ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

インバル&都響の蜜月関係

2012-04-14 20:51:51 | 都響
一昨日(12日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団の第732回定期演奏会Bシリーズを聴いてきた。指揮はエリアフ・インバル。ピアノは児玉桃。

【演目】
モーツァルト/ピアノ協奏曲第8番ハ長調「リュッツォウ」
  ~休 憩~
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調
《19時00分開演、20時55分終演》

1曲目。まったく初めて聴く曲。最近ではマーラー以上にモーツァルト音痴の私は眠くなることを覚悟して聴いたが、これが眠る一歩手前の心地よさ。児玉桃のピアノは軽やかにして明快。これまで彼女の演奏を2回聴いていて、何処となく沈着冷静にして温かみがないなあという印象しか残っていなかったが、今回はもう足湯に使っているような温かな感触。う~ん、彼女のモーツァルトならば少しは音痴が治るかもしれない。

2曲目。先月のインバル&都響のマーラーは素晴らしかったが、今回のブルックナーは少々消化不良だった。というのも、全体の音量音圧などは海外オケにひけを取らないが、金管のソロやアンサンブルは残念なことにバラツキがあったからである。

一方で弦は文句なしの輝きだった。特にヴァイオリン陣の変幻自在ぶりな展開は見事で、先日のマーラー以上の厚みと深みのある音色だった。私は素晴らしいときのN響の弦を艶やかにしてしなやかなシルキーのような弦と称するが、都響の弦は立体的かつ重層的な音色で、なんと形容すればいいのだろうか。キュービックな弦、とでも言うのだろうか。いずれにしろ、都響の弦は立体的なベクトルの広がりをもち、ブルックナーが抱いていたであろう世界観や宇宙観を表しているように思えた。

インバル&都響は素晴らしい演奏活動を続けている。これは誰もが認めるところだろう。しかし、いつもいつも終演後に“一般参賀”が行われるほどの演奏ではないと思う。自然発生的に“一般参賀”が行われるのは決して可笑しいことではないと思うが、この日の場合はどうも強要しているような観客が多いようでならなかった。それにしても、国内オケの終演後に拍手が鳴り止まず“一般参賀”が行われるのは、だいたいブルックナーやマーラーの曲ばかりのような気がする。それだけブルックナーやマーラー・ファンは熱狂的というか狂信的だということだろう。


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