稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

米軍撤退に見る「自分の国は自分で守る」という当たり前の事

2021年08月31日 | 政治や歴史など


20年間の駐留に終止符を打ち米軍がアフガニスタンから撤退した。
その準備段取りは不十分で撤退作戦中に13人のアメリカ兵が死亡し、さらに100人以上のアメリカ人が取り残されたままである。
それよりも深刻なのは、アメリカ政府に協力的だったアフガニスタン人が多数取り残されたことだ。
彼らがタリバンやイスラム国から殺されるのは間違い無いだろう。

今から51年前、日米安全保障条約に反対する第二次安保闘争があった。
当時私は中学3年生で、通っていた奈良女子大学文学部附属中学校も過激派に占領され封鎖された。
活動の中心は高校生がメインだが、同級生も含む中学生も混じっていた。

日米安保反対!と声を上げ、アジビラを撒く同級生に「日米安保は俺も反対だ」と言った。
彼は、普段保守的な私が日米安保反対と言ったので目を丸くして驚いた。

彼「お前が日米安保に反対するとは思わなんだよ」
私「そうや、アメリカに守ってもらうのはおかしい、日本の国は自分たちで守るべきだ」
彼「なんやそれ、そんなんおかしいやろ、おまえ頭おかしいわ・・」

結局彼の頭の中は、日本に攻めてくる国などあるわけが無く、
日本の軍備を無くし、アメリカ軍の駐留が無くなれば平和なんだという極めてお花畑的な平和理論だったのだ。

日本のマスコミはあまり報じないが、現在の日本は、中共の脅威にさらされ、
言われも無き領土問題をふっかけられ、いつ尖閣諸島を占領されてもおかしくは無い状態にある。
本来は同じ自由主義陣営であるはずの韓国も、戦後のどさくさに竹島を不法占拠したままで、
それどころか今は仮想敵国を日本とし「対馬を返せ」などと言いだすしまつである。

日本の政府はまったくの腰くだけで、いまだに「遺憾砲」ばかり。
「きわめていかんです」と言ったって、それは国際的に何の意味も持っていない。



いざとなったら自分の国は自分で守る。

この気概が無くて、どうして米軍が日米安保を発動してくれると言えるのだろう。
国防を真剣に考えていない国を血を流して助けようと思うお人好しな国などありえない。

「尖閣に近づくものあれば断じて許さず」の姿勢と気概を日本国民全員が共有し、
それがあってこそ、海上保安庁も自衛隊も、自信を持って国防に当たれるというものだ。

いまのように、隙を与えたままでは、余計に戦争の火種となってしまう。
段階的に、用意周到に進めよう。「何がっても尖閣は守る」という姿勢が日本の防衛の要であると信じる。
アメリカは当てにはならぬ。いや、当てになるならぬの問題では無い。
平和ぼけした米軍依存体質では、アメリカだって本気で日本を助けようとは思わないはずだ。

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過激派に属していた同級生の彼は、そのあと私の持っていた日の丸を奪って破いて捨てたのだ。
その後の彼のことは知らない。若くて死んだという噂も聞いたが何で死んだかは聞いていない。

米軍のアフガニスタン撤退で、半世紀前のことを、ふと思い出した次第である。
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