外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

一人でも時間を気にしてる。

2015-01-31 11:10:58 | 日記



1月も終わりですね。

暦の区切りも人が作ったんだけど,何故か絶対的に決まっているように感じている。
時間を一日24時間に決めているのも当たり前のことに思っている。

一日に何回も時計を見ている。
ある範囲の地域では,共通の時間を生きていると思っている。

そして,その時間を気にすることで世界と繋がっていることを意識している。

本でも傷つくこともあるから。

2015-01-30 09:32:45 | 日記



本を持つことは,Facebookでお友達登録するようなものだ,と気付いた。
しかも本のほうは,プラトンやブッダやニーチェとかと,お友達登録できる。

私も孤独でもイイってわけでなく,お友達がたくさん欲しかったんだね。
これだけ多くの友達を必要としているほど,寂しがりやだったとは,自分でも驚くね。

本だからといっても,こちらから歩み寄らないと,心は開かないし。

臓器の新鮮なところを。

2015-01-29 10:38:46 | 日記




葉っぱの上の雪が雲のよう。


最近,書くことが無い,というより書いちゃダメなことを考えることが多い。
それは死に関する話題は控えるという常識のせいだろう。

私の思うに,人の死というのはそんなに重要ではない。
何故なら,人の死は選択の自由が無いことだから,考えるに値しないことだ。
誰にも迷惑かけないで好きな時に死ねる自由があれば,考える意義もあるだろう。

死ぬ時を選べるとしたら,生きている新鮮な臓器提供なんてことも出来るかもね。
もっと進んで生きている状態での,医学解剖実習なんてすごく勉強になるんじゃない。

ほら,やっぱり書かないほうがいい気がしてきたよ。

眼を閉じると,魂が開く。

2015-01-28 09:36:23 | 日記



今日から,以前から準備していたことを始めます。
上手くいくのかどうか,とってもお楽しみです。

昨日午後,本を見ようとするとすごく見づらい。
半年に一度くらいこういうことはあるので,眼を休めることにした。
眼を閉じて,2時間くらいインターネットラジオでクラッシック音楽を聴いていた。

何もしないで音楽だけをこんなに聴いていること最近は無かったなあ。
自然と精神が浄化されていくような気がしてきました。

安静にして心身を整えさせるように,眼が不調になったんだろうね。
身体と精神はうまく連動して,人を守ってくれているんだね。

世界が輝く一瞬があればいい。

2015-01-27 10:58:22 | 日記



今朝,らじお深夜便を聴いていると,こんなことを言っていた。

「4才の頃,自分は死ぬことより生きることを選んでいる,と思ったら世界が輝いて見えた」

そんな4才いたら恐いなあ。
似たようなことはあったのかも知れないけど,後付けの記憶だったんじゃないんでしょうか。

私も後付け記憶かも知れないですが,10才の頃,この世の全ては無意味だと思っていた。
それは死ぬことで自分が全て無くなると想っていたからでしょうか。

今は,意味無意味なんて自分が決めれば,どちらもあり,とか思っているけどね。