すっかり、ファンになった感のある内田 樹(たつる)氏。
ナンバ歩き等の古武術研究で知られる甲野善紀氏が序文を寄せていますが、武道(合気道)にも通じた方です。
「あがってしまって、ふだんできることができない」ということは日常生活でよく起こることですが、
命がけの闘争の場を想定した武道の場面でのそういった状態が招く身体能力の低下は死活問題になる。
こういった心理的な働きが抵抗となることを武道では「居着き」と呼び、「兵法家伝書」で「着(じゃく)」あるいは「病(やまひ)」としてきびしく諫めています。
勝とうと思うこと、習得した技術を出し切ろうと思うこと、相手を打ち負かそうと思うこと、
そういった「居着き」を去ろうとあれこれ工夫すること自体さえも「心のこだわり」となって、身体能力の低下を招く。
すなわち、花鳥風月にも白刃や流血にも、同じように、意味やコンテクストを無視して、刺激に対してオートマティックに反応する身体を武道的身体の理想としています。
型をしっかり訓練して機械的に反応する身体をつくる方法もあれば、
「身体を細かく割る」という練功法についても述べられています。
(本書の最終章「響き」に、この「身体を細かく割る」動きについて書かれていますが、感じ入るところの多い文章で、後日抜書きしたく思っています。)
たしかに、心身が一体となって好調のリズムや流れに乗りゾーンに入っていく、「心身一如」は好調時の哲学としては素晴らしいかもしれません。
一方で、マイナス思考の時や、身体が不調だったり病気になったりした時には、「心身一如」ではなく、心と身体を切り離した方が共倒れを防げます。最悪を消す、発想。
人間誰しも老いに向かうものだし、病気になっても心の健康をキープできる技術として、
毎日のバイオリズムに合わせて、うまくこの使い分けのトレーニングをしていくということが大事に思えます。
~ 「身体は言語として構造化されている」
日本の「腰」に相当する身体部位を表す言葉が英語にはない。 waist、hip、loin、は腰とは違う。
「腰」を曲げたり伸ばしたり、タメたり、キメたり、据えたり、砕いたりすることがウェストやヒップではできない。
腰がわからんかったら、いろいろと難儀でしょ。。(ゴルフのレッスンとかも、ね。)
(↓)フランスには「gorge ゴルジュ」という身体部位を表す言葉があるらしい。
ゴルジュが痛い、ゴルジュを掻き切る、と言うと「のど」、
女性のゴルジュが美しい、と言うと「乳房」を意味するそうです。
ピカソの絵は、のどとかオッパイとかが頭の中で色々とミックスされてああいう風になったってことだったのか。。ヘ?(・・?
やめとけ、という心に、身体(オッパイでなくてのど、ね)が勝ったので、ゴルジュが歌うフランス語混じりの歌。(・o・)
<(_ _)> michelle by ごるじゅは、騒音であることが判明しましたので削除いたしました。 あしからず。
ナンバ歩き等の古武術研究で知られる甲野善紀氏が序文を寄せていますが、武道(合気道)にも通じた方です。
養老孟司先生によると、「人間の意識はたかだか数十年の記憶しか持たないが、身体は数十億年の記憶を持っている」ということです。身体は頭より一億倍物知りなんですから、身体が「気持ちいい」と言ったら、おとなしくそれに従って、ごちゃごちゃ理屈は言わない、ということでよろしいのではないでしょうか。
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命がけの闘争の場を想定した武道の場面でのそういった状態が招く身体能力の低下は死活問題になる。
こういった心理的な働きが抵抗となることを武道では「居着き」と呼び、「兵法家伝書」で「着(じゃく)」あるいは「病(やまひ)」としてきびしく諫めています。
勝とうと思うこと、習得した技術を出し切ろうと思うこと、相手を打ち負かそうと思うこと、
そういった「居着き」を去ろうとあれこれ工夫すること自体さえも「心のこだわり」となって、身体能力の低下を招く。
日本の伝統的な身体観はよく「心身一如」であると言われる。家伝書では「木人花鳥(もくじんかちょう)に対するが如し」という荘子にもある教え、
しかし、心身一如であればこそ、精神的なストレスが身体能力に影響を与えるということも起こり得る。
武道にとって大事なのは、そのような心身の連関を、事実として認知することではない。
どのようにして、この心身の連関を断ち切るか、
どのようにして、精神的なプレッシャーを身体に反映させないかという技術的な問題にある。
生死の境にあって、不安や恐怖を感じない人はいない。
しかし、その不安や恐怖を身体能力の低下に結びつける回路は技法的に切断することができる、というのが「兵法家伝書」の考え方。
家伝書は「心と身体をばらばらに使え」、「精神と身体を切り離せ」、と教えている。
心と身体がばらばらに動けば、心がいくらマイナス思考をしても、身体能力に悪い影響を及ぼすことはない。
すなわち、花鳥風月にも白刃や流血にも、同じように、意味やコンテクストを無視して、刺激に対してオートマティックに反応する身体を武道的身体の理想としています。
型をしっかり訓練して機械的に反応する身体をつくる方法もあれば、
「身体を細かく割る」という練功法についても述べられています。
(本書の最終章「響き」に、この「身体を細かく割る」動きについて書かれていますが、感じ入るところの多い文章で、後日抜書きしたく思っています。)
たしかに、心身が一体となって好調のリズムや流れに乗りゾーンに入っていく、「心身一如」は好調時の哲学としては素晴らしいかもしれません。
一方で、マイナス思考の時や、身体が不調だったり病気になったりした時には、「心身一如」ではなく、心と身体を切り離した方が共倒れを防げます。最悪を消す、発想。
人間誰しも老いに向かうものだし、病気になっても心の健康をキープできる技術として、
毎日のバイオリズムに合わせて、うまくこの使い分けのトレーニングをしていくということが大事に思えます。
~ 「身体は言語として構造化されている」
日本の「腰」に相当する身体部位を表す言葉が英語にはない。 waist、hip、loin、は腰とは違う。
「腰」を曲げたり伸ばしたり、タメたり、キメたり、据えたり、砕いたりすることがウェストやヒップではできない。
腰がわからんかったら、いろいろと難儀でしょ。。(ゴルフのレッスンとかも、ね。)
(↓)フランスには「gorge ゴルジュ」という身体部位を表す言葉があるらしい。
ゴルジュが痛い、ゴルジュを掻き切る、と言うと「のど」、
女性のゴルジュが美しい、と言うと「乳房」を意味するそうです。
ピカソの絵は、のどとかオッパイとかが頭の中で色々とミックスされてああいう風になったってことだったのか。。ヘ?(・・?
やめとけ、という心に、身体(オッパイでなくてのど、ね)が勝ったので、ゴルジュが歌うフランス語混じりの歌。(・o・)
<(_ _)> michelle by ごるじゅは、騒音であることが判明しましたので削除いたしました。 あしからず。
何でも自然に体が最適な動きをしてくれれば、ほんとストレスなくていいよね。
だけど、いい話の最後にやってしまったね~
「再生クリックの前に」とか注意書きをお願いします(笑)
うぅ~ ほんとだ、これは耳が痛いかも…
というわけで、迷惑ごるじゅさんにはお引き取りいただきました。
脂が乗った頃にまたやってくるかもしれない(戻りごるじゅ)のでご注意くだされ。(^◇^)
笑
南国満喫してきてね。