今日は、大学の講義拝聴と、法事が重なってしまった。
仕方なく講義を断念し、法事へ向かう。
さて、「煩悩即菩提」の語は有名だ。
禅・坐禅に興味のあるかたで、この語を知らない人はいない。従って特に説明もしない。
第三十三祖(東土六祖)惠能和尚の続き(4回目)
○原文
師云、「煩悩即是菩提、無二無別故。以智慧照煩悩者、是二乗人見解。有智之人終不如此。」
薛簡曰、「何者是大乗人見解?」
師云、「涅槃經云、『明与無明、凡夫見二。智者了達其性無別、無別之性即是實性。』處凡不減、在聖不増、住煩悩而不乱、居禪定而不寂、不断不常、不来不去、不在中間及其内外、不生不滅、性相常住、恒而不變、名之曰道。」
○訳文
師云わく、「煩悩即是れ菩提。無二無別の故なり。智慧を以て煩悩を照するは、是れ二乗の人の見解なり。智この人に有ても終に此れ不如なり。」
薛簡曰く、「何者か是れ大乗の人の見解か?」
師云わく、「涅槃経に云わく『明と無明を凡夫は二と見る。智者は其の性無別に了達す。無別の性即是れ実性なり』と。凡において不減にして、聖に在して不増なり。煩悩に住して乱れず、禅定に居して寂せず。不断不常、不来不去、中間及び其の内外に在らずして、不生不滅。性相は常住にして恒に不変なり。これを名づけて曰く、道と。」
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さて、「煩悩即菩提」の語は有名だ。
禅・坐禅に興味のあるかたで、この語を知らない人はいない。従って特に説明もしない。
第三十三祖(東土六祖)惠能和尚の続き(4回目)
○原文
師云、「煩悩即是菩提、無二無別故。以智慧照煩悩者、是二乗人見解。有智之人終不如此。」
薛簡曰、「何者是大乗人見解?」
師云、「涅槃經云、『明与無明、凡夫見二。智者了達其性無別、無別之性即是實性。』處凡不減、在聖不増、住煩悩而不乱、居禪定而不寂、不断不常、不来不去、不在中間及其内外、不生不滅、性相常住、恒而不變、名之曰道。」
○訳文
師云わく、「煩悩即是れ菩提。無二無別の故なり。智慧を以て煩悩を照するは、是れ二乗の人の見解なり。智この人に有ても終に此れ不如なり。」
薛簡曰く、「何者か是れ大乗の人の見解か?」
師云わく、「涅槃経に云わく『明と無明を凡夫は二と見る。智者は其の性無別に了達す。無別の性即是れ実性なり』と。凡において不減にして、聖に在して不増なり。煩悩に住して乱れず、禅定に居して寂せず。不断不常、不来不去、中間及び其の内外に在らずして、不生不滅。性相は常住にして恒に不変なり。これを名づけて曰く、道と。」
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