考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

つまらない話

2011年01月13日 | 教育
 テレビでなにやら解説をやっていた。聞き古されたというか、いかにもマスメディアが言いそうなことを何かの専門家の人が言っていた。つまんないと思った。
 しかし、思うに、非常に多くの人は、「ものの見方・考え方」に関して「初めて聞く考え方」と「すでに自分が聞いて知っている考え方」では、後者の方がわかりやすいだけ、価値が高いと考えるのではないか。だから、マスメディアは、無難なところを取って、よく言われる話を繰り返し流す。

 「初めて聞く考え方」は、その価値も何もわからないことが多い。というか、自分自身の感覚や思考で判断しなければならなくなる。ところが、一般大衆は、自立的な思考をしない。自立的な思考をするには、時間がかかる。それだけ、自分自身で「わかった感じ」がしないだろう。「わかった感じがしない」というのは、まあ、つまり、「わからない」という感覚は、あまり愉快なものではない。世の中で「わかりやすさ」が好まれるのも、不快感をなるべく感じたくないからだ。「初めて聞く考え方」を聞くより、「聞いて知っている考え方」の方が、どれだけ気安いかわからない。
 テレビが衰退しているように思われるが、それでも多くの人はテレビを見る。新奇なものを知りたいと言うより、自分の知っていることを確認するためにテレビを見るのかな、と思った。

 生徒の授業も同じな気がする。今の生徒の勉強は、自分が知っていることの確認の場である。だから、知識も何もかも、大きく広がったり深くなったりすることがない。実にのろのろしている。ブレイクスルーなんて、とんでもない話である。勉強をしても世界観が変わることがないから、「やっても意味がない」と考える。

 もー、どうなってるんだよー。で、社会も、大勢の大人もそれに与する。日本の知的教養度はどんどん低下する。

コメントを投稿