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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

映画『冬時間のパリ』

2020年01月24日 | お出かけ

先日、フランス映画「冬時間のパリ」を見ました。


何だか小難しい議論の応酬で始まる映画で、少々ウンザリしながら見ていると、夫が編集者で妻が女優の夫婦と、もう一組の夫が小説家で妻が政治家秘書の夫婦が主人公だと判ってきました。

スクリーン上に繰り広げられるパリの街並みやそれぞれの家庭の生活感あるたたずまいも魅力的で、いつの間にか最初のウンザリはどこへやら、映画の中に巧みに引き込まれていました。

パリが大好き、フランス映画が大好きな私は、パリが舞台の映画だと知ると、その内容に関係なく見てしまうんですよね。この映画も何だか受け入れがたく理解しがたい場面が多く、現代のフランスの社会、モラルをホントに写し取っているのだろうか、なんて思いながらも一方では、こんな一面もあるんだろうな~、パリならではの人間模様なのかな~という、気持にもなって来るから不思議です。

女優で編集者の妻役の人気女優のジュリエット・ビノシュにとって、この役は物足りないというか人物造形があいまいで、やりにくかったのではという気がします。主人公たちの会話が抑制的で淡々と時間が流れていき、最後は編集者と女優夫婦の別荘に小説家と政治家秘書の夫妻が招かれ、政治家秘書の妻が夫に妊娠を告げるところでラストとなりました。この成り行きって、見ている私からすると「おや、おや」という感じですよ。

人の気持ちの動きを追うのがフランス映画だと、言ってしまえばそれまでですが、何となく胸にすとんと落ちて来ない映画で
ガッカリでしたね。とりとめのない感想でごめんなさい。







てくてく歩きのパリ ~ロワール地方の古城めぐり(クロ・リュセ城)~

2020年01月19日 |    パリ(2019)

古城めぐりの最後はレオナルド・ダ・ビンチが67年の生涯の最後の3年間を過ごしたクロ・リュセ城でした。

イタリア人のレオナルド・ダ・ビンチは時のフランス王、フランソワ一世に招かれて、彼の居城アンポワーズ城近くのクロ・リュセ城を王から与えられ、1516年から亡くなる1519までの3年間をここで過ごしました。クロ・リュセ城は「クルーの館」とも呼ばれていますが、こんな外観でした。煉瓦と白い石灰岩の組合せが美しいですね。


<クロ・リュセ城>

室内に入るとダ・ビンチの寝室が保存され、彼が寝たベッドが展示されていましたが、とても500年の時を経た物とは思えない程、頑丈で立派でした。もちろんベッド周りのカーテンなどは現代の物だと思われますが、ベッドの木枠の保存状態も良く、造形もきれいで驚きました。


ここはダ・ビンチがお客様を向かえた大広間だそうですが立派な部屋でした。天井にルネッサンス時代の建物の特徴が見えますね。


ダ・ビンチはイタリアから、ここクロ・リュセ城に移る時、「モナリザ」「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」の3点の絵を携えて来ました。そしてここに移って来た後も、これらの絵に筆を入れ続けたと言われています。それら3点の絵も展示されていました(もちろんレプリカです。本物はルーブル美術館にあります)。また彼の発明品の復元モデルなども所狭しと展示されていました。
 

このクロ・リュセ城はフランソワ一世の居城のアンポワーズ城と400m位しか離れていず、二つの建物は地下道でつながっていて、王は度々地下道を通って、このクロ・リュセ城を訪れたと言われています。二人の親密な間柄が偲ばれる話ですね。ダ・ビンチのお墓はアンボワーズ城のサン・ユベール礼拝堂にあるそうです。







てくてく歩きのパリ ~ロワール地方の古城めぐり(シュノンソー城)~

2020年01月13日 |    パリ(2019)

シャンボール城から洞窟レストランに寄り昼食の後、シュノンソー城を見学しました。このお城は代々の城主が女性だったことから「6人の奥方の城」などと呼ばれています。なかでもアンリ二世の妃カトリーヌ・ド・メディシスと愛妾ディアーヌ・ポワティエとの確執はよく知られていますね。

バスを降りると下の写真の様な木々に囲まれた道が続きました。木々が途切れてパッと明るくなったところでお城が見えてきました。


<シュノンソー城>

お城の周りには美しく手入れされたお庭が見えていましたが、それを見ることなくお城の建物の中に入り幾つかの部屋を見学しました。下はディアーヌ・ポワティエの部屋の暖炉とベッドです。暖炉上には、今は皮肉にもカトリーヌ・メディシスの肖像画が掲げられていました。
 

<暖炉上のカトリーヌ・メディシスの肖像画>

下はフランソワ一世の部屋の見事な暖炉と真珠貝のはめ込み細工が施された美しい調度品の一つです。この部屋にはディアーヌ・ポアティエの肖像画が飾られていました。




<ディアーヌ・ポアティエの肖像画>

このお城はシェール川をまたぐ形で建てられていますが、川の上に当たる部分はこんな美しい回廊になっていました。この回廊はお客様を招いた時の晩さん会の会場などとして使われていたのだそう。また戦争のあった時代には負傷兵を収容する病院になったこともあるそうです。


このシュノンソー城の大きな特徴の一つが下の写真の様に川をまたいで建てられていることで、ガイドブックやカレンダー等にもこんな感じの写真が載っているのがほとんどです(この写真はネットよりお借りしました)。


が、このツアーではお城が川をまたぐ姿が見える場所には案内してもらえませんでした。ツアーメンバーの一人が添乗員さんにそのことを尋ねておられましたが、「船をチャーターしなければ川をまたぐ姿は捕らえられない」が答えだった様です。が、それはちょっとおかしいですね。上の写真は川ぺリを少し歩くと見えて来る景観だと思われますので、私達がこの景色に出会えなかったのを残念に思います。








てくてく歩きのパリ ~ロワール地方の古城めぐり(シャンボール城)~

2020年01月09日 |    パリ(2019)

パリ滞在も後半に入りましたが、この日はオプショナル旅行に参加してロワール地方の古城を巡りました。

ロワール地方はフランスのほぼ中央部に位置しフランスの庭園とも呼ばれ、ここを流れているロワール川の流域には多くのお城が点在しています。私達はその中の
シャンボール城、シュノンソ―城、ダビンチが生涯の最後の3年を過ごしたクロ・リュセ城を見学しました。

早朝にパリを出発しましたが、30分もすると田園風景が広がり始め2時間程でロワール地方に入りました。最初に見学したのがシャンボール城です。
<シャンボール城

当時はどうだったかは知るよしもありませんが、現在のシャンポール城は周りに何もない見通しのよい平坦地に立っていました。そしてお城正面に向かって右側の道からお城の中に入りました。16世紀初頃フランス王フランソワ一世が狩猟の館として、このお城の建設に取り掛かったそうですが、シャンボール城といえば、よく知られているのは階段を上がる人と下りる人が顔を合わせなくていいように設計された、二重らせん階段でしょう。

その二重らせん階段はお城の中央部にあり、こんな感じでした。ガイドさんは丁寧に階段の仕組みを説明されたのですが、私にはよくわかりませんでしたね~。フランソワ一世の招きで当時フランスに滞在していたレオナルドダビンチが、この二重らせん階段の設計に関わったのではないかとも言われているそうです。

<二重らせん階段>

二階の中庭の角はこんな感じになっていました。これは、おそらく二重らせん階段の一部が見えているのでしょう。


シャンポール城は3階建てですが、三階のテラスには美しい塔が幾つも立っていて、ずっと向うまで見渡せる気持ちのよい空間でした。
 
<沢山の塔>                     <塔頂>

<装飾が美しいですね>
           
<美しいフランス式庭園>
お天気が良かったので、上の写真に3Fテラスの塔の影がくっきり写っています。

お城というと美しい立派な調度品のある部屋を想像しますが、私達がそんな部屋に案内されなかっただけかもしれませんし、またフランス革命時に家具などは略奪されたのかもしれませんが、シャンポール城は絵葉書等で見る美しい外観とはちょっと違っていて、内部は広いだけで(部屋数は426もあるそう)何だか殺風景な感じがしました。それはもともと狩猟の館として建てられたのと関係があるのかもしれませんね。

フランソワ1世が32年間の在位中にこのお城で過ごしたのはわずか72日。 その後、その息子のアンリ2世やルイ14世など多くの王族が使用したそうです。







 


博多雑煮

2020年01月03日 | つれづれ




あけましておめでとうございます。

皆様どんなお正月をお過ごしでしたか。

私は毎年同じ様な年末年始で、

大晦日は小さな孫も入れて子供達家族合わせて13人で年越会、

明けて二日には同じメンバーで新年会という流れです。

毎年同じ様に出来るって幸せだな~と、最近つくづく思う様になって来ました。

そう感じるのも歳をとった為かもしれませんね。

そんな中、今年の新年会では嬉しいことがありました。

これまで年越会も新年会もほぼ私一人で皆の食事の準備をしていましたが、

今年はお嫁ちゃんが新年会でお雑煮を作ってくれたのです。

お嫁ちゃんが手際よく作ってくれたお雑煮は、

日本一豪華と定評のある、

ブリ、カツオ菜、海老などの入った、あごだし仕立ての典型的な博多雑煮。

皆から「おいしい!」と言われ、彼女も嬉しそう。

私もお節は暮れに作り終えてはいるけれど、

大人数なので何かと大変だった新年会が、

今年はお雑煮作りをしなくてよかったので、少し楽でした。

今年も明けて早や三日、また忙しい日々が始まります。