新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

波乗り雑記帳1ーダンスー

2017-12-16 14:14:12 | 日記
【本記事『波乗り雑記帳』は、僧侶になる遥か以前の僕の個人的な備忘録である。これを本ブログに不定期でアップする予定。】

ー以下は本題ー

むかし むかし……、僕は、18歳の時にサーフィンを始めた。
なぜサーフィンを始めたのか?
その切っかけを以下に示す。

僕は、16歳~18歳迄の2年間、毎晩のように東京都内のディスコに出かけては朝まで踊っていた。(但し、初めてディスコに行ったのは15歳の時だった)
当時は、「ダンスだったら誰にも負けない!負けたくない!出来れば、プロのダンサーになりたい!」と思っていたし、そのための努力も人一倍していた。

さて、僕が中学生の頃、テレビの深夜番組で、「ソウル・トレイン」というダンス番組があり、また、17歳の頃には、ディスコダンスをテーマにした洋画『サタデー・ナイト・フィーバー』や『サンク・ゴッド・イッツ・フライデー』が公開された。(世間では前者の映画のほうが有名になったが、僕は、後者の『イッツ・フライデー』のほうが好きだった。)
そうした事も影響したのか、当時、あちこちのディスコに於いて、「ダンスコンテスト」が開かれた。
ついには、全国大会も開催された。
但し、この当時のジャッジは、あまり信頼できるものではなかった。
当時、ダンステクニックは向上しはじめていたが、それを審査出来る人材は、まだまだ少なかったのだ。
従って、かなり高度なテクニックを駆使して踊る上手なダンサーが、予選で簡単に落とされたり、一方で、下手くそな参加者が、メチャクチャに手足をバタバタ振り回しているだけで上位入賞したり、あげくの果てには、ダンスそっちのけで、ただ単に服装がオシャレなだけの参加者が優勝しちゃうようなダンスコンテストばかりだった。
要するに、まだまだダンス文化が未成熟な時代だったのだ。

そんな中、僕よりずっとダンスが下手くそな Tくんが、全国大会で3位に入賞した。
更に、その Tくんよりもっとダンスが下手くそな Sくんまでが、世間では「上手なダンサー」って事に成りはじめていた。(因みに「~くん」と言う言い方は、一般常識的には目下の者に対する言い方だが、当時遊んでいた僕らにとっては、目上の先輩に対する言い方、若しくは同じ年の者に対する言い方であり、目下の者は呼び捨てであった。)

「TくんやSくんの下手なダンスが評価されるようじゃ もう終わりだ。もうやってらんね~!」と、18歳当時の僕は思った。
そして、「ダンスに変わる趣味はないかなあ~」と思うようになった。

まあ、当時の僕は、まだまだ未熟な18歳だったので、そんなふうに思ったのだが、今思えば、TくんやSくんがどうであろうと関係なく、ダンスを続けるのか続けないのかは、僕自身の問題だったと言えよう。

ところで、Tくんも、Sくんも、後にダンス系のアーティストとして芸能界に入った。
Tくんは、直ぐに芸能界から消えたが、とはいえ、彼が属したグループのデビュー曲は当時大ヒットした。(特に当時よくスキーに行った人には好まれたのでは?)
それに、Tくんとグループを組んでいた某氏は、現在も芸能界で大成功している。
一方、Sくんは、細々と芸能界に残っているが、彼が以前結婚した相手女性(後に離婚)は、昔も今もヒット曲を出し続けているトップアーティストである。(但し、来年引退すると聞いている。)

まあ、TくんもSくんも、ダンスそのものは、ハッキリと明確に僕より下手だったけど、芸能界に入ったほどなのだから、きっと、多くの人達から見たら魅力的な人物なのだろう。(身近にいた僕にはその魅力はわからないが。)

しかし、現在僕は、TくんともSくんとも付き合いは無いので、彼らの名誉のため、また、彼らの周囲の方々のため、彼らについては、これ以上は触れない事にしておこう。

ところで僕は、この頃、朝・昼・晩と別々の女の子と遊んでいた。(因みに上記の芸能人Sくんが落とせなかったある女性さえ、僕の彼女になった経緯がある。)
前の晩にディスコで知り合った女の子と朝まで踊って、その女の子が、当時1人暮らしの僕の部屋に遊びに来て…。
昼間には、僕と同じ年で高校生だった僕の本命の彼女が、学校サボって僕の部屋に遊びに来て…。
夜はまたディスコに行ってまた別の女の子と知り合って、また僕の部屋に遊びに来る。
こんな事が日常的に頻繁にあったが、そればかりではなく、その後、僕がサーファーになってからは、更に多くの女の子たちと遊んだ。(不謹慎に思われるかも知れないが、僧侶になる前の事なのでお許し願いたい。だが、そもそも、生身の異性もろくに知らないモテない坊さんに、人の何がわかると言うのか? 仏教開祖であるお釈迦様も、多くの女性を知り、更に妻帯した経緯がある。その上で仏教が始まっている事は、歴史上広く知られている事実である。)
今は、彼女たち全員のご多幸を祈るばかりだ。
因みに今現在の僕の彼女は、今までの数百人の女性の中で、ダントツで、最も尊敬できる女性である事は言うまでもない。
そう、今の彼女は、真言宗のお遍路で有名な四国の出身で、キリスト教系女子校で数学の教師になり、我が曹洞宗本山の一般坐禅会の世話人までしてきた人あり、元々中卒の僕を大卒にしてくれた女性である。

それはともかく、まあ当時は、SNSもインターネットも、合コンさえも無い時代だったので、逆に、ダイレクトに直接 異性と出会う事が多い時代だったのだ。
「はあ? その時代を知っているが、私はそんなに異性と知り合う機会は無かったぞ!」と言う人は、よっぽど極端に内気なご性格だったのだろう、と指摘する以外にはない。

いずれにせよ、プロダンサーを目指す事をやめた僕は、その後 サーフィンを始めるわけだが、以下はまた次回。


◆新・からっぽ禅蔵 別録~『波乗り雑記帳』~◆