らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

音教オケで何が悪い!?

2007年10月31日 01時23分38秒 | 音楽
 オーケストラ業界では、「子供のための音楽教室」を多くやっているオーケストラを「音教オケ」という言葉で馬鹿にする人達もいる。所謂寄せ集めの(エキストラ等、臨時雇いの奏者だけ)オーケストラで音楽教室のツアーを組むオーケストラもあるのだが、山形響みたいな地元密着型オーケストラにもその~蔑称~を使う輩もいるのだ。経済がバブル崩壊後、不景気になりコンサートオーケストラが補助金などの確保に難しくなった今、文化庁が行っている「本物の舞台芸術」~小中学校の体育館などに行って公演をする~を補助金代わりに使い始めたオーケストラが増えてきた。

 体育館で演奏会をする事を馬鹿にしていた人達も「文化庁の方針」一つで、やらなくては飯を食いぱくれる時代になったのだ。しかも文化庁は今更、「子供達の所へ行って音楽を聴かせるのが望ましい」とまで言い始めた。オーケストラが小さいという理由だけで山形響への補助金をカットしてきた役所がだ!!

 時代が、35年以上前の山形響のコンセプトにようやく追いついてきたのだ。山形響は確かに最近注目されてき始めた。新聞、雑誌、テレビでも扱われる事が増えてきた。しかし、楽団員は自分の足下を見失わずに、今日も誇りを持って「子供の音楽教室」に向かうのである。


 個人的な事を最後に・・・・・。
長い学生時代やフリー奏者の時期が長かったので、どうも夜型人間になっているようだ。通常コンサートは夜行われるために、夜更かしになりがちである。習慣的に仕事の始業時間も遅い。それが身体のリズムに染みついたらしい。在団9年目を迎えるが山形響は、音楽教室シーズンは朝早くから東へ西へ行くので、早起きしなければならない。でも私はどうしても夜早く寝付けないのだ。朝は、もの凄く弱い・・・・・。何とか朝型人間になりたいのだが、今晩も寝ることは出来ない。

 国産時差ぼけだ~~~~~~~~~~~。

 (写真)寒河江のいこいの森付近。4、5年前に撮影したもの。
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山形弦楽四重奏団

2007年10月29日 23時59分54秒 | 山形弦楽四重奏団
 山形弦楽四重奏団は2000年の10月に結成されたので、7周年を迎えられました。

 この間、定期演奏会も25回を数え、自分たちの中では当たり前の存在になってきました。多くの弦楽四重奏団が結成されては、解散するのを見聞きすると自分たちは良くやってきたなぁ~と思うところもあります。

 世界中で、弦楽四重奏の世界は食べられないというのが常識になっています。多くの作曲家達が名作を残している弦楽四重奏曲というジャンルは、既にマニアの世界になっていて、演奏会のチケットやCD等が売れないのだそうです。

 自分たちの団もほぼそんな感じです。入場料というお金をいただいてますが、会場費やプログラム、チラシの製作代などにほとんど消えてしまうからです。もし団が会社だとしたらとてもご飯を食べられる状態ではありません。3ヶ月持たないで餓死するでしょう。笑。

 ただ結成当初と違うことは、当時自分たちでチケットを手売りで売っていたのが80%~90%なのに対して、最近は、手売りは25%前後というところでしょうか?全然知らなかった人達が、固定のお客様として会場に足を運ぶようになったのは、大変ありがたいことです。

 普段は山形響というプロのオーケストラで仕事(銭稼ぐ)に対して弦楽四重奏の活動は、表現が難しいですが、

「金にならなくても自分たちが好きだから継続する」
                  
 という感じです。音楽家として、オーケストラの作品だけを演奏するのでは、物足りないからです。

 弦楽四重奏を含む「室内楽」を演奏している時が、一番楽しいからです。

 ただ演奏の方は、理想の「り」の字にも達していない気がします。弦楽四重奏は本当に難しいのです。自分一人だけではどうにもなりません。4人の力が合わさってこそだからです。やればやるほど理想は高くなってきますから、きっと一生満足は出来ないのかもしれません。笑。

 ここまでやれたのは、支えてくださったお客様のおかげが一番です。

 これからもよろしくお願いします。とりあえず8周年にむかって頑張って楽しみます。

(写真上)月山道で偶然、「晴れと雨雲」の境目が有ったので写真を撮りました。
今のメンバーは、第10回定期演奏会から~。(写真下)
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旅行を終えて。

2007年10月27日 22時51分17秒 | 雑記
 約2週間の演奏旅行を終えて、山形に帰ってきた。京都から山形の10時間半は運転しなかったものの家に着くとズシンと疲れが出た。旅行中はだいたい毎日音楽教室の本番があり、移動もあるため緊張感を持つ。もともと団体行動が苦手な私は、テンションを無理矢理あげないとやっていけないため自己洗脳することになる。「風邪をひくわけない」「次の土地はきっと美味しい物がある」「次の土地はきっと良い場所だ」など。結局、山形に帰ってきて思うことは、山形は日本一だぁ~。空気も水もフィットする。

 青森の五戸町に住んでいるおばさんが言っていたのだが、「色んな場所に旅行に行っても、結局十和田湖が一番きれいなのよねぇ~」

 私の場合も何処に行っても、神通峡や月山より美しい自然はないと思うし、舟唄温泉や山辺温泉、柳川温泉(山形の温泉)より良い温泉は他県にはないと思うし。京都に行って神社仏閣みても羽黒山の五重塔より感動しないし。鳥海山よりきれいな山はないし、山形よりご飯の美味しいところはないし。あげればきりがない!!

 結局、我が家が一番!f( ̄ー ̄;)ポリポリ

 ホテル住まいだと練習不足になりがちである。隣の部屋への配慮が集中力をそぐために、結局飲みに行ってしまう事が多いからだ。休みの間に取り返す予定。

 もきちも飼い主が帰ってきて安心したのか爆睡状態。
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智源寺

2007年10月24日 11時43分59秒 | 歴史探訪
 禅曹洞宗松渓山智源寺は、寛永2年(1625)宮津藩主京極高広が、その母のために建立。
寺院の門をくぐると微笑ましい大仏を発見。
     

 近くの「金引の滝」を見に行く。金引の滝は日本の滝100選に選ばれているそうだ。高さ40m、幅20mで、右側の滝が男滝、左側が女滝というらしい。長旅で疲れている体をマイナスイオンが、癒してくれる。写真は女滝。
     

 下の写真は男滝。小さく中爺君も写っている。
     

 音楽教室後、滋賀県に移動。おいしいお好み焼きで一杯!!
     
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京丹後

2007年10月23日 17時13分10秒 | 演奏旅行~
 (写真)獅子崎稲荷神社(雪舟観)から臨む宮津湾。昨日は成相観音温泉、今日は宮津温泉に宿泊。有名な天橋立が見える宮津湾の端と端。静かな内湾は、気持が癒される。透き通った海の中に、海星やクラゲ、魚たちもよく見える。
(写真)獅子崎稲荷神社の入り口
     
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西舞鶴 Vol.2

2007年10月21日 17時24分16秒 | 歴史探訪
 田辺城に行く。
田辺城は舞鶴城(ぶかくじょう)とも称されて、天正8年(1580)に細川幽斎が、織田信長より丹後国をあてがわれ、子の忠興(ただおき)とともに天正10年代に完成したといわれている。慶長5年、石田三成方15000人の大軍に攻められた幽斎は、わずか500人の兵で田辺城に籠城して52日戦った。古今和歌集の秘伝の継承者であった幽斎が、八条宮智仁親王の使者に古今相伝の箱に和歌一首を添えて献上した、「古今伝授」は籠城さなかに行われた。

 いにしへも今もかはらぬ世の中に
      こころの種を残す言の葉

 古今伝授の廃絶を憂慮した後陽成天皇は田辺城を囲む西軍の陣に勅使を送った。「幽斎は古今集の秘奥を伝え帝王のご師範で、神童・歌道の国師である、速やかに囲みを解くべし」天皇の意向を知った西軍の諸将は大いに驚き、ただちに包囲が解かれた。

 その後、忠興は関ヶ原合戦の功により豊前中津に加封され、変わって京極高知が入国。元和8年(1622)高知の遺名により丹後の国を三分し、庶子の高三が城主になって35000石を拝領し、「田辺藩」が成立。

 寛文8年(1668)京極氏が但馬豊岡に移封のあと、牧野親成がこれに代わり、以後牧野氏が明治2年(1869)の版籍奉還まで代々田辺城主として在城した。なお舞鶴の地名は、明治2年に藩名が城の雅称を採って舞鶴藩(まいづるはん)と改称されたことに由来されている。(パンフレット参照)

 廃藩置県により舞鶴藩は廃藩され舞鶴県となり、城は取り壊されたそうである。現在の城跡は舞鶴市が再建したもので、現在は舞鶴公園となっている。田辺城資料館は無料で入館でき、当時の鎧や鉄砲などを見ることが出来る。

 昼は、ホテル近所の蕎麦屋に入った。山形の蕎麦とは違う「皿そば」というらしく、卵やねぎ、山芋など違った味を色々楽しむことが出来る。おいしかった。
     
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西舞鶴

2007年10月21日 11時28分51秒 | 歴史探訪
 JR小浜線に乗車して西舞鶴に行った。

       (= ̄ー ̄=)
 
 本日の目当ては、奈良時代に行基が開いた円隆寺。パンフレットによると平安時代に皇慶上人が中興したとされる。平安時代の丈六仏のほか、数多くの重要文化財を所蔵しているらしいが、見ることはかなわなかった。本堂は、丈夫な欅造り。
     

 鐘楼の側壁や多宝塔の亀腹は瓦ぶきという他に例のない珍しい造りで京都府指定文化財になっている。
     

 次にすぐ近くの「桂林寺」へ。
室町時代、竺翁雄仙(じくおうゆうせん)によって創建。境内にボストンテリアの子犬がいた。愛想もよく、飛びついてくるので、頭をなでなで。もきちとぴのこを思い出す。山形に帰りたくなる。
     
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金剛院

2007年10月20日 22時04分06秒 | 歴史探訪
 連日の飲み会のため旅日記が、飲み日記と化している。反省(汗)。週末、山形響が休みのため舞鶴で休息となった。妻が音大時代の親友に会うため京都にいったので、一人の休日となった。酒で弛んだ体のため、タクシーで向かうべき距離を歩くことに。(写真)JR小浜線の踏切。ここ舞鶴は、海も山も田んぼもきれいな空気もあってなかなか良い場所だ。国道27号を東にひたすら歩いていくと一つの神社が目にとまり立ち寄る。
     
 阿良須神社というらしい。説明によると、「崇神天皇十年丹波将軍道主王が賊を征伐。豊受大神を神奈備の浅香の森にお奉りしたのを創祀とする。」とある。平成16年10月20日の台風によって大木が倒れ、寄付金により再建されたとのこと。舞鶴市の文化財らしいが、こういう神社がそこいらにあるのも京都にいることを実感させられる。国道27号はトラックなどが通るため排気ガスくさいが、通りに面している敷地内は、急に空気が澄みひんやりとしている。不思議だ。

 1時間半位歩いて、お目当ての鹿原山慈恩寺「金剛院」に着いた。パンフレットによると、平安時代初期の天長6年(829)人王第51代平城天皇の第3皇子、高岡親王によって創建された。ご本尊の波切不動明王は、第72代白河天皇の病気平癒祈願の為、永保2年(1082)若狭の国から勧請されたものだそうだ。帝の病気は回復し、当時荒廃していた当山を復興し、三重塔を建立して、勅願寺として「慈恩寺」の寺号を下賜された。
 
 また、第74代鳥羽天皇の皇后美福門院も深く仏法に帰依し、平忠盛(清盛の父)を造営奉行に命じ、久安2年(1146)新たに阿弥陀堂を建立し堂塔を修復するなどして、本坊の金剛院の外に十二坊舎、食堂、浴室なども整備され全盛期を迎えた。戦国動乱や天災人災にも耐え今日にいたる。江戸時代に歴代田辺城主も外護し、三重塔から本堂にいたる山腹の楓は細川幽斎の植栽だそうだ。
     
おみくじをひく。「中吉」ん~なんだかなぁ~。

 散策コースという立て看板の方向に。金剛院は京都府の保有林のなかにあり、とにかく空気がきれい。たっぷり酸素を体にいれて、疲れを癒す。
     
 写真は、途中の「弘法の滝」。写真にはうまく写らなかったが、水の滴る所にずーと虹がかかっていて、とても幻想的で頭の中も癒される。神社仏閣等の古の時代の空気を感じると気持ちが落ち着いてくるというか、体中がきれいになっていく気がする。明日もどこかに行こう。

 帰り道は、国道27号をさけ田園地帯の農道を通って、ホテルに帰って来る。結局4時間以上歩いた。
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さようなら北陸。

2007年10月19日 18時42分32秒 | 演奏旅行~
 秋雨降る午前中、福井市の小学校で音楽教室。週末に山形へ帰る団員もいるが、来週は京都府内なので舞鶴に滞在する事に。舞鶴名物のホルモンを食べに行く。ジンギスカンのようなホルモン焼き!!甘い味噌系の味付けで、ビールとよくあう。店員さんやホテルマンとの会話で関西地方に入ったことを確認。北陸はまだ東北臭がするが、関西に入ると、東北臭は全くなくなる感じがする。思えば遠くへきたもんだ~。
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さらに南下。

2007年10月18日 20時19分05秒 | 演奏旅行~
 石川県で公演後、宿泊場所の福井県へ。福井は路面電車が、チェコの街並みたいに走っていて空間広いとてもいい街に感じる。ホテルの近くの一杯飲み屋へ。昨日の「半兵衛」と似ている昭和テイストのお店だったが、地酒や美味しいお料理があり、大満足の飲み会だった。
飲んでばっかり。
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金沢の夜

2007年10月17日 22時02分59秒 | 演奏旅行~
 御機嫌終止した。最初に入店した店がいまいちだった。店の構えも店員の応対も良かったのだが、料理は全ていまいち。酒は正直最悪。観光地にはありがちの見せ掛けのお店。「地酒と手料理のお店」って書いてあったのに。詐欺だ~。
くさくさした気持ちを盛りかえすために「半兵衛」へ。チェーン店ながら、昭和の香りするリーズナブルなお店である。秋田や八戸、酒田や山形にもある。二次会ホッピーで乾杯。とりあえずご機嫌でホテルへ帰還。
(写真)お店の前。懐かしい。
     
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高岡山瑞龍寺(国宝)

2007年10月16日 18時56分20秒 | 歴史探訪
 砺波市の小学校で音楽教室を終えて、昨日時間が遅かったため入ることが出来なかった瑞龍寺に行った。拝観料500円を払い、寺の中へ。曹洞宗瑞龍寺は、加賀二代藩主前田利長公の菩提をとむらうために三代藩主利常公によって建立された寺である。(パンフレット参照)山門と仏殿、法堂が平成9年に国宝に指定されたそうである。正面の総門をくぐると、山門の金剛力士像がお出迎え(写真)、山門からは、奥の仏殿を臨むことが出来る。
     
 大学生や他の観光客相手に住職さん達が説明をしているが、大人数でまわるのもあまり好かないので、寺の中を歩き回る。古の空気そのままの空間に身を委ねると、心がスゥ~と落ち着き、きれいになっていく気がする。お線香と木造の古い埃の匂いが心地いい。
裏から見た山門(写真)
     
 実は、この場所に行きたかったのは、本能寺の変の跡に前田利家公が織田信長、信忠親子の分骨をしてもらいまつった石廟を見たかったのだ。石廟(せきびょう)は五つあり、前田利長、利家、織田信長、信長の側室正覚院、織田信忠の分骨廟である。クラシックの作曲家もそうだが、作品が当たり前のように存在しているが、実はその作曲家も実際生きていたのであり、私たちはしばしそれを忘れてしまうことがある。織田信長、前田利家などは、有名な戦国大名で教科書や小説の中の人物と思いがちであるが、実際生きていた証を目の前にすると考え深いものがある。
     

 大満足してお寺を後にして高岡駅の反対側にある高岡大仏を見にいく。日本三大仏といわれている高岡大仏を見るのを楽しみにしていたが、残念ながら改修中。お顔しかみえない。次いつくるかわからないので、本当に残念!!
     
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高岡の街散歩

2007年10月15日 18時59分02秒 | 歴史探訪
 旅行中は、運動不足と毎夜の飲み会から体重増加がさけられない。今回の2週間は頑張って体調維持をしようと思う。
仕事後、宿泊のホテルから近い「国宝瑞龍寺」に行ってきた。しかし16時30分を過ぎていたため、観覧時間が終わっていた。残念!明日もう一度見にいってみようと思う。

 お寺の中を見れなかったため、前田利家の長子である「前田利長」の墓所を見にいく。大きい灯籠が並ぶ小径を歩き着いた墓所は、空気の澄み切った、荘厳な趣のある場所であった。心の中で手を合わせる。
     
 有名な高岡大仏は改修中とのこと。これを楽しみに高岡に滞在したのになぁ。
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高岡

2007年10月15日 11時17分29秒 | 演奏旅行~
 漫画家藤子不二雄氏2人の少年時代(まんが道参照)を過ごした高岡に昨日から滞在している。今日は、氷見市で音楽教室。街中に藤子不二雄のキャラクターのフィギアが飾られている。魚港近くの市場内食堂で昼をいただく。
     
あら汁が美味しい。
演奏会後、夕方から高岡の街を散策。
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西へ

2007年10月14日 19時30分55秒 | 演奏旅行~
 ニンニキ ニキニキ ニンニキ ニキニキ(これ知っている人かなり古い。)
今日から2週間、山形響は、文化庁の派遣音楽教室ツアーである。富山、福井、京都とまわる予定。長距離移動で疲れを癒すには、やはり美味しいお酒。日曜日なので店は閉まりまくっていたが、いいお店を発見。旅行が多くなって、鼻がきくようになったようだ。高岡のお酒「勝駒」を飲む。絶品!!今日は高岡泊。
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