新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

禅話33.4 ―煩悩即菩提―

2014-05-31 08:45:50 | 日記
今日は、大学の講義拝聴と、法事が重なってしまった。
仕方なく講義を断念し、法事へ向かう。


さて、「煩悩即菩提」の語は有名だ。
禅・坐禅に興味のあるかたで、この語を知らない人はいない。従って特に説明もしない。


第三十三祖(東土六祖)惠能和尚の続き(4回目)

○原文

師云、「煩悩即是菩提、無二無別故。以智慧照煩悩者、是二乗人見解。有智之人終不如此。」
薛簡曰、「何者是大乗人見解?」
師云、「涅槃經云、『明与無明、凡夫見二。智者了達其性無別、無別之性即是實性。』處凡不減、在聖不増、住煩悩而不乱、居禪定而不寂、不断不常、不来不去、不在中間及其内外、不生不滅、性相常住、恒而不變、名之曰道。」


○訳文

師云わく、「煩悩即是れ菩提。無二無別の故なり。智慧を以て煩悩を照するは、是れ二乗の人の見解なり。智この人に有ても終に此れ不如なり。」
薛簡曰く、「何者か是れ大乗の人の見解か?」
師云わく、「涅槃経に云わく『明と無明を凡夫は二と見る。智者は其の性無別に了達す。無別の性即是れ実性なり』と。凡において不減にして、聖に在して不増なり。煩悩に住して乱れず、禅定に居して寂せず。不断不常、不来不去、中間及び其の内外に在らずして、不生不滅。性相は常住にして恒に不変なり。これを名づけて曰く、道と。」




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仏教を学ぶ

2014-05-27 09:55:53 | 日記
最近僕は、通夜葬儀・法事のお勤めや、個人的な論文以外に、やっている事がある。

複数の大学で仏教関連の講義を受講しているのだ。
いわゆる一般向けの公開講座というやつである。

講師はそれぞれの大学の教授であるが、内容は一般向けなので、残念ながら高い研究レベルの講義とは言えない。
但し、一般の方々には充分喜ばれているようである。

しかし、多少は参考になる事も、無くはない。
特に、僕がまだ知らない文献や参考書を紹介してくださると、僕としては得る所が大きい。

また、僕の出身大学での仏教勉強とは また違った切り口から仏教を学ぶ事は、有意義だと思っている。

但し、「この宗教宗派が優れている」「この宗教宗派はダメだ」的な、片寄った信仰に立脚している講義だったら、僕は途中退席するつもりだ。

まあ、そんな稚拙で視野の狭い講師は、今のところ見た事がないが(笑)

そして僕も、禅僧ではあるが「禅・坐禅だけが優れている」などとは言った事もなければ、思った事もない。

「この宗教宗派だけが優れている」などと寝言を言う輩が、結果的に、宗教をつまらないモノにしている。



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お知らせ

2014-05-23 13:53:55 | 日記
「坐禅メモ1」は、思ったほど閲覧者数が伸びなかったので、以後この連載は中止する。
読まれる方々が少ないのに、わざわざ坐禅の事をアレコレ公表する必要はないであろう。

「禅話」シリーズも不人気だが、こちらは「自分用メモ」として続ける予定。

いずれにせよ、禅・坐禅に興味のある方々は、以前より減っているような印象を受ける。

禅・坐禅以外の話題では、僕の日常、つまり、通夜葬儀・法事の事ばかり書いても仕方がない。
葬儀等は、一般の方々には非日常かも知れないが…。

また、この国の一部のリーダーたちは狂っているとしか思えないので、社会的な話題に言及するのもバカバカしくなった。

もしも彼らが狂っていないのなら、彼らを全く理解できない僕のほうがオカシイのだろう。

いずれにせよ、それらの理由から、今後、記事の更新を減らすつもりである。

そして、ご依頼がある限り、通夜葬儀・法事のお勤めを行ないながら、個人的には、仏教関連研究に力を注ぎたい。

日頃、拙ブログをお読みくださっている方々には、ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。

合掌



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坐禅メモ1

2014-05-21 10:24:36 | 日記
【写真はこの前の旅行中に撮影したもの】

さて、既に過去に書いた内容とも重複するが、改めて坐禅について書いてみたい。

幾つかの参考書に拠れば、仏教に於ける禅は、インドのヨーガから派生したという。
1920年、インドのモヘンジョ・ダロ(「死者の丘」の意)から出土した印章の模様は、シヴァ神の原形と思われる人物が、足を組んで坐禅をしているように見える。
それはインダス文明のもので、ヨーガの源流もその辺りからあったと考えられているらしい。
尚、シヴァ神は、インドで一般的にヨーゲーシュヴァラ(「ヨーガの主」の意)と呼ばれているそうだ。

さて、禅の原語は、パーリ語の「jhana(ジャーナ)」。サンスクリット語の「dhyana(ディヤーナ)」で、これらは本来「考えること」を意味する。
間違っても「無心になること」などという意味はない。
それを漢訳して「禅定」「禅那」とされた。また、原語の最後の「a」が脱落して、「ジャン」「ディヤン」と発音させて「禅」になったという説もあるそうだ。
尚、「禅」は、現代中国語では「chan」(2声)と発音する。


以下、次回に続く。
但し、不定期の連載とする。



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行ってきた

2014-05-19 06:46:58 | 日記
法事・通夜葬儀で忙しい土日に、無理を言ってお休みを頂き、久しぶりに旅行に行ってきた。

写真は、宿泊したホテルの部屋のバルコニーで、地物の珍しいビールを頂いたところ。

ちなみに、この部屋は露天風呂付きで、この写真の場所の直ぐ横に露天風呂があり、海を眺めながら入浴出来るようになっている。

透明度の高い海には、熱帯魚のようなエメラルドグリーン色の小魚たちや、でかいウツボが泳いでいた。
森にはリスが遊び、空にはいろんな鳥たちが飛んでいた。

とてもリラックス、リフレッシュ出来た。

帰宅した翌日には、即 葬儀が入っていた。

さて、お勤め頑張らねば!




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