誕生

2017-09-15 11:02:22 | 生い立ち・家族
久しぶりに一人でカラオケに行った。
特別行きたいと思ったわけではない。
ちょっと前にお店のお姉さんに、「最近カラオケ行ってる?」て聞かれて、
ああ、そう言えば最近行ってないなあと思って。
忙しかったせいもあるけれど、特に行く必要もなかったのだ。

昨日は、予定がキャンセルになって一日暇になった。
まあ、配り物の仕事はあったのだけれど。
それで久しぶりに行ってみようかなと思った。

最初は軽く、誰かと行った時にも唄えそうな唄を練習のつもりで何曲か唄った。
そして一人できたなら唄っておかなきゃと思うみゆきさんの重い唄を…。

「誕生」は、今日はいいかなという気分だったけれど、
最後の方で唄っておこうと思った。
「誕生」を初めて聴いた時、ACの人に向けた唄だと思った。
えりかさんに贈りたいと思った。

でも今回は…。
唄っていたら、今までにない想いが湧きあがってきた。

私は父に会ったことがないのかもしれない。
そう思ってから、父に対する興味が薄れてしまったのを感じていた。
少しはあった「会ってみたい」という思いが、無くなってしまったような。

昨日は思った。
もしも、私がお腹の中にいた時に、母が離婚を決めていたとしたら。
母にとってお腹の中の私の存在は、一体どんなものだったのだろう?
そんな風に考えたことはなかった。
でも、離婚して乳飲み子を抱えて生きるということに不安を感じなかったはずはないのではないか?
そこが原点なのかもしれない。
私は胎児の時に、母の不安や憂鬱や、そういったネガティブな思いを受け取っていた。
私が産まれた時に、母は心から「welcome」と思えただろうか?
心から思ってくれたとしても、それだけだっただろうか?

母と離れて暮らした2年間、
私がいなかったなら、母は頻繁に実家に帰る必要はなかったはずだ。
交通事情があまりよくない場所と時代。
その中で、母は私のために幼かった姉を連れて実家と職場のある町を行き来した。
それは、母の私への義務であり、愛だった。

9月14日の夜思ったこと

2017-09-15 10:15:21 | 戯言
前向きなんですね。
人生を切り開いて行こうとしてるんですね。
すごいですね。

若いころの私は、後ろ向きで、とにかく自分にいいことが起こるなんて信じられないでいた。
でもそれは、頑張っても頑張っても手に入らなかったものがあったからで。
そしてそれは、今も同じ。
どんなに頑張っても手に入らないもの。
もしかしたら手に入るのかもしれないと思えるときは、頑張れる。
でも時々どうしようもない絶望感に襲われる。
でも今は、本当は、手に入れたいものの形が明確でない。
それがきっとだめなんだろうと思う。
でも、その明確でないものを無くしてしまった世界が想像できない。
その世界で生きるには、拠り所がない。
だから、もう生きていたくないと思う。
あと20年くらいならなんとか生きていけるだろうと思っていた。
若いころに比べれば、なんとも気が楽だ。
でも、それでも、その20年を苦痛に思う時がある。