岡本太郎氏のメッセージ、ややもするとイージーになる私にはなかなかに効くので続けます。
これでしあわせなんだと自分を納得させているが、
一方にほんとうにしあわせなんだろうかというマイナスの面を併せ持っている。
人間として当然だ。
外に向かって発言する時はそれをごまかして、何事もないようににこにこしているが、
もっと正直になって、恐れずに自分の内側を直視していいじゃないか。
必ず心のどこかに満たされていないものがあるはずだ。
それとマトモに向かい合うことはなかなかスリルのある、
しあわせなんかより、もっとキリッとした面白さだと思う。
わが人生、他と比較して自分を決めると言うような卑しいことはやらない。
自信に満ちて見えると言われるけれど、
ぼく自身は自分を始終落ち込ませているんだ。
自信を持ちたいなどという卑しい考えを持たぬように突き放す。
つまり、ぼくがわざと自分を落ち込ませている姿が、他人には自信に満ちているように見えるのかもしれない。
人間は他の動物より進歩した存在のようにみえるかもしれないけれど
不安や恐怖を抱かずにはいられない、悲しい運命を背負っている。
だから、恐怖感は自分ひとりではなく、
これは人類全体の運命なんだと思っていけば、意外に救われるんじゃないか。
金八先生のファイナル編をTVでやっていた。
私が中学生になったばかりの頃に始まったのだが、今や長男が中学校を卒業し、次男が中学校に入学する。
時の経つのは早い。金八先生は定年、である。
しかし、金八先生は、人間的にあれほど立派なのに、決して経済的に豊かに恵まれている風には見えない。
エラくなって校長先生になったというわけでもない。
生ぬるいしあわせなんかより、もっとキリッとして純粋に自分の正義に生きたゆえなのか。
私にもよく分からないが、そのようなモノサシで測れないモノがあることは確かなのだと思う。
人生は自動販売機ではないのだ。
( ↓ ) 学園ドラマといえば、中村雅俊さんでしょう。
こないだ、YouTubeにアップしたThank you、Babyを、いいだろーと子どもに見せたら、
" なんだか ジメジメした感じがする " と言ってたが、こういうのが好きなんです。
青くさいけど、体温を感じるようなやつが。
" 雨の中泣きながら駆け出していった小さな背中を引き留めもしなかった・・・"
" 髪濡らし街角で独りさまようおまえ・・・"
好きで落ち込ませて、じめっ、とする。
こういうのを豊潤というのだぞ。たぶん。
「優しさの街角」
※ このような、街中の風景写真は自分ではなかなか撮ろうとしないが、アメリカの詩人ウィリアムズのよう。
フォト蔵のwangan_boyさんの作品を使用させていただきました。<(_ _)>
<初稿 2011/3/27>
<再稿 2011/11/19>
登録したままになっているFacebook、マジメにやろうかな、と思ったが、
誰かのこんな言葉を思い出した。
~ みんなそれぞれに悩みなんかもあるだろうに、そこでは皆楽しそうにして見える
岡本太郎氏のメッセージに重なるではないか。
明日また休日出勤を控えて、そんな愉しい気分ばかりでもない私には
Facebookで楽しそうにすることもできず、
こっちでじめじめする方が気分に合っていた。
(青春ドラマのエンディングみたく、日本語なのに動画に歌詞を乗せてみた。
明日横切って渡るであろう交差点の写真もある。)
う~ん、わかるう。
>好きで落ち込ませて、じめっ、とする。
くっくっく・・
疲れたときは岡本太郎!ですね~
休日出勤、ご苦労さまです
お悔やみじゃなかった
慰み、も少しちがって、
励ましのお言葉、ありがとうございます。