ピカソに関する動画をいくつかあたってみました。
そのなかで、最も、よくピカソの全貌について分かりやすくまとめられた動画をアップしてみました。
100人の 20世紀 ピカソ 1/2
青の時代、薔薇の時代、そして絵画界の革命といわれるキュービズムに至る流れ、
そして生前から名声に恵まれたピカソでさえ、
キュービズムについては散々な酷評を受けて封印を余儀なくされたこと、
そしてキュービズムが、有名な「ゲルニカ」によって20年ぶりに蘇り、大傑作と称賛されたこと、を知りました。
意外に思えたのは、ピカソについて色々調べてみると、
彼が「換骨奪胎(かんこつだったい)」と呼ばれる手法を得意としていたこと。
他の画家や作品の技を「真似て」、「盗み」、
単に模倣するのではなく、元の作品をすり替えてしまうほど、徹底的にアレンジし、デフォルメしてしまう手法。、です。
「オリジナルなもの、個性的なものがエライ」という観念にとらわれず、
自然やすべての物からインスピレーションを得て、自分の手を加えることによって、
いっそう豊かな意味のある作品にしてしまう。
動画の中でピカソの「芸術には進歩はなく、変化があるのみだ」という言葉が引用されていますが、
芸術のモチーフが自然や周りのものに存在する以上、劇的に新しいものが生まれて進歩する、というよりは、
新しい解釈や切り口でアレンジし、変化させて提示する、というのが本当なのかもしれません。
そのアレンジやデフォルメが、従来にないくらい斬新で新鮮だったのが、キュービズムだったのでしょう。
(レオナルド・ダ・ビンチは、
"3次元の世界を2次元の紙の上に表現する絵画は、芸術のなかでも一番むずかしい"と言ったそうですが、
いくつかの視点から見たものをすべて一つの絵の中に入れ込んでしまうという
キュービズムの手法は、
ボリュームのある存在物を1枚の紙の上に表現しようとしてきた絵画の歴史の延長線上にある、
との説明がありました。
一見難解に思えるキュービズムもそう考えると、腑に落ちるところがあります。)
(↓)こういう、色々な顔があたかも相似形のように変化していく映像を見たことのあるひとも多いと思います。
ピカソ自身の言葉に
「決して自然と絵を混同してはいけない。
ものの見かけの形と色をこえて、深いところで似る、ということだ」
というのがあります。
深い相似を求めて、主題の本質的なもの以外の部分を削ぎ落としていった結果、
原型の形をとどめていなくても、雰囲気は発散することになる、という
ピカソの特徴的な部分が、なんとなく理解できる気がします。
Picasso
もちろんピカソの作品のなかにも、色使いが綺麗で、インテリアとして飾っておきたくなるようなものも沢山あります。
でも、ピカソの絵は、ムンクの叫び、のように、(飾って美しさを楽しむ)というよりは、
人が作った作品でありながら、当たり前に存在すべくして存在している感じがあって、
それは本質を突いた提示をしているからなのだ、と感じます。
ピカソの天才の本質を読み解く、みたいな記事になってしまいましたが、
ピカソになるほど、と学ばせてもらったことは次の点です。
・ピカソは、自分自身をミノタウロス(ゲルニカの絵にも出てくる頭が牛で体が人間の動物)だ、
というイメージを持っていた。
スペイン出身のピカソは闘牛好きでもあったが、牛の持つ非常に深くうごめく生命力や暴力性を含めて、
身体の奥底から湧き上がる力を感じ、それを強化していた。
(自己イメージを強く持つことの分かりやすい具体例です。)
・ピカソの三年間続いた「青の時代」
ピカソが20-23歳の頃の作品は、哀しい青色を使用した作品ばかりです。
老年期はむしろ精力をかきたててくれる、明るさに向かった方がいいが、
若い時期は、自身の生命力が横溢しているので、貧しいもの、哀しいものに惹かれてしまうという側面を指摘したうえで、
それでも意図的に、3年間の作品をすべて哀しみの色に染め上げてしまうピカソの没頭具合は半端ではない。
(スポーツでも何でも一定期間、意図的に、自らがその世界に染まり込むようにして、
つかみとり、身につける、という態度。)
天才というのは、自己肯定力の回路(自分のイメージを強く持つ)を持った人で、
具体的な工夫を積み重ね、自分のスタイルを創っていくことのできる人だ、
ということの見本のような人です。
決して突飛なこと、狂気性が、天才の特徴ではなく、
天才(この言葉自体、本質を見誤る盲目的な言葉のように思いますが。)に学ぶべきは、そういう部分なのだと思います。
そのなかで、最も、よくピカソの全貌について分かりやすくまとめられた動画をアップしてみました。
100人の 20世紀 ピカソ 1/2
青の時代、薔薇の時代、そして絵画界の革命といわれるキュービズムに至る流れ、
そして生前から名声に恵まれたピカソでさえ、
キュービズムについては散々な酷評を受けて封印を余儀なくされたこと、
そしてキュービズムが、有名な「ゲルニカ」によって20年ぶりに蘇り、大傑作と称賛されたこと、を知りました。
意外に思えたのは、ピカソについて色々調べてみると、
彼が「換骨奪胎(かんこつだったい)」と呼ばれる手法を得意としていたこと。
他の画家や作品の技を「真似て」、「盗み」、
単に模倣するのではなく、元の作品をすり替えてしまうほど、徹底的にアレンジし、デフォルメしてしまう手法。、です。
「オリジナルなもの、個性的なものがエライ」という観念にとらわれず、
自然やすべての物からインスピレーションを得て、自分の手を加えることによって、
いっそう豊かな意味のある作品にしてしまう。
動画の中でピカソの「芸術には進歩はなく、変化があるのみだ」という言葉が引用されていますが、
芸術のモチーフが自然や周りのものに存在する以上、劇的に新しいものが生まれて進歩する、というよりは、
新しい解釈や切り口でアレンジし、変化させて提示する、というのが本当なのかもしれません。
そのアレンジやデフォルメが、従来にないくらい斬新で新鮮だったのが、キュービズムだったのでしょう。
(レオナルド・ダ・ビンチは、
"3次元の世界を2次元の紙の上に表現する絵画は、芸術のなかでも一番むずかしい"と言ったそうですが、
いくつかの視点から見たものをすべて一つの絵の中に入れ込んでしまうという
キュービズムの手法は、
ボリュームのある存在物を1枚の紙の上に表現しようとしてきた絵画の歴史の延長線上にある、
との説明がありました。
一見難解に思えるキュービズムもそう考えると、腑に落ちるところがあります。)
(↓)こういう、色々な顔があたかも相似形のように変化していく映像を見たことのあるひとも多いと思います。
ピカソ自身の言葉に
「決して自然と絵を混同してはいけない。
ものの見かけの形と色をこえて、深いところで似る、ということだ」
というのがあります。
深い相似を求めて、主題の本質的なもの以外の部分を削ぎ落としていった結果、
原型の形をとどめていなくても、雰囲気は発散することになる、という
ピカソの特徴的な部分が、なんとなく理解できる気がします。
Picasso
もちろんピカソの作品のなかにも、色使いが綺麗で、インテリアとして飾っておきたくなるようなものも沢山あります。
でも、ピカソの絵は、ムンクの叫び、のように、(飾って美しさを楽しむ)というよりは、
人が作った作品でありながら、当たり前に存在すべくして存在している感じがあって、
それは本質を突いた提示をしているからなのだ、と感じます。
ピカソの天才の本質を読み解く、みたいな記事になってしまいましたが、
ピカソになるほど、と学ばせてもらったことは次の点です。
・ピカソは、自分自身をミノタウロス(ゲルニカの絵にも出てくる頭が牛で体が人間の動物)だ、
というイメージを持っていた。
スペイン出身のピカソは闘牛好きでもあったが、牛の持つ非常に深くうごめく生命力や暴力性を含めて、
身体の奥底から湧き上がる力を感じ、それを強化していた。
(自己イメージを強く持つことの分かりやすい具体例です。)
・ピカソの三年間続いた「青の時代」
ピカソが20-23歳の頃の作品は、哀しい青色を使用した作品ばかりです。
老年期はむしろ精力をかきたててくれる、明るさに向かった方がいいが、
若い時期は、自身の生命力が横溢しているので、貧しいもの、哀しいものに惹かれてしまうという側面を指摘したうえで、
それでも意図的に、3年間の作品をすべて哀しみの色に染め上げてしまうピカソの没頭具合は半端ではない。
(スポーツでも何でも一定期間、意図的に、自らがその世界に染まり込むようにして、
つかみとり、身につける、という態度。)
天才というのは、自己肯定力の回路(自分のイメージを強く持つ)を持った人で、
具体的な工夫を積み重ね、自分のスタイルを創っていくことのできる人だ、
ということの見本のような人です。
決して突飛なこと、狂気性が、天才の特徴ではなく、
天才(この言葉自体、本質を見誤る盲目的な言葉のように思いますが。)に学ぶべきは、そういう部分なのだと思います。
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