ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
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大人は愉しい ~ 薄闇の向こうへの誘い

2010年09月05日 | 心の筋力トレーニングを続けよう
ウェブ日記には、既に専門の研究論文や学会まであるらしい。
大人は愉しい―メル友おじさん交換日記
内田 樹,鈴木 晶
冬弓舎

鈴木先生はバレエや舞踏研究が得意分野のようで、機会があれば著書に学ばせていただこうと思ってます。
バレエのあのしなやかな動きには興味があるから。
ラホールの仏陀もそうですが、草刈民代さんの姿勢とか、トレーニングの時に意識するといいかも。

「大海にそそぐ前」と鳥瞰していたかと思えば、こんな自己肥大的コピーにふむふむと頷く。
まったくもって、煩悩まみれなことよ。(-"-)




両氏とも非公開を前提とした個人的日記を書く習慣はなかったのだけど、公開を前提としたウェブ日記にはハマったといいます。
私の場合は、日記的な、日常のあれやこれやを書くつもりはあんまりなくて、
気分転換の趣味でありながら、ゴルフや諸々の気づき、
知的トレーニングを継続するためのツールやビジョンボード、といったような、
ブログを使った自己向上プログラム的な仕組み作りに興味があるのですが、
両氏のハマった理由の説明が明快でした。

  ウェブ日記を書く作業が私にとって楽しい娯楽であるのは、ここで造型されたヴァーチャルな「内田 樹」が
  現実の私よりずっと自由ででたらめな人物であり、
  そのキャラクターのフィルターを通して、「私の現実」を追体験すると、
  自分の索漠として散文的な生活が、なんとなく愉快そうなものに思えてくる、
  という「日常の劇化」という効果があるからです。

  読者の眼で読んでいる第三者としての私が、文体や文章の内容に強いバイアスをかけ、
  ここでの「内田 樹」氏は現実の私がしたり思ったり、感じたりしていることの一部だけを選択的に経験し、
  その性格の歪みや偏りをことさらに誇張した人物になっている。
  しかし、この「日常の劇化」、あるいは「セルフ パロディ」というワンクッションが入るせいで、
  非公開の日記を書く時よりも、私は自分の生活についてかえって嘘をつかずにすんでいるのではないでしょうか。

  ウェブ日記には、自分のなかにわだかまっている複数の人格をいったん解離させ、
  それをもうひとつ上位のレヴェルで統合するという、プロセスについていえば、
  ある種の文学的行為と相通じるものがあるように思います。

ブログにしようかと思うと、視点を変えたり、違った切り口を探すクセがつくようなところがあります。
これが結構いい気持ちでハマる。
書くことによって、これまでならその時その時で埋没していたテーマが、残り、つながる。


(↓) 「博士が愛した数式」の小川洋子さんの本を紹介していたやつ、架空の日記という発想が面白かったのでスクラップ。

   消えてなくなることもない小さな幻想、
   そこに混じる琥珀のような現実のかけら、
   薄闇の向こうへ誘うユーモラスでエロティックな小石、


ウチダ先生は、
本には、私に個人的にメッセージがある人が書いた本と、
そもそも私宛に書いてない人が書いた本の2種類があって、
読者は自分に語りかけてくる本を探し当てるものだと言います。

薄闇の向こうに誘うような本、というのは上手いこといいますねぇ。

吉本隆明氏が言っていたことを思い出しました。

~ もし、ひとつの書物を読んで、読み手を引きずり、また休ませ、立ちどまって空想させ、また考え込ませ、
  ようするにここは文字のひと続きのようにみえても、じつは広場みたいなところだな、と感じさせるものがあったら、
  それは小さな世界だと考えてもよいのではないか。
  そういう場所に行き当たった読み手は、ひとつひとつの言葉、何行かの文章にわからないところがあっても、
  書き手をつかまえたことになるのだ。

こういう書き手を見つけて、薄闇の向こう側にどんどん誘われてみたいものです。
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