新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

坐禅瞑想と自然

2018-02-25 06:14:16 | 日記
まず余談だが、サーフィンの事を、今まで「波乗り」と書いてきた。
それは、むかしサーフィン仲間全員が、サーフィンを「波乗り」と言っていたからで、当時は誰1人として、サーフィンを「サーフィン」と言うヤツはいなかったからだ。
しかし、ブログで文章にする場合は、「波乗り」とは言わず、サーフィンは「サーフィン」と書いたほうがわかりやすいと思い、これからは、基本的には「サーフィン」と書き、必要に応じて「波乗り」と書こうと思う。

さて、以下は本題。

先日、いつものように関東の某海へサーフィンをしに出かけた。

その日は波が小さくて、僕の他にサーファーは1人も居なかった。

誰もいないその海で、僕は1人で海に入ってサーフィンをした。
波はスモールなだけではなく、波数も少なかった。

ちょっと退屈だったので、サーフボードに股がり、プカプカと海上に漂いながら、僕は姿勢を正し、両手を法界定印に結び、目を半眼にして坐禅をした。

海上での初坐禅である。

地上に人間が作り上げた建造物内での坐禅とは違って、自然の海上に漂いながらの坐禅もまた、気持ちの良いひとときだった。

同時に、その瞬間 ある事を思い出した。
それは、むかし僕がタイ上座部仏教僧として、タイのチェンマイの山奥の森の中で坐禅瞑想をした事だった。

日本の海上でも、タイの山深い森の中でも、どちらも “自然の中” という点で共通している。

そもそも、仏教開祖 釈尊も、狭くて薄暗い坐禅堂内で坐禅瞑想をしたのではなく、屋外の菩提樹の下で坐禅瞑想をし大悟に至った。
自然が、釈尊の大悟に影響を与えた事は間違いないであろう。

その事は、僕は、1人の仏教僧として忘れずにいたい。

また、1人の人間として、大自然へのリスペクトは忘れずにいたいものだ。




【写真:東京都内某施設。本文の内容とは無関係。】
◆新・からっぽ禅蔵◆

いつの間にか……

2018-02-18 08:08:53 | 日記
年に1度の確定申告の時期がやって来た。
「えっ?坊さんも確定申告するの?」と思われるかも知れないが、「坊主丸儲け」は基本的にウソであり、我々僧侶1人1人は、一般の方々と同様に、きちんと申告すべきは申告し、納付すべきお金は、きちんと納付する必要がある。

で、これが実に面倒くさい。
日頃から、通夜・葬儀・法事等々で忙しく、それに加えて、18年ぶりに再開したサーフィンもある。
その上、確定申告の準備等々の作業をすると、もう、ブログごときを書いているヒマはあまり無い。

ところで僕は、身長177㎝で、若い頃は、体重は58㎏~60㎏程度だった。
しかし最近では、65㎏にまでアップしていた。中年太りというやつだろうか?(笑)

で、今の自分の体重と、今乗っている板(サーフボード)の浮力がマッチしているかどうかチェックするために、先ほど、久しぶりに体重計に乗ってみた。
すると、サーフィンを再開する前には65㎏だった体重が、いつの間にか60㎏まで落ちていた。
これにはちょっと驚いた。
ダイエットなどはしていないのに、サーフィン再開から僅か5ヶ月で、5㎏体重が減った事になる。

いつの間にか、18年前にサーフィンしていた頃と ほぼ同じ体重になっていた事に、ささやかな喜びを感じた(^^)




【写真:東京都内某施設のクラゲ。】
◆新・からっぽ禅蔵◆

禅話114ー舌先を使わずに言ってみよ!ー

2018-02-11 06:40:30 | 日記
◆翠巖和尚〔令参〕


○原文

問、「不借三寸、請師道!」
師云、「茶堂裏貶剥去!」


○試訳

(弟子が師匠に)問う、「三寸(舌先)を借りず、請(こ)う、師の道(い)うことを!」
師云(い)わく、「茶堂裏(茶堂の中)に貶剥(へんぱく=こきおろし)去(さ)れ!」


※「舌先、即ち言葉を発する事なく師匠の言うべき事を言ってみよ」みたいな弟子の挑戦的な発言に対して、師匠は、「人をこきおろすような下らない話しは茶飲み話しでやってくれ!」要するに、「くだらん質問をするな!」といったところか。


確かに、禅・坐禅カブレした方の中には、何かそれらしい事を言いたいみたいで、無理で不自然な発言をする人を時々見かける。

そうそう、禅・坐禅の世界だけではない。
相撲の世界にもいらっしゃる。
あの、貴乃花親方である。
彼は、「相撲道、相撲道」と称して、無理に難しい言葉を並べ立てようとして、結果、極めて不自然な発言ばかりをなさっている。
稚拙な人が、無理に利口ぶって話しているように見えてしまうのだ。

ここで、某テレビ番組で紹介していた一件を、1つ紹介しよう。

貴乃花親方は、次のように言った。
「精進とは、神事の世界観です」と。

「は?」全く意味不明だ。
貴乃花親方は何を言っているのか?
とにかくメチャクチャな発言である。
なぜなら、こうだ。

まず、「精進」とは、一般的に「仏教の仏道修行の事」である。
一方で、「神事」とは、一般的に「神道の行事の事」だ。
従って、「精進とは、神事の世界観」と言う貴乃花親方の発言は、仏教と神道を混同した稚拙な発言という事になる。
更に、「世界観です」と言うのも意味不明だ。
「精進とは、神事の」という前文と、「世界観です」という後文の繋がりが意味不明だ。
要するに、「精進」とか「神事」とか「世界観」という幾つかのフレーズを、幼稚な子供のように無理矢理つなげ合わせただけなので、こういう意味不明なおバカな発言になったのだろう。

まあ、元々お相撲さんなのだから、何も理路整然とお話しが出来るようなインテリでなくても良いと思う。
しかし、無理で不自然な発言はやめて、肩の力を抜いて、ご自分の言葉で自然体でお話しになれば良いのに、と、僕は思う。

ちなみに僕は、波乗り(サーフィン)は好きだ。
だが、だからと言って次のような事は言わない。
「精進して波乗り道を極めるぞ!」とか(笑)、「波乗りは大自然と一体になる神事です!」などと(笑)。そんな不自然で、気取ったような、おバカ発言はしない(笑)


さて、話しを本文に戻す。
考えてみれば、翠巖和尚も、挑戦的な弟子の発言に対して「そんな話しは茶飲み話でやれ!」と突き放すのではなくて、何か無言で示してやる、というやり方だってアリだったのではなかろうか。

例えば、無言で波乗りして見せるとかね(笑)
あ、いやいや、無言で坐禅をして見せるほうが良いのかな?(笑)




◆新・からっぽ禅蔵◆

スイッチ

2018-02-04 08:05:41 | 日記
風邪をひいてしまった。

僕は、めったに風邪などひかないが、それでも、5年~10年に1度位は風邪をひく。
めったに ひかない分、1度ひくとかなり重症になる。

若い頃に、42度を余裕で超えるほどの高熱が出た時でも、僕は、当時やっていた肉体労働系のバイトは休まず出勤した。「42度以上の高熱?上等!ぶっ倒れたって休まねぇんだよ!俺は!」というのが当時の僕の考えだった。
その事は、過去に度々当ブログにも書いている。

今も、42度以上でも仕事が出来るかどうかはわからないが、責任感の強さは、当時も今も変わらない。

そして、前回風邪をひいたのは今から6年前。
それは、専門僧堂へ安居修行に行く直前の事だった。

この事実に対して、全く何の根拠もなく、「修行の直前に風邪をひいて高熱が出るなんてオカシイ!どうせ仮病だろう!」などという暴言を吐く輩が、当時、僕の周囲に何人かいた。

僕は彼らに対して、嘘をついた事もないし仮病で何かをサボった事もない。とにかく一切の証拠も根拠も何も無いのに、一方的で勝手な思い込みで、「あいつはこうだ!」などと決めつけてレッテルを貼りたがる最低の輩どもである。
おそらく、彼ら自身が、嘘つきで仮病を使う常習者なのだろう。自分がそうだから、他人もそうに決まっている!と決めつけたがるのだろう。全く情けない連中である。

彼らのような輩どもには、42度以上の高熱でも休まない責任感の強い僕のような人間がこの世に存在する事など、想像さえ出来ない有り得ない事であろう。

さて、そして今回、38度~39度の高熱が数日間続いた。
勿論、その間いつも通り、ご法事も、ご葬儀も、全て休まずしっかりお勤めさせて頂いた。

しかし、かなりの重症だった。

例えば、僕が普段自宅でシャワーを浴びる時の設定温度は41度だ。
しかし、風邪のため、酷く寒気がするので、設定温度を43度まで上げた。
だが、それでも冷たいほどの ぬるま湯に感じて、シャワーが寒くて辛かった。

ところが、気温が0度前後まで下がった早朝に、海で波乗り(サーフィン)をしている時には、なぜか寒さを感じない。
勿論、以前当ブログに書いた通り、今のウェットスーツ類がとても保温性の高い良く出来たものだという事もあるのだが、どうもそれだけのせいではなさそうだ。

海から上がって、自宅から持参した容器に入れた真水を頭から浴びて海水を落とす。
この真水もまた、僕は冷たく感じない。

自宅で43度設定のシャワーは寒いのに、一方で、海の水や海辺で浴びる真水は冷たく感じない。

これは一体なぜなのか?

よくわからないけど、多分、サーファーである時の僕は、自分の中のどこかのスイッチが切り替わっているのかも知れない。

そう。恰かも、「ドラゴンボール」の孫悟空が、スーパーサイヤ人になるみたいな(笑)

なお、波乗りをしたら、数日間続いた高熱が下がった。
今回の風邪も、まだ完治はしていないものの、なんとか回復に向かい始めたようだ。




◆新・からっぽ禅蔵◆