新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

ブログ更新反映について。

2009-05-27 21:37:20 | 日記
この前に「部族」という題で書いたブログが、「にほんブログ村」のほうに15時間以上たっても更新反映されない。


いつもとまったく同じ操作をしてるんだけど、なぜか更新反映されない。


最近時々こうゆう事があって、「あれ?どうなってるんだろう…」って事で気になって、1日中ブログ更新反映の事ばっかりになってしまう。


一方、大学のほうでは、科目によってはそろそろ試験も近い。


試験が近い大切な時期に、ブログの事で1日中時間を取られている場合ではない。


従って、しばらくブログを休もうと思う。


「また、気が向いたときに書きます。」

禅蔵

部族

2009-05-27 05:50:45 | 日記
僕が昔サーフィンをしていた事は何度かブログにも書いた。
今はどうなのか知らないが、その頃のサーファーは一種の部族のような側面があった。

ローカルサーファーと言われる海の近くに住むサーファーたちは、自分たちが守り、独占している海のエリアを持っている。
いわゆる縄張りだ。

そうしたローカルたちが独占している海に、よそ者が入ってサーフィンする事は許されない。
この「ローカル・ルール」を無視するサーファーは必ずトラブルに巻き込まれる。

どうしてもその海でサーフィンしたい場合は、その海を縄張りとするローカルサーファーたちと仲良くなる以外にはない。
こうしたローカル・ルールは日本の海だけではなく、サーフィンのメッカ、ハワイをはじめ世界のサーフエリア共通である。

但し、このローカル・ルールが一方的に悪いという事ではない。
こうしたルールが出来るのには、それなりの原因や理由があるのだ。


その原因や理由については省略する。

いずれにせよ、ある意味閉鎖的な部族のようではある。

上に書いたほどの事ではないが、実は意外に身近な所に今も閉鎖的な部族みたいな事があったりする。


我が大学の我が仏教系学部の生徒。
その3分の1程度はお寺の子らしい。
彼らは既に剃髪しているお坊さんだ。



キャンパス内を見渡して見ると、お坊さんたちはお坊さんたちでグループになっている。


勿論、全員がそうだというわけではない。

しかし、多くのお坊さんはお坊さん同士で一緒にいる。
髪の毛がある僕が話かけても、お坊さんのほうから僕に話かけてくれる事はない。


恥ずかしがり屋さんなのかな?(笑)


結果、僕の友達のほとんどがお寺出身ではない一般家庭の学生なのだ。
彼らは恥ずかしがり屋さんではない。(笑)


つまり仏教系大学にいてもお坊さんとのご縁、師匠とのご縁はなかなか無いのだ。

とほほ…



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S寺参禅に一区切り?

2009-05-25 07:31:15 | 日記
昨日5月24日(日)、通い慣れたS寺に参禅した。

いつもは坐禅着か、または坐りやすいラフな服装で参禅する僕だが、今回は違う。

スーツにネクタイ、それに絡子も身に付けての参禅をした。


実は、S寺に10年もいらっしゃる役僧のTさんが間もなく下山されるとの事で、この日がTさん最後の法話だったのだ。



僕は受付を済ませて、衆寮(坐禅堂)に向かう長い百間廊下を歩く。
周りに人気はなく、頬を撫でる風が爽やかだった。


途中右手に仏殿が見えるので、立ち止まって仏殿に向かって丁寧に合掌低頭(一礼)した。


低頭した瞬間、「禅蔵さん。」と、僕を呼ぶ女性の声がした。

えっ!?
菩薩様か、はたまた観音様か?


振り返ると、そこには天女が…あ、いやいや…(笑)

S寺参禅で顔馴染みの ある女性がいた。

この方については詳しく触れない事にしておく。



さて、坐禅を2チュウ坐ったのち、別間に移動してTさんの法話を拝聴した。


Tさんには今まで色々お世話になった。


僕にとってTさんは、友達のように親しくしてくださるお坊さんであり、そして同じ大学同じ学部のOBでもあるのだ。


今まで本当にありがとうございました。
次のお寺でも、益々のご活躍をお祈りしております。
と、言いたい。




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今から考えるゼミ。

2009-05-23 07:36:53 | 日記
僕は今2年生なので、ゼミは来年からだ。
でも最近、ゼミの分野と将来について考える事が多い。
そもそも僕は曹洞宗僧侶になる事を目標として、この大学で禅や仏教や宗教について学んでいる。


なので、ゼミも当然、曹洞宗学や禅学のゼミを選ぶ!
…と言いたいところだが、僕は世襲で僧侶になれるわけではない。
僧侶になるための条件として師匠を探し求めている。
だがいまだに見付からない。


およそ5年近く探しても、師匠が見付からない僕としては、曹洞宗学や禅学よりも広い視点から学びたい。

禅宗発祥の国であるばかりか、日本の仏教に多大な影響を与えている中国仏教や、中国禅宗についてのゼミを選び、世襲ではない分、より豊富な知識と仏教観を身に付けたい。


とも考えている。


しかし、5年近く探しても見付からない師匠が、果たして今後見付かるのだろうか…


僕はとことん「師匠」には縁がなく、生涯出家出来ないままかも知れない。


そう考えてみると、僕のゼミ選びはまた違った方向にいく。


出家は出来ず、生涯一研究者として学んでいくならば、僕は宗教学をやりたい。
禅や仏教にとどまらず、未開社会の原始的宗教から世界宗教のキリスト教まで。また、各地各部族などに残る宗教的儀式や儀礼の研究も面白そうだ。

宗教全体を見据えて、宗教民族学や宗教社会学等々、様々な側面から宗教について考察し、単に比較研究にとどまらず、現代社会に貢献出来る宗教の新たな可能性を模索してみたい。


さて、どれを選ぼうか…。



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ネギ・坐禅

2009-05-22 07:41:38 | 日記
毎朝の坐禅のほか、月曜と金曜が参禅部の活動としての坐禅。
水曜は必修授業としての坐禅がある事は、以前にもブログに書いた。


更に、あちこちのお寺での坐禅会にも極力参加するようにしている。


しかしながら、先日ブログに書いた右足首の捻挫は、治るどころか寧ろ更に痛みが増している。


そこで昨日大学の売店でサポーターを買った。
これから1カ月位は結跏趺坐を封印し半跏で我慢しようと思う。



さて、坐禅を続けていて今更ながら最近気になる事があるのだ。


それは、癖だ。
坐禅の作法を知らないのではなく、知っているのに出来ていない人が少なくない。
どうも、自分なりの癖がついてしまっているらしい。他に、作法を間違って覚えてしまっている人もいる。

実は、こうした癖のある間違った坐禅作法をしているのは、年配のベテランの方に多い。


坐禅をはじめたばかりの初心者にはあまり見られない事だ。



唐突だが癖について、立ち食いそば店での体験談を述べたい。


僕はネギが嫌いなので、そば店で「ネギ抜きでお願い出来ますか?」と尋ねるようにお願いする。

すると、目の前の店員さんが「はいョ!ネギ抜きね!」と口で言いながら、手ではどんぶりにネギを入れているのだ。


「ネギ抜き」と、頭で理解出来ても、そばを作る動作としてどうしても身体が勝手にネギを入れてしまうらしい。


過去に、数え切れないほどのそば店で「ネギ抜き」をお願いしてきたが、僕の経験では、3店に1店はしっかりネギ入りになって出てくる。


僕としては、ネギ抜きが出来ないなら「出来ない」と事前に言ってほしいのだが、「出来ない」と正直に言ってくれる店員さんはいない…。


つまり、ネギを入れる事が癖になっている店員さんと、坐禅作法に癖がある人は、ある意味ちょっと似ていると言いたい。


坐禅のとき、自分の癖で自分のやり易いやり方で座る。
誰かに「違いますよ。こうですよ。」と教えられても、聞く耳持たず自己流坐禅を貫き通す。


そうした自己流の坐禅で、果たして「坐禅」といえるのかどうか疑問だし、大なり小なり他の方に迷惑をかけている事に気付いてほしいのだが…。


困った事にそうした人達は、そば店の店員さんと同様、坐禅が「出来ない」とは言わない。



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