電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

少爺兵とは?

2021-07-26 17:00:09 | 成龍的電影

皆様こんにちは。醒龍と申します。

梅雨明けしてから一気に暑くなり、夏本番。突如体に変化が現れたり、そしてそれが不自由になる元凶だったりすると、やっぱりストレスとなってしまいますね。口内炎って冬の季節になりやすいらしいけど、今は夏。そうすると、なんですかね~?疲労か何か。ビタミンB2不足との情報もあり、牛乳を飲んだり、栄養補給したりしてます。あとは漢方かな?何とか早めに治しておきたいところ・・。

さて、今回の記事は「少爺兵」について。はじめて聞く言葉ですけど、そうアレですよ。「ドラゴン・ロード(『龍少爺』)」。あの映画でジャッキーが演じてたのが、阿龍(ドラゴン)で、コワーイ道場主の息子、つまり若旦那。タイトルは「ドラゴンの若旦那」とかって何かに書いてあったっけ。

これが何かと言いますと・・、これは後ほど。

先日、邵氏の映画雑誌、南國電影'72/5月号を読んでいて、『十面埋伏』(のちに『埋伏』と改名)や『蕩寇誌』の新作紹介記事があったので、これ以外の映画での成龍出演の可能性についてツイートしたところ、何とフォロワーのOさんがこう教えてくれたのです!

Oさん「エキストラ時代に水に落ちる演技をしてたら、ジャッキーは溺れてしまって・・・」

  「ティ・ロンがそれ見て、何やってんだと、笑ってた時期のお話?」

私「えっ、マジ!?」

 

要約すると、このようなやり取りだったのですけど、この話を私はこの時はじめて知りました。

この驚異の新事実に私は飛び上がるような気持ちでした。

twitter開始して10年以上経ちますが、twitterやってて良かったなぁと感じた瞬間でした。

話せば、非常に長くなりますが(なるべく短く簡潔に書いときますw)、要するにジャッキー・チェンという人と、ショウブラザース(邵氏)のトップスターとの接点というのは稀で、仕事上殆ど関わることが無かった訳なのです。(70年代の話)当時、会社が異なるスターたちの競演、コラボというのは物凄い魅力があるんですよね。例えば、ゴールデン・ハーベストのスター黄家達が邵氏の映画に出た!なんて話とか、とにかく全く信じられない話な訳で・・。

ジャッキーや七小福のメンバーが邵氏のスターと共演するなんて話。それを聞いたらビックリします!そのルーツを過去、いろいろ調べたことがありますが、私の記憶には何も残っていません・・。

 

そして、これはフォロワーのIさん(多謝!)からの情報になりますが、トークショー『今夜不設防』でジャッキーが海で溺れそうになった映画の話をしているというのです。衝撃ですね。実際にその時の様子を喋ってるというのですから。

今回その詳細は、香港のその番組で知ることとなりました。これはあの、ジェームズ・ウォン(黄霑)、ニー・クワン(倪匡)、チャイ・ラン(蔡瀾)の3名がレギュラーで、毎回ゲストを呼んでおしゃべりする番組(89年スタート。現在は終了)なんですよね。

日本の番組でも映画スター、芸能人などを呼んで楽しく語り合うトーク番組なんて、

スター千一夜(すたーせんいちや)

ぐらいかなと思いますけど、とにかくこういった番組はあまり無かったと思います。

番組そのものの存在は知っていましたが、すべて広東語でのトーク。やはり敷居が高く、内容については全く把握できずにいました。ゲストとして2回出演したのはジャッキーだけのようで、これは快挙ですね。

・youtube

https://www.youtube.com/watch?v=qVaz3xinReE

・音声が若干ずれていますが、こちらは字幕あり

https://www.bilibili.com/video/BV1jD4y19794

今回ネタにしているのは1回目の放送で、約3分間のそのトーク部分を要約すると、

・張徹の『水滸傳』でのエピソード

・当時は唐佳や劉家良の班とは別の徐二牛の班だった

・王青と仲良かったので彼が劉家良に紹介してくれた

・刀を口にくわえた役でおぼれそうになった

・船頭に代わったら、今度は船酔いした

・水につかっている水閘の衛兵をやった

というような事をジャッキーは話していました。個人的にはジャッキーの口から唐佳の名前が出るなんて夢のような話でした。出来たら唐佳についてじっくり話をしてもらいたいですね。とにかく早口でいろんなジェスチャーを入れながら喋るジャッキー。あと、手を頭の上にあげて遠くを見るようなポーズも取ったりしてましたね(笑)。

日本ではあまり注目されていないのか、こういったネタが埋もれてしまった形になっているのが残念ですね。この番組は毎回ゲストが多数出演されていますので、まだまだ日本のファンが知らないエピソードなどがあるのかも知れません!

ただまぁ非常に気になる話なのですが、どこまで正確な話なのか、やはり現状の残された映画を見てみるしかありません。

そして、またまたフォロワーのKさん、Hさんからのありがたい情報。当時のロードショー誌に例の記事が掲載されているというのです。フィービー・ケイツが表紙のこちら。

ロードショー誌89年10月号に掲載された記事を引用してみると、

(以下、引用)

C:昔けっこうドジなことをやったとか。「おぼっちゃま」というあだ名までつけられて。

J:(笑)そう。スタントマンやってた時代は結構ドジなことをやりましたね。「おぼっちゃま」っていうのは、要するに何も出来ないという意味なんだから。一つ、エピソードを思い出した。僕は昔、別のスタントマンの組に呼ばれた事があるんです。(中略)そしたらアクション監督にお前は海賊をやれと。でも本当のことを言うと、僕は水泳はあまり得意じゃない。まぁ仕方がないので監督に言われた通り海に入って泳いで海の中で撮影を待った。しかし、僕はもう海の中で疲れて溺れそうになった。(中略)そしたら、じゃあお前は船に上がれ。船の上で立っていればそれでいいと、監督は言う。僕は船に乗って、ティ・ロンのそばで立っていた。暫くしてから、監督はまた僕が見えないのに気づき、ティ・ロンに「おい!あいつはどこへ行っちゃったんだ?」と怒鳴った。

するとティ・ロンが「あいつはもう船酔いで倒れてるよ!」って。僕は本当に倒れてたんですよ。それ以来「おぼっちゃま」のあだ名を付けられちゃった。

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とまぁ今まで聞いたことが無かった寝耳な内容。日本の映画雑誌って、この手の記事の場合は映画のタイトルを記載していて(但し、そのタイトルはいつも間違ってるんだけども・・。)、それでもこの映画の事なのかとすっと頭に入るのだが、今回の場合は題名が書かれておらず、読者もいったいどの映画の事なのか分からないですね?雑誌で記事にするのに、当時はこんな内容でOKだったんですね。

雑誌では少爺兵の事を”おぼっちゃま(兵)”。と表現しています。兵士役だけどお金持ちのお坊ちゃまで、溺れたり、船酔いして何もできない状態。それでそのあだ名が付いたという笑い話ですね。ドラゴン・ロードでもお金持ちのおぼっちゃまでした。

私がはじめて知った今回のこの少爺兵のエピソード。日本へ留学経験もあって、日本語も堪能な蔡瀾氏が、とにかく事情通ですから今回のエピソードをジャッキーからキャッチしてそれを番組や雑誌に是非とも取り上げようという意向があったように思えました。香港の雑誌なんかにももしかすると当時掲載されていたかも知れない。

では、ここからが本題。

トーク番組、雑誌、フォロワーさんからの情報、私が映像を確認したもの。これらをまとめて整理してみると、

・ジャッキーの顔が確認できたのは、閉まった水閘の前で海面に顔だけ出していた『蕩寇誌』のみ。【写真1】

・『蕩寇誌』で刀をくわえて海を泳いでいるのは、トン・インチャン(唐炎燦)。【写真2】

・『蕩寇誌』では船頭として元奎が確認できるが、ティ・ロンはここのシーンには不在。【写真3】

・大きな船でティ・ロンと七小福(元奎)がいたのは『大海盗』。【写真4】

・ティ・ロンが『大海盗』で船酔いしたジャッキーの代弁をしたという話の記事(中文)がある。(参考)

・『大海盗』では石天の小舟に乗って漕ぐ王青のシーンがあるが、海中で刀を口にくわえるシーンは無い。【写真5】

・『水滸傳』では4隻が着岸する数分の浅瀬のシーンがあるが、七小福は無関係。【写真6】

ということで、少なくともトークショーの話は1つの映画(『水滸傳』)だけの話ではない事が容易に分かります。

写真1写真2写真3

写真4写真5写真6

 

「少爺兵」についての私の解釈はこうなります。

『蕩寇誌』は『水滸傳』の続きであるので、それは1つの『水滸傳』として考える。番組のスタンス、溺れた、船酔いしたというのはこの水滸伝でのエピソードを指しており、『大海盗』のことではない。これは本人ではなくともナイフを咥えて泳ぐシーン、船頭もおり、事実と合っている。同じ年に後から撮影したティ・ロン主演の映画が『大海盗』だった。つまり海賊のティ・ロンが出てくる船の話は『大海盗』しかあり得ない。先の映画で「少爺兵」と渾名の付いたジャッキーは船の上にはとても居られないので、外国船を襲撃して金塊を奪うシーンでジャッキーは離脱、『大海盗』の本編には登場していなかった。ティ・ロンの話だけをするならそれは『大海盗』になる。これが真相だと思います。

しかし・・・。

そしてまた、もう1つ。鮑學禮と関わっていたという事象が今までずっと解決できずにいましたが、以下の見解で氷解したと思います。以前書いた9年前の記事(『満洲人』)の下記リンク先を参照していただきたいのですが、

https://blog.goo.ne.jp/leecoo/e/963cee4f7119372c27348c48fbb22d44

その記事では中盤辺りで、

この時期(72~73年頃)に鮑學禮と関連のある映画にジャッキーが関わったということになると想像できます。

と書きました。この時思った事がおそらく間違っていなかったと確信したいのですが、今回関与を確認できた『大海盗』が正にそうではないでしょうか。その証拠の1つとして、まずは『大海盗』の監督の1人として鮑學禮がクレジットされているのが確認できます。やはり張徹というよりは鮑學禮の方がより近いポジションと考えられます。

ここで、前述の『大海盗』と『蕩寇誌』の撮影時期の近い2本について。『蕩寇誌』の方は、上記の通りジャッキー出演を確認済みでしたが(19年の記事参照)、鮑學禮は関与していません。この映画で方臘を演じた朱牧がいきなりボスを演じてます。怪しいですね。ここでどういう訳か朱牧が出てきました。

その記事に書いたゴールデン・ハーベストの映画(これは『ドラゴン怒りの鉄拳』か『アンジェラマオの女活殺拳』のどちらかであるが、『ドラゴン~』は早すぎるので、『~女活殺拳』が濃厚)の撮影現場に現れた鮑學禮がジャッキーに仕事を依頼したのは73年の『満洲人』ではなくて、もしかすると、もっと早い72年の映画である可能性も出てきました。それがこの『大海盗』であったと思うのです。そう、ロードショーの記事で最初に誰かに呼ばれましたね。でも、誰から呼ばれたかは書いていませんでした。トークショーでは王青と言っていたと思います。ただ、事実はそのままそっくりこの話の流れの通りではないと思います。ライバル会社の撮影現場だったり、ジャッキー個人に仕事を依頼することも疑問だし、実際のところ、映画の撮影の時期などから検証してみるとこういった結論になった、という事ですね。

ここのところ、長年積み重ねてきたデータを整理してました。72年頃の流れを整理すると、こうなります。

『水滸傳』(72年1月撮影)・・・出演シーンなし(おそらく無関係)。

『蕩寇誌』(72年2月撮影)・・・朱牧(Mr.BOO!)がゲスト出演してラスボスを演じた。彼の会社大地影業へ引き抜く。

『頂点立地』・・・大地影業出品、朱牧監督。林秀と共に出演(王青主演)。

『女警察』・・・大地影業出品、朱牧監督。林秀と共に出演。

『アンジェラ・マオの女活殺拳』・・・この時、鮑學禮がコンタクトして、仕事を依頼。

(サモハン、唐偉成のうしろに座っているのがジャッキー)

『大海盗』(72年11月撮影)・・・監督の一人、鮑學禮がどのパートか不明だが、ついにティ・ロンとコラボ!

                  王青も船漕ぎの一員として出演。この頃には劉家良にも紹介できるはず。 

あと、ティ・ロンにはもう1つの水滸伝『快活林』(72)があります。こちらは未見なのですが、スタッフ、出演者を見るとジャッキーが関わっている可能性が高いメンツとなっています。いつか見てみたいですね。

ちなみに、邵氏のベテラン監督、李翰祥の風月片『金瓶梅』(74)にのちのジャッキーが出演していたのも、そもそも朱牧が李翰祥にジャッキーを紹介して何本か李翰祥の映画に出演することとなったからでしょう。ジャッキーを子供の頃からよく知っていたと思われる朱牧の話はまた次の機会にでも・・。

 

最後になりますが、内容整理に少し時間がかかりましたが、これでスッキリしました。ご協力いただいたフォロワーの皆様には大変感謝しております。この場を借りてお礼を申し上げます。

<おわり>

コメント
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