新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

〔おまけ〕今ここにある“生死”

2012-01-31 16:34:32 | 日記
「俺は、葬式をやるために坊さんになったんじゃない!」
と言っても無駄だ。

嫌でも、我々仏教僧侶が葬儀を司るのは、気が遠くなるほど長い歴史に裏付けられた伝統でもある。

そもそも、葬儀(葬送儀礼)は、生者が死者のために営むという基本構造をなしてはいるが、その社会的機能としては、死者に対していろいろな想いを懐く生者側の、哀しみや恐怖等々さまざまな精神的ストレスの緩和を促す目的が含まれる。

その意味で葬儀は、“生きている人のためのもの”でもあると言える。
死者のためでもあり、生者のためでもあるこの儀式は、もはや、死者と生者というふうに二分して考えるのではなく、ある意味生死を超えた“生死一如”の側面を備えている。

そしてその歴史もハンパじゃない。
最も古い埋葬の痕跡は、人類史上最古の時代である旧石器時代に既にあったという。近年発見されたその遺体には装飾がなされていたそうだ。
どのようなスタイルにせよ、今後も人類史から葬儀という儀式が消滅する事はないであろう。

さて、日本ではなぜ仏教僧が葬儀をお勤めするようになったのか。

まず第一に、仏教開祖釈尊も、道元禅師も、葬儀の導師はやらなかったにせよ、、釈尊は、生老病死の中でも、特に“死”について深くお考えになった。
そこに仏教の芽生えがある。
更に釈尊は、一説に、父スットーダナ王のお棺を自ら担ごうとした。これが仏教式葬儀の機縁であるという説もある。
また、道元禅師も「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」(生死の問題を明らかに会得する事が仏教者の一番の目的だ)と言っている。
これらを踏まえて、某書から次の文を引用したい。

「日本人はきわめて「呪術的」な宗教心を持っており、死者の霊魂が実在し、生者がそれに語りかけることができるという信念が強い。このような呪術的な宗教心は現代の日本人にも、依然として根強いものがある。一般人にとって最も恐ろしいものは病気と死であるが、古来から神道は「死穢シエ」といって、死人をけがれたものと見て、いみきらう。そのために死者の霊魂は神道では救われないのである。[中略]しかし仏教が日本に入ってきたとき、仏教僧は死の穢れケガレや悪霊にふれることを少しも怖れなかった。そしてかかる横死の人びとの死骸をねんごろにとむらい、読経をして悪霊をしずめ、死者の追善供養をなし、日本人の祖霊崇拝の信仰とも結びついて、人びとの不安をしずめたのである。」

こののち江戸時代から始まる檀家制度に至り、こうした経緯によって、日本では仏教式葬儀が一般的になったのだと思われる。

一方で、「葬儀に於いて僧侶が唱えるお経の内容は、死者のためのものではないじゃないか。生きている生者のためのお経ではないか。」というご批判を耳にする事があるが、先に書いた通り、葬儀は死者のためだけのものではない。
故人とともに生者も、葬儀に於いて、お経に触れる事に意義があるのだ。

更に言えば、お経は、生者が生きていくためだけを目的にした内容だとも言い切れない。

生と死を二分に分けた考えを超えたところを説いているお経こそ、信頼に値すると言えるだろう。

いずれにせよ我々の命は、数え切れないほど多くのご先祖さまの存在によって“今ここ”にある。
その事実に“気づき”、今ある命の尊さを実感し感謝する気持ちが少しでも芽生えたなら、葬儀を含めた供養という営みに、正面から向き合っても良いのではないか、と思うのだ。

以上、からっぽ禅蔵最終回後の、蛇足のような記事でしたw(笑)

もしかしたら、あともう1回位「蛇足的な記事」を書くかも(^^;)

合掌

―最終回です―

2012-01-04 21:47:37 | 日記
新年おめでとうございます。
皆さまにとって良い年でありますよう願っております。

さて、拙ブログ「からっぽ禅蔵」は、今回をもって終了します。
長い間ありがとうございました。

振り返れば、1年生の終わり頃からこのブログを書き始めて、2年生の夏休み中にタイで上座仏教僧侶として出家しました。
その体験は、2009年9月にブログにも詳しく書きました。
還俗して日本に帰国後、今度は日本の大乗仏教僧侶として出家し、現在に至ります。
大学では禅学の勉強と、伝統ある参禅部での部活動。
一方お寺では、僧侶としてのお勤めを実践的に学ばせていただいてきました。
これら全ては、周囲の方々のご指導、ご協力、お導き等々、様々なご縁によって可能になった事です。
本当に感謝しております。

そんな中で、1つだけ僕なりに恩返しの真似事もしました。
以前にも書きましたが、ある団体を通じて、タイ国の貧しい家の子を、3年間、現地中学校に通わせてあげるため、その学費を僕が全額負担しました。
つまり、学費の面で里親にならせていただいたのです。

いや、僕はお金持ちではありません。
僅かな金額で、現地の学校で勉強させてあげられるのです。

先に書いた通り、僕が最初に出家して僧侶になったのは日本ではなく、タイです。
タイでは現地の方々に大変お世話になりました。
特にチェンマイの村で托鉢した時に、とても生活に余裕などなさそうな村の方々が食べ物をくださって、僕の前に膝まづいて合掌なさっていました。
その信心深いお姿に心打たれました。
あの清らかで美しいお姿は今も眼に焼き付いています。
だから、どうしてもタイの貧しい家の誰かに、恩返しの真似事がしたかったのです。

さて、僕自身は、あと少しで大学を卒業して、僧堂に上山し修行してまいります。

下山後に再びブログを書くかどうかは未定です。

いずれにせよ、今まで拙ブログをお読みくださった方々には、心より感謝申し上げます。

皆さまの、ご多幸をお祈り申し上げ、最後のご挨拶とさせていただきます。

ありがとうございました。

からっぽ禅蔵 合掌


【※尚、特別な連絡事項等々が発生した場合は、今後も、このブログ内で記事の更新も有り得る。】