電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

龍虎金剛

2007-07-28 14:49:09 | 嘉禾電影
73年の羅維監督作品です。
過去には、ジミー王羽版「唐山大兄」とか許冠傑、張艾嘉のふたりが出演ということで「悪漢探偵」のサムとホー刑事の若かりし頃の作品等々、いろいろな見方を言われていましたので確かにこの辺りも見所であると思います。
ここで特筆すべきなのは田俊がライトな悪役を務めている点ではないでしょうか。この頃から大きい悪役も少し演じるようになって幅が出始めてきた頃だと思います。
(この後、彼が主演した「福建少林拳」なんてのもありますが。)

この「龍虎金剛」は、羅維監督だったとは言え同時期にヒットした「冷面虎」や「馬路小英雄」に比べ、まして「唐山大兄」には到底及ばなかったのが残念なところだと思います。(徐二牛が武術指導でもあまり言及することもないですし・・。)
しかし「馬路小英雄」や「冷面虎」でさえ未公開だったものが、なぜかこの映画が日本に入って来たのです。

日本における過去の動向を少し整理してみますと、まず74年に「いれずみドラゴン・嵐の血斗」のタイトルで劇場公開されました(東映配給)。
但し、スプラッシュ公開だった為か日野康一氏の”ドラゴン大全集”にもこの作品の紹介記事が無かったのです。(その割にはしっかりチラシが残っていたりしますが。⇒画像参照)
その後、TV放映でお茶の間にも登場していました(79年末)。劇場では日本語版だったので、もしかしたらオンエア時は劇場版のものを使用していた可能性もあるでしょう。

ところで「龍虎金剛」の原名は「一條龍」であったのですが、この王羽の役名でもあった”一條龍”どうも行列とかっていう意味のようです。
例えば”行列のできる法律相談所”って”一條龍法律相談所”になるのでしょうか??
また、実はリー・ヴァン・クリーフの西片(=西部劇)「エル・コンドル」も香港では「龍虎金剛」という題名でした。これも面白いと思います。特に羅維作品との関連はないようですが70年に公開され総合27位でした。
(ストーリーはこちら
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七省拳王

2007-07-16 00:51:11 | 嘉禾電影
74年に劇場公開された東映の「カラテ愚連隊」と同時上映された「電光!飛竜拳」が「七省拳王」で、トニー・リュウ(劉永)主演、午馬監督のシリアス・カンフー映画です。(CSでの邦題は「炎の満州拳」でした。)

コメディ作品も好きですが、まだ「蛇拳」のようなジャンルが登場する以前の作品ですのでシリアスであるのはごく普通のことだったのではないでしょうか。

シリアスはシリアスでもこれは何か光るものを感じさせる映画に仕上がっていると思います。ストレートな作品も容易い午馬の監督としての力量がこれで分かると言っても過言ではないでしょう。午馬は70年代初めから監督をしていたようです。監督としてはあまり知られていないと思いますが、この「七省拳王」では主役の演技を上手く引き出してとにかく主役の魅力アップには貢献していると思っています。

この主役を演じるのが、ブルース・リーの「唐山大兄」にも出演していたトニー・リュウ(劉永)で、この映画で主演するようになったそうです。
この劉永は顔立ちがしっかりとして、俗に言うイケメン俳優ではなかったかと。雪の韓国でマフラー姿をしている彼はヨン様というよりリュウ様と言ったところでしょうか。

ティ・ロンの奥様エミー・タオ(陶敏明)がお相手役。(画像は、お二人のツーショット写真)

鍋に入った高熱の砂に手のひらを突っ込んで鍛える鉄砂掌は顧汝章が得意とした少林七十二芸の一つ。(又名、黒砂手)。冒頭でこの強烈なシーンが出てきますが、最後にはそんなことも忘れてしまいます。

ストーリーは単純ですので、光るもの(主演のトニー)を売り出そうとしたということになるのでしょう。(嘉禾で韓国撮影となると常連の金珠がボス)当時カップルで観ればヒットと言える作品でした。


※JoySalesより「七省拳王」VCDが発売中です。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当の醒拳

2007-07-15 23:30:31 | 成龍的電影
「笑拳怪招」が香港で公開された79年。

この映画では監督費が50萬HK$、武術指導費110萬HK$、脚本費50萬HK$、出演者への報酬が200萬HK$(新車購入代金もこれに含むと思われます。)、計410萬HK$もの費用がかかっていましたが、結果的には大ヒットして興収がそれより上回ったようでした。

このヒットを受けて4月には羅維のもとで眠っていた「龍拳」も公開される運びとなり、羅維が発表会を開くことになりました。しかし、この席からジャッキーは姿を消してしまったのです。ちょうど劉家榮の「搏命單刀奪命槍」が撮影中で、そちらに顔を出していたのかも知れません。羅維の言う通りには動かない、逃れたいの一心であったと思います。他にも羅維は「笑拳」が完成して何を思ったのか、スペインの会社製作のアメリカ映画にジム・ケリーと共演させると公表して一早くジャッキーを国際派スターにさせようと思ったりしますが、到底実現するはずがありません。

「龍拳」の発表会に同席していたのがリリー李麗麗でした。とても違和感のある2人ですがこの席でリリーはのちにエリック・ツァン(曾志偉)が撮ることになる「足易館」と同じ衣装を着ていました。つまり、羅維影業との契約を済ませて次のジャッキー主演映画に出演することが決まったので満を持して登場したのです。(他には曾志偉と唐炎燦も出席しました。)

この羅維影業の次回作が「醒拳」(こちらでは”醒拳”と表記した場合、本来の醒拳を指します。)で、リリーは主役級の大きな役をもらうはずでした。出演者はリリー、曾志偉もメンバーの一人でした。他に唐炎燦や劉家勇も出演予定だったと思っています。

そして嘉禾「師弟出馬」撮影開始から1日遅れの4月25日。「醒拳」も撮影開始の儀式を済ませます。
(ここでもジャッキーは予定より遅刻してしまう始末。)「醒拳」は曾志偉とジャッキーが共同監督の予定でした。しかし、ジャッキーは「師弟出馬」がそろそろ完成という頃まで、8月に現場に現われたり、いなくなったりで「醒拳」を何度か撮る、撮らないを繰り返しました。

嘉禾側の「師弟出馬」撮影が真っ只中の6月、羅維は姜大衛主演で「龍擒虎拿」という作品を突然開始します。これが「足易館」です。ジャッキー不在で「醒拳」の残されたメンバーは、曾志偉監督で「足易館」を撮ることになってしまったのです。

この曾志偉の影響は大きいと思います。監督だけでなく「足易館」のあと、引き続きリリーが起用された「無招勝有招」では曾志偉はスーパーバイザー的な面で実力を発揮します。この「無招~」に主演した劉家勇もジャッキーの拳威、劉氏兄弟、銀色影業など幅広く契約しており、ジャッキーに急接近した影星でした。(劉家勇は海外ではジミー・リューと呼ばれています)
曾志偉は、このあと、もう1本「賊贓」を撮ります。本当は「足易館」が終ってから「賊贓」の前に今度こそと「醒拳」を撮るつもりでいました。

結局、曾志偉監督の「醒拳」が実現することはありませんでしたが、「賊贓」を撮り終える最後まで決して諦めませんでしたので「醒拳」というジャッキー主演映画に拘りつづけたのだと思います。
「醒拳」の内容としてはリリーが主要な役を演じること以外殆ど明らかになっていないのが大変残念です。
ジャッキーの”幻の映画”とは正にこの「醒拳」であると私は実感しています。

「醒拳」がどんな内容だったのかを知るには、意外と香港映画特有の”先に作って公開”されてしまった映画などにアイデアが隠されているのかも知れません。
この辺りこちらでも少しずつ触れて行きたいと思っていますが、特に劉家勇関連や郭南宏作品についても面白い現象を感じています。

羅維は「醒拳」を撮った後に「天中拳」と「木人拳」(リバイバル)の公開を考えており、ジャッキー作品攻勢に出ようとしていました。(実際、この2本は80年に香港で公開されています。)
しかし羅維は、完成していない映画「醒拳」をアジア各国に売ってしまったことに問題があると思うのですが、契約してしまったからには80年の旧正月に「醒拳」を公開すべくスタッフに休み無しで撮影させようとしていましたが、そうは簡単に物事が進むはずも無く挫折する羽目に陥ったのです。

ところで「師弟出馬」の完成が近づいた頃、羅維はある決意をしました。
それはジミー・リー(龍方)の起用方です。
陳観泰との共演を果たした「上海灘大亨」への出演をきっかけに羅維は龍方をジャッキー2世として育てようとしました。ジャッキーが「新精武門」で陳元龍から成龍に改名したように李健民から龍方へと改名もさせました。その龍方が「笑拳怪招續集」に主演することが決定して台湾で撮影に入っていたのです。

彼の作品で「至尊威龍」という作品があります。製作時期は不明ですが「笑拳怪招續集」がこれにシフトした可能性は否定出来ないと思います。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする