不思議な映画でした、バニラ・スカイ。
時空に対する私たちの認識レベルの限界を示唆しているかのようです。
『望遠鏡で見えない領域があるのは、それが遠いからではない。
そこが古い時代の宇宙だから見えないのです。』
よく言う、光が届くまで何万光年かかる、みたいな考え方。
光が絶対的なモノサシとなり、時間や空間が変化する動的なものに変わる相対性理論。
でも、私たちの認識は、やっぱり、光を触媒的なモノとして捉えてしまう。
望遠鏡を覗いて認識している「今、ここ」の宇宙は、実は空間的遠近に依拠するのではなく、時間的遠近に依拠している。
絶対的である光の背後で、空間と時間が虚実あいまみえて動的に変化しているとは普通考えない。
Vanilla Sky Final Scene
(↓)いかにも私をそそるコピーが並ぶ。読みました、、先日見たら、15万部も突破したみたいです。わかりやすい。
(刺激的なコピーや書評ほどにスリリングではなかったですが、量子論の全体が最先端まで含めて、平明に書かれているように思えました。
頭の中で、切り口を整理しながら、テーマ分けしながらブログにもまとめていこうと思っております。)
超ひも理論によれば、5次元から10次元までは
きわめて小さなプランク距離(10の-35乗メートル)の大きさに畳み込まれているので私たちには見えないといいます。
10のべき乗は生物学的なナノテクノロジーの世界でも「Power of ten」と言われているようですが、
逆に10の37乗だと宇宙の果てまで行ける。
動画は削除されてしまいましたが、リサ ランドール博士の特集で「Flat Land」の話が出てきました。
2次元世界(平面的な世界)に生きる人間から見た場合に
3次元の高さを持った空間から気球が2次元世界を通り抜ける運動は、
平面に映る(2次元世界に" 接地 "する)球の影が段々大きくなってきて、
2次元世界を通過するとともに、また再びだんだん球の影が小さくなって消えていく、という
平面上での球の影の、膨張・収縮にしか見えないという例え。
例えを変えると、
風車の柱が2次元世界に接地していて、風車のてっぺんで羽がクルクル廻っていても、
それは高さを持った3次元世界での出来事であって、
2次元世界では、2次元世界に設置している風車の柱の幅だけしか認識できない。
同様に、
我々が認識できない空間、5次元空間が存在するとすれば、
我々の3次元世界(あるいは時間を加えた4次元世界)に" 接地 "しない5次元空間で運動する粒子は
我々の認識できる次元に" 接地 "した時に止まった粒子として見え、
接地してない時には見えないはず。
そうすると、質量の持つ意味も変わる。
止まっている粒子には質量はなく、見えない次元で見えるエネルギーに置き換わる。
アインシュタインの有名な公式、E = m c2
エネルギーと質量が等価であることを表すこの公式、
我々の認識できる次元を跨いだときに、その真価を発揮するように思いました。
この" 接地 "という考え方、古来から" 結界 "とか様々な呼び方をされる現象と重なるように思えます。
時空とあの世について
(続く)
世界はウロボロスの蛇、世の理(ことわり)を追求したく。
龍 〆
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