考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

たぶん効果的な生徒の叱り方

2006年11月07日 | 教育
 生徒がちょっとした悪さをしたとき、呼んで叱る。大きな声は出さない。

 まず、何をしたかを問う。何故そんなことをしたのかを聞く。人間の行動の理由は、まあ、一つではない。必ず、いくつか言わせる。嫌がっても、考えさせて、言わせる。
 答えたら、それぞれの答えに対して、通り一遍で終わることがないように、必ず掘り下げて聞く。かなりイヤらしい。一つのことについて3回くらいはどんどん掘り下げて聞く。とても嫌がることもあるが、自分のしたことでしょ、私はわからないよ、と言って考えさせる。時間が掛かることはあるが、それは仕方がない。なるべく丁寧に問う。しかし、誘導尋問はしない。とにかく言ったコトバを受けて問い続ける。
 そうすると、しゃべっているうちに、かなり「発見」があるようである。この頃から表情などが変わってくることが多い。それまで面倒くさそうにしていても、ちょっとだけでも落ち着きのある引き締まった「いい顔」になる。
 それで、具体的にこれからどうするかなどを言わせる。こちらは指示しない。必ず考えさせて自分のコトバできちんと主述を合わせた文で言わせる。ちょっとでも抽象的な場合は、もっと具体的に言うよう指示する。とにかく極めて具体的に言わせる。かなり苦しそうに見えるときがある。たぶん、そうするのがイヤだからだ。イヤなんだろう、と聞く。うん、と答える。何でイヤなんだろうとまた問う。嫌だと思う自分をどう思うか、問う。ごまかしは許さない。自分で納得させる。
 私の方から、こうしろ、ああしろという指示はしない。これからのことをあくまでも自分で決定させる。決定事項が一つだけの時もある。しかし、それはそれで仕方がない。

 考える力の全くないような生徒もいる。とても苦しそうだが、それでも、何か発見させる。自分で考えることについて、どうしていいのかわからない困っている自分でも良いのである。
 
 このような叱り方をした際、多くの場合、顔つきが変わる。こちらがびっくりすることがある。自分で自分の何かを発見するのだろうと思う。「私のところに来たときと今と、同じ自分かと聞くと(いつも聞くわけではないが)、大抵、「違う」と答える。それで、自分が変わったことを大事にさせる。

 この叱り方をすると、たとえ僅かではあっても、少なくとも私の前では明らかに生徒は変わる。

 おもしろいなぁと感動する。