作品を3つ挙げる。

まず、「ワイルド7」(笑)
いや、これがマジで意外に面白かった。
今の世の中、ワイルド7のような存在が必要ではないのか?とさえ思った。

次に、「るろうに剣心」3作品。
僕自身、以前居合いをしていたので面白かった、という事を、既に以前ブログに書いた通りだ。
ところで、まったく武道をやった事がない人にとっては、「居合い」と「合気道」の区別がつかないらしい(笑)
「“合”しか合ってねぇーじゃん(笑)」と言いたいし、なぜ区別がつかないのか、僕にはさっぱり理解出来ない。

居合いは日本刀の抜刀術。
一方、合気道は刀等々の武器を使わない柔道のようなもの。
と言えば少しはおわかりだろうか?
で、僕がやっていたのは前者の“居合い”だ。

さて、今年印象に残った邦画、最後は、「クローズEXPLODE」と言いたい所だが、これはちょっと期待はずれだった。
何と言うか、まじめな人が無理して不良映画を作った、みたいなマジメ臭の強い印象を受けた。

で、意外に良かったのが、ジブリの「かぐや姫の物語」。

人間が、他の動植物より優れていると思うのは間違いだ。
心だの、生きる意義だの何だのとアレコレ盛って、盛りすぎて直ぐに凹む人が少なくない。
アレコレ盛らずに、他の動植物と同様に、ただ生きれば良い。
ただ生きているだけで、全身全霊で“命”が輝いているのだ、と僕はブログで何度も繰り返し述べてきた。

「かぐや姫の物語」も、ただ生きる事の大切さがテーマになっている、と僕には見えた。
“ただ生きる事”以外に余計な事を盛ろうとしたとき、かぐや姫は…。


ところで、今年の作品に限らず、また、洋画・邦画を問わず、僕が最も好きな映画は、以前ブログに書いた通り「クラウド・アトラス」である。
たぶん僕にとって、「クラウド・アトラス」を超える映画は、これからも無いであろう。
この映画には、輪廻と縁起、そして宗教的なエッセンスが、ふんだんに盛り込まれている。

年末年始、自宅でのんびり映画でも観ようとなさる方の参考になれば幸いである。




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バタフライ・エフェクト

2014-12-23 17:56:29 | 日記
安倍さんが「やる!やる!」と言ってたはずの定数削減はいつやるんですかね?(笑)
まったくやりそうもないっすね(笑)
自分たちの身は切らず、国民には増税っすか?
それでも安倍さんを支持する人達が少なくない。

ヘタなカルト教団より怖い話しである。

さて

バタフライ・エフェクトとは、例えば、ある場所にいた小さな蝶の、羽のひと羽ばたきが、巡りめぐって遥かに離れた地球の反対側に嵐をも起こす、というような事をいうようだ。

換言すれば、縁起と言っても良いのではなかろうか。
事は単独では起きない。
周囲との縁によって起きる。

そういう意味で、「縁起説」とも言われる事がある仏教は、事実を伝える教えである、と僕は思っている。

ところで、縁起というと、「縁起が良い」とか、「縁起が悪い」などと言われる事がある。
しかし実際には、縁起に良いも悪いもない。
そもそも良し悪しの感じかたは、その場の環境や条件によって変わる。
従って普遍的な良し悪しは存在しない。

あるのは個人的な都合でしかない。

もしも自分にとって都合が良い事が起きた場合は、同時に誰かが不都合な状況に陥っている可能性がある事を知るべきだ。
「自分に良い事が起きますように」は、「他人が不幸になりますように」とイコールだ。
自分さえ良ければいいのか?という事を言っておきたい。

先日、僕の母が難病にかかり入院した。
おそらく完治はしないだろう。
事実を受け入れる以外にはない。

それを、神やホトケや御守りやらに願って治したいというのは愚かな事だ。
仮に、何かに祈って治ったとしても、その祈りと難病完治との因果関係は証明できない。
「あの祈りのお陰だ」と思うのは、まったく根拠の無い思い込みでしかない。

そんな事、ちょっと冷静に考えれば誰もがわかる事だろうに、“不確かなものを信じる事”に依存する人が少なくないのも事実のようだ。

ところで、女性の身体は、本人の意思とは関係なく、子供を産み育てるのに都合よく出来ていて驚かされる。

例えば、女性の骨盤は開いていて出産しやすくなっている。
また、一般的に男性より小柄で軽量、しかも柔らかく曲線の多い身体なので、小さな赤ちゃんと一緒に寝ていても、赤ちゃんをうっかり押しつぶしてしまう可能性が低い。
更に、赤ちゃんが泣き止まない時に、太い声の男性があやしても、赤ちゃんはなかなか泣き止んでくれない。
赤ちゃんは、自分が発声している高い声に近い声であやされると安心するらしい。
つまり、父親より、赤ちゃんに近い声を持つ母親(女性)にあやされるほうが泣き止む可能性が高い。

まだある。男性から見ると、女性は物事を忘れやすい。いや、忘れっぽいという欠点ではなく、忘れるという能力に長けている。
だから出産で死ぬほど苦しい思いをしても、良い意味でその苦しみを忘れ、二人目、三人目と繰り返し出産する事も可能だ。

女性の、それらの身体的機能は、すべて異性(男性)のための機能ではなく、本来子供を産み育てるために出来ている。

そうした機能を持つ女性を、男性から見て魅力的に見えてしまうのは、おそらく子孫を残そうとする本能からきているのだろう。

だからと言って、「女性はもっと子供を産め」なんて事は僕は全く思わない。

すべての女性たちが子供を産まなくなれば、人類はやがて絶えるが、そもそも地球の環境に悪い影響を与えている人類は、早く絶滅したほうが良い、のかも知れない。

ところで、在日外国人に対して、「てめーら!日本から出ていけ!」などとヘイトスピーチをする人達がいるようだが、在日外国人を攻める前に、外国に滞在中の日本人に対して次のように言わないのかな?
「てめーら!早く日本に帰って来いコノヤロー!」と(笑)




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禅話52―仏像に対するバチ当り!? ―

2014-12-21 07:48:26 | 日記
◆丹霞和尚〔天然〕(739~824)

禅の礎を築いたとも言える馬祖道一と石頭希遷については前に触れた。
今回の丹霞天然は、その馬祖と石頭・両禅師に参禅している。
しかし、だからと言って、一般的な意味に於ける優等生というわけではない。

彼は、馬祖の寺で、僧堂に安置されている聖僧様(仏像)に飛び乗って跨がった。
本来、礼拝の対象である仏像に乗っかるなど有ってはならない事。
そんな掟やぶりのとんでもない人物、それが丹霞天然だ。
それを見た馬祖は、彼を厳しく叱りつけるか、或いは寺から追い出すかと思いきや、「おお!天然よ!」と名づけた経緯がある。
そう、天然の名は、馬祖が命名したのだ。

そんな丹霞天然は、最も痛快でダイナミックな禅僧のひとりである。

では、以下に見てみよう。


○原文

(前略)後於惠林寺遇天寒、焚木佛以禦次、主人或譏。
師曰、「吾荼毘覓舎利。」
主人曰、「木頭有何也?」
師曰、「若然者、何責我乎?」
主人亦向前、眉毛一時堕落。


○訳文

(前略)惠林寺に於いて天寒に遇い、木仏を焚きて以て禦(ふせ)ぐとき、主人或(まど)いて譏(とが)める。
師曰く、「吾れ、荼毘し舎利を覓(もと)むる。」
主人曰く、「木頭に何ぞ有りや?」
師曰く、「若し然らば、何ぞ我れを責めるや?」
主人また前に向かいて、眉毛を一時堕落す。

※これは、実に丹霞天然らしい有名なエピードなので、ほとんど禅を知らない人でも「あ~、どこかで聞いた事がある」と思うのでは?

以下、超訳を示す。

(前略)丹霞天然が惠林寺にいたとき、その日は極寒の日だった。
丹霞は、あまりの寒さのため、寺にあった木製の仏像を焼いて たき火をして暖をとった。
それを見た主人は、丹霞を咎めた。
「コラァ!このバチ当たりめ!仏様を焼くとは何事だ!」という感じであろう。
そう言われた丹霞は、次のように答えた。
「は?仏様を荼毘にふして、中から有り難い仏舎利を取り出そうとしているんですが?何か?」
主人「アホか!?木で作った仏像の中に仏舎利があるわけないだろ!」
丹霞「な~んだ(笑)、仏舎利が入ってないなら ただの木じゃありませんか(笑)、もっと焼いて暖まりましょうよ(^^)」

丹霞は、表面的なホトケやら何やらに惑わされたりしない。
天然のままに生き、ズバリと本質を見極める。

ちなみに、この痛快な丹霞天然の友人に、あの有名な“ほう居士”がいる。
ほうの字は(广+龍)


さて、丹霞天然は、馬祖と石頭に参禅し、掟やぶりだったわけだが、一方、僕はどうか。

僕は、タイ上座部仏教僧として出家し、チェンマイで修行。
国内では、曹洞宗、臨済宗寺院での参禅約30ヶ寺。大学で仏教学部・禅学科に在学中は、禅に参ずる参禅部に所属。更に、天台宗での坐禅、真言宗での瞑想もさせて頂いた上で、日本で大乗仏教僧として出家得度。
その上、丹霞和尚に負けず劣らず掟やぶりなのだが(笑)、どうも僕は、丹霞和尚ほど評価される事はない(笑)
結論、あちこち参禅しまくるのと、掟やぶりな行為はやめましょう(笑)




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禅天魔

2014-12-18 09:55:53 | 日記
毎月お手伝いさせていただいている坐禅会。
その坐禅会後の茶話会で、参加者のお1人から次のようなご質問をお受けした。
「日本の仏教宗派はいろいろあるみたいだけど、どの宗派でも坐禅はやるんでしょ?」と。

僕は、次のように答えた。
「そうだといいんですが。実は坐禅をやらない宗派も多いんです。
我々曹洞宗と、臨済宗、それから黄檗宗の3宗を“禅宗”と言ったりします。禅宗なので当然坐禅はします。あとは天台宗、それから真言宗でも坐禅に似た瞑想はします。それ以外の宗派は基本的に坐禅はしません。希に、浄土系のお寺さんなどで、禅宗の指導者を招いて坐禅会をなさっている、というような所などもありますが、一方で、日蓮宗の日蓮さんは、坐禅には批判的だったようです」と。

僕がそう言うと、いつも知ったかぶりの常連のオジイサンが口を挟んできた。
「仏教はそもそも1つでしょ!?坐禅に批判的な宗派があるわけがない!」のだそうだ。
オジイサンは更に、「仏教はどの宗派も不立文字!これが一番大切な教えでしょ!」と言っていた。

「いや、“不立文字”は我々禅宗しか言ってないんですけど」などと正論を言っても、オジイサンは怒りだすだけなので、申し訳ないが、適当に「はい、はい」と言っておいた(笑)

さて、日蓮宗を開いた日蓮さんが“禅天魔”と言って禅を批判した事について、簡単に確認しておきたい。

日蓮さんは、建長寺(臨済宗)の蘭渓道隆さんへの書状に於いて、次のように述べたという。

「念仏は無間地獄の業、禅は天魔の所為、真言は国をほろぼす悪法、律宗は国賊の妄説」と。
見ての通り、浄土宗・浄土真宗・禅宗・真言宗・律宗などの諸宗派を批判している。
ちょっとしたヘイトスピーチのような臭いすら感じる。

ともかく、上の日蓮さんの言葉が、後に日蓮門流に於いて、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」という四箇格言(しかかくげん)となったそうである。

但し、禅天魔の僕は…、あ、いやいや(笑)、禅僧の僕は、「なんだと!」と腹をたてて何か日蓮さんや日蓮宗さんに言い返すつもりは全くない。

我が道元禅師も、他を批判している箇所は見られる。
鎌倉時代、日蓮さんも、我が道元禅師も、みんな自らの宗派の正統性をアピールするのに一生懸命だったのであろう。

そもそも僕は、日蓮宗のお坊さんに知り合いがいるし、僕が生まれ育った家は、日蓮宗寺院の隣で、幼い頃の僕の遊び場は、そのお寺の境内だった。
だから僕は、他宗を批判する気にはならない(但し、新興宗教は除く)。

そもそも道元禅師(1200~1253)や、空海さん(774~835)や、親鸞さん(1173~1262)のようなおぼっちゃんたちと違って、日蓮さん(1222~1282)は、千葉の田舎の漁師の家で生まれた庶民の出だった。
そのせいか激しいところがあるような印象を受ける。
日蓮さんは、『法華経』こそが最高の経典として位置づけ、“お題目”を重視する。
また、『立正安国論』を書いて、かえって“邪教”とされて伊豆に流されたりしたそうである。
う~ん、いろいろご苦労なさったのだろうとお察しする。

尚、日蓮さんの残した著書『立正安国論』によって安心を、『開目鈔』によって教判を、『観心本尊鈔』によって宗旨を、『撰時鈔』によって依師を、『報恩鈔』によって信行を学ぶ事ができるとし、これを五大部というらしい。

更に、日蓮さんの高弟として有名なのは、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の六老僧。

僕個人としては、森鴎外の『日蓮聖人辻説法』に、日朗さんが登場していたのを記憶している。

甚だ簡単ではあるが、“禅天魔”と言った日蓮さんについて、少しだけ触れてみた。

まあ、鎌倉時代はさておき、現代に於いては、各人お好きな宗教宗派と親しくあれば良いではありませんか(^^)
他宗を批判したり、在日外国人にヘイトスピーチするのは、みっともないからやめようよ(笑)

合掌




◆新・からっぽ禅蔵◆

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