このブログの題に使わせていただいている「新老人」という言葉は、日野原重明先生が使われていた言葉です。
非常にお元気で、105歳になられた最近まで、講演活動や執筆活動を行っておられました。
今日のニュース速報で、日野原重明先生が亡くなられたことを知りました。
聖路加国際病院の名誉院長を続けてこられるなど、そのエネルギッシュな行動は,高齢者にどれほど元気と希望を与えてこられたことでしょう。
一方で、生と死の問題にも、真摯に取り組んでこられました。
ただひたすら治療の行為で延命するよりも、余命をゆっくりと大事に家族と過ごすという考え方で、ホスピスの実現にも尽くされました。
敬虔なクリスチャンである日野原先生のお話を、キリスト教会で数回聞くこともありましたが、何せ講演の予定が数年にわたり予約が詰まっているという状態で、恐らく実行できななくなった予定表リストが、寂しく残されたのではないかと思います。
いつかは命が尽きるのは分かり切った事ではあっても、いまさらながら残念でなりません。 天に召された日野原重明先生のご冥福を願ってやみません。
非常にお元気で、105歳になられた最近まで、講演活動や執筆活動を行っておられました。
今日のニュース速報で、日野原重明先生が亡くなられたことを知りました。
聖路加国際病院の名誉院長を続けてこられるなど、そのエネルギッシュな行動は,高齢者にどれほど元気と希望を与えてこられたことでしょう。
一方で、生と死の問題にも、真摯に取り組んでこられました。
ただひたすら治療の行為で延命するよりも、余命をゆっくりと大事に家族と過ごすという考え方で、ホスピスの実現にも尽くされました。
敬虔なクリスチャンである日野原先生のお話を、キリスト教会で数回聞くこともありましたが、何せ講演の予定が数年にわたり予約が詰まっているという状態で、恐らく実行できななくなった予定表リストが、寂しく残されたのではないかと思います。
いつかは命が尽きるのは分かり切った事ではあっても、いまさらながら残念でなりません。 天に召された日野原重明先生のご冥福を願ってやみません。