新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

坐禅録2―注意点―

2014-02-28 15:47:37 | 日記
自宅で始めた坐禅練習。
毎日1時間しっかり坐禅をした。
注意していたのは次の点である。

1:目を閉じるクセがつかないように、常に半眼開いて前方斜め45度付近に視線を落とす。
瞑想では目を閉じるが、坐禅は目を閉じて行なう事は有り得ない。
坐禅をするなら、ここはしっかり守りたい点だ。
実際、目を閉じて空想にふけっているほうが楽なのだが、坐禅は空想にふける作業ではない。

2:坐相に気をつける。
常に坐禅中の姿勢に気をつけていた。
初心者のうちに しっかりと良い坐相(姿勢)をつくっておかないと、後からではなかなか直らないものだ。僕は坐禅以前に、サーフィンや武道をやっていたので、正しい姿勢からしか正しい技は繰り出せない事を知っていた。
人によっては、本人は真っ直ぐ座っているつもりでも、首が左右どちらかに大きく傾いていたり、異常に猫背だったりする人もいて、いくらご指導しても直る人は少ない。
僕は、自宅の坐禅する場所の近くに姿見の鏡を置いていて、坐禅中に時々見て姿勢をチェックしていた。

3:坐禅中に鏡を見るのも邪道だが、もっと邪道な事をしていた。
「摩訶般若波羅密多心経」のプリントを視線の先に置いて、坐禅(正確には坐禅練習)中に、お経の暗記をした。
僧侶でなくても、坐禅等の目的でお寺通いする人の多くは、「般若心経」ぐらいはフツーに暗記しているものだ。
寧ろ、長年坐禅会通いしているのに「般若心経」さえも暗記していない人が たま~にいらっしゃると、ちょっと驚く。

4:坐禅中にモジモジ動かないようにする。
頭をボリボリかく音や、ツバを「ゴクリ」と飲み込む音さえも、坐禅中は意外にうるさく、周囲に響きわたる迷惑音だ。
咳やクシャミ、鼻水をすする音も最小限にとどめるべきである。
以前、ある禅寺の坐禅会で坐禅中の事。
鼻水を何度も何度も繰り返しすすっていた一般参加者さんがいた。
すると、いつも穏和で優しい住職が突然大声で、「うるさ~い!坐禅中だぞ静かにしろ!鼻水を何度もすするな!どうしても出るなら垂れ流しておけ!!」と怒鳴った。
要するに、体調が不調で頻繁に音が出そうなら、つまり、他の参禅者さんに迷惑がかかりそうなら、坐禅会には欠席したほうが良い。
充分気をつけよう。
また、坐禅中にどうしても動く場合は、合掌低頭してから、動き、合掌低頭して静止に戻る。
また、やたらと口の中にツバが溜まる事がある。
ツバは、いっぺんに全部飲み込むと、また直ぐに口内にツバが溜まるものなので、全部は飲み込まないほうが良い。
溜まる時は溜めておいて、耐えられなくなったら少しだけ飲み込むほうが、飲み込む回数は少なくて済むと思う。

まあそんなふうに、1回1時間の坐禅を、自宅で毎日欠かさず続けて1年が経った。

だいぶ坐禅に自信が持てるようになった。
「さあ!そろそろ禅寺の坐禅会に行くぞ!!」

それは、今から9年ほど前の事。
今思えば、お恥ずかしい自信であった(笑)

つづく



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禅話25―2 2祖~24 祖―

2014-02-27 11:21:32 | 日記
◆第二十二祖:摩拏羅尊者(まぬら-そんじゃ)

○原文

心随万鏡轉 轉處實能幽 随流認得性 無喜復無憂

○訳文

心は万鏡にしたがいて転じ 転ずるところ実によく幽なり 流れにしたがいて性を認得せば 喜び無く また憂い無し。

※一瞬、心を明鏡臺に例えた神秀の偈を思い出した。
しかしここでの鏡(きょう)は必ずしもカガミの事ではなく、認識対象の事であろう。



◆第二十三祖:鶴勒尊者(かくろく-そんじゃ)
(資料によっては鶴勒那)

○原文

認得心性時 可説不思議 了了無可得 得時不説知

○訳文

心性を認得する時 不思議と説くべき 了了として得るべきは無く 得る時は知を説かず



◆第二十四祖:師子尊者(しし-そんじゃ)

○原文

正説知見時 知見倶是心 當心即知見 知見即于今

○訳文

正しく知見を説く時 知も見もともに是れ心なり 当の心は即知見にして 知見は即今においてす

※祖師方も代が下がるにつれ“心”を認めるような表現になってきているようにみえる。
こうした流れがやがて、「即心是仏」の語を生み、またその語に捕らわれる者たちが現れると、「非心非仏」と言うのであろう。

これは、言葉に捕らわれ何かに執着する事への戒めであろう。
無常に変化し続けている“今”と親しくなければ、物事の本質は掴めない。



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坐禅録1―はじまり―

2014-02-25 15:22:24 | 日記
僕は、出家し僧侶になる以前から坐禅をしていた。
大学で禅を学ぶ以前から坐禅をしていた。

坐禅歴は、もう10年位になる。

そこで、ちょっとばかりこれ迄の坐禅経験について振り返ってみようと思う。

僕は、坐禅を始めて最初の1年間は、1人で自宅で坐禅をしていた。

近所の仏具屋で、坐蒲(黒い丸型のもの)を買って、毎日自宅で1時間の坐禅をしていた。

なぜ自宅でやっていたのか?

実は、気持ちとしては、1日も早く禅寺の坐禅会に参加したかった。

だけど禅寺の坐禅会に参加している人達って、きっと坐禅中はピクリとも動かないでいられるプロフェッショナルな人達ばかりだろうと、勝手に思い込んでいたのだ(笑)

そんな所へ僕みたいな初心者が行って、モジモジ動いていたら、他の参加者さんに迷惑になるだろう。

ならば、まずは1年間、自宅でみっちり坐禅の“練習”をしてから禅寺の坐禅会にデビューしよう!
そう思っていたのだ。
今思えばなんだかお恥ずかしい。

僕は体系的にも手足が長めで、しかも足の関節が柔らかいので結跏趺坐は簡単に組める。
それでも1時間ジッと座っているとアチコチ痛くなったりした。

1時間座っても、どこも痛くならないし、足もまったく痺れなくなったのは、坐禅を始めて5年近くたってからだった。
いや、しかし、どこも痛くないと坐禅中に眠くなるものだ。
坐禅を続けていくなら、少々どこか痛いぐらいが調度良いのかも知れない。

さて、ではどのような坐禅をしていたのか、もう少し具体的に書こう。
まず、誤解のないように言っておきたい。
上にも書いた通り、目的は“禅寺の坐禅会デビューのための練習”である。

最初に坐禅をしてみた時、僅か10分間でも かなり長く感じた。
なので初日は10分間で終わりにした。
1週間位かけて少しずつ座る時間を長くして、最終的に60分間座るようにした。

時間は坐禅開始時に、キッチン用タイマーをセットして正確に計った。
少し坐禅に慣れてくると、30分間迄は かなり短時間に感じるようになる。
それを過ぎると急に時間がゆっくりに感じる事が多い。
しかし時間の感じ方はその日の調子によっても違う。60分間がアッと言う間に過ぎてしまう事もあるのだ。

また、坐禅中の雰囲気づくりのため、部屋の電気は消して、ロウソクと線香を炊いて行なった。

早朝1時間早く起きて、60分間の坐禅をしてからバイト等に出かけると、1日が軽快に過ごせた。
以前、早朝にサーフィンしてから出勤していた頃と同じ効果があって、とにかく早朝サーフィンでも、早朝坐禅でも、早起きして行なうと とてもリフレッシュ出来た。

一方、寝る前に坐禅をすると、ぐっすりよく眠れる気がした。

坐禅は様々な良い効果をもたらすものだと、当時思っていた。

つづく
(以下は不定期連載の予定)



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葬式坊主の気持ち

2014-02-23 14:02:10 | 日記
「葬式坊主」と批判する人がいるが、常々言ってる通り、「ご葬儀のご依頼」があるからお勤めさせて頂くわけである。
こちらから「葬式やりたいので、あなた死んでくれませんか?」と言う僧侶はいないのだ。

一方で、身内が亡くなって葬儀や法事をなさる方々の中には、なんだか面倒くさそうにしている葬家さんも希にいる。

身内が亡くなったから、仕方なく「まあ、世間体もあるから、面倒だが葬式(または法事)をやるしかないかあ…」といった感じの葬家さんが、たまに居るのだ。

僕がお経をお唱えしていても、お経後に法話をさせて頂いていても、終始つまらなそうで、「サッサと終わりにしてくれよ」という表情だ。

「亡くなった身内の冥福を祈るため」というより、「世間体のため」にやっているような葬家さんに対して、僕は次のように言いたくなる。

「イヤイヤやるなら、葬儀(法事)なんか やめなさい。そんな態度じゃ故人様も浮かばれませんよ!」と。

もう一度よく考えてほしいものである。
何のために葬儀を行なうのかを。

「葬式坊主」ならぬ、「葬式一般人」が減る事を祈る。



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許せない

2014-02-20 14:31:50 | 日記
先日、小保方晴子さんの研究チームによるスタップ細胞の研究論文に疑義があった?とメディアが伝えていた。
既に専門家が調査を始めているらしいが、綿密な調査を行なって、その結果を知らせてほしいと願う。

ところで、オリンピックは、金銭的にも環境面でも恵まれた人達の遊びだと思っているので、僕はオリンピックにあまり興味は無い。そもそもスポーツは、観るより、やるほうが楽しい。
他人の“プレイ”を観ていて楽しめる方々が、ちょっと羨ましいw

但し、韓国の女子フィギアのキムヨナ選手だけは、個人的に注目しているので、彼女には頑張ってほしい(笑)
彼女は美人とは言えないと思うが、どこか魅力的だし、その精神力の強さは見習いたいし尊敬できる。


さて、連日さまざまな事件があるが、僕が最も許せない犯罪は、幼児への虐待である。

他のトラブルや事件は、それなりに大人たちの間で起きる事なので、場合によっては、必ずしも加害者側が100%悪い、とは言えないケースだってある。

ところが幼児虐待は別だ。

まだ赤ちゃんである我が子を虐待して死なせる事件などが頻繁にあるが、これほど酷い事が他にあろうか?

親が勝手に赤ちゃんを作って、勝手に産んで、生まれて来てまだ何もわからず親だけが頼りなのに、その親に虐待されて死んでいく幼児たち。

これほど かわいそうな事が他にあろうか?

僕は、虐待される幼児たちを助けたい。

しかし幼児たちは、自ら助けを求める事が出来ない。

そんな幼児たちを救うには、虐待する親たちを救う以外にないであろう。

親たちのストレス等を和らげ、虐待グセを取り除く事を目指すしかないであろう。

しかし、そんな虐待グセのある親たちを、街中から見つけ出すのは困難だ。

結局、そんな親たち自身から相談して来てくれない限りは、こちらから救うのも極めて難しい。

こうしてる間にも、どこかで、何の罪もない幼児たちが虐待されていると思うと、胸が苦しくなってくる。



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